〈中央歴1643年1月17日 第二文明圏 イルネティア王国〉
史上最大の作戦、第三次イルネティア沖大海戦が終結し一晩が経過した。
市民は危機が去った事に歓喜し、軍人達はある者は互いに生き残った事を喜び、そしてある者は仲間の死を悲しんでいる、そんな時間。
「オーエス! オーエス!」
イルネティア島南西部に広がる砂浜に、そんな男達の声が響き渡る。
と、そこに一騎の黒い竜が降り立ってくる。
「いやあ、すげえ事になってんなー」
「アンティリーズさん! どうしたんですか?」
「いや何、コイツが飛ばせってうるさくてな」
『……フン』
その竜───雷竜の背から一人の男が降りる。イルネティア王国雷竜騎士団団長、グラーフ・アンティリーズであった。
彼はその場にいた男にそう問われると、にやけながら自分の愛騎───リーブスを指差す。指されたリーブスは何も言わず顔を背けた。
「昨日あんだけ飛んだのによ。疲れるぜ~」
『嘘をつけ。お前も飛びたくて飛びたくて仕方がなかったのだろう?』
「……ああ。当然だろ」
『
そう言うと、彼等の頭に昨日見せつけられた光景が浮かび上がる。
───先程まで自分達があれ程苦戦していた敵、圧倒的な性能、そして数。彼女らは、それらを物ともせず瞬きする間に一瞬で
やはり神竜は凄い、格が違う、敵わない。そう思い知らされた。だからこそ休んでなどいられなかった。
「なるほど。流石ライカとイルクスですね」
「ああ。……ところで、これが例の?」
「はい。今も数えていますが一体何体いるのやら……」
男は砂浜を見つめる。
そこには、無数の海魔の死体が打ち上げられていた。大中小大きさや種類は様々であったが、そもそも海魔は高い知能を持つ生物である為こういった事は珍しく、異様な光景であった。
今、男達はその中の一体を引き摺っている。巨大で水を含んだ海魔は重く、力に優れる獣人が複数加わってもゆっくりと動かすので精一杯だった。
何故ここまで海魔が打ち上げられているのか、それには理由がある。
昨日の海戦の折、ライカはその権能を使用して海魔に生存者を島へと送らせた。命令を受けた海魔は生存者達をその背に乗せ、しかし受けた命令があまりにも単純であった為海魔は浅瀬にその身を乗り上げてもなお命令を果たそうとし、結果としてその多くがそのまま力尽きてしまったのだ。
少々残酷に思えるかもしれないが、そもそもここにある以上の数の海棲生物が水中弾の爆発などで死んでいる。それに、これらには相当数の兵が食い殺されている。同情の念はあまり湧かなかった。
「それで、これどうするんだ? 食うのか?」
「まさか。食べたら魔素中毒になってしまいますよ。いくら治るとはいえわざわざリスクを負ってまで食べたくないです」
「それもそうか」
ははは、と笑う。
変性魔素中毒症。かつて神話の時代に勇者達の命を奪ったこの病は、現代においてはさほど恐れる物でもなくなっていた。
しかし、血清があるからといって毒キノコを食べる物好きはいないだろう。それと同じだ。
因みに、同じ魔物である雷竜やワイバーンは食べる事が出来る。が、ワイバーンはともかく雷竜とは主従関係を結んでいる訳ではなくあくまでも対等な関係なのだ。ゴミ処理などさせられなかった。
「……ああでも、確か最近魔素を取り出して魔物も食べられる様にする技術が開発されたって聞いたような」
「ええ……わざわざ?」
「はい。どこだったかな……ああ、思い出しました。日本です」
「えぇ……よくわからない国だな」
彼は遠く東方の島国に対し本気で困惑するのだった。
しかし、こんな物はまだ序の口である事を彼は知らない……
「ま、これは取り敢えず焼却ですかね」
「ま、それが安パイだな。浄化はかけるんだろうが一応風向きには気をつけろよ」
「了解です」
一部の魔物は焼くと毒性のガスを出す場合がある。それに対する浄化魔法も存在し、魔物を焼く時には必ずかける事が義務化されていた。
そうこうしている間にある程度内陸まで運ばれていた。彼らは次に運ぶ死体の元へと行こう───として、意外な者に引き留められる。
『待て』
「? リーブスさん、でしたっけ。どうかしましたか?」
「どうしたんだ?」
突然声を発した雷竜に彼らは少し困惑する。
『この死体の中から微かだが魔力を感じるぞ』
「魔力? そりゃあ魔物だし魔力ぐらい……」
『いや、違う。これは……魔法を発動した時に感じる類の物だ』
「な!?」
「す、すぐに開けます!」
そういうと、彼は短剣と取り出し海魔の腹に突き立て、皮を横に裂いていく。
酸味と不快な甘味の混じった独特の汚臭が辺りに立ち込め、切り裂いた腹から細かな骨や髪の混じった胃酸が流れ出す。そして───
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────
─
港湾都市ドイバ。つい昨日までは友軍艦艇で埋め尽くされていたその港は、今は敵軍の艦艇で覆われている。
とは言っても、何もイルネティアが降伏した訳ではない。寧ろその逆で、降伏したグラ・バルカス帝国軍艦艇が取り敢えずここに留め置かれているだけだ。総数は約400隻。これだけでも今ミリシアルにある全海軍艦艇よりも多い。
圧倒的な戦力。これに世界は勝利したのだ……
「……いや、敗北だ。勝ったのは我々ではない。神竜だ」
町に建てられた一際大きな病棟。その一室にて男が呟く。
彼はレッタル・カウラン。今作戦に参加したミリシアル艦隊の司令である。彼は戦闘によって乗艦であった『アダマンタイト』が沈められ別の艦に移り、何とか一命を取り留めていた。
『アダマンタイト』は帝国最新鋭の戦艦、アダマン級魔導戦艦である。それが沈められるという事態に直面し、彼の自尊心は完全に崩れていた。
結果として、今回参加した11隻の魔導戦艦は5隻しか残っていなかった。空母に至っては9隻中6隻が沈んでいる。これを敗北と言わずして何と言うのか。
そして、神竜は一度は敗北したもののこれだけの敵を相手にほぼ単独で勝利した。今回艦隊が沈めたのよりも多く───艦種の違いはあれど───沈めたのだという。
神聖ミリシアル帝国が倒そうとしているラヴァーナル帝国はこの神竜を数多く保有していたインフィドラグーンと戦い、勝利したのだ。
「今のままでは……確実に……」
今、彼の脳内には鮮明に映し出されていた。近付く事はおろかその姿を見る事すらも叶わず一方的に沈められていく艦隊の姿が。
音よりも速く飛来する光弾はまるで意志を持っているかのように艦艇に吸い込まれていき、空から攻撃しようとした航空機も同じく飛来した光弾に追いかけられ、敢え無く撃墜されていく。そこに誇りなど存在しない。あるのは敗者にすらなれない弱者と勝者ですらない絶対的な強者のみだ。
彼は拳を握り締める。
「必ずや、帝国をそこまで引き上げてみせる……そうしなければならないのだ……!」
未来を、自由を掴み取る為に。彼は決意を新たにするのだった。
「ぶえっくしょん!!」
「うわあ!? って、くしゃみか……風邪?」
「うーん……どこかで僕の話でもしてるのかも?」
「そりゃあ今は無限に話されてると思うけど……所で、大丈夫? やっぱり私が剥こうか?」
「い、いいもん! これは僕がライカの為に剥くって決めたんだから!」
一方その頃、同じ棟の別の部屋にて。二人の少女がそんな会話をしている。
片方の小さい人間の少女が病衣を纏いベッドに横たわっている。義肢にしていた海魔は既に死に、今彼女は片手足が無い状態である。
その隣で丸椅子に腰かけた美しい竜人の少女が覚束ない手つきでリンゴの皮を剥いている。震えるナイフで剥かれているそれの下にある皿の上には分厚く短い皮が積み重なり、肝心のリンゴは既に最初の半分程の質量になっていた。
「あっ」
間抜けな声。
見れば、表面を削り取る筈のナイフが実の半ばまで差し込まれていた。
「あああああああ!!」
「ふふふ、もう……ちょっと貸してみて」
全く剥く事が出来ずそんな声を上げるイルクスに、ライカは苦笑してナイフを持ち、イルクスにリンゴを持たせるとするすると片手で器用に皮を剥いていく。
それを見て再び奮起したイルクスがまたも挑戦し、先程よりかは少しだけ上手く剥いてみせる。
そして、最後は切り分けた欠片を二人で食べる。そんな、昨日までのぴりついた雰囲気とは打って変わって穏やかな空気が漂っていた。
戦いが終わった後、ライカは約束通りイルクスに全てを話した。
自らの出自の事、母親の事、能力の事……そして、何故それをこれまで話さなかったのかを。
彼女は恐れていた。もしかしたら自分は気が付かないうちに能力を使っているのではないか。
この、今自分がいる景色は全て自分が作り出したものなのではないか。
その疑念をより深めたのはあの、南方世界近辺から雷竜を連れ帰る道中アニュンリール皇国に襲われた時に起きた出来事である。
誘導魔光弾が接近し、このままでは撃ち落されて全滅してしまう。そんな状況で彼女は「海へ潜れ」と叫んだ。
神竜であるイルクスはともかく、雷竜は一度海に入ってしまえばそこから再び飛び立つのはほぼ不可能だ。しかし、自分が急かすと素直に従った。そう、不自然なまでに。これは、自分の念動波が影響した結果ではないのか。彼女はそう思ったのだ。
実際、それは正しかった。叫んだ際に僅かながら常に発していた念動波が強まり、それが雷竜達に作用したのだ。まあ、最終的には全騎撃墜されるという結果に終わったのだが。
彼女は吐露する。
彼女は怖かった。自分が今こうして享受している様々な感情が、実は全て自分が作り出した偽物なのではないかという事を。そして、もしそうならば───自分は、彼女と共にはいられない。いてはいけない。彼女は彼女自身の人生を送るべき───そこまで言った所でパァン、という乾いた音が辺りに響いた。
「……馬鹿に……するな……!!」
「っ……」
それは、イルクスが彼女の頬を叩いた音だった。
驚き、頬を押さえるライカに、彼女は心底怒った様な、それでいて悲しそうな表情を浮かべている。
「……ずっと、ずっと知ってた。ライカから何か不思議な魔力波が出てる事なんて! 神竜の僕が分からないとでも思ったの!?」
「な、ならなんで」
「あと!! 『自分が作り出した』って何!? もしかして僕が影響を受けてるとでも思ってたの!? 随分とナメられたものだね!!」
彼女は動けないライカの両頬に手を当て、顔を近づける。
「
「う……」
顔を背けたくても背けられない。
「僕は君が好き! 大好きだ!!」
「なっ!?」
突然真正面からぶつけられたその言葉に彼女は赤面しながら驚く。
「だから!! 世界が敵に回っても……いや、僕が
「───っ!!」
視界がぼやける。
いつの間にか、彼女の顔から手は離されていた。代わりに、イルクスの大きな手がライカの小さな手を包み込む。
険しい表情は柔らかな物に、強い声は穏やかな物へ。今、二人はそこに居た。
「僕が必ず君を守ってみせる。だから、君が僕を導いてくれないか」
「……ええ、ええ……ええ!!」
もう、彼女の眼に迷いは無い。
魔王の成り損ないと龍神の眷属が今、真の契りを交わしたのだった。