ここからお話は後半になります。何とか今年中には完結させたい次第であります。
感想、批評よろしくお願いします。
中庭を破壊し尽くした壮絶なその戦いは夜明けと共に終わった。最終的に10を超えた変異体は全て倒され、その屍を朝日に照らされている。
その中で、猛は這っていた。激痛により飛んだ意識が、全身から送られてくる絶え間ない激痛により覚醒する。胴体を貫通する3本の針、裂傷、骨折、筋肉の断裂。体内の治療用ナノマシンが無ければ、猛とて死んでいる状態だ。
返り血と自分のとが混ざった血痕を引きながら、猛は足だけで這っている。ともすれば、何故這っているのかを忘れそうになる脳で必死に体を動かす。皆の下に戻るために。皆の明日を守るために。
失神と覚醒を繰り返しながら、漸く校門に至る。壁に掴まり身を起こそうとする。しかし起こすどころか、数瞬も保持できず倒れ込む。衝撃が血を吐かせる。頬の下に緩い血が溜まっていく。呼吸の度に血が飛び散る。落ち着くのを待ち、再び起き上がろうとする。しかし猛の意に反し、体は全く動かなかった。指先でさえ動かせない。視界が明滅を始める。意識していなかった呼吸の間隔が、短く早くなっている事に気付く。覚醒を促していた痛みも感じなくなりつつあった。
どれだけ強靭な精神を持とうと、肉体を動かす事も回復させる事もできない。猛の肉体は着実に死へと向かっている。視界が暗闇に支配される時間が長くなる。次に暗闇に鎖されたら2度と目覚めないかもしれない。そう思いながらも、できる事は何もない。視界が滲み始める。抗いようのない死への誘惑。
肉体由来ではない、僅かな振動。沈みかけていた意識が急浮上する。徐々に大きくなる振動から、車両がこちらに接近している事に気付く。曲がり角から姿を現した車両は、キャンピングカーだった。どこかで見た事のあるものの気がするが、まるで思い出せなかった。速度を緩め自身の横で停車する。奇跡と言って良い事態に、1度も信じた事のない神様に感謝の念を抱いた。
運転席から降りて来たのは女性だった。滲む視界でも整った顔立ちである事が分かる。何かを言っているが、上手く聞き取る事ができない。大凡の想像は付くが、申し訳ないがこちらの言い分を一方的に言わせてもらう事にする。
「せ……なか、の、針を、抜いて下さい」
最優先で治療する必要があったが、針が貫通したままであるせいで治療ができなかったのだ。
猛の言葉に酷く狼狽し、逡巡したが、決死の表情で掴む。針越しに伝わる肉の感触に慄くも、一気に引き抜く。込み上げてくる血を飲み込もうとするが、嚥下する力も残っていなかった。
新たな吐血に女性がギョッとする。
「だい、じょうぶ、ですから、おね、がいします」
自分が殺してしまうんじゃないかと不安に涙を浮かべながら、促され、覚悟を決める。間髪入れず2本を一気に引き抜く。
ナノマシンによる治療が開始される。しかし投与時と比較すると、その稼働率は3分の1程度になっている。他の傷を放置しても即時の回復は不可能。完全回復にはかなりの時間を要する事になる。
針を引き抜いた時の痛みで意識が覚醒し、初めて女性の言葉を認識する事ができた。
「大丈夫ですか?! 立てますか?!」
「……自力、で、は難しい」
「……分かりました。少し待ってて下さい。意識、ちゃんと保ってて下さいね!」
そう言い車内に戻る女性。ややすると束ねられたロープを2つ持って来た。
「少し荒っぽくなります」
女性の知識の中に、重傷者の成人男性を僅かな力で持ち上げると言うものはない。
頷く猛。
両脇にロープを通し一回りさせ、車両の近くまで引き摺っていく。予想以上に重く、その時点で息を乱す。
「少しでいいんで手伝って下さいね!」
猛の体から伸びるロープを前から引っ張り、上体を起こし上げる。全身に掛かるかつてない負荷に顔を真っ赤にしながらも何とか完遂。車両に上体を預けさせる。ここからが更なる難関である。かなり体に負担が掛かるが、これ以外に方法が思い浮かばなかった。
自身の胴体部に襷掛けの要領で通していく。猛の前でしゃがみ、歯を食いしばりながら体を前方へ倒しながら立ち上がる。背負い投げの一歩手前の様な状態で、足を震わせながら入り口目掛け歩く。
何とか乗り込んだが、そこが限界だった。重さに耐えきれず、膝が折れる。あわや諸共転倒となりかけるが、辛うじて猛が踏み止まり、通路側に横向きで倒れ込む。
ロープを解き、再び引きずり通路の奥まで連れて行く。
「はあはあはあ……。つ、疲れた」
「…………」
「はあ、あ、まだ気絶しないで下さい! 傷の手当てしないと! これ、服? どうやって脱がすんですか」
ボソボソと口が動いている事に気付き、耳を寄せる。濃い血の匂いに顔を顰める。
猛の指示通り、バックルの上部にあるスイッチを押すと、接続が解除された。首元にあるファスナーを引き下げる。
「うっ」
一気に広がる血の臭気に嘔吐きそうになるが堪える。今は一刻も早く止血しなくてはならない。恩人だと言う事を抜きにしても、日本を救う鍵は間違いなくこの人物が握っているのだ。
「絶対に死なせませんからね!」
・
超過に超過を重ねた肉体へのダメージは非常に深刻なものだった。僅かでも回復速度を速めるため、自閉モードに切り替わっていた。これは猛でさえ知らない自衛機能であり。覚醒を抑制しエネルギーの消費量を極力抑え、経口摂取される食料を100%吸収させる機能を持つ。
そんな状態になっている事を知らない彼女──小林楓──は焦燥感に支配されていた。持ち得る知識の全てを以って治療を施したが、専門的な設備はなく、知識も一般人よりはあるとは言え、医療従事者ではない。一週間も意識を取り戻さないとなれば、治療が上手くいかなかったのだと思うだろう。
しかし同時に、排泄が一切ないにも関わらず、腹部の膨張が全くない事にも気付いており、外科手術が必要な腹部の怪我が自然治癒した事と併せて、常識外の何かが体内で起こっているのでは、と言う予想もしていた。
ともかく、焦りは積もっていくが、彼の心臓が動き続けている限りは諦めまい、と自分を鼓舞する。
そんな、まるで寝たきりの夫を甲斐甲斐しく世話する妻のような、焦燥感の募る生活が更に一週間続いた。変化が無かった訳ではない。しかしそれは猛が魘されるようになったと言う、決して歓迎できない変化だった。何に由来するものなのか、彼女には全く分からなかった。彼女にできる事は、流れる汗を拭う事だけ。それが少しでも彼の痛みを癒せたら、と強く願いながら。
・
その日もいつもと同じく、包帯の交換を行おうと布団を剥いだ時だった。呻くような声と共に、今まで微動だにしなかった彼が身じろぎをしたのだ。慌てて顔を覗き込むと、ゆっくりと瞼が開かれた。
「き、みは……」
掠れた声でそう言った。楓の行いが実を結んだ瞬間である。焦燥、重圧、不安など心の内に蔓延っていた感情が一気に溶け出し、涙となって流れ出し、そしてあろう事か未だ重傷の猛にしがみ付き、声を上げて泣き始めるではないか。これには流石の猛も困惑を隠せなかったが、自身の体の鈍り具合から相当な期間を世話になっていたのだと察し、泣きじゃくっている原因が自身にある事も察した。
傷の増えた手を持ち上げ、彼女の頭にそっと乗せ、割れ物を触るようにゆっくりと撫でた。口が上手くない彼が知っている慰め方はこれだけだった。酷く曖昧な感覚のまま、彼女が泣き止むまでずっと撫で続けた。
・
「ごめん……」
裸体をたっぷりと見た2週間の看護生活があったとは言え、パーソナルな事は何も知らないほぼ初対面。そんな気薄だか濃厚だか分からない関係の男性の、しかも未だ重傷者の胸を借りての大号泣。穴があったら入りたいほどの失態。猛が大人の余裕と言うものを見せているため、余計に羞恥心が膨れ上がっていく。
「君に助けてもらってから、どれくらい経ってる?」
それを知ってか知らずか、猛は最も憂慮している事を尋ねた。
「今日でちょうど2週間。巡ヶ丘学園の前で見付けたけど、覚えてる?」
予想していたよりも長期間昏睡していた事に、重く深い溜め息を吐いた。僅かに瞑目した後、彼は体を起こし始めた。慌てて止めに入る楓。
「ちょ、ちょっとまだ起きるのは早いよ!」
「皆を、探しにいかないと」
しかし彼の体のダメージは、意識を取り戻した状態であっても深刻なものだった。楓の、つまりただの人間の力を振り切れない事がそれを如実に表している。しばらくの押し問答の後、自身の状態を漸く正確に把握した猛が折れた。
明らかな落胆と焦燥を見せる猛に、楓はある提案をした。
「ならこれで連れていくよ」
ありがたさよりも困惑が勝る。変異体が跋扈するこの状況において、移動する事自体が大きなリスクとなっている。移動に伴う消耗も無視できるものではなく、一番重要なガソリンもスタンド自体は大量にあっても補給できる保証はないのだ。
「何でって顔してる。まあ理由は幾つかあるよ。まず助けて貰った。あの時だけじゃなくて、それからも。あなたがあいつらを倒してくれてたお陰で私は生きてられた。次に、あなたと一緒にいる事が一番生存率が高いと思うから。あとは、先生を生徒さんに、生徒さんを先生に会わせてあげたいからかな」
「……小林さんは優しいですね」
「楓でいいよ。それに先生程じゃない」
「楓さん、ありがとうございます。……少し眠らせてもらいます。何かあったら、すぐに起こして下さいね」
「分かった。お休み猛さん」
やはりかなり無理をして意識を保っていたのだろう。気を失うように眠りについた。痛ましい眼差しで傷だらけの姿を見詰める。
ややすると立ち上がり、自宅の中にある物資の移動を取り掛かる事にした。降車の間際、もう一度振り返る。死んだように懇々と眠る猛の姿に、どれだけの重荷を背負っているのかと考えてしまう。彼が生きてその重荷から解放される事を切に願った。
・
「先生、大丈夫かな」
不意に呟かれた言葉に、皆が身を強張らせた。言ってしまった由紀も、己の失言に気付き口を閉ざしてしまう。気まずい雰囲気になったところに、
「変異体と戦えて、剰え勝てるってのがどうにも胡散臭いんだよな」
伸ばしっぱなしで短く結えられた髪に、無精髭と言う見た目と相まった粗暴な言葉遣いの男に視線が集中する。若干の気まずさを感じてるような表情を見せるが、発言を撤回するでも謝罪するでもなく、
「城下、お前今何て言った?!」
「げえ、菊間」
「げえ、じゃないだろ! この子達の心情を考えりゃ、今のが言っちゃいけない事だって分かるよな?!」
「わ、悪かった! 悪かったから耳を引っ張るな!」
「あの子達に謝るのが先だろう!」
「……アイテテテテ! 悪い、すまん、ごめん、ごめんなさーい!」
僅かに見せた渋りを見逃さない琴美は、更に耳を捻り上げ、最後の言葉が出て漸く解放した。
「で、アタシにも謝れ」
「ごめんなさい!」
「全く。皆ごめんね。こいつは見ての通り、知能、品性、デリカシーが欠落した無い無い尽くしのダメ人間だから。また何か言ったらアタシに言ってね」
「やれやれ……。我らが