偽金持ちのラザロおじさま   作:神山甚六

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ラザロの復活

 エルサレムを追われたイエスと弟子達は、再び行くあてのない旅に出発した。

 

 この時、エルサレムに近いベタニヤの人ラザロが、重い病に臥せっているという知らせが、イエスの元に届いた。

 

 イエスは、弟子たちに言った。

 

 「わたし達の友であるラザロが、眠っている。わたしは、彼の眠りを覚ますために赴こうと思う」

 

 すると、ベタニヤ行きを憂慮する弟子が発言した。

 

 「主よ。眠っているのでしたら(病気であっても)助かるのではないでしょうか」

 

 この弟子に対して、イエスは受け取り違いであると言われた。

 

 「ラザロは眠っているのではない。ラザロは死んだのだ」

 

- 『ヨハネによる福音書』*1 -

 

 

 アルプス山脈の西。スイスとフランスの国境を形成し、ジュラ山脈とスイス高原を背後に擁くレマン湖*2は、スカンジナビア半島の付け根に位置するラドガ湖に次いで、欧州大陸で2番目に大きな内陸湖である。

 

 ちょうど三日月を傾けたように、北向きの弧を大地に描く内陸湖の存在は、紀元前1世紀に活躍したローマの将軍ガイウス・ユリウス・カエサルが『ガリア戦記』に記したことで、広く知られるようになった。

 ヘルウェティイ族と激しい戦いを繰り広げた戦場近くの三日月形の巨大な内陸湖を、カエサルはラテン語表記でlacus Lemannus(レマンヌス湖)と呼称した。これがフランス語表記のLac Léman(レマン湖)の語源とされている。

 

 カエサルが活躍した時代より約3世紀後。アレクサンドロス大王の偉業を引き継ぎ、偉大なるギリシャ文明の継承者として地中海世界に覇を唱えたローマ帝国は東西に分裂する。ほぼ同時期、帝国はそれまで異端のユダヤ教として迫害してきたキリスト教を、勅令により公認した。

 それから更に約2世紀後の475年。国政の混乱が続いていた西ローマは、最後の皇帝が蛮族の将軍により廃位されたことで解体。西の帝位が絶えた後も蛮族の侵攻を幾度となく退け続けた東ローマ帝国であったが、1453年には異教徒の手によって滅亡した。

 

 偉大なるローマは滅びたが、その再興を求める声は根強く燻り続けた。その中心が、かつて帝国が「異端」として弾圧した、ローマの聖座を中心とするキリスト教の聖職者達であったことは、歴史の皮肉であろうか。

 

 かくして西ローマ解体から4世紀以上が経過した9世紀。西ローマ帝国は神聖ローマ帝国として復活する。しかし帝国は幾多の戦争と政変にまみれ、期待されたキリスト教世界の守護者としての役割を果たせなかった。

 それでも神聖ローマ帝国はハプスブルク家が世襲する緩やかな連邦体である、事実上のドイツ帝国へと変質しながら、コルシカ出身の小男が出現した長い19世紀の1806年まで、10世紀近く命脈を保つことになる。

 

 神聖ローマに終わりをもたらしたナポレオンの帝政も、国体が途絶えて久しい。ハプスブルクは宿敵のブルボン朝がフランス王位を追われた後も存続したが、最初の世界大戦*3末期に発生した、革命と動乱の濁流の中に消え去った。東ローマを滅亡させたオスマン帝国や、「第3のローマ」を宣言して東ローマ後継者を自称したロマノフ帝政も、ほぼ同時期に役目を終えている。

 

 奇妙な偶然というべきか。それとも帝政の終焉は、人類の歴史の必然だったのか。

 

 そして再び勃発した世界大戦*4。世界は二度目の喜劇に参加する対価として、多くの血を支払う。

 

 その戦塵も冷めやらぬなか、古い帝国の遺体を土壌に、流された血を糧として、新たな東西の帝国が誕生した。

 

 ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営(東側)と、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義陣営(西側)。両者による東西冷戦は、幾多の代理戦争と緊張緩和(デタント)を繰り返しながら、1979年の現在も継続中である。

 

 さて、レマン湖がスイスとフランスの西部自然国境の一部を形成していることは既に述べたが、この淡水湖の湖畔には、もうひとつ国境を接する国が存在する。

 

 ハプスブルクの神聖ローマ帝国カール5世(在位1519-56)により、レマン湖南岸とローヌ河流域を正式な所領として認められてから424年。ヴェストファーレン条約*5により、独立した主権国家と認められてからは331年という、欧州最古の独立国家。

 

 人口は4000人にも満たず、主要な産業は農業と観光業。幾多の戦乱により縮小した国土は、サンマリノやリヒテンシュタインはおろか、バチカン市国のそれよりもわずかに狭い。

 吹けば飛ぶような永世中立国でありながら、歴代大公の卓越した外交手腕により、欧州に吹き荒れた戦争や革命の惨禍とは無縁であり続けた奇跡の国。

 

 大都市ニューヨークの国際連合本部ビル前に、燦然と翻る「黒地に赤い十字架」の国旗。

 イクトゥス(クリスチャン・フィッシュ)の下半身に、山羊を模したセンティコアの上半身という独自の紋章をもつ、古きゴートの血を現在に継承する唯一の君主国家。

 

 その名をカリオストロ大公国という。

 

 

 イエスは自らの危険を顧みず、ベタニヤを訪れた。

 

 イエスの言葉通り、すでにラザロは死んでいた。

 

 イエスは、ラザロの姉であるマルタに言った。

 

 「貴女の兄弟ラザロは、甦るであろう」

 

 マルタは、泣きながら応えられた。

 

 「終末の日にすべての死者が蘇ることは、存じております」

 

 イエスは、マルタに言った。 

 

 「わたしは甦ったものであり、命そのものである。わたしを信じる者は、例え死んでいたとしても、生きているのである」

 

 「そして生きている人でわたしを信じる者は、いつまでも死ぬことはない。マルタよ、あなたはこれを信じるか」

 

 マルタは、イエスに応えられた。

 

 「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」

 

 この言葉を聞き、イエスはラザロの墓へと向かった。

 

- 『ヨハネによる福音書』*6 -

 

 

 ローマ帝国の最大領域である北方外縁部よりも僅かに北、すなわちローマの勢力圏内から僅かに外れた地域。現在の東ドイツ北部からスカンジナビア半島南部にかけて居住していたとされるゲルマン民族は、4世紀の中頃、突如として南下と西進を開始した。

 ゲルマン民族の大移動として、多くの史書や教科書にも記されている民族移動の原因や背景については様々な仮説が立てられているが、現在まで明確な結論は出ていない。

 

 確かなことは、この6世紀まで断続的に続いた東方からの招かれざる客が、当初はローマ帝国を外から脅かし、そして内側から侵蝕したということだけである。

 

 ブルクンドにランゴバルト、アングロ・サクソンにフランク。数あるゲルマン諸民族の中でも、最も初期にローマ帝国へと侵入したのがゴート族である。

 自らを故郷から追ったフン族を始め、数々の異民族との戦いによる実戦経験を有していた精強無比なゴート族は、やがてキリスト教に改宗。東西のローマ帝国から傭兵戦力として重用され、次第に政治的にも台頭。ついには帝国の国政を左右する勢力となった。

 

 東西の両皇帝から国王に封じられ(認めさせた)、帝国内部に建国したのが、西ゴート王国と、東ゴート王国である。

 西ゴートはガリア(大西洋沿岸部を除いた現在のフランス共和国のほぼ全域)からイベリア半島にかけて、東ゴートはイタリア半島とアドリア海の対岸地域(現在のユーゴスラビア)までという広大な領域を実行支配していた。同時に両国王は帝国の副帝にも任ぜられた。

 

 このままが両帝国を簒奪するかに思われたゴート族であったが、後者は東ローマ帝国の干渉により、建国から60年ほどで滅亡した(彼らを滅ぼした東ローマは、15世紀まで命脈を保った)。

 一方、西ゴート王国は西ローマ帝国の解体後も勢力を拡大。6世紀初頭、フランス王国の前身であるフランク族の王クロヴィスによりガリアを追われたが、その後もイベリア半島を支配する王国として、8世紀にアフリカから北進したイスラム勢力によって滅ぼされるまで続いた。

 

 さて、すでに述べたように、西ゴート王国がフランク族の王クロヴィスに敗れ、ガリアの実効支配を失ったのは6世紀初頭である。

 507年。北ガリアで両勢力が激突したヴリエの戦い(ソワソンの戦い)において、西ゴートは国王アラリック2世が戦死するほどの大敗を喫した。

 後継者をめぐり政情不安に陥った西ゴート宮廷は、南ガリアの確保を困難と判断。天然の要害であるピレネー山脈で隔てられた、赤土のイベリア半島への撤退を開始した。

 

 この時、イベリア半島への撤退を良しとせず、南ガリアに留まる決断を下した西ゴートの王族がいた。

 

 亡き国王の弔い合戦を挑む徹底抗戦派かと思えば、さにあらず。彼は宿敵フランク族の王に臣従することで、自身の目的を果たした。王位継承争いに敗れて亡命したとも、クロヴィスにより甘言をもって誘われたためともされるが、はっきりとした理由はわからない。

 この裏切り行為に、西ゴートの宮廷闘争に勝利して即位したアラリック王は激怒。彼の名前を系図から消し去った。

 

 フランク王国の歴史書によれば、彼はクロヴィス王との謁見において、自らのゴート人としての名前を捨てることを宣言した。

 この時代、名前とは自らの生命と魂の象徴であるという認識が一般的。

 自らの名前を捨てるということは、自らの死を意味することに他ならない。

 クロヴィス王は、この申し入れを勝者としての寛大さをもって受け入れ、そして勝者の権利を行使した。

 王は、この元西ゴート王族に新たな名前「ラザール」を与えた。

 

 いうまでもなく「ラザール」はフランス語風の発音。聖書本来の発音に従えば「ラザロ」と表記するのが正しく、そもそも当時の公用語や公式文書はラテン語が一般的な時代。そうした理由から、この逸話そのものが後世に創作されたという説も根強い。

 

 ラザール、あるいはラザロ。ヘブライ語ではエルアザル。直訳すれば「主は助ける」。

 逸話が後世の創作だとすれば、クロヴィス王をキリストと重ね合わせて神格化することで、フランス王家の権威を強化する狙いがあったのだろう。

 実際、ブルボン王朝の最盛期を築いた太陽王ルイ14世(在位1643ー1715)の時代、アカデミーに連なるフランス古典主義の大家達は、競いあうように「ラザールの臣従」を題材に選んだ。

 

 このラザールが、カリオストロ大公家の家祖とされている人物である。

 

 

 「彼をどこに置いたのか」

 

 感情をあらわにして涙を流されるイエスに、心を動かされない者はいなかった。

 

 イエスは、ラザロの墓がある洞窟に案内された。

 

 その入り口は、石で封印がされていた。

 

 「石を取り除きなさい」

 

 イエスの言葉に、マルタが答えた。

 

 「主よ。すでに腐敗しているでしょう。亡くなってから4日が経過しています」

 

 イエスは言われた。

 

 「マルタよ。わたしは言ったはずだ。貴女がもし信じるのならば、その目で神の栄光を見るであろうと」

 

 イエスの言葉に従い、石が取り除かれた。

 

 イエスは視線を天にむけ、そして言われた。

 

 「父なる神よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します」

 

 「あなたがいつでも、わたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています」

 

 「しかし、こうして改めて申し上げるのは、わたしの傍に立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」

 

 イエスは大声で呼びかけられた。

 

 「ラザロよ、出てきなさい!」

 

- 『ヨハネによる福音書』*7 - 

 

 

 帝政ドイツ建国前夜の19世紀中頃。狂乱のバイエルン国王は、南ドイツのノイシュバンシュタインに、自らの理想を詰め込んだ城を建設した。巨額の費用は国家財政を傾けたとも批判されたが、現在では観光名所として世界中から観光客が押し寄せている。

 

 この夢見みがちな狂王が、ノイシュバンシュタイン城のモデルのひとつにしたとされるのが、カリオストロ大公国のカリオストロ城である。

 

 レマン湖から地中海へはローヌ河が大地を横切り、複数の支流が別れていく。

 その支流のひとつを塞き止めた人工の湖がカリオストロ湖であり、カリオストロ城は湖の中央部に、さながら満潮時のモン・サン=ミッシェル修道院のように浮かんでいる。

 

 当然ながら、実際に湖の上に浮かんでいるわけではない。カリオストロ湖には2つの岩島があり、一方が公国唯一の市街地、もう一方が宮廷と政府庁舎を兼ねるカリオストロ城が建てられている。

 2つの島は、1本の巨大な水道橋によって陸上と繋がれている。

 有事の際には橋を破壊してしまえば、たちまち難攻不落の要塞となるわけだが、幸いにして利用された事はない。

 

 ノイシュバンシュタインの如く、大地にそびえ立つような高い城壁を持つカリオストロ城は、人工島をくり貫いて築かれた強固な地盤の上に築かれている。

 正確な年代は定かではないが、一説によれば13世紀には、すでに現在のカリオストロ城の元となる要塞が築かれていたと伝えられている。

 複数の尖塔が並ぶ様子はロマネスク様式を思わせるが、各所に見受けられる技巧を凝らした装飾は、ゴシック建築の影響が見受けられる。

 現在も政府庁舎として使用されているカリオストロ城は、増築と改修が絶え間なく繰り返されており、国際連合教育科学文化委員会から、毎年のように悲鳴にも似た中止勧告が出されている。

 

 そのカリオストロ城は、市街地と通じる正門を除けば、わずかな水門がいくつかあるだけだ。湖面からは快速蒸気船を中心とする水上警備隊が目を光らせ、城内各所には警察組織である衛士隊の屈強な隊員が昼夜を問わず巡回している。

 

 長年、国土を平和に治めてきた大公家に対する国民の敬愛は、カリオストロ湖の水深のように深く、その忠誠心はアルプスの山々よりも高い。水上警備隊と衛士隊は事実上の徴兵制度が敷かれているが、カリオストロ国民にとって、これに選ばれることは家門の誇りであり、同時に人気の職業でもある。そのため、人口僅か数千人の小国でありながら、旺盛な士気と高い規律で知られていた。

 

 そのカリオストロ城奥深く。内廷と呼ばれる、公国でも限られた人間しか出入りが許可されない区画の廊下を、カリオストロ伯爵家の家令であるジョドーが、お馴染みの顔と肩だけを前に付き出すという、独特の前傾姿勢は維持したまま、足早に歩いていた。

 

 一伯爵家の使用人が、誰の付き添いもなく宮殿を闊歩しているのは奇異に思える。だが7年前、公国の全国民を途方もない悲しみに陥れた悲劇により、彼の主人が公国摂政に就任してからは、それを表立って咎めるものも、眉を潜めるものも居なくなった。

 

 ジョドーの風貌は、奇顔の部類に位置付けられるだろう。

 円錐形を上下に二つ重ねたような頭骨。肌は艶々としていながら、落ちてくぼんだ小さな眼の周囲の濃すぎる隅。頭頂部は禿げ上がり、対照的に側頭部だけはモジャモジャと生え揃っている。

 ピンと伸びた眉毛に、上向きの鯰髭。深いほうれい線の下の口は、常に主人の前では吊り上げられているが、今はそうではなかった。

 

 普段であれば予定時刻の15分前に行動を始める彼の主人が、一向に内廷から「表」に姿を現さない。

 

 ジョドーは姿勢をただす警護の衛士に一別もくれず、目的地であるドアの前に立つ。そして、そこで初めて背筋を伸ばして自らの身嗜みを確認すると、最大級の敬意を声と態度に滲ませながら、部屋の中にいるであろう主人に声を掛けた。

 

「おはようございます殿下。私をお呼びとお伺いしましたが、何か緊急の御用向きでしょうか?」

 

『……ジョドー?』

 

 その声は確かにジョドーの主人のものであったが、普段の溌剌とした精気みなぎるものではなく、あまりにも弱々しかった。

 知らず動揺したジョドーは、不敬を承知で主人の許可を得ずにドアを開き、部屋へと入る。

 予想された叱責の声が飛ばなかったことも、ジョドーを狼狽えさせた。

 彼の知る限り、このようなことはここ数年、一度たりともなかったからだ。

 

 部屋の主の趣味を反映してか、華美ではないが武骨ではない、実用性と装飾性を備えた装飾品で統一された寝室のベット。

 そこに寝間着の上から赤いガウンを羽織ったジョドーの主人が、乱れた髪のまま呆然とした表情で腰かけていた。

 

「御無礼をお許しください殿下。西ドイツ大使との朝食会の時刻が迫っておりますが……」

 

ここで主人に対する下手な気遣いは無用である。近代五種と馬術のカリオストロ代表として国際大会への出場経験を持ち、スポーツマンであることを誇りとしている主人は、病人扱いされることを、もっとも嫌っているからだ。

 自尊心とプライドが高く、同時に職務に対する責任感の強い主人の気難しい性格を知り尽くしたジョドーならではの対応であったのだが、彼の主人はといえば、相変わらず虚ろな視線を宙へと漂わせるばかり。

 

 これでは埒があかない。主人の不興を被ることを覚悟の上で、医師を呼ぶことも検討し始めたジョドーであったが、その前に部屋の主が、再び重い口を開いた。

 

「ジョドーか」

「はい。ジョドーでございます」

「……ジョドー、なぜ私は生きている?」

 

 ……もしや気の病か?

 

自分の顔の筋肉がひきつり髭が垂れ下がるのを感じながら、ジョドーは気持ちが沈み込んでいるように見える主人を刺激しないよう細心の注意を払い、言葉を選んだ。

 

「……摂政殿下、お戯れを。つい先日の定期健診でも、殿下は心身共に極めて御健康であらせられると、医者団より診察されたばかりではありませんか」

「つい先日だと?おい、つい先日だと?おい、今は何年の何月何日だ?!」

 

 沈み切っていたかと思えば、突如として急に目を血走らせながら、意図の読めない質問をする。

 いよいよ疑惑が高まりつつあったジョドーだが、主人の下問に対する回答については控える必要性を認めなかったので、直ぐに応じた。

 

「金曜日でございます殿下。1979年の、4月の13日でございます」

 

 次の瞬間、忠実な家令の体は宙に浮いた。

 

 

 ラザロは、イエスの呼びかけに答えた。

 

 死者であったラザロは、甦った。

 

 ラザロの顔や手足は、埋葬された時のままの様子であり、布や覆いが掛かったままであった。

 

 イエスは、神の栄光を見た人々に伝えた。

 

 「彼をほどいてやりなさい。そして帰らせなさい」

 

- 『ヨハネによる福音書』*8 -

 

 

「何が『事後の始末は、お任せください』だ、貴様ぁあああああ!!!!」

 

「で、殿下ぁ?!な、何をなさいます?!わ、私めが、何か……」

 

「何をしました、だあぁあああ?!よくも、そんな事をぬけぬけと言えたな貴様!

 いつも、いつも、いつも、いつも肝心なところで、まんまと出し抜かれおって!

 貴様が地下水道で、あのにやけ面の男を捕まえておれば、私は時計の長針と短針に『プチッ』とされずに済んだのだぞ!!わかっているのかぁあああ?!」

 

「え、衛兵!衛兵ー!!!」

 

「そうだ、グスタフ!あの男にも一言、言ってやらねば腹の虫がおさまらん!!!」

 

 普段の紳士面した仮面をかなぐり捨て、鯰髭の家令の襟元を締め上げている中年の男性。

 彼こそがカリオストロ大公国摂政にして、33代目カリオストロ伯爵家当主。

 家祖と同じ名前をもつ、ラザール・ド・カリオストロ殿下である。

 

 ラザールは帰ってきた。

*1
11章1節から14節より、内容を抜粋。

*2
英語表記はジュネーブ湖。

*3
第一次世界大戦(1914ー1918)。

*4
第二次世界大戦(1939ー1945)。

*5
三十年戦争の講和条約。神聖ローマ帝国の死亡診断書と呼ばれた。

*6
11章23節から27節より、内容を抜粋。

*7
11章33節から43節より、内容を抜粋。

*8
11章44節より、内容を抜粋。




茨の冠が似合う神の子「いや、君じゃないから」
パンチパーマお兄さん「そ、そうだね。ラザロ違いだね……(十字軍以来の真顔だなぁ)」

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