無惨様しか美しく見えなくなった鬼狩りの恋 作:029
愈史郎と珠世は、人を喰らう代わりに貧しい者から血を購入して命を繋いでいる鬼である。
しかしその日、血を売りたいとやってきた女は、愈史郎の目に些か奇妙に映った。
年の頃は二十代半ばほどか。華美ではないが仕立ての良い着物を着ており、採血のために差し出した手に皹やマメも無い。
およそ自分の血を売るほど生活に窮している人種とは思えなかったが、だからといって断る理由もない。貧しさから売血を繰り返した人間の血液は、赤血球が減少し、"黄色い血"と呼ばれる劣悪なものとなってしまうのだ。
(美しい珠世様が口にするんだ、健康で質の良い血がふさわしい……!)
採血の準備をしながら、日課である珠世への賛辞を心の中で並べ立てる兪史郎。腕に駆血帯を巻かれた女は、診療所をゆっくりと見回していた。
「――この建物は」
不意に女が口を開く。感情の伺えない、平坦な口調だった。
「はい、なにか?」
珠世が注射針を刺そうとしていた手を止めて聞き返す。(嗚呼、珠世様は声も美しいぞ!)
「この建物は、窓が全て閉め切られているんですね」
「……貴様、それがどうした!」
「およしなさい、愈史郎」
「申し訳ありません!」
「助手が失礼しました。……ええ、薬の中には、暗所で保管しなければならない物も多いので、日差しが入らないようにしています」
「……」
女はじっと愈史郎と珠世を見つめる。
虫籠の中の虫を観察するような……違う世界から気まぐれにこちらの世界を覗き込むような眼差し。愈史郎はその視線に、単純な不快感とは異なる、不吉な感覚を覚えた。
「もうひとつ質問を。――あなたがたは、本当に人間?」
「……ッ!!」
何を考える間もなく身体が動いた。
目の前に座る女に、ものも言わずに殴りかかる。
その顔に拳が触れるよりも速く、女が撥条のように椅子を蹴立てて立ち上がる。
――ヒュゥゥ……
女の引き結んだ口から漏れる奇怪な呼吸音。
振り抜いた腕に女の細指が巻き付く。
「がっ……!」
胸と顎を強かに打ち、鬼らしからぬ無様な苦鳴が零れた。
女は愈史郎の手首を背後に捻り上げ、残りの手と片膝で採血台に押さえつけている。
一切無駄のない剽疾な挙動だった。
「ゆ、愈史郎!」
「珠世様、俺に構わずお逃げ下さい! この醜女、鬼狩りです!」
まさか売血に来た一般人を装って接触してくるとは思いもよらなかった。
独特の呼吸法によって身体能力を底上げした女の拘束は、男で、鬼の愈史郎が死にものぐるいで暴れても振り解けない。
(鬼狩りめ、斬るなら俺だけにしろ。珠世様は、珠世様だけは守ってみせる――!)
あらんかぎりの憎悪を込めて女を睨め上げる。
女は――そんな愈史郎の眼差しを受けてどこか困惑した様子で首を傾げた。
「……あの、なにか誤解してないですか? 私は鬼狩りじゃありません」
「は?」
この状況で何を言うか。珠世もまた、目を丸くして呆気にとられている。
(驚いたお顔も美しいです、珠世様!)
「そんな……あなたのそれは鬼殺隊の者たちが使う"呼吸"です。それに私達の正体に気付くなんて……」
「ええ、たしかに少し前まで鬼殺隊に所属していました。でも任務で負った怪我が元で辞めたんです。あなたがたが他の人と違うように感じられたので気になっただけで、討伐しに来たわけでもありません」
この通り日輪刀も持っていませんし、と抵抗を止めた愈史郎を解放し、両手を広げてみせる。
「……だったら、何が目的だ!? 俺は珠世様と二人で過ごす時を邪魔するものが大嫌いだ、許せない!」
「何がって、そりゃあ……」
毛を逆立てた山猫のごとき剣幕の愈史郎に、元鬼狩りだという女は苦笑しつつ蹴倒した椅子を元通りにして座る。
そして駆血帯を結び直すと、台に腕を乗せて言った。
「お金が要るので、血を売るのが目的です」
◆◇◆◇◆◇◆
「そんなに睨まなくても、あなたがたのことを鬼殺隊には報告しませんよ。だいぶ不義理な辞め方をしたので、私としても鬼殺隊と接触するのは都合が悪いんです」
日の落ちた道を女の後について歩いていると、肩越しに振り返った女が言う。
「……もっとさっさと歩いてほしいだけだ。はやく珠世様のところに戻りたい」
浅草の街は近年急速に発展し、夜でも明るく賑やかなぶん、破落戸や酔客も多い。
(こんな醜女を襲う男などいないだろうに、駅まで送ってやれなどと、なんとお優しい珠世様!)
「あなたは、珠世さんのことが好きなんですね」
「……」
愈史郎は真っ赤になって黙り込む。
女は足を止めて兪史郎に向き直った。
「じつは私も好きなひとがいるんです。……愈史郎さん、ぜひ相談に乗ってくれませんか」
「なんで俺が……!」
「鬼だけど医者でもある珠世さんの助手なんでしょう? だったら、恋の
しれっとした顔でとんでもない屁理屈を言う女をぶん殴りたくなったが、また躱されて組み伏せられたくないので我慢する。
女は身じろぎもせず愈史郎の返事を待っている。どうやら、愈史郎が頷くまで歩みを再開する気はないらしい。
「はあ……手短に話せ。それと、俺が役に立てるかはわからんぞ」
「愈史郎さんだからこそ相談したいんです。――おぞましい人食い鬼である珠世さんに恋をしているあなたにこそ」
「!!……貴様、珠世様を侮辱するかッ!?」
「黙って聞いて」
「……っ」
女は声を荒げてもいない。武器の一つも持っていない。
にも関わらず、珠世を人食い鬼呼ばわりされて激高する愈史郎を押し止める何かがあった。
「あなたがたが鬼舞辻無惨を倒したいと思っているという話も、人を襲わず血を買って暮らしているという話も信じています。でもそれは、
「……」
愈史郎は何も答えられない。否定しようのない事実だからだ。
「……私は、あるひとに出会って、初めて恋をしました。でも――そのひとは、好きになってはいけない相手だったんです」
ジジ、と音を立てて街灯が点滅する。
俯いた女の表情は見えず、けれども声音には苦しげな響きがあった。
「好きになっちゃいけなかったのに、私はどんどんその人に惹かれていく……その人なしじゃ耐えられなくなっていく……!」
微かに女の肩が震えているのは夜風の冷たさゆえか、それとも。
「愈史郎さん、あなたはどうですか? 珠世さんが悪い鬼でも……それでも、好きでいていいと思ってるんですか? その気持ちは、許されるものだと思ってるんですか?」
顔を上げた女の双眸は、今までのどこか違う次元から無感動にこちらを眺めるものではなくなっていた。
怯えを孕んで、しかし決して相手の逃亡を許さぬ意志を秘めた眼差し。
「――」
愈史郎はこれまで、直接鬼狩りと相対したことはない。
けれど、この女は鬼殺隊であった頃、きっとこんな目をして鬼と戦っていたのだろうと思った。
とはいえ、今自分と女の間で行われているのは、戦闘ではなく問答だ。
そして投げられた問に対する答えなど決まりきっている。
(俺は自分の気持ちから逃げたりなんかしない)
「――誰かを好きになるのに、良いも悪いもあるか」
女は戸惑いの表情を浮かべて瞬いた。
「ああそうとも。珠世様だって何も罪を犯さなかったわけじゃない、だがそれは、珠世様を愛さない理由にはならない」
愈史郎は珠世の過去を断片的にしか知らない。元鬼狩りの言う通り、彼女がその手を血に染めたこともあったのだろう。
それでも愈史郎にとっての彼女は、不治の病に冒された自分を救ってくれた、この世の何よりも尊い女性なのだ。
「たとえ世界中の人間が珠世様を許さなくても、俺が珠世様の全てを許す! 神仏が珠世様に罰を下すというなら、俺が代わりに地獄に堕ちてやる! それが――」
それが、愛するということだろうが!!
夜気の中に声の余韻が消えていく。
女は愈史郎の勢いに気を呑まれたように黙っている。
「おい、なんとか言ったらどうなんだ!」
感情のままに秘めていた思いの丈を吐き出してしまったことに気付いて、八つ当たり気味に怒鳴る。
「ああ、うん……えーと……"ごちそうさま"?」
「貴様俺が勝手に惚気けたとでも思ってるのか!?」
「いや、ごめんなさい。想いの深さに圧倒されて」
ペコペコと頭を下げたあと、女は夜空を見上げて寂しげに微笑んだ。
「……愈史郎さんは、とても素敵な恋をしてるんですね」
ざっくりオリ主の認識まとめ
人間:くっそキモい肉塊
鬼:ちょっと違うくっそキモい肉塊
無惨の血が濃い鬼:ちょっとマシな肉塊
鬼舞辻無惨:鬼舞辻無惨
「鬼殺隊に"は"報告しませんよ」