置き去りの場所で   作:ひいろs

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18.嵐の前に

 アキラは徒歩で娼館へ帰る。時刻はまだ正午にもならない。だが、さっきまでまぶしい日差しがこれでもかと降り注いでいたが、今はもう雲行きが怪しい。少し早い時間なのにスコールになりそうな予感がした。

 

「やっぱり送ってもらえばよかったかも…」

 

 今更になってアキラは後悔するももう遅い。幸いにもトレーニング中の格好のまま張に車に連れ込まれたので、特に濡れても構わない服装ではあるものの、やはりずぶぬれになるのは避けたい。彼女は、これもトレーニングの一環と思って、その場から一目散に駆け出した。

 

「うへぇ、ただいまー」

 

 走って帰ってきたが、結局雨に降られてしまったアキラは、裏口から娼館にある自分の部屋に戻る。この時間ならうるさくしても構わないだろうと、彼女は独り言で帰宅のあいさつを発した。それに返す者はいなかったが、彼女は気にせずシャワーを浴びようと真っ先にバスルームへ向かった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 突然の雨は予想より激しく、その水滴が地面を打つ音は建物の内部にもよく聞こえてくる。それはマフィアのトップが揃う、連絡会が行われている地下でも同様だった。

 

「また一人殺されたわ、今度は会計士よ。ここはベイルート?それともモガディッシュ?」

 

 薄暗い部屋の視界をさらに悪くするように、たばこの煙が充満している中、四者が互いに向き合っている。心底不機嫌な顔で、いやその場で楽しそうにしている者など一人もいないのだが、その中でもとりわけ暗い影をその顔に落としている人物、バラライカはいら立ちを隠そうともせず、皮肉とも怒りともいえぬ言葉を並べていた。

 

「止せよ、バラライカ」

 

 張がやれやれといった様子で彼女の発言をいさめる。今は共存の時代だ、そう言って張は慎重路線を促す。だがバラライカはそれを意に介さず、開き直る態度を見せた。

 

「吹くじゃねぇか、焼傷顔(フライ・フェイス)。田舎者のロシア人が女王気取りとは笑わせるぜ」

 

 バラライカから見て右側に立つ、ダブルのスーツに身を包んだ長身の男、ヴェロッキオはあからさまな侮蔑を含んで彼女に暴言を吐く。そんなものは挨拶にもならないとばかりにバラライカも同じ調子で返した。

 

「二人とも口を慎め!何のための連絡会だ?」

 

 罵詈雑言の応酬になりかけたところを張が揺り戻す。少なからず遺恨の存在する彼らだが、現在はあくまで相互利益のために協力し合う立場であると、張自身は解釈している。そんな彼の意図はほかの三人も良く理解しているようで、すぐに場が鎮まる。張はその雰囲気のなかで、「初耳だろうが…」と前置きして、昨晩のラチャダ・ストリートでの事件をバラライカに告げた。

 

「どういうことだ、張?」

 

 バラライカが訝し気に尋ねるも、張は無言で首を横に振った。バラライカはそのいらつきをさらに募らせ、今度は自身の左側に立つ、コロンビアマフィアのアブレーゴを問い詰める。だが彼はとばっちりだと主張する。バラライカは続けて彼へヴェロッキオに質問するように役割を振る。当のヴェロッキオはアブレーゴから聞かれるまでもなく、己の考えを吐き捨てるように言った。

 

「うちだって手配師がやられてるんだ。…張、こいつは街の者の殺しじゃあねェ。流れ者の仕業だよ、この街の仕組みを知らねえ奴だ」

 

「…一つ、情報提供ってほどじゃないが、興味深い話を聞いた。事件の直後、居合わせた奴の話によれば、そこでは走り去る二つの足音、それに子どもの声が聞こえたと言うんだ」

 

 断言するヴェロッキオとは反対に、張は冷静にあくまで一つのピースとして、自分の知っている情報を話した。ほかの三人は彼を見つめ、それに聞き入るも、最初にアブレーゴが口をはさんだ。

 

「子どもとは正気かよ、そいつ。信じられる情報か?提供者の名を教えてもらおう」

 

「スローピースウィングの用心棒、アキラ・カワカミだ。最近よく聞く名前だろ?ちと、こちらの手伝い中に巻き込まれたようでな。奴はどの勢力にも属していない。それだけじゃ信用にはならんかね」

 

 張は何の躊躇もなく、アキラの名を出した。途端にバラライカが部下に目配せし、その部下は外に出た。おそらくアキラのもとに人を向かわせるのだろう。悪いな、と張は先ほどまで一緒だった彼女の顔を思い浮かべる。ただそれはごくわずかな時間に過ぎず、罪悪感などすぐに消え去った。

 

「…馬鹿馬鹿しい。部下に迷子探しをさせろってか?」

 

 ヴェロッキオが皮肉たっぷりに切り捨てる。だが張は依然として厳しい表情を崩さなかった。そしてバラライカも。張は続けて彼らに言う。

 

「本人も確証は無いと言っていた。だが敵の姿が掴めない以上、視野を狭めるのは危険だ。ま、参考程度に頭の片隅にでも入れておいてくれ。――では、この件は外部勢力と断定し、連絡会は連携して犯人を狩り出す。共同で布告を出そう、誤解による流血を防ぐためだ。異存は?」

 

「…くだらないわね。茶番だわ」

 

 ここまで来て、バラライカがそう吐き捨てた。全員の顔が険しくなり、張が再び「軽率な行動は控えてくれ」と念を押す。だが、バラライカはそれを真っ向から否定し、自分たちの立場を明確にしておくと告げた。

 

「ホテル・モスクワは行く手を遮るすべてを容赦しない。それを排撃し、そして撃滅する。親兄弟、必要ならば飼い犬まで」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 アキラはシャワーを浴び終えたが、暑い中で服を着るのがおっくうになってしまった。どうせ部屋に一人だし、訪ねてくるとしてもマダムか、営業前の時間でここにたむろする娼館の女たちしかいないと、パンツと上半身にはタオルだけでくつろぎ油断してしまっていた。だから、ノックされても相手を確かめることもなく、そのままのんきに返事をしてしまった。

 

「はーい、どーぞー」

 

「おうアキ、営業前に悪い。お前に客―――、おい!なんで裸なんだよ!!」

 

 ガチャリとドアを開けて入ってきたのは予想外の人物。バオもまた、予想外のアキラの姿に思わず大きな声が出てしまった。

 

「えっ、バオ!?」

 

「てめぇ、服着ろ!裸のままでいるなっていつも言ってんだろ!!」

 

 驚きながらも自分の体を隠そうとしないアキラに、バオは口うるさく説教をした。なまじ腕が立つからか、彼女はどこか抜けているような部分がある。自分や娼館の者には特にその傾向が強い。バオはそのたびに注意してきたのだが、本人はいつもどこ吹く風。だが今日ばかりはアキラも動揺した。バオの後ろから二人の人間が部屋に入ってきた。その顔にアキラは見覚えがあった。

 

「あんたたち確か…」

 

「……ホテル・モスクワだ。忙しいところ悪いが、こちらも時間が惜しい。邪魔するぞ」

 

 目の前の茶番ににこりともせず、バラライカの部下である彼らは淡々と話す。一人がバオに用済みだと言って部屋から出す。バオはいつかと同じくアキラを心配するが、頑として譲らない彼らを前に渋々退出した。扉が閉められ、部屋にはアキラとホテル・モスクワの構成員ら、三人になった。アキラはずかずかと入ってきた彼らを慌てて制止する。

 

「ちょ、ちょっと!せめてシャツだけでも着させて!」

 

「お前みたいので変な気が起こるか!着替えながらでいい。質問に答えろ」

 

 失礼な、とアキラは思ったが、それもそのはず。彼らはバラライカの命令でここに来た。しかも、迅速に、という圧力付きで。もちろん彼らも命令に背くつもりはない。それゆえに緊張感のないアキラの態度が気に障る。こちらは仲間をやられている。自分たちのボスはこれ以上ないくらいにピリついている。こんな女にでさえわずかな情報を求めて使いを出すくらいに。シャツを羽織ってむっとした表情の彼女に、構成員の一人が高圧的な口調で言う。

 

「昨晩、ラチャダ・ストリートにいたな?そこで見たもの、聞いたものをすべて話せ」

 

「…すでにご存じかと」

 

 張から忠告された通り、ホテル・モスクワは昨日のことを聞きにアキラのもとへやって来た。予想よりも大幅に早い来訪だったが、張の予言が当たり、アキラは面白くない。それに彼らに正直に答えるのもなんだか情けない気がして、無駄だとわかっていても一瞬だけ抵抗した。

 

「同じことを二度も言わせるな。また殴られたいのか」

 

 彼女の言葉に即座に返した彼らに、アキラは「ですよねー」と自分の無理がありすぎる抵抗を諦めて、張に伝えたものと一言一句違えずに、昨晩の様子を話した。彼らは眉一つ動かさずそれを聞き、おそらく事前に仕入れた情報と差異が無いと確認できたのか、アキラに形式的に「ご苦労」と言葉をかけて、足早にその場を去った。

 

「アキー?大丈夫?」

 

「今のホテル・モスクワでしょ。あなたも大変ねぇ、マフィアとつるんじゃって」

 

 入れ替わるように彼女の部屋には娼館の女たちが心配そうに顔をのぞかせた。アキラも困り顔で笑いながら、彼女たちを部屋に入れた。

 

「騒がせちゃってごめんね。面倒なことになっちゃって」

 

「やっぱり昨日のこと?ラチャダ・ストリートで騒ぎがあったって聞いたわよ」

 

「さすがに情報が早いね。そう、三合会の仕事で偶然居合わせちゃってさ」

 

「それじゃしょうがないか。ま、無事で何より。早く解決するといいけど」

 

 ていうか、ちゃんと服着なよ。と女たちにも言われてしまい、今度は特に慌てもせず、アキラはやっと服装を整えていく。そして、一人、また一人と部屋に人が集まり、彼女たちは営業が始まるまで、そこにたむろしていた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「見ろよ、みんな銃をぶら下げてる」

 

「当然だな、パニッシャー気取りのイカレ野郎がうろついてンだからよ。…今のロアナプラはポップコーンだ。十分火が通って破裂するタイミングを待ってるのさ」

 

 今日もイエローフラッグの喧騒は変わらない。だが、普段の退廃的な雰囲気とは異なり、レヴィが例えたように、どこか臨戦態勢を思わせる空気がそこには漂っていた。それは酒場だけではない。街全体が疑心暗鬼に包まれ、悪徳の都はその闇をさらに濃くしていた。

 

「聞いたかレヴィ、賞金が出たぜ」

 

 バオの言葉にレヴィはさして表情は変えず、「いくら?」とだけ聞く。五万米ドルという額に彼女が面白いとばかりに笑い、参戦をほのめかす。だが犯人のあてなどない。よそ者ならすぐに分かるはず。訝しがるロックにレヴィも同意する。

 

「そいつが見当つかないってことはな、囲ってる野郎がいるってことさ」

 

 実際のところ、分かっていることは非常に少ない。賞金が出たとしても、誰を狙えばいいのか、むしろ誰が狙われているのか。全貌が見えない気味の悪さは街の様相がよく表していた。

 

「まァなんでもかまわねェけどよ。とばっちりだきゃアご免だね」

 

 バオが台風をやり過ごすときのような調子で呟きながら、眉間にしわを寄せる。レヴィが「心配性だぜ」と彼をフォローするところに、やたらご機嫌で彼女の隣にドカッと腰かけた女がいた。

 

「よォ!二挺拳銃(トゥーハンド)!!相ッ変わらずシケた酒飲んでんなァ!!どうよ景気は!?」

 

 リップオフ教会のシスターエダは、今日も神に仕える身としてはかけ離れた身なりと言葉づかいで彼らの前に現れた。挨拶がてらロックにちょっかいをかけつつレヴィをけなす彼女に、ロックは苦笑いを浮かべ、レヴィは青筋を立てて震えている。

 

「イキんなよ二挺拳銃(トゥーハンド)、喧嘩しに来たんじゃねえよ。いーい話があンのよォ、金んなる話」

 

「…人狩り(マン・ハント)の話だろ?」

 

 喧嘩を吹っ掛けに来たとしか思えない言葉を並べたにもかかわらず、いけしゃあしゃあとエダは言ってのけた。きれいな歯並びがよく見えるほどにかっと笑う彼女は、レヴィに金稼ぎの話を持ってきたともったいつけるが、レヴィは拍子抜けして今まさにしていた話のことだろうと彼女に問う。そんなのは街の皆が知っているとも。

 

「ありゃそうなの?なんだつまんねぇ。そんなら話が早ぇや、気の早ぇのはもう動いてるよ」

 

 自分がワンテンポ遅れていることに気づいたエダだったが、特に気にせずに、賞金目当てに外からも殺し屋がこの街に集まっていると話した。彼女の語った顔ぶれにレヴィたちが感心する。

 

「真剣な顔して何話してんの?」

 

 レヴィたちが顔を突き合わせているカウンターに、不思議そうな顔をしたアキラが話しかけてきた。エダは彼女にも同じ調子で会話する。

 

「よォアキ、しばらく。お前も聞いてんだろ?人狩り(マン・ハント)の話だよ」

 

「あぁ…、あのホテル・モスクワの」

 

「お前も混ざれよ!五万は惜しいぜ。どうせやっすい給料で働かされてんだしよ」

 

「懐事情はともかく、今回はやめとく。ホテル・モスクワには極力関わりたくないし。なんでもいいから早く終わってほしいよ。今日もお客さんいないからってもう閉店しちゃうし」

 

 アキラはそう言って空いていたロックの隣に腰掛ける。ため息交じりに頬杖をつくと彼女はげんなりした様子でバオに適当な酒を注文する。早々に出てきたグラスの中身を煽るアキラをレヴィが憐みの目で見て、再びエダのほうを向く。

 

「そりゃ難儀だなぁ。他に新ネタはねェのかよ、エダ」

 

 彼女の問いかけにエダが先ほどとはまた違う種類の笑顔で「一つあるぜ」と言う。そして今朝起こったばかりの、ホテル・モスクワのバーが襲撃された事件について話し始めた。それによると、一連の事件の犯人と思しき人間がはっきり目撃されたという。白人の双子。それもまだ子どもで、話していた言葉から英語圏の人間ではないらしい。

 

「気味が悪いよな。まさかあのホテル・モスクワに喧嘩売ってたのがガキとはよ」

 

「ああ、だが手引きした人間がいるはずだ。ガキが好んでこんな街に来るわけねぇ。誰かに呼ばれたんだろうよ」

 

 エダの話にレヴィが神妙な面持ちになる。ただの愉快犯でもなさそうだ。よそ者である双子の姿が見えない以上、この街の誰かがホテル・モスクワに向けて彼らを仕向けているのは明白。そして、その可能性が高いのは同業、もとい商売敵であるマフィアたちなのだ。

 

「君の予想が当たったな」

 

「そんな大層なものじゃないよ。でも、びっくりした。ほんとに子どもがあれを…」

 

 レヴィたちの横でロックがアキラにぽつりと言う。彼の言葉が指しているのは先日のラチャダ・ストリートでの一件。アキラもそれは理解したが、話を聞いたところでやはりにわかには信じがたいと、驚きとともに押し黙ってしまった。そんな彼女に今度はバオが不機嫌さをあらわにして尋ねる。

 

「…こないだホテル・モスクワがお前を訪ねてきたのと関係があんのか?」

 

「ああ、うん。三合会の仕事で偶然現場に巻き込まれて。詳しく聞きたいって」

 

「三合会?俺ァ聞いてねぇぞ」

 

「言ってないからね」

 

 あからさまなバオのいら立ちにアキラはあえて無視して淡々と言ってのける。すぐに険悪な雰囲気が出来上がった二人に、すぐ隣にいたロックや、別に話をしていたレヴィたちも「なんだなんだ」と様子をうかがう。

 

「はァ…。お前、肝心なことは何も言わねェよな」

 

「いきなり何?嘘ついたわけじゃないでしょ!たまたまタイミングが…」

 

 取り付く島もないアキラの態度にバオが嫌味を言う。アキラもなんでそんなことを彼に言われないといけないのかと、イライラしながら弁明する。ヒートアップしそうな二人を事前に止めたのは、おろおろしかけていたロックでも、もちろんニヤニヤしていたエダでもなく、意外にもレヴィの言葉だった。

 

「おいおい、痴話喧嘩は店が閉まってからやれよ」

 

 呆れ顔のレヴィの一言にバオもアキラもハッとする。すると今度はエダがさっきまでのニヤつきをさらに深くして、彼らのほうに身を乗り出す。

 

「分かってねェなレヴィ、こいつらそういうプレイなんだよ。どうせこのあと仲直りしてよろしくやるに決まってんだろ?」

 

 下世話な彼女の物言いに、「うるせぇ、こっちは心配してやってンだ!」とバオが大きな声でつい本心を出す。レヴィたちにはやし立てられる彼を、まんざらでもないとアキラは思いつつグラスに口をつける。すでに彼女の頭の中では、ロアナプラを震撼させている双子のことなどどこかへ行ってしまっていた。

 

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