無惨様しか美しく見えなくなった鬼狩りの恋   作:029

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※※注意※※

胸糞展開です。

珠世、愈史郎好きの方、誠に申し訳ありません。






第七話 反転

 

 

 

ポツリ、と屋根に板を打ち付けていた手に雨粒が落ちてきて、愈史郎は舌打ちした。

秋の台風が近づいており、正午を回ったばかりというのに空は鉛色の雲が垂れ込めて薄暗い。

雨が振り始める前に建物の補修を済ませたかったが、天はこちらの都合など知ったことではないようだ。

せめて本降りになるより先に終わらせようと金槌を握る手に力を込めるも、その出鼻を挫くように下から「ごめんください」と声をかけられた。

「……」

追加でもう一つ舌打ちをして、屋根から飛び降りる。

 

「こちらは、珠世さんの病院で間違いありませんか?」

いつのまにやって来たのか、女が一人、診療所の前に立っていた。

黒い正絹の地に、金糸銀糸の刺繍がふんだんに施された振袖を婀娜っぽく着こなした芸妓風の女である。金赤の蛇の目傘をやや前に傾けて差しているので、顔はよく見えない。

「そうだが、診察か……ゴホン、診察ですか?」

鈴を転がすような笑声を零して女はかぶりを振る。

「いいえ。昔、彼女にお世話になった者です。この辺りにお住まいと人伝に聞いて、ご挨拶に参りました」

そう言われて女の顔を窺うも、やはり繊細な顎の曲線と紅を引いた唇が僅かに見えるばかりで、これまでの患者の顔と通じるものは見出せなかった(愈史郎は珠世以外の女の顔に興味がないので、仮に顔が判別できても記憶に残っているかは甚だ怪しいのだが)。

「そういうことでしたら取り次ぎますが……あなたの名前は?」

その問いに、女の血のように赤い唇が笑みを形作る。

つり上がった口元から覗く、尖った牙。

艶麗な芸妓の姿に似合わぬ低い声が、

 

 

「――鬼舞辻、無惨」

 

 

そう名乗った。

 

「な……!?」

女のたおやかな腕が、凄まじい速度で愈史郎の頭を鷲掴む。

 

鋭利な爪を備えた五指がずぶずぶと脳にめり込んでいく――その悍ましい感触を最後に、愈史郎の意識は断絶した。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

津久見瑶佑は、想い人の後ろ姿が寂れた一軒家の中に消えていくのを複雑な眼差しで見つめていた。

花柱・胡蝶カナエが、匂坂真実に出会ったという駅前の広場で彼女を探し続けて数日。

雨にけぶる視界の中で、駅から小走りに去る彼女を見つけた時は、祈りが天に通じたのだと思った。

それでもその場で呼び止めることができなかったのは、あの日彼女に拒絶された記憶が、瑶佑の足を竦ませたからである。

ずっと彼女の身を案じ、再会を待ち望んでいながら、瑶佑は彼女にどう言葉をかければ良いのか、未だに判じかねていた。

結局、距離をとったまま後を追い、彼女の今の住まいらしい民家の前で思案にくれている。

降りしきる雨が、隊服を濡らしていく。開発の波から取り残されているのか、駅に近い割には閑散とした一角とはいえ、いつまでも雨の中立ち尽くしていたら近隣住民から怪しまれるだろう。

(家はわかったし、出直すか……?)

そんな弱気な考えを抱き――即座に頭を振って否定する。

「今出来ることがあるのに、やらなくてどうするんだよ」

あの時とは違うのだ。

匂坂真実が自分を庇って鬼の牙にかかるのをなすすべもなく見ていたあの時とは。

蝶屋敷に搬送される道中、血まみれの彼女の名を馬鹿みたいに呼び続けるしかできなかったあの時とは。

 

(……とにかく落ち着いて、マミの話を聞こう。うん、それが良い)

 

匂坂真実との付き合いは長い。

彼女は十代の少女の頃から理性的で、冷静に状況を判断することに長けた剣士だった。同時に真面目すぎるところがあり、弱音を吐いたり、自分を甘やかすのが下手な女の子でもあった。自分はそんな彼女が一緒に任務をこなすうちに気になって、しょっちゅうおどけて笑わせようと躍起になったものである。

……そうしていつしか、自分が一番近くで彼女の笑顔を見たいと願うようになっていたのだ。

あの日、自分の一世一代の告白を手酷く撥ね付けられたのは悲しかった。

しかし衝撃が過ぎ去った後に湧いたのは、あまりにも彼女らしからぬ態度への疑念だ。

 

ようやく面会が叶った喜びが心を占めていた当時はわからなかったが、落ち着いて思い返すと、あの日の真実(まみ)は最初から様子がおかしかった。

何かに怯えた、切迫した雰囲気。

瑶佑に向ける、化け物を見るような眼差し。

そして自分を律する心の人一倍強い彼女が、仲間に向かって「助けるんじゃなかった」などと言い放つ――それほどに度を失った匂坂真実を、瑶佑は見たことがなかった。

 

あれは、瀕死の重傷を負った後の心理的負荷だけでは説明のつかない何か……余人の想像の及ばぬ苦悩に苛まれた彼女の悲鳴だったのではないか?

自分は彼女の心情を慮ることなく、自分の想いばかり押し付けてしまったのではないか?

助けを求める彼女の心を自分が汲めていれば、彼女は失踪しなかったのではないか?

だとすれば、今度こそ――

「今度こそ、俺がマミを助ける番だ」

 

以前のような失敗はしない。自分の気持ちを押し付けるのではなく、彼女の気持ちを受け止めるのだ。

匂坂真実の心を救えるのなら、どれほど辛辣な言葉を投げかけられても構わない。

彼女の意識が戻らないまま過ぎていく、あの恐怖と絶望の日々を思えば、どんな困難でも乗り越えられる。

 

両手でパシンと頬を叩くと、大股で家に近づき、玄関に手をかける。

しかし次の瞬間、瑶佑の気合は呆気なく霧散した。

 

(……何だ……? この匂い……)

 

玄関を開けて、瑶佑がまず感じたのは薬品や塗料を思わせる刺激臭であった。

外から見た時、雨戸が全て閉め切られていたが、あれは天候のせいではなく、ずっとあのままなのかもしれない。廊下に滞留する湿った空気は、換気が不十分なためか。

そして、鼻を刺す薬品臭に薄く混じる、また別のじっとりした異臭。

生臭い、それでいてどこか金属的な……鬼狩りとして戦っていれば嫌でも嗅ぎ慣れる匂いだ。

 

「…………」

 

玄関から真っすぐ伸びる廊下は薄暗く、その先を見通せない。

服から滴った水滴が土間を叩く音がやけに大きく聞こえて、瑶佑は身を固くした。

肺腑に蟠る臭気もさることながら、この家の中には、いわく言い難い危険な気配が漂っている。

なんの変哲もない筈の家屋が、まるで異界の入り口のように感じられた。

(マミ……君は本当にこんなところにいるのか……?)

家は住む人の為人を表すという。では、この不気味な家にいるのは、本当に自分の知る匂坂真実なのか。

そんな馬鹿げた疑問すら浮かんでくる。

 

家の奥からザーザーと水音が聞こえる。

おそらく真実(まみ)が、雨で冷えた身体を温めるために浴槽に湯を溜めているのだろう。

何もおかしなことはない。

妙な匂いがするのは、古い家だからだ。

何もおかしなことはない。

早く声を上げて、彼女に来訪を伝えなければ。

入浴を始めてから声を掛けられては迷惑も甚だしいだろう。ましてや、黙って家に上がり込むなど失礼極まりない。

 

――瑶佑の中の論理的な部分はそう考えているのに、なぜか肉体は息を殺し足音を潜めて廊下を進んでいた。

 

それはちょうど、鬼の縄張りに潜入した時のように。

 

心臓はせわしなく鼓動を刻むのに、手足の末端が冷たくなって感覚が鈍い。

藤襲山で最終選別に臨んだ時ですら、これほど緊張していなかった気がする。

得体の知れない恐怖が、愛しい女を救うと意気込んでいた瑶佑の心を、本人の知らぬ間に蝕んでいた。

 

 

廊下の突き当りの部屋は、台所だった。闇の中に、かろうじて家具の輪郭が見て取れる。

……異臭が、ますます強くなる。

震える手で、瑶佑は電灯を点けた。

 

「ーーーーッ!?」

 

色、色、色。

 

極彩色の狂乱が、壁を床を天井を塗りつぶしていた。

狂った人間の脳内がそのまま現実に展開したような、剥き出しの異常性。

見ているだけで自分の精神すら破壊されそうな、色彩の猛毒。

 

「ぁ、あ……」

 

鬼殺隊の隊士として培ってきた経験も度胸も、この場においてなんの役にも立たなかった。あまりにも理解の範疇を超えた光景に目眩がして、無様によろめく。

転倒を避けようと伸ばした手が、冷蔵庫の扉に引っかかった。

扉が開いて、中に保管されていた“食品”があらわになる。

 

硝子製の鉢に盛られた、赤の、紫の、桃色の臓物。丁寧に爪を剥がされた、赤ん坊の手首。

 

――飾りつけのサクランボのように、器の天辺に乗る白濁した眼球と目が合って、瑶佑を繋ぎ止めていた最後の理性の糸が切れた。

 

「月彦さん? もう来てくれたの?」

物音を聞きつけたらしい女が、パタパタと弾んだ足取りでやって来る。

脱衣所と台所を仕切る暖簾を割って姿を現した女は、床にへたり込む瑶佑を認めると、笑顔を一転して不審に歪め、「……誰?」と呟いた。

 

「あ、あは、ははは……そうか、俺がわからないなんて、やっぱりマミじゃない……そうだマミがこんなことするはずない……お前はマミじゃないマミじゃないマミじゃないマミじゃない……!」

 

ようやくすべての疑問が解けた晴れやかな心地で、瑶佑は立ち上がる。

匂坂真実は――匂坂真実にそっくりの女は、こちらを警戒するように後ずさった。

白い襦袢一枚だけをまとった肢体も、首筋に張り付く濡れ髪も、瑶佑の知る彼女とはかけ離れた艶めかしさで男を誘惑する。

 

「ずっとおかしいと思ってたんだ、マミがあんなこと言うなんて……お前だったんだな、お前がマミのふりをして、俺を騙してたんだ……お前みたいないやらしい女、マミじゃない……返せ、俺のマミを返せよ……返さないなら、思い知らせてやる……!」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「ユ■■■! ■■ロ■! ■ッカ■■テ!!」

 

――ひどく気味の悪い音が聴こえて、愈史郎の意識が闇から浮上する。

 

(俺は……どうなったんだ……? たしか女が来て、名前を訊いたら――)

「……!!」

 

鬼舞辻無惨。鬼の始祖。珠世の怨敵。アイツが現れたのだ。

 

なぜ自分たちの所在がバレたのか謎も極まるが、こうしてはいられない。

(早く珠世様に知らせて逃げなくては……!)

焦燥にかられて重たい目蓋をこじ開ける。そして――

 

「うわぁあぁッ!!」

 

自分を覗き込む怪物の姿に、抑えようのない恐怖の叫びが迸った。

この世すべての不浄を凝縮させたような、どんな異形の鬼も可愛らしく思える醜悪な化け物。

そいつが昏倒した愈史郎を襲おうとしていたのだ。

「■シ■■? ■■■……」

「来るな! 来るんじゃない!!」

鼻が曲がりそうな体臭を撒き散らし、耳障りな鳴き声を発する怪物の、蚯蚓か蛞蝓の集合体めいた腕を振り払う。

遮二無二距離を取ろうと地面を転がる愈史郎を、ヘドロの絨毯が受け止めた。禍々しい色彩の天から降り注ぐ毒液が顔を濡らす。

(な、なんだここは……どこなんだ……)

鬼舞辻無惨が自分をこの空間に閉じ込めたのか? ならばどうすればここから脱出できるのか。

視覚にも聴覚にも嗅覚にも触覚にも、生理的嫌悪を催すものばかりで構成された世界。

暴力的なほどの不快感を間断なく叩きつけてくる、悪夢めいた空間に突如放り出されて、愈史郎は恐慌寸前だった。

 

……その中で手元に転がってきた、骨を削って研ぎ上げたような刀は、愈史郎にとって地獄に垂らされた蜘蛛の糸そのものであった。

 

握りしめたそれを、悍ましい異空間を象徴するような怪物に突き立てる。

 

「#▲%ーーッ!?」

 

身体の中心に近い場所を貫かれた怪物が、奇声を上げて身をよじる。

兪史郎は苦悶する怪物を地面に引き倒して馬乗りになり、更に刀を振るった。

「■メ■! ■ネ■イ……!」

「死ねッ死ねッ死ねぇぇッ!!」

この狂った世界の主である化け物を殺せば、ここから逃げられる。一秒ごとに正気を削っていく醜く忌まわしい空間で、そんな根拠のない希望が愈史郎を突き動かしていた。さもなくば、この世界に永遠に囚われてしまったのではという恐怖で心が砕け散りそうだった。

 

(嫌だ。俺は珠世様と、ずっと一緒にいたいんだ……!)

 

その想いだけをよすがに、何度も何度も、刃を突き刺し、抉り、切り裂いていく。

「……■、■■■ウ……ド■シ■……?」

怪物の腕が、救いを求めるように空を掻く。断末魔の痙攣じみた腐肉の蠕動が次第に弱々しくなっていく。

 

 

「……あ? えっ…………?」

 

……愈史郎の生涯最大の不幸は、鬼であったがゆえに、鬼舞辻無惨に弄られた脳が時間経過とともに修復されてしまったことかもしれない。

 

椿の柄の着物。

憂いを帯びた紫の瞳。

楚々とした美貌。

 

光の消えた虚ろな眼差しが、鬼の再生力を失い崩れていく顔が、他の誰でもない愛する女性のものであることに、気付いてしまった。

 

「た、珠世様? そんな、嘘、嘘でしょう……?」

 

震える声で呼びかけるも、珠世は答えない。

たった今、自分が彼女を殺したのだから。

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 

血を吐くような絶叫が、雨音をかき消して響き渡った。

 

 

 

「――あの女狐も、自分が作った鬼に殺されるとは思わなかったか。なんとも哀れなことだ」

 

実験の推移を離れた場所から観察していた無惨は、地面に這いつくばり、頭を掻きむしり、慟哭する愈史郎の姿を眺めて独りごちた。

基本的に鬼同士の戦いは不毛だが、鬼の始祖である無惨は他の鬼の細胞を破壊することが出来る。無惨の血肉から精製した武器を使っても効果は同様だ。

四百年以上追跡を逃れ、不遜にも鬼舞辻無惨の命を狙っていた裏切り者の最期としては些か興醒めであったが、実験としては有意義だった。

(頭頂葉と側頭葉への干渉による五感の情報統合の改竄……快と不快の反転……。これを同時に大人数に行えば……)

これまでの開頭実験で得られた情報をもとに、対象の脳機能を意図的に狂わせる試み。それはいわば、匂坂真実の知覚異常の再現であった。

結果はこのとおり。珠世の作った鬼は、一方ならぬ想いを抱いていたらしい相手を“世にも醜い化け物”と誤認して惨殺したのだ。

とはいえ、無惨の望む効果を得るにはまだまだ課題も多い。

研究のためにもうしばらく匂坂真実は手元に置くことに決め、無惨は愈史郎に近づいた。使った道具を片付けるまでが実験なのだから。

しかし、

 

『――無惨様、急ぎ報告したき儀がございます』

「鳴女か、何だ?」

『匂坂真実の拠点に、鬼狩りが侵入しました』

「――」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

匂坂真実に与えた家に転移すると、鋭い悲鳴が耳を衝いた。

「嫌っ! 離して、離してったら!!」

「……返せ、俺のマミを返せよ……返さないなら、思い知らせてやる……!」

台所の端で、女が鬼狩りの男と激しく揉み合っている。

女が抵抗するたびに襦袢が乱れ、肌が露わになる。――無惨しか知らない、上気すると古傷がほのかに浮かび上がる、匂坂真実の肌が。

 

「…………」

 

無惨は一足で距離を詰めると、ようやく闖入者に気付いて振り返った鬼狩りの顔を真横に切り裂いた。

「ぎ、ぎゃあァァッ!」

両目を抉られ、痛みに悶える男の手を掴み、握り潰す。

腹を裂いて内臓を引きずり出す。あばら骨を毟り取る。

吹き出す血がぐっしょりと着物を濡らすのを感じながら、無惨の心はかつてない激憤に支配されていた。

 

彼女の肌を見たこの男の目が許せない。

彼女の肌に触れたこの男の手が許せない。

彼女の身体を汚そうとしたこの男の存在が許せない。

 

何よりも、何よりも許せないのは――

 

「――貴様、何と言った? “俺のマミ”だと?」

 

もはや人の形を留めない男の、最後に残った頭部を握り潰す。

 

 

「……この女は、私のものだ……!」

 

 

 





オリ主は元ネタの郁紀くんより絵心()があるので、SAN値をごっそり削っていきます。
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