「これなんかどう?」
「似合うわよ、アキ。」
「丈、短すぎない…?」
「これくらい普通よォ。暑いしちょうどいいでしょ。」
ここはロアナプラの中心街にあるデパートのレディース専門フロア。アキラは休業している娼館の女たちに連れられ、彼女たちの見立てた服を言われるがまま試着し続けていた。
彼女たちには以前も服を見立ててもらったアキラだが、「それはそれ、これはこれ。」と言うことで、体のラインが出るワンピースや高いヒールの靴など普段とは全く違うテイストのものが選ばれていた。
「どうせこういうところ来たこと無いでしょ?ここは三合会系列の店だからアジア人ならアナタに合うものも多いかと思って。」
「あ、ありがと…。でも、こんなおしゃれなやつは、着て行く所が――。」
「着て行く所は作るのよ!なんならバオとでもデートすればいいでしょ。」
「ええ~…。」
アキラは彼女たちの強引な営業トークにたじろぎつつ、自分でも「これは」と思うものをいくつか購入することにした。「今度は男にプレゼントしてもらいなさいよ。」とからかわれたが、彼女は自分にそんな日は来ないだろうとやんわりと否定した。会計を待っていると、娼婦の一人がふと何かに気づき、その人物の名を呟いた。
「あら、彪だわ。」
彼女たちの目線の先には黒いスーツにサングラスをかけた強面の男たち。その内の一人は香港マフィア三合会タイ支部のナンバーツー、彪であった。三合会は娼館に情報収集のために月に何度かは聞き込みに来る。アキラも彼と言葉を交わしたことは無いものの、何度か顔を合わせていた。
一人が手を振り、それに気づいた彪がアキラたちのもとへやって来た。
「揃いも揃って、うちで買い物か?珍しいな。ああ、お前らんとこ、まだ休みだったか。」
「そうそう。ねぇ彪さんこれまけてくれない?今度うちでサービスするからぁ。」
「その申し出は悪かねぇが、今は仕事中だ。張大哥の出待ちでな、今日は勘弁しろ。」
彪は普段の聞き込みのように、気楽な様子で彼女たちに話しかけた。女たち曰く「割と紳士的」らしいが、ホテル・モスクワとの件もあって、アキラは普段から大人しく彼らの会話を眺めるにとどめていた。
「そう言っていつも店に客として来てくれないじゃない。て、随分人数いると思ったらミスター・張が来てるのね。道理で。」
「まあな。あ、そいつが例の用心棒だな。ホテル・モスクワにケンカ売ったっていう。」
ミスター・張と、アキラは馴染みのない名前に引っかかりを覚えた。確か、三合会のロアナプラのトップがそんな名前だった気がする。そう一人考えているとき、彪がアキラに気付き、例の噂を持ち出し彼女の方を見た。アキラは正直マフィアと関わりたくは無かったものの、仕方なく彪の前に立った。
「ああ…、アキラです。どうも。」
「ちゃんと名乗ったことは無かったな。三合会の彪だ。」
お互いに自己紹介したところで、彪が時間だと言ってその場を離れた。あっさりと事が終わったことにアキラは胸をなでおろした。
彪が仲間の所へ合流してほどなく、彼らが控えていた店の奥から、黒のスーツにコート、そしてそれらとは対照的に白いマフラーを首にかけたサングラス姿の男が出てきた。
「アキは見るの初めて?今出てきたのが三合会の張さん。アタシ達もあんまり話したことないけどね。」
張について説明を聞き、アキラは意外と若いなと思いつつ、部下に煙草の火を点けさせる張をぼんやりと見つめた。すると張が彼女に視線を向けた。彪が彼にひそかに耳打ちをするのがアキラには見えた。大方自分のことを話しているのだろうと彼女が思ったそのとき、張の口元がかすかに上がった。そして彼は彪に何か指示を出し、それを受けた彪が再びアキラたちのもとに近づいてきた。
「…張さん、明らかにアキのこと見たわね。」
「アキ、また連れて行かれるんじゃない?」
「えぇ…。なんで…?」
「マフィアだしねぇ。アタシ達とは違う常識で生きてるからなぁ。」
勘弁してくれと、げんなりするアキラをよそに、彪はどんどん彼女たちに近づいてくる。そして彼の眼は明確にアキラを捉えていた。アキラも娼婦たちもそれを察知し、女たちはアキラをぐいと自分たちの前に押しやった。
「う、裏切り者!」
アキラは抗議の声を上げるが、女たちはまるで客に向けるような極上の笑顔を浮かべている。薄情な奴らめ、とアキラが思っているうちに、彪が目の前に立った。しかし彼が話しかけたのはアキラではなく、彼女の購入する服の会計をしていた店員だった。
「おい、その服の支払い、三合会の張大哥宛にしろ。」
彼の言葉にアキラも女たちも、そして店員も目を丸くする。「早くしろ。」と彪が急かし、店員は慌てて指示に従った。結局アキラには全額が返金され、ミスター・張もちだと言う服が紙袋に入れられ渡された。
「え、あの、ありがとうございます…。えっと。」
「じゃ、行くぞ。」
そう言って彪はアキラの腕を取った。アキラは思わずその場に立ち止まると、彼は至極煩わしそうな顔をする。
「詳しいことは大哥に聞け。おい、この用心棒借りるぞ。あとこれはお前らに大哥からだ。メシでも食え。」
「「はーい…。」」
彪は呆気に取られている女たちに金を渡し、アキラを引っ張ってそのまま行ってしまった。アキラは「ちょっと!」と彪に理由を尋ねたが、彼はお構いなしに進んでいく。遠くの張がそれを確認すると出口へと歩き出し、やがてどちらも女たちからは見えなくなっていった。
彼女たちはしばらくどうするか話し合っていたが、堂々巡りで答えは出なかった。結局、アキラなら何とかなるだろうと雑に議題を放り投げ、軍資金を持って食事へと出かけて行った。ただ、せめてもの情けにより、バオにだけは連絡しておくこととなった。
アキラが三合会の車に乗せられ向かった先は、とある高級中華レストランだった。彪とともに個室に通されると、すでに三合会の男たちがそこに控えていた。アキラは円卓の席の一つに座るよう促され、大人しく従った。居心地の悪さを感じながら無言の時間を過ごしていると、別の車で移動していた張がその場に現れ、アキラの向かいに座った。
「いやいや、少々手荒だったかな。お詫びに服とこれからの食事は俺もちだ。さ、何でも頼んでいいぞ。」
そうにこやかに話す張とは対照的に、アキラは未だに状況が呑み込めず、見せられたメニューの文字すら頭に入ってこない。と言うかこの場で笑っているのは彼女の前にいる男だけである。この状況で楽しく食事ができるほど、アキラの肝は据わっていない。
張はそんな彼女の様子を見て、自ら適当にオーダーしていく。ほどなくして円卓いっぱいに料理が並べられた。
「どうした?冷める前に食べたほうがいいぞ。」
まるで遊びに来た親戚に世話を焼くような張の態度にアキラは戸惑いを隠せない。本当に彼はロアナプラで一、二を争う実力者なのだろうか。そんなことを考えながら彼女はたどたどしく尋ねた。
「いや、あの…。えっと、ミスター・張?まずここに連れて来られた理由を…。」
「おっと、俺のことを知ってるか。何、単純な話だ。我が“大の仲良し”ミス・バラライカのオフィスにお呼ばれしたそうじゃないか。そいつがどんな奴なのか、俺も見てみたいと思った。それだけさ。」
「……!?」
バラライカと大の仲良し。おそらくは皮肉だろうが、同じマフィアである張からその名前が出たことにアキラは動揺する。張もおそらくアキラの噂については聞いているはずだが、敵対勢力とひと悶着あった女に服を買い、食事をふるまう理由が「どんな奴か見てみたい。」で済むのだろうか。アキラは益々警戒を強め、張をじっと見る。張は「おいおい、そんなに見つめんでくれよ。」と冗談ぽく言った。
「納得いかないって顔だな。何でもいい、とりあえず食べてくれ。あ、毒なんか入ってないぞ。そんな回りくどい手段は必要ないからな。」
そう話す張の様子は一見穏やかに見えるが、サングラスの奥の目は笑っていないことにアキラは恐怖を覚えた。ただ彼の言う通り、アキラに危害を加えるつもりなら、わざわざこんな持て成しはしないだろう。三合会が彼女に手出しできない理由などあるはずもない。彼女は自分なりに考えをまとめ、とりあえず目の前の男の言葉を信じることにした。そして、せっかくだからと並べられた料理を口に運んだ。
「…おいしい。」
アキラの素直な感想に、だろ?と得意そうに張が笑い、部下を入口に待機させると、自身も食事を始めた。あの暑そうなコートとマフラーは脱いでいるが、相変わらずサングラスは掛けたまま。そんな三合会のボスと食事を共にしている自身の状況を、アキラはひどく奇妙に感じた。ただ、やはりマフィアのボスが来るような店。そこで出される料理は彼女がいつも口にしているものより格段に美味だった。細かいことはよく分からないが、とにかく美味しい。そんな彼女を満足そうに眺めつつ、張がアキラに話題を振った。
「フルネームはアキラ・カワカミだったか?ロックが言うには日本の名前だってな。バックボーンは俺も聞いてるが、運が悪かったな。置き去りにされたのがよりによってこんな街とは。」
「はぁ…。」
いきなりの張の同情にアキラは調子が狂ってしまう。マフィアとは全員バラライカのようなものだと思っていたため、彼女は彼の少し砕けた態度にどう対応すべきか悩んでいた。
「俺にだって人情くらいあるさ。ま、実力は噂の通りのようだ。実際、俺の部下も簡単にアンタに叩き出された。あれはまいったな、それなりに腕の立つのを潜らせたんだが。」
「潜らせた?」
張から発せられた言葉に、それまで呑気に料理を味わっていたアキラは途端に険しい表情になった。食事を中断しゆっくりと箸を置くと、自分の向かいで楽しげにしている男を睨む。
「ああ、その顔の方が好みだ。…アンタがどれほど出来るのか試しただけさ。他の連中も似たようなことやってるだろうよ。たかが噂だと侮るのはこの街ではやめといたほうがいいな。」
からかうようにそう言うと張の笑みが濃くなる。それでも目だけは笑っていない。何が人情だ、とアキラは心の中で悪態をつく。彼女には店から追い出したどの客が三合会の人間かは全く覚えがない。そもそも客がどんな人間なのかを気にしたことも無い。
「…その部下の面子を立てるためですか。私をここまで連れてきたのは。」
アキラは思いついたままに張に疑問をぶつけた。それを聞いた張は少し目を丸くして驚くも、すぐに否定し肩をすくめて言った。
「おいおい、俺の器をそんなに小さく見積もってもらっては困る。言っただろ?アンタを痛めつけるならこんな手は取らない。今回は単なる顔合わせだ。変な気起こさなきゃ、こっちだって無傷で帰してやるよ。」
「…分かりました。ところで、“今回は”って何です?」
アキラは未だに腑に落ちないままだったが、これ以上追及するのは無駄だと判断した。だが、張の言葉のなかで引っかかったものがあった。それを尋ねてみる。
「適材適所ってやつだ。それだけの腕と経験、迷惑客に振るうだけじゃ勿体無いぜ。それともマフィアはお嫌いかな?」
「私がホテル・モスクワの事務所まで連れて行かれた話、最初から全てお聞かせしましょうか?」
張のわざとらしい物言いに、若干苛ついたアキラは彼の言葉に対して食い気味に言った。張は彼女の嫌味を物ともせず一段と大きく笑った。
「はは、すまんな。冗談が過ぎたか。安心しろ、ウチはあちらさんよりもアットホームな職場だ。今後仕事を受けるときは参考にしてくれよ。」
ヤクザ稼業にアットホームも何も無いだろうとアキラは密かに突っ込みつつ、彼が自分を連れ出した理由について何となく理解できた。それに応えるかどうかは別として。
「仕事って…。私にできることは何も。それに本業が忙しいのでお断りします。」
「本業ねぇ…。こっちも子飼いになれと言うわけじゃない。単発でかまわんさ。ま、どんな時に何を頼むかは俺にもまだ分からんが。こっちは人材を見つけるのも仕事のうちでね。」
張はにやりと笑い、ただその笑みとは対照的に据わった目で彼女を見ると、低くゆっくりとした口調で言った。
「アンタだっていつまでも用心棒を続けられるとは思ってないだろう。別口で仕事を得るのも悪い話ではないと思うがね。」
張はそこまで言って、煙草に火を点けた。食事は少ししか取っていないが、彼はどうやらもう十分らしい。
「別にすぐ決める必要はない。だが、仕事は持っていくからそのつもりでいろよ。もちろん報酬は約束する。あとはそのときに考えてくれればいい。」
「気が向いたら、そうします。」
アキラは無愛想に返答する。彼女としては正直マフィアに関わるのは真っ平ごめんである。しかし張はアキラの答えを笑い飛ばす。
「はっ、そりゃいいご身分だな。言いたいことはそれだけだ。では、またいずれ。ああ、アンタはまだ食べてていいからな。」
張がそう言い残し席を立つと、入口に控えていた部下共々、その場を去っていった。張の目的が分かってもいまいち釈然としなかった。しかし、彼の依頼とやらが気に入らない時は断ればいいだけだと自分に言い聞かせ、少し冷めてしまったが食事を再開した。
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アキラを店に残し、張は車に乗り込み、次の仕事へ向かう。その車内で、運転する彪が張に先ほどのことについて尋ねた。
「随分な気まぐれですね。服だけじゃなく食事まで御馳走するとは。」
彪にはなぜ張があの女をわざわざ連れ出したのかが分からなかった。おそらく彼女本人にも理解できていないだろう。彼の経験上、自分のボスがこれから駒として使おうという人間に、あのような待遇をしたことは無い。だからこそ、張の行動の理由が気になってしまった。
張は彪の質問にうっすら笑いながら、「さっきも言ったじゃねえか。」と前置きして答えた。
「ホテル・モスクワに拉致られて五体満足、しかもボリスに喧嘩吹っ掛けたなんてとんでもねぇバカがいたとあっては、俺も気にならずにはいられねぇ。ま、娼婦たちとデパートでマネキンごっことは、ちと期待外れだったが。それでもあんな中立地帯にいて、なおかつ後ろ盾も無い。都合のいい人材には変わりないさ。それに、」
張の言葉がそこで止まる。彪が様子を窺うと、彼は新しい煙草を取り出していた。張の咥えた煙草に彪が運転席から器用に火を差し出し、張が敗の空気を入れ替えるように一つ深呼吸をして、さっき途中になった言葉を続けた。
「それに、奴も今のヌルい仕事には存外飽きてるかもしれねぇぞ?」
「…大哥、アンタも人が悪いですね。」
「よせよ。」
口の端を吊り上げ軽い口調で言う張の目は先ほどと変わらず笑っていない。彪は彼の心意に納得し、自分もあの女に少し期待を持ちつつ、またいつものように車を走らせていった。