無惨様しか美しく見えなくなった鬼狩りの恋 作:029
その日の柱合会議は、かつてなく沈鬱な空気で幕を開けた。
――刀鍛冶の里、一夜にして壊滅。
里からの定期連絡が途絶えたことで、偵察に赴いた隠たちが見たのは、老若男女ことごとく死に絶え血塗れの骸を晒す地獄絵図であった。
警護の剣士すら救援を呼ぶ間もなく殺されていたことから、よほど強力な鬼による襲撃と考えられていたが……数日間の調査で判明したのは、なお一層不可解で残酷な事実である。
「……里の者全員、突然気が触れたとしか思えません」
報告を上げた隠は、顔を青くしてそう言った。
鬼による凄惨な被害現場を見慣れた者ですら平静でいられない、それほどに異常。
斬られ、潰され、引き裂かれた人々の死体その全てが、お互い同士で殺し合ってできたものだったのだ。
「……アオイ、生き残った者の様子はどうかな?」
鬼殺隊当主・産屋敷耀哉の問いに、柱達の後ろで小さくなっていた少女がビクリと肩をはねさせる。
「い、命は取り留めました。ですが、とても話が聞ける状態ではありません。ひどく錯乱して……やむを得ず、拘束しています。今後は、専門の病院に任せるほかないかと」
つまりは、正気を失っている――言外の意味を汲み取って、居並ぶ者達の間に流れる沈黙が、もう一段階苦いものになった。
「わかった、手を尽くしてくれてありがとう」
「……」
労いの言葉に頭を垂れながらも、アオイの表情は晴れない。
鬼殺隊本部に召喚された緊張もあろうが、何よりも看護係の一人に過ぎない自分が蝶屋敷の代表として報告をしなければならなくなった理由――花柱・胡蝶カナエと妹のしのぶが消息を絶ったままであることが、少女の心に重くのしかかっているのが見てとれた。
主なき蝶屋敷は現在、アオイとさらに年少の三人娘に加え、治療の心得がある隠数人で隊士の治療にあたっているが、それにも限界がある。
姉とも慕う二人を案じる精神的な負荷と、医療担当の職務に忙殺される肉体的な疲労が、しっかり者の少女を苛んでいた。
「君たちには苦労をかけるね。カナエとしのぶがいない以上、すぐにも外部の医療機関の助けを借りるべきなんだが……今は、それも難しい」
「……あの噂の影響でございますか」
ジャリジャリと数珠をすり合わせながら、岩柱・悲鳴嶼行冥が言う。
刀鍛冶の里壊滅と前後して、藤の花の家紋の家が何者かに襲われる事件が相次いだ。
家の住人は皆殺し。そのうちの一軒では、負傷した隊士とともに、治療のために呼ばれた医者も殺されている。
これだけでも世間を騒がす衝撃的な事件であったが、さらに奇妙な噂が人々の間で囁かれるようになったのだ。
曰く、廃刀令に反して刀を所持した狂信者の集団が存在する。
曰く、最近起こった連続殺人事件はその集団の仕業である。
曰く、その集団は身寄りのない子供を洗脳し、過酷な訓練で大半を死なせている。
曰く、その集団の長は代々短命であり、寿命を延ばすため人を殺して鬼神に捧げている。
……等々。
血気盛んな隊士が耳にすれば憤死も危ぶまれるような、鬼殺隊に殺人の罪をなすりつけ貶める流言飛語。
「吉原遊郭の客や出入りの商人たちから地味に広がった話のようですが、最初に言い出した奴はまだ掴めません。お館様、申し訳ありません」
「誰だろうとぶっ殺してやるぜ、裏切り者がよォ……!」
宇髄の報告についで、不死川が怨嗟を絞り出す。
裏切り者。
そう、噂には、鬼殺隊の内実を把握している者でなければ知り得ない情報が含まれている。
悪意を以て捻じ曲げられた虚言に混じる一欠片の真実。
それが趣味の悪い怪談じみた話に信憑性を与え、燎原の火が如く市井に広まっていった原因だ。
「あぁ……鬼に取り憑かれた哀れな隊士は誰なのでしょう。早く殺して解き放ってあげなければ」
「行冥、残念ながらその者はもう鬼殺隊にはいないんだ。そして、鬼に操られている訳でもない」
産屋敷の言葉に、柱の面々が弾かれたように顔を上げる。
「お館様は、犯人をご存知なのですか!?」
「――匂坂真実。数ヵ月前に失踪した甲の隊士だよ。藤の家紋の家を襲ったのも彼女だ。鎹鴉の報告にあった、カナエたちが消息を絶つ直前に接触した者も、匂坂と特徴が一致している」
「……そいつが、胡蝶たちを殺したということですか? 鬼舞辻に鬼にされたと?」
「いや、藤の家紋の家で事件が起こったのは全て昼間だ。鬼避けの香もある。彼女は今も人間のまま、自分の意思で行動しているんだよ」
「なんと……。斯様に道を誤るとは……生まれて来たこと自体が可哀相だ」
「鬼を滅殺してこその鬼殺隊。匂坂の処罰は斬首以外ありえないと存じます」
「ならば俺が派手に頚を斬ってやろう。誰よりも派手な血飛沫を見せてやるぜ」
柱たちはそれぞれ、匂坂真実を誅伐すべき敵と見定め、いかにして見つけ出し捕えるか意見を交わし始める。
「お、お館様……!」
その喧騒の合間を縫って、少女の震え声が響いた。
アオイが、胸元で両手を固く握りしめて産屋敷を見つめている。
「本当にあの人が……匂坂さんがそんなことをしたんですか? カナエ様としのぶ様を――こ、殺して、他にもたくさん、だなんて。いったいどうして……! どんな理由があって……!?」
一隊士に過ぎない身の上で鬼殺隊当主に疑義を申し立てるなど、平素の彼女であれば決してしなかっただろう。
しかし、この場で明かされた事実は、少女が黙して受け止めるには苦しすぎたのだ。
自分たちが治療した人物が大罪人に身を堕としたこと。カナエとしのぶが、もう戻ってこないこと――。
産屋敷は、少女の強張った顔を見返してゆっくりと語りかけた。
「匂坂真実がしたことは紛れもない事実だ。でも、彼女がどうしてそうしたのかはわからない。私にも、誰にも、他者の心の奥底は見通せないからね。そして、私の
「……っ……」
「辛いだろうけど、どうか、前を向いて、君は君のできることに力を尽くしてほしい」
アオイは唇を噛みしめて俯く。庭の玉砂利に、涙の粒が散った。
嗚咽する少女から視線を虚空に移して、鬼殺隊当主は今後の方針に思いを馳せる。
一度広まった噂を打ち消すことは容易ではない。
刀鍛冶の里も、再起不能。
(政府非公認の組織として活動するのは限界か……)
鬼の存在を公表した結果巻き起こるであろう社会的混乱。
軍と協力関係を築く過程での折衝。
日輪刀に代わる武器の開発と運用。
明晰な頭脳がはじき出す課題と対処法――産屋敷は、それらをまとめて捨てた。
ゆっくりと顔の前に人差し指を立てる。喧々諤々の柱たちが、ぴたりと静まった。
「……鬼殺隊はこれより、全戦力でもって鬼舞辻無惨を倒す。我々がやるべきは、それだけだ」
跪いた姿勢のまま、無言で顔を見合わせる四人の剣士。
その困惑を代表するように、悲鳴嶼が口を開く。
「鬼の始祖の討伐は、鬼殺隊に身を置く者すべての悲願。しかし、何故今……?」
「
それは理屈ではなく勘だった。
病の進行によって昼間でも薄暗い視界に、一人の女の姿を幻視する。
――元甲隊士・匂坂真実。
家族を鬼に殺され、鬼殺隊に保護された少女。その後育手のもとで修行し、選別試験を生き残り剣士となった……彼女の来歴をまとめればそれだけ。
際立った才能や特異体質の持ち主ということもない、言ってしまえば鬼殺隊の隊士としては平凡な人物であった。
だが今は違う。
(これは、“兆し”だ)
産屋敷の、未来予知にも等しい直感が、全力で警鐘を鳴らしている。
この千年間、大勢の犠牲者を出しながらも決して無くならなかった鬼殺隊に忍び寄る破滅の兆し。
運命の歯車というものがあるのなら、彼女の存在は、天文学的な確率でそれを狂わせた。
「――今は、鬼が滅びるか我々が敗北するかの瀬戸際なんだ。鬼舞辻を誘き出す策は私が整える。多くの子供たちが死地へ赴くことになるだろう……君たちも含めて」
「御意。お館様の命令とあらば」
突如たる最終決戦の告知にも、死ねと命じるに等しい言葉にも、不満の声は上がらない。
四人が粛然と額づくのを見届けて、産屋敷はその背後、襖の向こう側にいる人物に呼びかける。
「そういうわけだ、協力してくれるね? ……愈史郎くん」
◆◇◆◇◆◇◆
「ふふ……」
朝食の
このところ、新聞社はどこも連続一家惨殺事件に関する話題で持ちきりだ。
読者の興味を煽るためか、『白昼の凶行』『酸鼻なる殺害現場』などとおどろおどろしい見出しが紙面を飾っていた。
相変わらず細かい字の判読は容易ではないが、そこには被害にあった家の家紋がすべて藤の花であったことや、事件の前後で、刀を差した黒服の不審な人物が目撃されていたことも書かれているようだ。
(これで少しは、お館サマをびっくりさせられたかな?)
――と、向かいから伸びた手がくしゃりと紙面を握りつぶした。
眉間に皺を寄せた無惨が、私から取り上げた新聞を無造作に放り投げる。
「食事中に新聞を読むなど、行儀が悪いぞ」
「ごめん」
床に物を投げ捨てるのは行儀悪くないのか、と思ったが黙っておいた。
「だって、気になるじゃない。この事件は、なるべく世間で騒がれてこそなんだから」
自分が襲撃した藤の花の家紋の家は、これまでで五軒。
子供らしき肉塊も、年寄らしき肉塊も、一人残らず殺して縁側に首を並べてやった。
鬼殺隊が長い歴史の中で作ってきた協力者のうち、片手で数えられる程度を潰したところで、大した損失ではない。しかし、こうして新聞で大々的に報道されれば、見せしめとしては充分だ。
胡蝶カナエから剥ぎ取った隊服を纏い、日輪刀を差していれば、これまで訪ねた家の人間は全く警戒することなく招き入れてくれた。
だがこの記事を読んだ者はどう思うか?
――「鬼殺隊に協力したら消される」「鬼狩りを装った殺人犯が徘徊している」
人喰いの化け物を刀一本で討ち取る「鬼狩り様」とはすなわち、殺人者に変じたなら常人には決して抗えぬ脅威。
それが日中であろうと藤の香を焚いていようと襲ってくるやもしれないとなれば、鬼より恐ろしいことだろう。
私が起こした事件は、鬼殺隊の存在を知る者たちにその危険性を突きつけた。
藤の家紋の家は、かつて鬼狩りに命を救われた一族。しかし、現在の自分たちの命が脅かされてなお、過去の恩義を優先するならそれは善行でなく愚行である。
無惨はテーブルに頬杖をつき、小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「産屋敷も存外だらしないものだ。鬼狩りに不都合な情報は世に出る前に差し止めるものと思っていたが」
「普段ならね。刀鍛冶の里が潰されたから、そちらの対処で手一杯だったんでしょ」
……以前、笛の音で神経を狂わせる鬼に新人隊士が大勢殺されたことがある。
鬼舞辻無惨が新たに編み出した血鬼術は、系統としてはそれに近い。規模とえげつなさはそれを遥かに凌駕するが。
私の脳の認知障害を再現した、五感全てを狂わせる血鬼術。その効果範囲は隠れ里まるごと一つに及ぶ。
自分の場合は、脳に傷を負ったという予備知識があったことに加え、当初は視覚のみの異常であったから発狂を免れたが、なんの前触れもなくこの術をかけられた者は、悍ましい化け物が跋扈する異界に攫われたとしか思えないだろう。
事実、血鬼術を発動した直後から、里は阿鼻叫喚の坩堝と化し、住民たちは互いに殺し合って果てたという。
厄介な脳障害も、こんな形で役に立ったのは喜ばしい。
「それに、新聞社に圧力はかけられても、市井の人たちの口を塞いでまわることはできないよ。童磨さんから聞いたんだけど、異常者集団キサツタイの噂、だいぶ広がってるみたい」
「……そうか」
「特に私が事件を起こした近所では、たまたま黒っぽい服を着てただけの人が暴行を受けたり……傑作なのはね、藤の家紋の家以外のところで、鬼殺隊を名乗る強盗が押し入ったんだって」
怪我や疲労の概念の無い鬼には、後方支援の重要性はピンと来ないようだが……いかな大木も根を切り土を腐らせれば枯れるのが道理。
日輪刀を作る刀鍛冶の里は壊滅し、藤の花の家紋の家も襲撃を恐れて手を差し伸べず。
鬼の存在を知らぬ人々からは鬼殺隊こそが危険な犯罪者扱い。
騒ぎに便乗した模倣犯まで現れたとなれば、警察の取締りも厳しくなるだろう。
(ほかに、もっと鬼殺隊を追い詰めるには……)
肉の最後の一欠を咀嚼して、残った骨を弄びながら沈思する。
「童磨さんの寺院に、柱をおびき寄せられるといいな」
「……」
胡蝶カナエが死んで、残る柱は四人。男の肉は好みではないそうだから、四肢を切り落として達磨にしてもらおうか。
冷気を操る血鬼術で傷口を凍らせれば、失血死は免れるだろう。
――命を懸けて戦う隊士にとって、最悪の結末とは、死ではない。
死の苦しみは一瞬。だが体に障害を負って生きる不自由さ、惨めさはずっと続く。その辛さは、他ならぬ私自身が知っている。
鬼と戦って死んだ者は英雄。しかし身動きすらままならない状態になって続く人生は、周囲の者にとって憧れの英雄譚ではなく、二の舞になりたくない「現実」であろう。
柱を無力化し、下位の隊士の士気を挫く。うん、なかなかいい考えだ。あの土地でカナエとしのぶが消息を絶った以上、こちらがおびき寄せるまでもなく柱が派遣される可能性もある。
「ねえ、このあと童磨さんのところに行きたいんだけど――」
「ダメだ」
「え?」
そうとなれば
コツコツと指先でテーブルを叩きながら、紅梅色の瞳を眇めて私を睨む無惨。
白皙の美貌に、稚気じみた不満が滲んでいる。
これは怒っている……というか、拗ねている?
「先程から童磨童磨と……私と話すより楽しいか?」
「いや、鬼殺隊のことを相談したくて……」
「なら私でいいだろう。あやつは外見は少し良いかもしれんが性格は――」
「無惨以外の外見の良し悪しとかわかんないから!」
あらぬ疑いを言下に否定するものの、無惨の文句は止まらない。
「だいたいお前は今朝から上の空ではないか。この私が目の前にいるというのに」
「うん確かに綺麗な顔をじっくり見ないのは勿体なかったけど!」
無惨のために敵を排除するべく思考を巡らせていたのを上の空と言われるのは心外だが、彼にとっては自分を前にして余所事に関心を向けることこそが許しがたい不実であるようだ。
私が読んでいた新聞を取り上げたのも、自分を見ろという意思表示だったのかもしれない。
……結局、無惨の機嫌を治すのにその後一晩かかった。