「ありがと、ロック。おかげでまた変な噂が立たなくて済みそう」
「ゾンビみたいな女がいたって?そりゃ良かった」
ロックが現場に到着すると彼の目に真っ先に飛び込んできたのは、血にまみれたアキラの姿だった。彼女はロックに「急にごめんねー」とへらへら笑い、手を振って彼を出迎えた。見た目に反して元気そうなアキラを見て、ロックは電話口で彪に「敷物かなんか持ってきてくれ」と頼まれた意味が分かった。
そんな姿の彼女をこれ以上路上に立たせておくのがはばかられたロックは、彪に軽く挨拶して、アキラとともに車に乗った。彪も部下たちの指揮に忙しいようで「依頼料はまた後で相談する」とだけ言い、足早に現場へと戻っていった。
「…何があったのか聞いてもいいかな?」
「えーと、詳しいことは多分言ったらだめだから、それ外して説明すると…」
走行する車内で、アキラは捕縛する予定だった男の詳細は伏せ、自分が三合会から仕事を受けたことと、たった今遭遇した現場の状況を話した。凄惨な様子を淡々と述べる彼女に、ロックは若干引きつつもおとなしくすべてを聞いた。
「何と言うか…。ただの事故にしては気味が悪いな。それに子どもの声って」
「うーん、子どもが使われるのはたまにあるんだけどねぇ。戦場でも何度か見たし。…まあ、みんな正気じゃないけどさ」
少年兵、と言うのは必ずしも志願者のみとは限らない。むしろ、そのほとんどが強制的に兵士へと仕立て上げられた者たちだ。誘拐してきた子どもを薬漬けにするか、もしくは知識の無い彼らを洗脳してマインドコントロールし、戦場へと送るのだ。そこに主体性はなく、彼らは使い捨ての存在だ。だからこそ、アキラには今日の現場が子どもによるものだとは思えなかった。
「手口がやたら鮮やかなんだよねぇ。たとえ手引きしてるやつがいたとしても、実行犯が子どもなら、その場に残されるか、一緒に死んでたっておかしくないのに。何の痕跡も残さずにいなくなっちゃうなんてね。いや、子どもがやったと断定するのは憶測が過ぎるか。私の聞き間違いかもしれないし」
「はぁ…。俺には想像もつかないよ。いやな推測だな」
ロックがもういいと言うようにため息をつく。アキラもそれを察して、話をそれ限りでやめ、軽く謝罪する。
「はは、ごめん。ま、今後はこういうイレギュラーも無しにしてもらいたいよ。…あ、ロック。裏口に回ってもらえる?お店ももう終わってる時間だし」
いつの間にかイエローフラッグの付近まで走ってきていた。アキラはすでに明かりが落とされている店を見て、ロックに頼んだ。
「ああ。…バオになんか言われそうだな」
「でしょ?だからバレないようにお願い」
ロックは血まみれの服のアキラを改めて見て、気まずそうに笑う。そういえば彼女がなぜ任務のためとはいえ、普段とは随分雰囲気の違う格好をしているのか聞いていなかったが、残念ながら時間切れだった。それに三合会絡み。深入りするのはやめようと、ロックはいたずらっぽく笑うアキラの言葉に従って、静かに車を裏口につけた。
「ありがとう、ロック。助かった」
「いいさ、仕事だし。アキも遅くまでお疲れ」
「ううん、平気。代金のことは彪さんに聞いて。それじゃ、おやすみ」
やわらかい笑顔と血まみれの服というなんともアンバランスなアキラの姿にロックは苦笑しながら、自身も彼女に「おやすみ」と返してその場から走り去った。アキラはそれを見送ってから、営業の終わった娼館にひっそりと帰った。
彼女の予想通り、娼館も下の酒場と同様に営業を終え寂しい空気がそこにはあった。まだ人がいる気配に、アキラは出くわさぬよう自分の部屋に戻ると、汚れてしまった服を着替え、マダムのもとへ向かった。
「マダム、今戻りました」
ノックをしてアキラが室内のマダムに声をかける。マダムは彼女を待っていたかのように、すぐに返事をして、扉を開けた。
「アキ!彪から連絡があったわァ。無事で何よりよ。あら、着替えちゃったのね」
怪我の無いアキラを見て、マダムがほっとしたように言う。服のことに言及されて、アキラは申し訳ない気持ちで説明する。
「実は汚してしまって…。ちょっとクリーニングもできそうにないので、貸してくれた子には弁償します」
「そういえば彪もそんなこと言ってたわァ。向こうが弁償するって。気にしなくていいわよ、アキ。詳しくはアタシが彼から聞くから、今日はもう休みなさい。急に大変だったでしょ」
「そうでしたか。それじゃ、お言葉に甘えさせてもらいます。おやすみ、マダム」
彪は忙しそうにしながらもマダムに事情を説明してくれたようだ。彼の細やかさにアキラは感謝しながら、「おやすみ」とほほ笑むマダムの部屋を出た。再び自分の部屋に戻って
化粧を落とし、シャワーを浴び一息つくと急激に睡魔がアキラを襲う。それにあらがえず、彼女はそのまま深い眠りに落ちていった。
翌朝、アキラは普段よりも遅い時間に目が覚めた。それでも娼館に住む女たちの誰よりも早い目覚めではある。いつものようにまだ寝ている彼女たちを起こさぬよう、そっと外に出て日課のトレーニングを始める。すっかり日が昇り、汗が噴き出してくるのを不快に思いながら体を動かしていると、そこに一台の車がやってきた。昨晩自分が乗せられたものと同じ車種。アキラはそれに乗っているのが誰かすぐに検討がついた。
「おう、アキ。昨日の今日でご苦労なこった」
「彪さん。おはようございます」
運転席の窓が開き、相変わらずの仏頂面で三合会の彪が顔をのぞかせた。アキラも予想が当たり、笑顔であいさつした。大方昨日のことについて話に来たのだろう。アキラがそう思って車に近づくと、不意に後部座席の窓も開いた。
「よう。昨日は悪かったな」
「ミ、ミスター・張!?い、いえ…、気にしてませんので」
すっ、と窓から顔を出したのは依頼主である三合会の張。アキラはまさか彼もいるとは思わず、しどろもどろに答える。そんな彼女を張は楽しそうに見て笑って言った。
「おいおい、彪のときとえらく態度が違うな?お前は俺の部下じゃないんだ、そんなにかしこまらなくてもいいんだぜ」
「いやあ、そういうわけには…。えっと、昨日のこと、ですよね?」
アキラが遠慮がちに断って、彼がわざわざ訪ねてきた理由を聞いた。彼女の予想に、張は改めて口の端を挙げて「その通りだ」と説明する。
「話が早くて助かる。そうだ。お前には昨日の様子を詳しく聞きたい。とは言っても俺にも時間がなくてな。次の予定がある。とりあえず乗ってくれ」
「え、いや、私、今ちょっと汗かいてるし…」
性急な彼の頼みにアキラはトレーニング中だったことがためらわれたが、張は全く意に介さず、自らドアを開けて、彼女の腕をつかむ。とっさのことにアキラも反応が遅れた。
「構わねえよ。そらっ」
「わっ―――」
後部座席のシートに倒れ込んだアキラを確認して張はドアを閉める。そして運転席の彪はそのまま車を発進させた。
「ちょっと、張さん!」
「悪いな。ちと、急がないとならんようだ。で、だ。昨日、死体以外に何か見たか?」
アキラは彪から渡されたタオルで汗を拭きながら張の隣に座りなおす。張は真剣な表情で彼女に質問する。アキラは確証の無い事柄を話すのはためらわれるところだったが、念のためと、正直に話した。
「…何も。ただ、声は聴きました」
張の眉がピクリと動く。彼は無言でアキラに続きを促した。彼女は昨日の様子を細かく説明する。もちろん子どもの声など聞き間違いかもしれないし、それが本当だとしても彼らがやったとは現実に考えにくい。だが気になるのは事実。張もそれは同じだったようで、「興味深いな」と一言漏らした。
「私からお伝えできるのは以上です。すみません、中途半端で」
「いや、情報は一つでも多いほうがいい。なかなか犯人の姿が掴めなくてな、こっちも手詰まりだったところだ。さて、俺はこれから連絡会だが…、お前も来るか?」
「連絡会?」
至極まじめなトーンで話す張から出た、聞いたことのないその単語に、アキラがきょとんとした表情を見せる。張は意地悪く笑って、わざとらしく追い打ちをかけた。
「なに、この街のマフィア同士でのご歓談だ。お前の友人、ミス・バラライカも来る。どうだ、顔でも見ていけよ」
「…冗談やめてくださいよ。遠慮します」
からかわれたアキラはあからさまに不満を顔に出すが、張はけらけら笑って心底楽しそうにしている。サングラスの奥の瞳はアキラからうかがい知れない。だが、そこにはしてやったりと言う張の気持ちが確かに見て取れた。
「はは、すまんすまん。だがな、今回の殺し、おそらくホテル・モスクワが最も情報を欲している。お前があの場にいたことは俺たちしか知らんが、それが分かるのも時間の問題だ。近いうち、ロシア人がお前のもとにやってくるはずだ」
張がその顔から笑みを消して、今度こそ真剣な面持ちでアキラに忠告した。彼女は「マジか…」と表情のみで張に訴えるもどうやらこれは冗談ではないらしい。アキラは項垂れて投げやり気味で彼に頼む。
「えぇ…。張さん、その連絡会とやらで、もう全部話してくださいよ」
「もちろん俺だって情報を隠すつもりはない。だが奴らとしちゃ、ほかのマフィア伝いの情報を鵜吞みにすることもできんだろう。必ず、直接お前に確かめに来るさ。ま、それまでに事態が動きゃ別だが」
「それを祈ってますよ…」
張の言うことはもっともだ。アキラにもそれは理解できた。だが、ホテルモスクワとは極力かかわりたくない、彼女はその一心であった。これ以上張に食い下がったところでどうしようもなく、彼女は適当なところで降ろしてもらった。張は別の車を用意すると言ってくれたが、アキラは店までそう遠くない距離だからと、彼の申し出をありがたく思いつつも断って、そのまま徒歩で帰ることにした。