「ねぇ、アキ。バオと出来てるってほんと?」
ここは娼館〈スローピー・スウィング〉内の一角にあるアキラの部屋。普段彼女が寝泊まりするこの場所は、店の営業前や客のいない暇な時間には娼婦たちのたまり場となっている。部屋の主であるアキラは特に取られるものも無いということでこの状況を気にしてはいない。娼館の女たちも他人の部屋だということを忘れたように寛いでいる。
今日も、営業前の少しの時間に彼女たちはおしゃべりを楽しんでいた。アキラはそれを話半分に聞きながら、仕事道具である銃やナイフの手入れをしていた。そこに娼婦の一人から、今の言葉である。アキラは危うくナイフを手から落としそうになった。
「え、いきなり何―――」
アキラの動揺を無視して、女たちが次々と話し出す。
「あ、それアタシも聞いた!」
「街を二人で歩いてたやつでしょ?夫婦みたいだったって、昨日の客が言ってたわ」
「私、ローワンの店で働いてる子と知り合いだけど、向こうでローワンが言いまわってるみたいよ」
「アキ、あんなオヤジのどこがいいのよ?」
女たちの話をよく聞くと、事の発端はどうやら先日バオがロアナプラを案内してくれたことらしい。彼は自分が思っている以上に顔が広いようだと、アキラは驚きながら、女たちの話に入る。
「あー、誤解だよ。バオはただ街を案内してくれただけ」
「なんだぁ。ま、バオも浮いた噂なんか無いし、変だとは思ってたのよね。で?どこ案内してもらったの?」
彼女たちは妙に納得し、またがっかりした様子で頷いた。そしてアキラがバオの案内した場所を言うと、その表情は呆れ顔に変わった。
「アキ、それ案内って言わないわよ…」
それはただの仕事の手伝いじゃないかという言葉に、アキラを除いた全員が同意する。
「いや、でも楽しかったよ?」
「分かってないわ、アンタ!よし、今度アタシがもっと楽しいとこ連れてってあげる。車出してよね、アキ!」
痺れを切らした一人の娼婦の言葉を皮切りに「アタシも!」と賛同する声が大きくなる。アキラも、「じゃ、楽しみにしてる」と明るく言った。
そこへ店の主人であるマダム・フローラが営業開始を告げに部屋へやって来た。皆それに従って、それぞれの部屋で仕事の準備を始める。そんな彼女たちを見届けて、アキラも自分の部屋を後にした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その日も娼館〈スローピー・スウィング〉は通常通りに営業していた。用心棒であるアキラも、残念ながら現れた本日の迷惑客を制裁し、金を徴収したうえで下の酒場〈イエローフラッグ〉の入口からたたき出す。酒場の客も今となっては全く気にする素振りも無く、それぞれに歓談だの、賭けだの、ケンカだのに夢中になっている。マダムには「銃声なんかは気が付いたらすぐに報告お願いね。いざとなったら避難しなくちゃいけないわぁ」と言われているが、幸いそのような事態にはまだ出くわしたことは無い。
アキラが外で迷惑客をあしらい終わり、さあ職場に戻ろうというところで道の向こう側から、この街にはおおよそ似つかわしくない服装をした人影が見えた。
「メイド…?」
アキラから思わず声が出る。街灯に照らされたその人物は女性であり、眼鏡に三つ編みの髪型、そして大きな旅行鞄を手に持っている。なにより、どこぞのお屋敷にでも仕えていそうなかっちりとした長い丈のメイドの格好をしてるのが特徴的だ。
頭のおかしな奴が現れたな。アキラはそう思った。事実、道端にたむろする連中も同じような考えを含んだ視線をメイドに送っている。メイドは女で娼館の客である可能性は低いが、イカレているのは間違いない。一応マダムに報告しておくかとアキラが足早に2階に戻ろうとしたその時。
「もし、少しお尋ねしたいのですが」
メイドが、アキラのすぐ後ろでそう声をかけてきた。アキラには彼女がどうやって自分の背後まで来たのかが理解できず、固まってしまった。そんなアキラの様子を気にも留めず、メイドは尋ねる。
「この街で一番ガラの悪い酒場とお聞きしてこちらへ参ったのですが、間違いないでしょうか」
メイドの話の間もアキラは混乱してうまく切り替えられない。先ほどの彼女の動きだけではない。近くで相対して分かったが、この女はヤバい。アキラの直感がこの女を前にしてからずっと警告している。それにこの女の目。これはお屋敷に仕えるような女のものではない。自分が戦場で何度も見てきた、獲物を狩る兵士の目だ。
メイドが黙ったままのアキラに不審そうな顔をする。アキラはこのままではいけないと、やっとの思いで質問に答える。
「…私もあまり詳しくはないけど、ガラの悪いという意味ではここは一番当てはまります。ただ、ここの店主にはお世話になっていましてね。厄介ごとはご免なんだ。…なぜあなたはそんな理由でここへ?」
アキラは警戒心をむき出しにして質問したが、メイドは淡々と答える。
「ああ、そうですね。…私、こちらで人を探しておりまして、その方々の性格ならこのような場所にいらっしゃるのではと思いまして、出向かせていただきました」
メイドの説明は理路整然としているが、状況が矛盾しすぎている。ここは犯罪都市ロアナプラ。街を歩けば危険がそこら中に転がっている。そんな中、このメイドはわざわざ一等危険な場所に赴き、人を探すのだと言う。もはや気味が悪い。アキラはそう感じながら、この女を酒場に入れてはいけないと判断した。
「…そうですか。尋ね人をお探しとは大変でしょうが、この酒場はあなたが想像してる百倍は治安が悪い。外から来た女性一人では危険―――」
「お構いなく」
アキラの忠告を遮ってメイドは酒場へ入っていく。異様な出で立ちの来客に騒がしかった客もそちらへ視線を注ぐ。メイドの引き留めに失敗したアキラは、マダムに知らせるため急いで2階に戻る。視界の端でバオが「おい、なんだよアレ」といった顔をしているが無視する。
「マダム、失礼します!」
いつもならノックをして部屋の主の返答を待つところだが、アキラはそれすら忘れて扉を開ける。部屋の主である店の女主人、マダム・フローラは少し驚いた顔をする。
「あらぁ、アキ。どうしたの?珍しく慌てて。さっきのお馬鹿さん、どうかしたのかしら?」
アキラの焦りとは裏腹にフローラはのんびりとした様子で尋ねる。アキラはそれどころではないと、今酒場にいるメイドとのやり取りを話した。フローラもメイドというこの街には異常な存在は気になったが、それだけで店を閉めるのは難しいとアキラを諭した。
「そのメイドさん、人を探してるんでしょう?荒事にはならなそうだけど…」
うーん。と悩むフローラだったが、アキラのいつにない焦った様子を見ると、アナタが気になるなら。と、下の酒場の様子を見てくるようにアキラに頼んだ。アキラは礼を言って、先ほどの迷惑客の報告と徴収金をマダムに渡し、自分は酒場へ降りることにした。
酒場へ行く前に、念のためとアキラは自室にある銃弾のストックを取りに行った。その間にアキラはメイドについて考える。メイドの知り合いなどいないが、彼女にはどこか覚えがあるのだ。あの身のこなしに、猟犬のような目。戦場で会っているのなら、なおさら覚えていそうなものだが。
「―――猟犬?」
そのワードはアキラの頭にひらめきをもたらした。そうだ、あれは南米出身の同僚に聞いた、ある兵士の話。
「フローレンシアの猟犬」。そう呼ばれた女兵士がいた。FARCの工作員として殺人・誘拐などの罪で、マフィアからインターポールにまで指名手配され追われているが、行方は誰も分からないとか。「お前も見かけたら捕まえろよ!ちょっとした金稼ぎだ」と南米での仕事のとき、その同僚から件の指名手配人の写真を見せてもらったこともあった。
数年前の話だし、粗い写りの写真だったため確信は持てない。だがメイドの背丈や年齢はその指名手配犯の特徴と一致しているし、顔立ちも南米系と言われても不思議ではない。だが、メイドの格好や、その姿でこの街にいる理由は全く分からない。分からないこそ、怖い。メイドが「フローレンシアの猟犬」だったとして、様々な勢力から追われている彼女は、ここで一体誰を探し、そして何をやろうとしているのか。
自分の考えが突拍子も無いことだとは十分承知しながらも、アキラは胸騒ぎが止まらなかった。悪い予感がする。それを確かめるために酒場へ足を運んだ。
「御無礼を働くとよ、このアマ!」
「お笑いだぜ!なア!どうするってんだよ、姉ちゃん!?」
アキラが酒場へと降りたちょうどそのとき、男たちの大きな笑い声と罵りの言葉が聞こえた。声のする方を見ると、先ほどのメイドがカウンターを背に、男たちと向き合っていた。
アキラには男たちの素性は分からなかったが、メイドは彼らをしっかりと見据えている。もしかして彼女の探し人というのは――。アキラがそう考えたとき、メイドがぽつりと言った。
「――では、ご堪能くださいまし」
メイドは手に持っていた傘を男たちに構え、その瞬間重い銃声が酒場に響く。男たちの一人がその銃弾を浴び、背後にあったテーブルごと派手に吹き飛ばされた。
「こォオおおの、くそッたれえェエエえええ!!」
リーダーらしき男が叫ぶ。
「てめェらァ!かまうこたあえ!ぶっ殺せ!!」
その言葉を皮切りに彼の仲間が銃を抜く。メイドはその修羅場において平然と言ってのけた。
「如何ようにでも?おできになるなら」
そうして撃ち合いが始まる。メイドの行動に呆気に取られていたアキラだが、流れるような銃声で思考が醒める。そしてマダムに知らせるため、急いで2階に戻った。
「マダム!今、下で戦闘が―――。」
アキラはそこで言いかけて言葉を紡ぐのをやめた。マダムの部屋に行くまでも無く、すでにマダム以下、従業員の女たちが奥の非常階段から非難するために廊下に出ていたのだ。
「アキ、遅いわよ!巻き込まれたのかと思って心配したわぁ!」
マダムが心底ほっとした様子でそう言って、アキラにハグをした。突然のことにアキラは混乱するが、見兼ねた娼婦の一人が声をかける。
「もう、マダム。アキ、びっくりしてるじゃない。アキはこういうの初めてでしょ?アタシ達、慣れてるからさっきの一発目でもう逃げる準備したの。ほら、さっさと逃げるわよ」
他の女たちもそうよ、そうよ。と若干苛立って声を上げる。マダムも「そうよねぇ。アキいきなりごめんね。でもほんとに心配したのよぉ!」と普段の調子で言う。
アキラは彼女たちの落ち着きにひどく感心し、逃げる彼女たちの一番後ろについた。だが、彼女は一つ大事なことを思い出した。
「マダム、皆、待って!」
普段、大声を出さないアキラが叫んだのを聞いて全員の足が止まる。皆、何事だとアキラの次の言葉を待つ。アキラはそれを確認して言った。
「バオが、まだ下に―――!」
アキラの言葉に、それまで張りつめていた空気がいきなり気の抜けたようになる。マダムですら「お前は何を言ってるんだ」といった顔をしている。アキラにはその表情の意味が分からず困惑していると、今度は彼女を除くその場の全員が声をそろえて叫んだ。
『大丈夫!!!』
え?え?とさらに困惑するアキラをよそに、マダムたちは非常階段を降りていく。置いて行かれそうになったアキラに、娼婦の一人が痺れを切らして声をかける。
「アキ、あんたねぇ、旦那の心配するのもいいけど、まずは自分が生き残ることを考えなさいよ!」
「いやいや!そんなんじゃなくて!だって多分、下すごいことになってるし…」
メイドの戦いぶりを実際に見たアキラとしては、今も酒場にいるであろうバオを放ってはおけなかった。しかし、今度はマダム・フローラが追い打ちをかけるようにアキラに言う。
「大丈夫よォ、アキ!アタシがここで店を開いてからこういうこと何度もあったけど、店はともかくバオ自身は毎回どうとも無いのよ」
「ほら、マダムも言ってるんだし、行くわよ。アタシ達で最後!」
結局、アキラは彼女たちの言葉を半ば信じる形で、非常階段から店の裏口へ避難した。店は外から見てもひどく損壊しているのが分かる。主戦場となった1階の酒場は特にひどい。そしてまだ銃声は続いている。本当にバオは大丈夫なのだろうか。アキラの不安がまたぶり返してきた。
そのとき、ふと戦闘の音が止んだ。もしかして決着がついたのだろうか。外の人間がそう思った直後、店のなかで小規模な爆発が連続して起こり、店から火の手が上がった。それと同時に、酒場の裏口から人影が一つ飛び出してきた。
「あのアマ!!うちの店をこんな風にしやがってぇェ!!!」
「バオ!」
裏口から抜け出したバオを見てアキラは心底ほっとした。いつか聞いたスチームポット、いやそれ以上に怒り心頭な様子ではあるが、ひとまず五体満足で修羅場は潜り抜けられたようだ。マダムや女たちは、だから言ったでしょと、得意な様子でアキラに視線を送る。アキラは燃え盛る店を見て呆然としているバオのもとへ駆けつけようとした。だが、彼女はその向こう側に信じられないものを見た。
――メイドが猛スピードで走行する車にナイフを立てしがみついていた。
「う、嘘……」
アキラはその光景を見て一瞬思考が止まったが、すぐに切り替えて自身も行動を起こす。なぜかは分からないが、自分もメイドの行く末を見てみたいと思ってしまった。
「バオ、ごめん!車借りる。マダム、皆。ちょっと行ってきます!」
そう言ってアキラはバオのポケットに入っていた車の鍵を奪い、裏にあった彼の車を急発進させた。
「おい、アキ!俺の車―――!」
「アキ!?ちょっとどうしちゃったのよぉー!」
アキラの唐突な行動に、皆驚き呆気に取られていた。後には燃え盛る店と取り残された店主と従業員たち。損害の請求書はどこに送ればいいのだろうと思案を巡らせていたバオの前に現れたのは、ロシアンマフィア「ホテル・モスクワ」だった。