無惨様しか美しく見えなくなった鬼狩りの恋 作:029
無限城の奥深く。
海外から取り寄せた最先端の実験道具が所狭しと置かれた一室がある。
その部屋の中央で、人喰い鬼の首魁――鬼舞辻無惨は、最近になって始めた新たな実験に勤しんでいた。
ぐち。
ぐちゅり。
拘束衣に身を包み、頭部を切り開かれた哀れな人間。その露出した脳に無惨は器具を差し込み、ある部位を破壊し、またある部位に電流を流し……と、様々な刺激を加えていく。その度に被験者は満足に動かぬ体を痙攣させ、口枷の隙間から苦悶の呻きを漏らす。
世にも悍ましい開頭実験を行いながら、無惨の端麗な貌には何の感情も浮かんでいない。人間がカエルを解剖するよりも無感動に、黙々と反応を帳面に記録しながら、背中で配下の報告を聞く。
「――というわけで、今日も目立った変化はございません。いやあ、それにしてもあの鬼狩りの娘、すっかり無惨様に骨抜きになっております。流石は無惨様!」
「……」
(……匂坂、真実……)
上弦の弐・童磨の軽口を聞き流しつつ、無惨はこの実験に着手する切欠となった出来事を回想する。
あの日、通りすがりの人間をバラバラに切り刻んで殺し(何か相手が気に障ることを言ったのが理由だが、よくあることなので仔細は憶えていない)立ち去ろうとしたその時に、もう一人の人間の気配に気付いた。
本来ならその一人も即座に肉片の仲間入りをする筈であったが、そうはならなかった。
木立の間から姿を現したのは、窶れた顔をした若い女だった。
長患いでもしているのか、肉体に活力が無く、またそれ以上に生きようとする気力ともいうべきものが大きく損なわれた――鬼の無惨をして、あの世から迷い出た幽鬼を思わせる女だった。
そんな第一印象を塗り替えたのは、女の目である。
人間だったモノの残骸と血溜まりの中に佇んでいる輩と遭遇すれば、まず相手が抱く感情は恐怖、嫌悪……加えてよほど気の強い性格であれば憎悪といったところだろう。
しかし女の眼差しに、それらは微塵も浮かんでいなかった。
あるのは――歓喜という表現でも足りない、まるで森羅万象のなによりも尊いものを見るような輝き。
利発な子供、美しい女……千年を生きる鬼の始祖にかかれば、相手にとって好ましい容姿に擬態することなど造作もない。実際無惨はそうやって様々な時代と場所を人間に紛れて過してきた。目的のために利用した彼ら彼女らは、いつも無惨を理想の家族あるいは恋人と信じて疑わず、愛情を向けたものだ。
けれど女の瞳に宿るのは、千年間で関わった者全ての好意を合わせても敵わないほどの熱く、鮮烈な感動。
その輝きに射抜かれて……鬼舞辻無惨は、少なからず動揺した。
会話をするうちに知れたことだが、彼女は周囲に散らばる死骸を死骸と認識できていなかった。
極めて奇態な脳の機能障害に侵され、何もかもが歪み狂って感じられる世界で、彼女が唯一正常と見做したヒトは鬼の始祖であり……果実のように美味と感じる食物は、人間の血肉であった。
人を喰らう鬼は滅殺すべしと剣を振るってきたはずの鬼狩りが、嬉々として人肉を口にする様はなかなかに愉快だった。
「……それで、あの娘、まだ鬼にしないのですか?」
その問いに、実験記録を書き込んでいた手が、ふと止まる。
周囲の人間誰もが醜い肉塊として目に映る障害に苛まれていた相手から、信頼を得るのは容易かった。
更に愚かしいことに、彼女は鬼舞辻無惨に……正確には無惨が演じる人間の紳士"月彦"に恋心を抱いたらしい。鬼殺隊に関する話も、少し水を向けてやれば寝物語にいくらでも聞き出せた。
会話に飢えていた彼女からすれば、部外者に情報を漏らしている自覚すら無かったのかもしれない。
(馬鹿な女だ……)
"愛"など下らない。
親の仇、子の仇、兄弟の仇と馬鹿の一つ覚えで鬼に挑み、死んでいく鬼狩りの異常者達を思い浮かべる。
自分が生きることのみに固執する無惨からすれば、愛する者のために己の命を擲つ彼らの行動は理解の埒外にある。
とりわけ、恋愛感情ほど馬鹿げた"愛"の形は無い。
老いて死ぬ定めに縛られた、脆弱で不完全な生物が子孫を遺そうとする本能。それを人間は、美しく崇高なものと錯覚しているに過ぎないのだ。
自分という一個体が永遠に生き続けるのであれば全く必要のない、無意味で無価値な衝動である。
加えて人の世では、恋が成就しないことを悲観して死を選ぶ本末転倒の例すら枚挙に暇がないとくれば、無惨にとってなべて恋愛など狂気の沙汰であった。
都合よく利用することはあれど、理解などできないし、したいとも思わない。
匂坂真実との交流も、今まで数え切れないほど繰り返してきた、一方的に相手の好意を利用し、自分の目的を達するための偽りの関係である。
……そうして鬼殺隊の情報を得られたとはいえ、所詮は柱に及ばぬ甲隊士。目ぼしい成果は、日輪刀を造る刀鍛冶の里の位置がある程度絞れたことくらいか。
つまり、匂坂真実という女の利用価値はほぼ失われた。
彼女の認知障害の仕組みを解明するために脳を切り刻まれ、用済みとなった実験体たちと同じく、適切に処理すべき段階に入っているのだ。
鬼にする。
……悪くない。
呼吸を修め、それなりの年月経験を積んできた剣士であれば、すぐ十二鬼月の下弦程度にはなるだろう。
童磨の報告によれば、鬼殺隊への未練も残っていない様子であるし、どうせ人肉しか受け付けないのであれば、喰らうだけ強くなる鬼として鬼舞辻無惨に仕えるべきだ。
鬼になって、自分の足元に平伏する元鬼狩りの女の姿を思い浮かべる。
悪くない。……悪くないはずだ。
――――無惨の手を取り、安心しきった表情で微笑む彼女はいなくなる。
「あれ? それとも殺してしまうので?」
「……」
無言で思考を弄ぶ無惨に、童磨は意外そうに質問を重ねた。
殺す。
……それも、悪くは、ない。
手にかける前に、何もかも教えてやるのも一興か。
お前が身も心も許した相手は憎むべき鬼の始祖だと、お前が喜んで食していたのは人の血肉だと伝えたら、あの女はどんな顔をするのだろう。人間であった頃の妻たちのように、絶望し涙を流して、自ら命を断つやもしれない。
目障りな鬼狩りの惨めな死に様を眺めれば、いまだ太陽克服の糸口すらつかめぬ苛立ちも少しは紛れる気がする。
…………悪くない、はず、だ。
――――無惨を見つめて、心の底から幸福そうに笑う彼女はいなくなる。
「無惨様、あの娘を喰う時は是非俺もご相伴に! 女は沢山喰ってきましたが、共食いをした人間の味はまだ知ら――」
ゴシャッ!!
「……」
帳面に、最後の実験記録を書き終える。
「あの鬼狩りについては、今しばらく観察を続ける。貴様は監視を怠るな」
童磨は感情が希薄で他者への共感性に欠ける反面、宗教の教祖として、人間と接するのに慣れている。
あまり好きな部下ではないが、彼女の見張りと心理状態を探らせるには適任だ。
「は……ぃ……ゎか……ま……」
奇妙に途切れがちな返答に、眉根を寄せて振り返る。
刃物状に変形した無惨の左腕に絡まる、白橡の髪と肉片。
清潔を保つべき実験室の壁に、床に、血飛沫が飛んでいる。
上弦の弐は、主に吹き飛ばされた頭部を再生させている真っ最中だった。