〈中央歴1643年6月29日〉
「まもなくですぞ、ライカ様、イルクス様」
「おおー、久しぶりだね」
「2年ぶり……くらいかな」
中央世界、ミリシエント大陸上空。
雲も少なく穏やかな気候のこの日、そこを一機の旅客型天の浮舟が飛んでいた。
その窓から大陸を見ているのは、イルネティアの英雄、ライカ・ルーリンティアとイルクスであり、そんな2人を生暖かい目で見守るのは青い肌をした大男、エモール王国の外交担当貴族、モーリアウル。
彼は(良く言えば)穏やかな笑顔で見守るものの、"中身の無い左腕と左足"が視界に入る度に口内で歯を噛み締める。それは彼女───ライカをそんな姿にしてしまった悔しさであり、下手人たるグラ・バルカスへの怒りでもある。
そして、彼女のそんな状態こそが今二人がこうして態々天の浮舟に乗っている理由でもあった。
第三次イルネティア沖大海戦。それはグラ・バルカスと世界連合軍双方に深い傷を負わせ、その傷の中にはライカの左手足も含まれていた。
現在ミリシアルにて専用の義肢が開発中であるものの、それが完成するまでは彼女は車椅子を使わなければ移動もままならない様な状態であり、当然飛竜に乗るなど以ての外なのだ。
ライカは表面こそ笑顔を浮かべたりしているものの、それにはやはりどこか翳りが含まれていた。
そんな状態にモーリアウルは当然心を痛め、二人にある提案をした。
「そういえば、これから行く『ヴァルムト温泉』ってどんな所なんですか?」
「ああ、そういえば説明しておりませんでしたな」
そう、湯治である。
彼女らが向かっているエモールのその温泉についての概要をあまり知らないライカは、モーリアウルに尋ねた。
「ヴァルムト温泉は霊峰アクセンの一角にある地、ヴァルムトに湧き出ている温泉です。ドラグスマキラからそう遠くないその温泉は、神代に神竜バハムート様がその御力をもってして創られた、と伝えられております」
「ええ!? 温泉を!?」
「はー、そのバハムートさんって凄いんだね」
「ええ。バハムート様はインフィドラグーンで最も優れた三柱の竜に与えられる称号───"三竜"の一角であられた御方。竜魔戦争の際には衰えから後進の方にその座を譲っておられた様ですが、それでもなおラヴァーナル帝国の大軍相手に勇敢に戦われ、その大半を撃破した、という逸話まで残っている程です」
彼は得意げに祖先の逸話を語る。
ヴァルムト温泉。彼の言った通り"三竜"バハムートがその権能をもってして作り出した温泉であり、そのエメラルドグリーンの湯は魔素を豊富に含んでおり入った生物の自己治癒能力を高めると言われている。
その効能は中央世界には広く伝わっており、一国の王族なども湯治に訪れる事もあるらしい。かつてミリシアル八世も訪れた事があるとかないとか……
ともかく、エモールが誇るその温泉に、モーリアウルは二人を招待したのである。
エモールに空港は無い。その為、天の浮舟を使ってエモールに向かうには一度ミリシアルの空港で降り、そこから陸路で向かう必要がある。
この一行も例外ではなく、彼女らを乗せた機体はミリシアル北部のエモール国境にほど近い位置にあるグンダカール空港に着陸し、そこから魔動車に乗り換えてエモールへと入国した。
道中休憩を挟みつつ、車で約10時間。
彼女らはエモールの首都、竜都ドラグスマキラに到着する。そしてまずは竜王ワグドラーンに謁見する事になるのだった。
「神竜様にライカ殿、よくぞ参られました。お二方は一刻も早く温泉へ向かわれたいとお思いでしょうが……」
「い、いえ、私達はご招待を受けた側ですので、当然の事です」
「そう言っていただけると幸いですな……して、そちらのモーリアウルは何か粗相などはしていないでしょうか?」
「…………いえ、大丈夫です」
「ちょっと距離感が気持ち悪いけどまあ大丈夫だよ」
「……そうですか。よく言い含めておきましょう」
ウィルマンズ城、王の間。そこで二人は竜王ワグドラーンに謁見していた。
とはいえ、その実情は何故かライカ、イルクス、ワグドラーンの三人が跪いているという何とも不思議な物なのだが。
ライカとイルクスは相手が国王だから、ワグドラーンは相手が神竜だから。それぞれが考えてみれば当然の理由で跪いているのだが、それはそれとして何とも滑稽な光景である。
そんな状態でまず軽い会話が交わされ、モーリアウルについて聞かれたライカが結構長い間言葉に詰まり、建前を知らないイルクスが本音を言い、それを聞いたワグドラーンによる外交担当貴族に対する説教が確定するなどの事はあったものの、基本穏やかな雰囲気で進んでいった。
「さて、お二方には温泉へ向かう前に……お会いして頂きたい方がいるのです」
「お会いして頂きたい
ライカは首を傾げる。それは会って欲しいという事実ではなく、国王がその人物に対して
国王であるからして、イルクスという例外を除けばここエモールでは彼が最も位の高い人物である筈なのだ。
「はい。その方もヴァルムトの近くにおられるのでそう手間はかかりません」
「どんな人なの?」
イルクスが聞く。ライカは未だに彼女が彼に対して敬語を使わない度に冷や汗をかいていた。
そんな彼女の内心はさておき、彼は言う。
「その方は人ではありません。その御方は───竜なのです」
───────
ヴァルムトからそう遠くない場所、霊峰アクセン第二の海抜を誇るアドヴェント山の麓にその洞窟の入り口は存在する。
内部は暫く竜人族が一人ギリギリ通れる程度の道が続き、やがて広い空間に出る。
そこは幻想的な空間だった。あちらこちらの岩肌から色とりどりの魔石の結晶が突き出し、そこから漏れ出た魔素が空気中を漂う事で空間そのものが淡く輝いている。足元には薄らと水が流れており、触ってみると仄かに温かい。どうやら温泉らしかった。
「……これって」
「イルクス、どうかしたの?」
「この気配……」
「流石は神竜様、矢張りお分かりになるのですね」
洞窟に入った瞬間、イルクスが何かを感じる。それにワグドラーンが反応し、ライカは何が何だか分からず戸惑う。
「ここはエモールの中でも歴代の竜王のみが存在を知る場所です。本来ならば国外の者など近付かせる事すら許されぬ場所……しかし神竜様ならば、いや寧ろ私などよりも貴女様の方が知るべき場所なのかもしれません」
「そ、そんな場所に私がついて来ても良かったんですか」
「本来ならば許されざる事です。ですが……」
ライカの問いに、彼はイルクスの方を向いて答える。
「……神竜様の騎士ならば問題は無いでしょう。その背に乗る竜騎士は竜と一心同体である身、インフィドラグーンの世からそうですからな」
「そうだね、もし僕だけが連れてこられてても絶対ライカに教えてたと思うし」
「イルクス……」
彼女は、出来れば軍人としては秘密は守って欲しいという思いと嬉しさが混じった声を漏らす。
「で、ワグドラーンさん。この先に居る"竜"ってもしかして僕と同じ?」
「正確には少し違います。貴女様は神竜、この先におられるのは
「ふーん、よく分かんないや」
「……まもなく見えてくるかと」
歩く事十数分。広い空間の更に奥に、また更に広くなった空間があった。
「……!! こ、これが……!?」
「おお、すっごい大きい」
ライカは驚愕し、何となく気配で分かっていたイルクスですらも軽く驚く。
「ご紹介致します。この方が───極みの雷炎龍、ヴァルロード様です」
しかしそれも仕方ないだろう。何しろ、そこに居たのは───全長1kmはありそうな巨体を持つ"龍"だったのだから。
「極みの雷炎龍……?」
「亜神竜の一種であらせられ、かつてインフィドラグーンには数千もの雷炎龍様が所属されていたと聞いております」
「こ、こんな龍が数千……?」
あまりの巨大さにその全貌を未だ把握できていない、そんな巨大龍が数千体も居たという事実にまたも驚愕する。
一方のイルクスはといえば、別の事に気が行っていた。
「このヒト、凄く弱ってるみたいだけど大丈夫なの?」
「それは……」
『……その先は、私から言いましょう』
と、その時だった。突然その場に居る者全員の脳内に直接声が届けられる。
そしてそれは、ライカにとってはよく慣れた物───テレパシーだった。彼女らはその身体の端に付いている巨大な顔へと視線を向ける。
瞼は半分程開かれ紅い瞳を覗かせている。口角は少し上がり、その表情は穏やかだったが覇気は全く感じられない。
「あなたは……」
『私は雷炎竜ヴァルロードと申す者。貴女方の話はワグドラーンから聞いております』
彼は話す。
彼───雷炎竜ヴァルロードはかのインフィドラグーンに所属していたという。だが、竜魔戦争の折に負傷しこの洞窟に逃げ込み、それから実に一万年以上も身体の回復に務めているらしい。
竜形態になり体表面積を増やして魔素の吸収効率を高めても尚身体は回復し切っていない。それどころか飛び立つ事すらままならない様な状態なのだと彼は言う。げに恐ろしきは究極魔法───コア魔法の威力である、彼女らは思い知らされる。
『まさか神竜様が生きておられるとは……このヴァルロード、生きていた甲斐があったというもので御座います』
「そんなものなの?」
『貴女様はまだお若いご様子。いずれお分かりになる時が来る事でしょう』
「ふーん……」
イルクスは結局あまり理解していない様子だった。
とはいえ、特段気にしていない様で彼は次にライカへ視線を移す。
『ライカとやら……フフ、妙な因果もあるものだな』
「……」
彼はどうやら、一目見ただけで彼女の秘密を見抜いたらしい。
そしてライカも、彼が何を言いたいかを理解した。
「安心して下さい。私が必ずイルクスを護ります」
『その身体でか?』
彼の視線は彼女の左手足があった場所に向けられていた。確かに、車椅子に乗せられているこんな状態ではどうする事も出来ないかもしれない。
しかし、彼女は真っ直ぐに彼の目を見つめ、言う。
「まだ命はあります」
『フ……クク、ハッハッハ!! 矮小な小娘が大層な事を言うものだ。しかし気に入った……これで安心して眠りにつけるというものよ』
どうやら、彼女は認められたらしい。彼は快活な笑いを上げる。
「ねえ、勝手に話を進めないでよ」
と、そこにイルクスが割り込む。
「ライカを守るのは僕! 僕の魔力と力でどんな敵も打ち倒すよ!」
「ちょ、今そんな話してな」
ライカの静止も聞かず、イルクスは彼女を持ち上げて言う。
「あとライカは"矮小な小娘"なんかじゃないから!」
「貴女の前に置かれると別の意味に聞こえるんですけど!?」
他愛のない会話が繰り広げられる。ワグドラーンは苦笑し、モーリアウルは生暖かい視線を送る。
そんな様子を見て、ヴァルロードは一言呟いた。
『……大丈夫そうだな』
───────
「温泉だー!!」
「広いなあ……」
ヴァルロードの一件が終わったライカとイルクスはかねてからの予定であったヴァルムト温泉へとやってきていた。
山の中腹に湧き出る温泉。巨大な浴槽が幾つも段々と積み重なっている様な構造をしたそこに黄金色の湯が溢れんばかりに張られ、白い湯気がもうもうと昇っている。
そして、何といってもその最たる特徴は景色である。アクセン山脈の中腹にあるここは海抜2300mであり、遠方にあるドラグスマキラなどを一望する事が出来る。
ただ一つ欠点を挙げるとすればアクセスが悪い事だろうか。インフィドラグーン時代にここを使っていたのは空を飛べる竜達ばかりだったので仕方のない事ではあるのだが。
普段は利用者が数多くいるここには今、彼女ら以外には全く人が居ない。態々二人の為にエモール王国で貸し切ったのだ。
そこまでしなくても、とライカは思いつつ、しかし警備上の観点からするならばこうするのが最善なのだという事も分かっているので何も言わない。
「はあ~気持ち良い……」
イルクスが表情を蕩けさせる。
「んーっ、効きそうな感じがする……」
ライカは右手を伸ばし、そんな事を言う。
ジワリ、ジワリと切断部に成分が染みていく様な感覚。プラシーボかもしれないが、多分無いよりはマシだろう。
「……」
「……」
二人が顔を上げれば、そこに広がるのは絶景だ。
刻は夕暮れ。白と灰の雲海が広がり、その海に紅い太陽が沈んでいく。
風が二人の顔を撫でる。熱い湯と冷たい風、ベストな組み合わせだ。
そして、隣には
静寂に包まれる時間。独特の金属臭が漂い、水と風の音だけが流れていく。鳥はおろか、虫すら居ない。
二人だけの世界が、ただ、ずっと過ぎていった。
雷炎竜さんは原作よりも傷が深いご様子