「この男の顔を覚えろ。今日の標的だ」
彪が車内で差し出した写真には目つきの悪い中年の男が写っていた。顔立ちは中華系で、写真の限りでは身なりの良さが窺える。
「マフィアみたいですね。それも結構いい地位の」
「みたいじゃなく、本当にマフィアだ。地位は幹部の中じゃそこまで高くねぇが羽振りはいいらしい。デカいしのぎが出来たんだと。…大哥や俺の与り知らぬところでな」
「つまりは組織に黙って好き勝手してるこの人を殺すわけですか」
「おいおい物騒だな。ただ殺すだけならわざわざお前を使ったりしねぇよ。こいつは生け捕りにするんだ」
彪はアキラに仕事の説明を始める。三合会は好き勝手している男の身柄を押さえて、しのぎをそっくりそのまま組織に取り込むことに決めた。そのためには男が生きていることが絶対条件だが、男の雲隠れは巧妙で中々足取りが追えなかった。男をやっと見つけたのはラチャダ・ストリートにある売春窟だった。踏み込もうにも組織の人間や三合会馴染みの殺し屋では面が割れているため、逃げられるリスクが高い。こういった状況から、部外者の協力が必要だった。
「そこでお前の名前が挙がった。新参者で、街をうろつかねぇから顔も知られていない。おまけに体術の評価は折り紙付き。今回のケースに丁度良かった」
「もしかして先日の食事はこれを見越して…?」
「まさか。いくら張大哥といえど千里眼持ちじゃねぇ。たまたまだ。ま、人材のストックは多ければ多いほど良いってことだ」
彪は説明を続ける。これまでの調べでは、対象はここ数日連続して同地域で女を買っているらしい。今回アキラは娼婦のふりをして対象に近づき、その確保までを行う。その後は彪たち三合会が処理をするとのことだった。
なるほど、仕事としてはシンプルで分かりやすい、とアキラは思った。問題は今日もその男がその場に現れるかだが。彪などは「今日じゃなきゃ明日もやる」などと言っているが、アキラとしては何としてでも今日のうちに終わらせておきたい。
「説明は以上だ。何か質問は」
「確保の合図は?」
「こいつを真上に向かって撃て。そうすりゃ周りで張ってるうちの奴らが駆け付ける。使い方は?」
そう言って渡されたのは照明弾だった。アキラは使い方について大丈夫と頷いた。やがて車は目的地に到着し、彪が路肩に車を停めた。
「では、手順通りに。健闘を祈る」
アキラを降ろすと彪が事務的にそう告げ、車は走り去っていった。アキラはそれを確認し、目的地へと歩いて向かう。内容を聞く限りではさほど難しい仕事ではない。既に時間も遅い。早く終わらせて帰りたいものだ。そう思いながら彼女はラチャダ・ストリートの明かりも暗い路地を歩く。存外、対象のいる場所まではそう遠くなかった。次の角を曲がればいよいよ、というところでアキラの耳に入って来たのは。
―――つんざくような射撃音とそれに紛れた男女の悲鳴だった。
「―――――っ!?」
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アキラ達が売春窟に到着する少し前。その場所では幼い男女の双子が連れ立って歩いていた。瓜二つの顔立ちは人形のようにかわいらしく、ゴシック風にそろえた服に身を包み、これからパーティーに行くかのように、楽しそうに笑っている。――ただし、悪徳の都の歓楽街において、その姿はひどく異様であった。
「姉様、このあたりだよ。イワンが女を買ってるのは」
「ええ兄様。でもどうしましょう。こんなにお店があるとは思わなかったわ。どこにいるのかしら」
「関係ないさ。――皆、殺しちゃおう。姉様」
「まあ素敵。そうしましょう、兄様」
双子はその容姿にふさわしい美しい声で言葉を交わす。だがその声で紡がれる内容はあまりにも無邪気で残酷なものであった。下品な喧騒の中、路地の暗闇で姉様と呼ばれた少女がその小さな体で大きな銃を構えた。
「天国はいいところだって言うものね――」
そう呟いた少女の声は、彼女が放った銃弾と、被弾によって崩れる店の音と、人々の悲鳴にかき消されてしまった。
その混乱に乗じて兄様と呼ばれた少年が双斧で、店から逃げ出した人間を切り刻んでいく。双子は自分たちが作り出したむごい光景を前に、昏い色を瞳にたたえ口元をゆがませていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
アキラは音のした方へ走る。先ほどの銃声の出所は一つ。おそらく大型の銃の乱射だが、他の攻撃手段の可能性も考えて慎重に現場手前の角を曲がる。銃を構えた彼女の眼前に広がっていたのは、まさに地獄絵図。通りの店は瓦礫と化し、外には血を流した幾人かが倒れている。奇妙なことに、手足を切断された者もいる。そして、そのほとんどが息絶えていた。
「これは……!?」
思わず声が出る。世界中の戦場を回ってきた彼女にとっても凄惨な現場であった。動揺しながらも切り替えて目標の男がいるか探そうとするが、現場の状況があまりにひどい。そのようななか、直接会ったことのない人物の識別が不可能なことはすぐに分かった。
「ふふふ」
「あはは」
ふと彼女に幻聴が聞こえた。いやしかし、それはたしかに現実のものであった。姿は見えないが、さほど遠くはない距離から複数の子どもの笑い声。このような場所で聞くことなどありえない。無意識にそう感じたからこそアキラはそれが幻だと思い込んでしまった。
アキラは警戒を強め素早くその場に伏せる。せっかく着飾った服が血に濡れるが、構っていられない。神経を集中させて耳を澄ませると、先ほどの声と同じ方向から、子どもと思われる二人分の足音がかすかに聞こえるも、走るスピードですぐに消えてしまった。
(行ったか……?)
現場を見るかぎり、子どもが行ったものとはアキラには思えなかった。だが声の位置からして現場を目撃せずとも、子どもらは銃声を確実に聞いているはずだ。それなのにあのように朗らかに笑い、これから遊びに行くように駆けていけるものなのだろうか。
「おい、なんだこりゃあ」
「―――!!!」
突然後ろから声をかけられ、アキラは戦闘態勢を取る。彼女に構えられた彪はその速さに感心しつつ、両手をあげアキラに落ち着くように言った。
「状況を説明しろ。誰がやった。念のため確認だがお前じゃないよな?」
彪の後ろには何人か部下らしき人間がいる。彼等も現場を見て少しばかり動揺しているようだった。アキラは彪の方をまっすぐ見ながら質問に答える。
「こんなことできたらこの街にいないですよ。……騒ぎを聞いて駆けつけたときにはもう。犯人は見てません。あと対象もまだ確認できていません。すみません」
「それは、まぁいい。もう奴は死んだ」
そう言って彪は死体の中の一つを足蹴にした。それが写真で見た捕獲対象の男だとはアキラには分からなかった。ふと、アキラは苦々しく死んだ男を睨む彪に自身の疑問をぶつけた。
「彪さん、この現場って……」
「――ああ、似てるってもんじゃねぇ。ロシア人どもがやられたときとまるっきり同じだ。ちくしょう、ややこしくさせやがって」
彪が苛立ちにまかせ死体の顔を蹴る。そして近くの部下に何かを伝えると、部下はどこかへ行ってしまった。彪はアキラの方を向くと申し訳なさそうな顔をして言う。
「悪いが、見ての通りお前の依頼は中止だ。詫びに関してはおいおい連絡するとして、お前にはもう帰ってもらうわけだが――」
「だが?」
「俺はうちの連中とこれからここを調べる。それに夜も遅くて人が足りねぇ。だからその、帰りのお前の足が無い」
歯切れの悪い様子で彪は送迎役がいないことを謝るが、アキラは気にもせずあっけらかんと返した。
「なんだ、そんなことですか。ほら、タクシーもあるし……」
「血塗れの、いかにも訳アリの奴を大人しく乗せるほど、この街の運転手は馬鹿じゃねぇよ」
そう彪に言われてアキラは自分がさっきまで血の海に伏せていたことを思い出した。しかも娼婦の一人に借りたドレス。アキラは憂鬱になりながら、さてどうやって帰ろうかと思案し、ふと思いついた。
「彪さん、お詫びしてくれるってさっき言いましたよね」
「言ったが、なんだよ」
「ええっと、今から言う場所に電話してほしいんですけど…」
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深夜、ラグーン商会の事務所では今電話が鳴っている。部屋で一人、何をするわけでもなく佇んでいたロックは訝しみながらもその電話を取った。
「はい、こちらラグーン商会」
『遅くに悪い。ロックか?三合会の彪だ。急で悪いが今から仕事を頼みたい』
電話の相手には聞き覚えがあった。三合会の張の部下にあたる人物だったとロックは記憶している。こんな時間にかけてくるぐらいだから本当に急ぎの用なのだろう。相手の声色からも焦る様子がかすかに感じられた。だが運の悪いことに事務所には今自分しかいない。ロックは断るつもりで返答する。
「ああ、あんたか。申し訳ないけど今は俺だけだ。ダッチや他の皆も今日はもう捕まらないと思う」
『いや、こっちは車とお前がいればいい。今ちょっと手が離せなくてな。送迎を頼みたい』
「送迎?俺で良ければ構わないが…、いったい誰を送迎するのか聞いていいかな」
予想外の依頼内容に思わず聞き返す。顔見知りとはいえマフィアの関係者の送迎など自分一人では荷が重すぎる。ロックは深入りするのはまずいと思いながらも、自身の安全のために彪に尋ねた。
『おう、本人に代わる。ちょっと待て』
彪がロックの質問を気にも留めずそう言うと、電話の向こうで誰かと会話する声が聞こえた。そしてすぐに声の主が電話口に話し始めた。
『あ、ロック?覚えてるかな。スローピー・スウィングのアキラです』
「アキ!?なんだって君が……」
送迎相手本人と彪から言われて出たのは、スローピー・スウィングで用心棒をしているアキラだった。ロックも彼女のことは知っているが、なぜ今の時間に店にいないのか。なぜ三合会の彪と一緒にいるのか。送迎とは何のことなのか。さまざまな疑問が彼の頭に湧き出てきた。
『えっと、細かいことは来てくれてから話すよ。急なお願いでごめんね。どうかな?』
アキラが電話の向こうで申し訳なさそうに言う。彼女とは数回しか言葉を交わしていないが、少なくとも某同僚のように理不尽に暴力をふるうような人物ではない。ロックはアキラが相手なら、と彪の依頼を受けることにした。
「いや依頼なら構わないよ。彪さんに代わってもらえるかな」
アキラは「分かった」と答え、彪に代わった。ロックは彼と、待ち合わせ場所と支払いについて相談し電話を切ると、すぐに車へ向かった。