「クビか?」
アキラがカウンターに着くなり、バオがニヤニヤしながら言葉をかけた。失礼な奴め、マダムを見習え。とアキラは思う。
「マダムからお小遣いもらったから飲みに来たの。もう今日は上も今いる限りのお客で終わりだって」
「へぇ、そりゃ良かったな。で、注文は?」
「えっと…、じゃあビールください」
「あいよ」
やけに楽しそうなバオはビールを注ぎ乱雑にカウンターに置いた。何気に彼がバーのマスターをやっているのを見るのは初めてだとアキラは思いながら、大きなジョッキに注がれたビールを勢いよく喉に流し込んだ。
「っあ~~…、美味しい~~~」
「いい飲みっぷりだな。」とバオが笑いながら呟く。アキラは構わず二口目にいきながら、働く場所や業種が変わっても、労働後のビールはうまい。としみじみ感じていた。そのとき、同じくカウンターに座っていたグループに声をかけられた。
「アンタが上のアキラって言う用心棒か?」
低くて渋い声でそう話しかけてきたのは、サングラスをかけた筋骨隆々な黒人の男だった。彼の横に席を並べているツレらしき人間たちもこちらに目を向ける。銃を二丁ぶら下げた女、暑いのにネクタイを締めたビジネスマン風の男。どちらもアジア系だ。一番奥はラフにアロハを着たメガネの白人の男。どうやら四人組らしい。急に何なんだろうか、一体。と訝しがるアキラ。
「ああ、驚かせちまってすまんな。俺はダッチ。ラグーン商会って輸送屋をやってる。なに、アンタの噂はよく聞いてるもんでな。いつもはお仕事中のところしか見かけねえ。今日はここぞとばかりに声をかけさせてもらったわけさ」
彼女の態度を察してか、ダッチと名乗った黒人の男が理由を説明する。見た目と裏腹に紳士的な彼の雰囲気にアキラも警戒を解く。
「ああ、そういう…。その通りですよ、ミスターダッチ。上の娼館で用心棒兼雑用している、アキラと言います。みんなにはアキって呼ばれてる」
「アキか。確かにそっちの方が呼びやすい。俺にもミスターなんて固いもんはつけなくて結構だ。気軽にダッチと呼んでくれ」
そう言ってダッチは自分のグラスをこちらにかざす。アキラもジョッキを掲げて二人で乾杯した。
「おいダッチ。一人だけ打ち溶けてんじゃねぇよ。大体そいつのこと最初に気付いたのアタシだろうが」
ダッチの隣にいた女がこちらを窺ってくる。ダッチは思い出したようにそちらを向く。
「おっと、悪い。レヴィ、ご名答だ。こちらがまさに娼館の用心棒のアキラご本人だ。アキ、こいつらは俺の部下で、手前からレヴィ、ロック、ベニーだ」
紹介された三人それぞれが己の名前に反応する。こちらも先ほどと同じくジョッキを掲げお互いにエアーで乾杯する。「アタシらも敬称なんざいらねぇぜ。」とレヴィ。それにしても商会と言っていたが随分少人数のようだ。…ん?ラグーン商会?と、アキラにはその名前がどうにも引っかかった。
「あの、」
ラグーン商会の名前に何かを覚え、記憶をたどっていたアキラだが、そこに先ほど紹介されたネクタイ姿の男――ロックが声をかける。
「あ、はい」
思考中断して、アキラはロックに視線を移した。ワイシャツにネクタイと、この街の人間にしてはしっかりした格好である。珍しいなと感想を抱いたアキラに、ロックが尋ねる。
「失礼ですが、もしかしてあなたは日本人ですか?アキラって名前、他の国だとそうそういないし」
そう問われたアキラは、何だそんなことか。と若干拍子抜けしながらロックに言う。
「ああ、それね。ええとロック?あなたは日本人?」
そうだ。とロックは頷く。アキラは、ややこしくて悪い。と前置きしたうえで話し始めた。
「――母親が日本人。で父親は北アフリカの出身なの。両親は日本で会って結婚したけど、私が育ったのは父の母国の方でさ。だから、名前も見た目も日本人ではあるけど日本で育ってないんだ。国籍も父の国の方だし。日本語は少しだけなら分かるけどね」
と言っても両親とは早く死別して記憶もあまり無い。と言いかけてアキラは言葉を飲み込んだ。今日初めて会った人間にそこまで話す必要も無いと判断した。ロックは少し気落ちしたように「そうでしたか…」と呟いたが、アキラにはその理由がよく分からなかった
「なんだぁ、ロック。落ち込んでやがんのか?残念だったな、お仲間じゃなくて」
レヴィが馬鹿にしたようにロックに言う。アキラもそこでやっと理解した。ただ同じ日本人だったらだったで何か役に立つのだろうかと新たな疑問も浮かんだが。すると、なぜかバオがこちらを苦い顔で見ていることに彼女は気が付いた。
「別にそんなんで聞いたんじゃない。アキラさん、すみません、変なこと聞いて」
アキラがバオを気にかけていると、ロックがレヴィに対抗するように語気を強めた。そしてアキラには詫びの言葉を述べた。
「アキでいいよ。聞かれて困るようなことじゃないし大丈夫、構わないよ」
アキラは本心からそう言った。ロックも安心したように見えたが、彼が次に放った一言が、今度はアキラとバオを動揺させた。
「ありがとうございます。でもバオ、バオとアキの父親は知り合いなんだろ。アフリカとベトナムって何の知り合いだ?」
ロックがバオの方を向きながらそう言ったとき、バオの苦い顔の意味がアキラにはやっと理解できた。あ、聞かれて困るようなことだった。ごめん、これ言ってなかったね。よし、あとは頼んだバオ。アキラは恩人にすべてを任せることにした。
「あー…、えーとその、なんだ。アキの親父とは、直の知り合いっていうわけじゃなくてな…。あー…」
「後で覚えてろよ」と聞こえてきそうなほどにバオがアキラを睨んでから、必死に言葉を紡ぎだす。その顔には冷や汗が浮かんでいる。すると、
「やめろよロック。詮索屋はアタシらの商売じゃご法度だぜ?」
「レヴィの言うとおりだね。ここを生き抜くコツの一つさ、ロック」
歯切れの悪い言葉を並べるバオを遮って、レヴィとベニーがロックを諫める。「助かった!」と安心し心のなかで二人に拍手するアキラとバオ。
「分かったよ。バオ、申し訳ない。アキも」
再びのロックの謝罪に、アキは大丈夫の意味で片手をあげ、バオもほっとした表情になる。そのとき、ちょうど話題の切れ目を待っていたかのように、ダッチがバオに会計を頼んだ。
「明日は朝から仕事なんでな。バオ、この辺でお暇するぜ。アキ、邪魔して悪かったな。お詫びにそのビール代は俺持ちだ。そいつで勘弁してくれ」
ビールだけなんてせこいぞ、ダッチ。と後ろで文句をつけているレヴィは帰り支度をしている。他の二人も同様だ。
「ダッチ、お気遣いありがとう。でも今日はマダム・フローラから飲み代を貰っちゃってるから、ダッチの分は次でもいいかな。そうだな、今日ダッチが飲んでたやつがいい」
「ははっ!こりゃ一本取られたな。いいぜ、また会ったときは期待してくれて構わねぇ。じゃ、あとはごゆっくり」
その会話を最後にラグーン商会一行は店を出た。アキラもカウンターから見送る。彼らが完全に見えなくなり、またバオの方へ向き直す。
「ねぇ、バオあの人たちってさ、ここにはよく――」
アキラは思いがけない出会いにやや興奮気味な様子でバオに尋ねる。しかし、そんな彼女の言葉を最後まで出させぬまま、バオが大きな声で言った。
「アキ、てめぇ!!!俺が知らないことホイホイ喋るんじゃねぇ!ラグーンの奴らだったから良かったけどよ!他の連中だったと思うと寒気がするぜ。ったく!」
以前マダムが「バオったら、店が壊されたときはスチームポットみたいに怒ってるのよぅ」と笑い話をしていたが、今まさにそのような彼をアキラは目の当たりにしている。ついつい調子に乗ってしまった自分を反省した。
「ごめん…。無理のない言い訳考えとくね…」
「当たり前だ!…まあ、俺もお前のことは客に聞かれたら答えてたしな。なんにせよ用心するに越しとくこたぁねぇ。アキ、明日時間あるか?」
落ち込むアキラを見て、留飲を下げたバオは唐突に彼女に提案した。何事だろうかとアキラは考えながら答える。
「店が始まるまでなら大丈夫だけど…」
前職で送っていた軍隊式の生活の癖が抜けず、朝は割と早く起きているため時間は割と持て余している。そんなアキラの言葉を聞いたバオは、「俺でかまわなきゃ」と前置きしたうえで言った。
「ロアナプラを案内してやるよ。どうせまだ中心部は行ったことねぇだろ?」
「いいの?」
驚くアキラを見ながら、観光地なんか無ぇけどよ。と付け加えてバオは続ける。
「お前さん、どうもこの街をまだ分かってねぇとこあるからな。もともと明日は問屋に酒を受け取りに行く予定だ。そのついでだよ」
バオの言う通り、犯罪都市ロアナプラに観光地など無いとは思うが、それでもアキラは嬉しかった。前織では世界の各地を渡り歩いてきたが、街をゆっくり見ることなど皆無だった。ロアナプラで働き始めたここ一か月の間も、どこかに出かけて行く余裕なんてなかった。だからこそ、今日はとても楽しいし、そのうえ明日はバオが街を案内してくれるという。これが喜ばずにいられるだろうか。
「うれしい!ありがとう、バオ!」
アキラのあまりの満面の笑みにバオも動揺する。彼女のこんな顔を見るのは初めてだ。
「…まあ、とりあえずフローラには言っとけ。おい、グラス空いてるぞ、次どうする?」
照れ隠しのようにぶっきらぼうにバオは次の注文を催促する。まだ、ビールしか飲んでいなかったと今更気付いたアキラは、彼の後ろの酒瓶を眺める。
「ええと、それじゃあ――――」
アキラはカウンターにあった酒を適当に選び、ご機嫌で口に運ぶ。飲みすぎんなよ、とバオがたしなめるが彼女から笑みは消えない。バオは、普段はついにやらないが、水をグラスに入れ、目の前のご機嫌な女に出してやった。