本郷猛のがっこうぐらし!   作:日高昆布

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流行り物(周回遅れ)に手を出す。


その1

 巡ヶ丘学院高等学校には、良くも悪くも生徒から親しまれている教員が2人いる。

 1人はめぐねえの愛称で親しまれている佐倉慈。現代国語を担当している。成人らしからぬ童顔と醸し出される雰囲気が、教員と言うより年上の生徒、もしくは頼りない優しい年上として親しまれている。本人としては生徒からのその評価を何とかしたいと考えているが、中々うまくいっていないのが現状である。

 

「たけちゃーん!」

 

 ケモノ耳の付いた帽子と言う校則的に微妙な物を被った女子生徒、丈槍由紀がそう呼んだ。焦りを含んだ声に何事かと振り返る男性教員。由紀の表情から極個人的な火急の事態、それもいわゆる下らない物だと判断した彼は、振り切らない程の速さで歩き始めた。

 

「あー! 待ってー!」

 

「放課後とは言え学内なんですから、本郷先生、もしくは猛先生と呼んで下さい」

 

 彼がそのもう1人、本郷猛である。生物を担当している。

 甘いルックス、すらりと伸びた手足から作られる抜群のスタイルは女子生徒から憧憬を、見た目に似合わず並外れた身体能力は男子から羨望を集めている。また普段は優しくとも生徒が粗相を犯せばしっかりと叱咤でき、信頼と同時に畏敬を持たせると言う教員として理想的な存在であった。

 

「そう言えば佐倉先生がしっかりと補習させると意気込んでましたね。匿ったりはしませんからね」

 

「うう、バレてる」

 

 先んじて言われた事がまさしく猛を呼び止めた理由であった。

 年相応とは言い難い性格からクラスで浮きがちな彼女だが、不思議と猛には懐いていた。授業で接する事は無くなったが、こうして生物準備室に頻繁に顔を出している。本郷も由紀の事情は理解しているため、他の生徒と比べ線引きを少し緩くしていた。

 

「明日には嫌でも顔を合わせるんですから、逃げたら後が大変ですよ」

 

「それは分かってるんだけど……」

 

「それにここは逃げ込む場所としては些か役不足かと」

 

 骨格の標本を弄っている由紀が何で? とが疑問を口にする前にスパーンとドアが勢いよく開かれた。

 

「ヒィ!」

 

「やっぱりここにいた! さあ丈槍由紀さん、戻りますよ」

 

 腰に手を当て如何にも怒ってますよ、と言わんばかりの慈が立っていた。人一倍由紀の事を気に掛けている彼女が、この場所を思い付かないはずがなかった。その事を知っているからこそ猛はそう言ったのだが、そもそも逃走を助ける気はハナから無かったのだが。

 

「すみません本郷先生。いつもいつも」

 

「大丈夫ですよ。ただドアの開閉はもう少し優しくお願いします」

 

「……すみません。さあ行きましょう」

 

 縋るような視線を本郷に向けるが、素知らぬ顔のまま彼は外出の用意をしていた。今は放課後であり、顧問をしている園芸部の活動に顔を出しに行く時間なのだ。

 四面楚歌と悟った由紀はしおしおと項垂れながら、慈に連行されて行く。

 

「屋上菜園って先生が管理してるんだっけ」

 

「ええ。と言っても優秀な生徒達のおかげで私がやる事はほとんど無いんですけどね。ではまた明日」

 

 ・

 

 屋上では件の優秀な女子生徒の1人、若狭悠里が水遣りに精を出していた。

 

「いつも水遣りありがとうございます、若狭さん」

 

「あ、こんにちわ本郷先生。そろそろ収穫出来そうです。……本当に持ってかなくていいんですか?」

 

「残念ですけど、私料理は苦手でして。貰っても腐らせてしまいそうでして」

 

「だったら家に食べに来ます? 瑠璃も会いたがってますし」

 

「妹さんと会うのは構いませんけど、食事は勘弁して下さい」

 

 クスクスと笑ったかと思うと、不意に物憂いな表情になる。

 

「何か悩み事ですか?」

 

「あ、いえ、大した事じゃないんですけど、もうすぐ卒業なんだなと思うと寂しく感じてしまって。進路先も皆バラバラですし、そのまま付き合いもなくなっちゃうのかな、って」

 

「月並みな言葉ですけどそれが人生ですからね。喧嘩別れでないなら、その別れも決して悪いものではありませんよ。最初は悲しくても、いつか笑いながら思い返せますよ」

 

「……先生もそう言う経験あるんですか」

 

 言った後で少々踏み込み過ぎたかも、と、若干の罪悪感を覚えてしまう。

 

「まあ先生もそれなりに生きてますからね。別れの1つや2つ経験してますよ」

 

「そ、それって女性関係もですか?!」

 

「え?」

 

 友人関係に限った話だと思っていたが、別のニュアンスも含まれていたようだ。同世代と比較して大人びた性格をしていても、そこは花の女子高生か、と苦笑を浮かべる。

 

 ・

 

 パリン、とガラスの割れる音。そこから漏れ聞こえる悲鳴を本郷の耳が捉えた。ほぼ同時に校庭でも騒ぎが起き始めた。柵から身を乗り出し校庭を見ると、そこには俄には信じ難い光景があった。生徒が生徒を襲っているのだ。そこには血が流れている。しかもただの暴力によるものではない。噛み付きと言う凡そ常軌を逸脱した攻撃を以てだ。

 急ぎ身を翻した猛は、悠里に屋上から出ないようにと強く言うと、校舎内へと走っていった。

 階段を降りた先には地獄が広がっていた。人が人を食らおうとする異常な光景。常人が見ればそれだけで前後不覚に陥るほどの凄惨な状況。しかし本郷は臆する事なく足を踏み入れた。

 うつ伏せの生徒に覆い被さる何かを蹴り飛ばす。生徒を助け起こす。しかし様子がおかしかった。声を掛けようとして、咄嗟に突き飛ばす。しばし呆然とするが、それは自らの行いを悔いているからではない。その生徒が噛みつこうとして来たからだ。

 素早く周囲に視線を走らせる。全てを確認出来た訳ではないが、異常行動を起こしている生徒の大半に噛み跡があった。傷口を介して感染する何か、恐らくは細菌かウィルス、それも恐ろしい感染速度を持っている。

 それは残酷な事実を猛に突き付けた。治療法の無い現状では、噛まれた者を助ける事は悪手でしかない。下手に救出し避難場所に連れて行けば、そこで大きな被害を出す事となる。つまり見捨てるしかないのだ。子供を、同僚を。

 

「先輩、しっかりして!」

 

 階段下から生徒の声が聞こえた時、本郷は心と体を引き剥がした。

 

「恵飛須沢さん! こっちです!」

 

 清掃用具の入ったロッカーを引き倒し、廊下にいる彼らの動きを妨げる。

 

「先生! こっちってどこに行けば?!」

 

「屋上に向かって下さい!」

 

 彼女の肩に凭れている男子生徒の状態を問いただそうとしたが、廊下の奥から聞こえる悲鳴に意識を割いてしまった。慈と由紀のものだ。既に胡桃は階段の踊り場を曲がり、見えなくなっていた。

 先も言ったがこの極限の状況では僅かな逡巡さえ許されない。2人を救出した後、屋上を向かう。それも迅速にだ。幸い猛にはそれを成せるだけの力があった。

 倒れたロッカーから窓のサッシへと飛び移り、彼らの群れを飛び越える。助走もなしに飛んだ距離は実に10m以上。同じ要領で廊下をあっと言う間に縦断し、取り残された2人を見付ける。

 

「2人とも無事ですか?!」

 

「たけちゃん!」

 

「ほ、本郷先生?! 今どこから」

 

 2人からすれば、文字通り降って沸いたようにしか見えなかった。

 

「屋上に向かいますから、付いて来て下さい」

 

「ど、どうやって」

 

 先と同じように掃除用具入れのロッカーを横倒しにすると、それを蹴り飛ばす。知能がないのか、それとも身体能力がないのか。彼らは漏れなくロッカーに引っ掛かり、倒れ込んでいった。呆然としている2人の手を引き、道中のロッカーを同様に蹴り飛ばし道を切り拓く。

 群れを抜け切ると、手を離し、2人に先に行くように促す。少なくとも上階までに彼らがいない事は確実だからだ。

 階下から徐々に大きくなる彼らの声に、手すりから下を覗き込む。その行為を後悔しそうになる光景であった。列をなし屋上へと迫る彼ら。猛の行動に釣られるように覗き込んだ2人は、顔色を青くし、言葉を失っていた。

 心身の極端な消耗で倒れ込みそうになる2人を抱え、何とか屋上に辿り着いた。しかし束の間の安息さえ得る事はできなかった。

 

「……恵飛須沢さん」

 

 自身に掛けられた声にさえ気付かず、彼らとなり、そして死体になってしまった思い人にシャベルを突き立て続けていた。

 

「恵飛須沢さん!」

 

 返り血に濡れたその手を握り、強く呼び掛ける。

 

「……先生、あ、あたし」

 

 猛にとって恵飛須沢も、死んでしまった男子生徒も顔馴染みの生徒であった。抜群の身体能力を持つ猛は、特別顧問としての扱いを勝手に受けており、運動部から引っ張りだこになっていたのだ。陸上部はその中でも顔を出す機会が多かった部活であり、自然と部員達とは仲良くなっていた。だから、胡桃が上級生の彼に恋慕を抱いていた事も知っていた。

 2人を助けに行った自らの判断を悔いる事はしない。しかし、それでも生徒にこんな残酷な事をさせてしまった事に、どうしようもない憤りを抱いてしまう。

 彼が、彼女が、皆が一体何をしたと言うのか。それとも人が数多持つ破滅の予言の始まりだとでも言うのか。

 

 ・

 

 世界が地獄へと変わり果ててから、既に数時間が経過していた。押し寄せていた彼らも、今はいなくなり、屋上は奇妙な静寂に支配されていた。

 そんな状況の中、猛は校庭を見下ろし、彼らの動きを具に観察していた。現時点で分かっている事はいくつかある。

 まずは身体能力が低いと言う事。動きは緩慢であり、特に昇降運動に難があるようだ。

 次に知能の低さ。屋上への扉を開けようとせず押し破ろうとした動きからも、知能がかなり低下している事が分かる。

 次に音に反応すると言う事。またこれは前述の知能の低さにも関わってくるのだが、物を落とした時、音の発生源にのみ反応し、それがどこから落とされた物なのかを気にする素振りは見られなかった。つまりある程度の誘導は可能と言う事だ。

 

「佐倉先生」

 

「どうされました?」

 

 泣き疲れ眠ってしまった胡桃に寄り添っている慈を、手招きで呼ぶ。

 

「私、校内の様子を見てこようと思います」

 

 耳打ちで告げられた内容に、小声で怒鳴り返す。

 

「そんな無茶な! 救助が来るまでここで待っているべきです!」

 

「サイレンの音が聞こえないんです」

 

 殊更小さな声で告げる。それが何を意味するのか、慈にはすぐに分からなかった。しかし理解した瞬間、唇をワナワナと振るわせながら「うそ……」と呟いた。

 それが奴らの特性を把握した上での事だったらただの杞憂で終わるのだが、猛は最悪を想定して動くべきだと言った。長期的な籠城が必要になるかもしれない、と。

 

「ここにはそれに必要なものがほとんどありません。早い内に校舎内に拠点を作るべきです」

 

「……それは校舎内に入るって事ですよね?」

 

「そのつもりです。ただ中にどれほどいるのか分からない状態で彼女達を連れて歩く訳にはいきません。だから私が先に行きます」

 

「そんな! 危険過ぎます!」

 

 静止する間もなく大声で糾弾する慈。生徒達も何か話している事は分かっていたが、敢えて聞こうとはしていなかった。しかし不穏な単語が聞こえてしまえば無関心を装っている事はできない。流石にまずいと慈も感じたのか、何とか誤魔化そうとするが、話せば話すほどボロの出る始末。結局その目的も含め全てを生徒達は知る事となった。

 勿論全員が反対した。しかし猛も頑として譲らず、生存者の救助にもなると言われるとその気勢も削がれてしまう。そもそも理自体猛の案にあるのだ。結局は押し切られる事となった。

 とは言え心配からの反対なのだから、猛も罪悪感を抱いてしまうが、ここを譲る訳にはいかないのだ。まだ冬とは行かずとも朝冷を感じるこの時期に屋上での生活は、この状況に於いて死に至る危険性さえ秘めているのだ。

 

「ハンズフリーにした携帯で逐一報告しますから。緊急時以外は答えなくて大丈夫ですから」

 

 不安を完全に払拭する事はできない。話をそこそこに切り上げた猛は、ドアではなく柵の方へと向かう。

 何をする気なのかと、問う暇もなく猛は柵を乗り越え、皆を正面に捉えた状態でしゃがみ込み、縁に手を掛けると体を落としてしまう。慌てて皆が身を乗り出すと、淵から縁へと手だけで掴まりながら降下していくではないか。皆の気も知らずに易々と1階に降り立った彼は手を振り校舎内へと入っていった。

 ドアの前のバリケードを退かす訳にはいかないと言う理由は分かるが、取り敢えず戻って来たら3言ぐらい言っても許されるだろう。

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