無惨様しか美しく見えなくなった鬼狩りの恋   作:029

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第四話 真心

匂坂真実の処遇について、決定を先延ばしにしたまま更に数日が過ぎた頃。

久しぶりに訪れた彼女の居室は、以前と少し変わっていた。

彼女の視覚の狂いぶりを如実に示す毒々しい色彩に染められた室内は相変わらずだが、無惨が来ると飼い主を見つけた子犬よろしく喜色満面で出迎えていた女が、今日は姿を現さない。

 

「……」

 

無言のまま室内に歩を進めると、女は床に座り込み、周りに散らばった紙に顔をくっつけるようにして見入っていた。

手元に影が差したことで、ようやく無惨の存在に気付いたらしい女が上体を起こし、にこりと微笑む。

「おかえりなさい。お仕事、忙しかったんですか?」

「……何をそんなに熱心に見ている?」

数日ぶりだというのに、さして驚きも喜びもせず、落ち着いた調子で話しかける匂坂真実。

それが妙に腹立たしく、質問を無視して逆に問いかける。

女は無惨のすげない口調を気にした風もなく、手にした紙を広げて見せる。それは地図だった。周りにある紙に書かれているのは、彼女がたどたどしい筆使いで写した地名らしい。

 

「私もいつまでもここにいるわけにいきませんから、地図くらいは読めるようにと思って」

「……ここを出ていくと?」

「はい。住んでいた家に戻れば、いくらか貯えがありますし少しの間ならなんとか――」

 

女の声が脳を素通りしていく。

 

ダン、と床を打ち付ける鈍い音。

こちらを見上げる女の顔。

女の手首の脈動が、掴んだ手を通して無惨に伝わる。このまま握り潰してしまいたい気分だった。

 

「私を待つのが一番の楽しみだといった、あれは、嘘か」

 

腹立たしい。

せっかく自分が会いに来てやったのに、平然とした態度の女が。

従順にしていればもう暫く飼ってやる予定であったのに、立ち去る算段をしていた女が。

わけもわからず、腹が立って仕方がない。

 

「――()()()()

 

人間としての仮の名で呼びかけられる。

冬の夜空を思わせる澄み切った瞳。

最初に出会った時と同じ、ひとかけらの負の感情も宿らない眼差しに見つめられて、急速に頭が冷えた。

……品行方正な紳士である"月彦"は、こんな風に女を押し倒したりしない。荒い言葉遣いで女を脅したりしない。

「……すみません、少々驚いてしまいました。ここでの生活に、不満がありましたか?」

"月彦"の仮面――心配気な表情を作って、床に組み敷いていた身体を離す。

解放された女は、無惨の暴挙に怯えるでも無く、ゆるゆると首を振った。

「不満なんてとんでもない。これまでの人生で、今が一番幸せなくらいです」

「では何故出ていこうと? こう言ってはなんですが、貴女の状態で一人でやっていくのは難しいでしょうに」

女が居住まいを正し、まっすぐにこちらを見る。

 

「青い彼岸花を探そうと思うんです」

 

予想外の返答に、無惨は瞠目する。

――青い彼岸花。

千年前、無惨に投与された薬に使われていた原材料。完全な不死となるために探し求めている花。

 

「なぜ……そのことを?」

「ずっと考えていたんです、私は貴方に救われたから、私も貴方のために何かしたいって。童磨さんに相談したら、"あの方はずっと青い彼岸花を探してるんだ"って教えてくれて……」

 

(童磨め、余計なことを)

念話で叱責し、痛めつけてやろうかと思ったが、いつものようにヘラヘラと中身の無い謝罪をするだけなのが予想できてやめた。

無惨の内心の苛立ちを余所に、女は脇に除けていた画用紙を得意そうに見せてくる。

「ほら、こういう色が"青"で、こういう色が"緑"だって憶えましたから、こう見える花を探せば良い。今の私にだってそれぐらいできます」

紙面には、青く細い花弁の花と、まっすぐに伸びる茎が描かれていた。どうやら無惨が顔を出さなかった数日間、彼女は自分の目に映る物と実際の物の色形をすり合わせるべく努力していたらしい。

(しかし、理解できない)

この女が外で捜し物ができると言い張る根拠はわかった。だが――

 

「なぜ……」

「?」

「なぜ、そこまでしようとする? 私が命令したわけでも無し、外に出れば苦労するのはわかりきっているだろう」

世界の全てが狂って感じられる女に、自分が与えてやった安住の地。なぜそれを捨ててまで、地獄に等しい外界に舞い戻ろうとするのか。

「自分が何かしてもらったら、それに報いたいと思うのは当然のことじゃありませんか?」

女が小首を傾げて微笑む。その柔らかな表情が、一層落ち着かない気分にさせた。

「――私はそうは思わない。お前の考え方は、鬼殺隊にいた時と同じ、異常者のそれだ」

思い出すのは、あの夜森の中で聞いた、彼女の懺悔めいた述懐だ。

家族を殺され、自分だけ助かった贖罪のために鬼を狩ってきたという匂坂真実の言葉。

死と隣合わせの戦いに身を投じる理由として、これほど愚かしいものは無いと思った。

 

鬼に殺されるなど、大災にあったと同じことだ。

天変地異から生き残ったとして、そのことに罪悪感を抱く必要が何処にあろう。自分の幸運に感謝して、日銭を稼いで静かに暮せば良いだけの話である。にも関わらず、鬼殺隊などに入って、折角拾った命を危険に晒す。自分が受けた恩は必ず返さねばならないと、助けられた分誰かの役に立たなければならないと強迫観念に囚われている。

近い未来、精神医学の分野がもっと進歩すれば確実に何らかの病名がつく心理状態だ。

 

……冷静に考えれば、匂坂真実の提案は悪くない。

千年間配下の鬼を使って見つけられなかった花を、彼女が見つけ出す可能性は限りなく零に近いだろう。だが彼女を放逐したとて、鬼舞辻無惨に不利益になることも無い。なぜか鬼にする気にも殺す気にもなれなかった女だが、ここに留めても利用価値は無く、外で野垂れ死んだなら、始末する手間が省けるというものである。

 

しかし、無惨が救ってやった――無惨と同類の、生きることに貪欲なはずの女が、未だに鬼殺隊にいた頃と同じ思考でいるという事実が、無性に癪に触るのだ。

 

眦を釣り上げて睨む無惨の顔を静かに見返して、女はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……それは違います。あの頃みたいに後ろ向きな動機で言ってるんじゃない」

「何も違わない。お前は我が身を危険に晒し苦しめることで、罪滅ぼしをした気になりたいだけだろう」

「ええ、確かに鬼を狩っていた時はそうだった。自分は幸せになんてなれない、なっちゃいけないと思ってた。でも――」

言いさして、髪の毛を指先で弄る。……たしかあれは恥ずかしがっているときの癖だ、と無惨は思った。

 

「今は、自分も幸せになって、貴方も幸せにしたいと思ってる。…………好きな人が探してるものなら、私が見つけて、喜んでもらいたい」

 

その言葉を聞いた瞬間、鬼舞辻無惨はかつて無い感覚に襲われた。

五つの脳と七つの心臓が震え、全身が炎にくるまれているかのように熱い。

鬼の細胞が暴走し、ヒトの形を保てなくなるのではと危惧するほどの不可解な情動――それを、理性を総動員して抑え込む。

 

「……わかりました。真実(まみ)さんがそこまで言うのなら無理には止めません」

 

(この女から離れなければ)

この女と言葉を交わしたら、否、視界に姿を捉えているだけでも、またあの妙な感覚がやってくる。

これ以上、匂坂真実を無限城に置いておくわけにはいかない。

拳をきつく握りしめ、平静を装って未知の現象に耐える無惨に、何も知らない女はパッと顔を輝かせた。

「ありがとうございます! あ、あともう一つ頼みがあるんです」

「なんでしょう?」

「その……無理に敬語で話すのはやめて下さい。さっきまでや、初めて会った時の話し方が、貴方らしくて好きですから」

「…………わかった。では真実(まみ)も同じように話してくれるかな?」

「はい――あ、うん。私も、このほうが嬉しい」

喜びに満ちた女の顔からそっと目を逸らす。再びざわめき始めた細胞を鎮めるために。

 

(本当に、馬鹿な女だ)

鬼の始祖たる鬼舞辻無惨を、正体を知らぬままに好きだと言う。

絶望的な障害を抱えながら、今が一番幸せだと言う。

五感全てが狂った身で、青い彼岸花を探しに行きたいと言う。

好きな人が探しているから、見つけて喜んでもらいたいのだと言う。

きつい言葉遣いのほうが、貴方らしくて好きだと言う。

 

 

(――これほど馬鹿な女に出会ったのは、千年間で初めてだ)

 

 

 

 

 

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