「お客さん、困りますよ」
ロアナプラの外れにある酒場〈イエローフラッグ〉の2階にある娼館〈スローピー・スウィング〉の一室。女たちが客をもてなすこの部屋には娼婦と客の他にもう一人、女が厳しい表情で立っている。先ほどの言葉は彼女のものだ。白シャツに黒のスラックスの服装からして娼婦ではないと分かる。
「う、うるせぇ、じじ、邪魔すんな!!!…ってなんだよ女かよ。へへへ、笑わせんな。おい、お前も混ざれよ。色気はねえけどチップくらいはくれてやるよ」
「アキ!そいつイカれてるわ!なんとかしてー!」
娼婦の言うように客の様子がおかしい。だらしなく半開きの口から出る言葉に呂律は回っておらず、目も虚ろだ。ここまで入れた理由はよく分からないが、店で騒がれるのは大迷惑であり、そんな客には迅速にお帰りいただくように促すのが彼女――アキラの仕事だ。
「分かってるよ。…お客さん、外行きましょうか」
「おい、お、俺の話聞けよ。…なあ!」
男が銃を構える。それに反応して、すかさずアキラは間合いを詰め男のみぞおちめがけて膝を入れる。男は銃を落とし痛みと息苦しさで倒れこむ。アキラはダメ押しとばかりに顔にも3発ほど拳をお見舞いしておいた。
「慰謝料代わりに多めにもらっといたから。もう二度と来なくていいよ、あんた」
アキラはすっかりノビた男を外に放り出し乱暴に酒場〈イエローフラッグ〉の扉を閉める。先ほどまで客だった男は痛みと屈辱とで何かしら醒めたのか、そそくさと退散していった。
アキラがここで働き始めて1か月が過ぎた。最初の頃こそ「女の用心棒」だと高をくくって好き勝手やろうとする連中も多かったし、アキラ自身もロアナプラの住人が遠慮なく銃を突き付けてくる状況に戸惑って怪我をしたこともあった。そうした経験と前職でのスキルを活かしてやっと慣れてきたところだ。
いつしか「スローピー・スウィングの女用心棒」として名が知れるようになり(ついでに客の不名誉な噂もセットで)、おかげで店で無茶をする輩も減ってきた。バオなどは「これで酒場の方の治安も落ち着きゃいいが…」などと言っているが残念ながら下の様子に変わりはないようだ。
「厄介な客だったらしいな。アキ」
2階の娼館〈スローピー・スウィング〉に戻る途中でカウンターのバオにそう声をかけられた。アキラはやれやれといった表情を浮かべる。
「あいつ何かキメてたみたいでさ。それにエグイおもちゃ持って来てた。ベテランが相手で良かったよ。慣れてない子だったら私のこと呼べなかったかも」
バオはそれを聞いて、はー。とため息をつき、呆れた顔をする。
「最近はおめぇの評判もよく聞くようになったが、まだそんなアンポンタンもいやがるたぁな」
初めて会ったときこそアキラを警戒していたバオだが、今では随分気楽な関係になった。と言っても酒場と娼館は同じ時間に営業しているため、今日のような問題が発生したときにしか、アキラが酒場に姿を見せることは無い。それでもここの店主はわずかな時間でもこうして声をかけてくれる。「面倒見るのは最初だけ。」みたいなことも言われたが、なんだかんだで優しい人だとアキラは思う。
「普段は火星に行ってるからじゃないの?ま、今後も精進するよ」
アキラはバオにかけられたものと同じ調子で言葉を返す。もともと言葉遣いはそこまできれいではなかったが、この街で働くようになって更に砕けてきている。
「おう。せいぜい気張れよ」
バオの心のこもっていない励ましに、ありがと。と言ってアキラはスローピー・スウィングに戻る。店は上も下も通常営業で、トラブルなど最初から無かったようだ。
「アキ!さっきはありがと。助かったわ」
先ほどたたき出したヤク中の相手をしていた娼婦が、ご機嫌な様子でやって来てアキラに礼を言う。さすがはベテラン、あんなことがあってもどうやら平気なようだ。彼女の様子にアキラは安堵した。
「いいよ。それが仕事だし。怪我無い?」
「全然!アキは?」
「ご心配ありがとう、でも大丈夫。ちょっとマダムの所に行くね。さっきのこと報告してくる」
「はーい。私も仕事に戻るわ。アキ、またね」
そう言って笑顔で自分の仕事部屋に戻る彼女を見て、「ロアナプラの女はたくましいなあ」とアキラは感想を抱く。いや、もしかしたら「スローピー・スウィングの女」かもしれないが。
ここの主役である娼婦の女性たちは皆気さくだ。アキラは最初、彼女たちに敬語で接していたが、すぐさま「柄じゃないから」と拒否され、以来タメ口で話すようになった。少ないとは言え、自分の給料は彼女たちの稼ぎから出ているのにいいのだろうか、と躊躇うアキラに、彼女たちは「その代わりわがままいっぱい聞いてもらうから!」と笑顔で言った。
もともと人員の入れ替わりが激しく、先輩後輩もあまり関係ないらしい。アキラの前職ではそのあたりはきっちりしていたため、最初は不思議な感じがした。しかし今となっては、彼女たちの気遣いに感謝している。同時に自分はひどく幸運で恵まれていると感じる。一か月前まで世界中の戦場を駆け回っていたとは思えないほどに。
…これからわがままをたくさん聞かなければと、アキラはひそかにそのときを待っている。
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「マダム・フローラ、アキラです。失礼します」
アキラはノックの後にそう言って部屋に入る。部屋にはこの店の主人であるマダム・フローラが椅子に座り店の帳簿をつけていた。アキラの方を向いたマダムだが、非常に機嫌が良いようだ。
「あらアキ~。さっきはどうも。またお手柄ねッ!やっぱり頼りになるわ、あなたを用心棒にして正解だったわねぇ」
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マダム・フローラ。娼館〈スローピー・スウィング〉の女主人であり、アキラを娼婦ではなく用心棒として雇った張本人だ。バオに紹介されて初めて会ったとき、彼女はおっとりとした様子ながら、アキラに言った。
「バオの関係者なら何とかしてあげたいけど、私の勘じゃ、あなた多分絶望的にこの仕事に向いてないわよ。残念だけど、うちじゃちょっと…」
簡単にいくはずはないと考えていたアキラだが、それで引き下がるわけにもいかない。それに紹介してくれたバオが「そりゃそうだよな」といった表情をこちらに向けているのにもいたたまれなくなった。
「ざ、雑用でも何でもします!体力には自信がありますし…。そ、それに私、格闘技をいくつか修めているんです。何かしらお役に立てるかと!」
そうしてアキラの初めての転職は、どもりはするし、早口でまくし立てるしで、控えめに言っても落第点だったが、「そこまで言うならとりあえず様子を見ましょ」というマダムの温情によって、何とか成功したのであった。
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「はい、その節は本当に感謝しています。あ、これさっきのバカからいただいたお代です」
アキラはさっきの客から徴収した金をマダムに渡す。マダムの確認が終わればようやく一件落着だ。
「ご苦労さま。…ちゃんと慰謝料もいただいてるみたいだし、上出来よ。アキ」
札を数えながら満足げにマダムが言う。アキラも困ったような笑顔で返事をする。
「そういうように研修受けたので…。他の子たちにも何も無かったみたいで良かったです」
まだ働き始めの頃、今日と同じような客に対応したとき、アキラはその客をただ追い出すだけにしてしまい、マダムからきつく叱られたことがあった。迷惑客を追い出しただけでは結局こちらの損だ。きちんとその場で正規のお代と出来れば慰謝料を貰わなければ困る、と。
「初めの頃はどうかと思ったけど、あなたを雇ってよかったわ。バオにもお礼を言わなきゃね。―――さてと。アキ、もう今日は上がって大丈夫よ」
最初の失敗に恥ずかしくなる気持ちと、今を褒められてうれしい気持ちとで複雑な心境になったアキラに、マダムが明るく言った。その言葉にアキラは少々戸惑う。
「え、でもまだ営業…」
こんなことは今まで言われたことがなかった。おごっているわけではないが自分がいなくて大丈夫だろうか、と心配したアキラを察したようにマダムが言う。
「今いるお客様は皆常連ばかりでトラブルも起らないと思うわ。今日はそれで時間だし、あなたもたまには早く上がりましょ。まだ下で飲んだこともないんでしょう?バオともゆっくりお話ししてきたら?」
そう提案され、更には、はいお小遣い。とマダムにお金まで渡されてしまった。たまにはいいか、とマダムの言葉に甘えて今日は仕事を終え、アキラはイエローフラッグで飲むことにした。