遅くなりましたが第3話です。
感想、批評よろしくお願いします。
彼らの特徴の1つであった身体能力の低下は見受けられなかった。それどころか、人間以上の能力を持っている。攻撃方法は技術を伴わない原始的なものだが、手強く、危険な存在である事に間違いはなかった。
圧縮された糸の塊を蛇行とフェイントで回避し接近。本能的に振り下ろそうとする腕の肘を押さえ、顔面に肘打ち。顔が上向く。
同じ腕で局部へ鉄槌。僅かに身を縮み込ませる。その反応から痛覚がいくらか復活している事がわかる。
頭部へと手が伸ばされるが、身を引きながら回避。更にフリーの手でそれを掴み方向をそのまま流し、体勢を崩させる。前傾になり突き出された顔面に膝蹴りを叩き込む。前へと流れる力が帳消しどころか後傾になる程の威力。
曝け出された胸部へと後ろ蹴りが吸い込まれる。水平に吹き飛び、校門横の壁に叩き付けられ止まる。力なく四肢が投げ出され、動く気配はない。
足に伝わった、骨を砕き、心臓と肺を潰す感覚。しかしそれが致命傷になるのかは分からない。元より生命活動は停止しているのだ。油断はできない。
「先生!」
若狭瑠璃を背負った慈が生徒達を連れ校舎から出て来る。
僅か、ほんの僅か、彼女らに気を割いた。蜘蛛がそれを狙っていたのか定かではないが、ともかく絶好のタイミングで蜘蛛は動いた。
射出された糸への対処が間に合わなかった。猛の首に巻き付け、諸共跳躍。低い知能ながら蜘蛛は、猛を獲物としてではなく外敵として認識していた。
咄嗟に腕を割り込ませ、気道だけは確保した。しかしそれは片腕を犠牲にしての事だ。払った犠牲は大きい。
糸の持つ伸縮性と腕力に物を言わせ、猛を引き倒す。
悲鳴が響いた。
糸を両腕で保持した蜘蛛は、ハンマー投げのように猛を振り回す。徐々に高度を上げ、手放す。校舎へと叩き付けられる猛。
「ぐあっ」
剥離した欠片と共に落ちるが、両の足で何とか着地。
ならばもう一度引き倒そうとする蜘蛛。しかしそれを読んでいた猛は足で糸を踏み阻止。何度も糸を引き、倒そうするが、分かっているのなら耐える事は容易い。
蜘蛛がチャンスを無駄にしている隙に、猛は全身に力を漲らせていた。膨張した筋肉が衣服を破く。
糸の硬さを身を持って知った慈と胡桃には、有り得ない光景だった。何重にも巻かれた糸が腕1本の力で千切れていくのだ。
完全に千切れたタイミングで蜘蛛は気付くが、既に手遅れだ。耐える間もなく、一気に引き寄せられ、鋼鉄と化した拳が顔面を破壊した。
殺した。そう確信した猛はタタラを踏むように退がると、ほとんど倒れるように座り込んだ。途端に広がる強い倦怠感。
「本郷先生!」
こちらを気遣う表情の中に、戸惑いと恐れがある。想像していたよりもずっと穏便な反応であった。
「瑠璃さんは無事でしたか」
「え、ええ。この通り無事ですよ」
「……これは、一体何なんですか? それに、その本郷先生も」
「……それについては後ほどお話します。それよりも」
生存者の探索を、と言い掛け口を噤む。衰弱している瑠璃の存在、動揺を露わにしている慈達、全盛とは程遠い自分自身。もし蜘蛛と類似した敵生体が現れた時、現状では彼女らを守る事ができない。
「……ここを離れましょう。音に引き寄せられてくるかもしれません」
理想を語れる無責任さと蛮勇を、叶えるだけの強さを猛は持ち合わせていない。胸の内に渦巻く激情を悟られまいとする。
「運転、私が代わろうか?」
胡桃の提案に少し驚く。猛としては同乗を拒否される事さえ想定していたのだ。良くも悪くもこの非日常が彼女達の常識を大きく変えており、それが猛の超常の力へのショックを和らげる事となったのだ。
「1人だと大変だと思うから途中で交代した方がいいわね。先生はるーちゃんと一緒に休んでて下さい」
そう言って、慈の背中で眠っている瑠璃と猛を見て静かに笑う悠里。
そこには確かな信頼が込められていた。良いんですか、とは聞かない。
「──ありがとうございます」
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家族の運転を見て覚えた、と言ったはいいがやはり勝手は違うものだ。アクセルの踏み加減、ハンドルとタイヤの動き。これが名も知らぬ誰かの車なら気を使う必要はないのだが、持ち主が後ろにいるとそうもいかない。慎重に慎重を期した運転は、もし平時であれば最早安全を通り越して危険運転となっているだろう。
胡桃を引き離す事はできず、必然的に慈もノロノロ運転となる。結果、行き以上の時間を要する事となり、時刻は既に夕方になっていた。学校に着く前に夜になってしまうだろう。更に彼らが光に引き寄せられる性質を持っており、無灯火で走らなければならないのだ。
「恵飛須沢さん、パッシングして下さい」
それに気付いた慈が停車させたのを確認すると、猛は降車し、慈にある提案をする。
「これ以上は危険ですから、近場にある私の家に案内します」
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中古で購入した2階建の一軒家。駐車場にはシートを掛けられたバイクが止められていた。草むしりだけはされている、土が剥き出しの庭。
車を雑に停め、猛を先頭に門扉を抜ける。
男性の家にお邪魔すると言う事に、慈だけが妙な緊張に襲われていた。こんな状況なのに不謹慎だ、と自戒するが、交際経験なく現在に至っている彼女にとっては一大イベントなのだ。
「リビングで待ってて下さい。雨戸を全て閉めてきますので」
他人の家であるため手伝うとは言い出せず、所在なさげに待っている一同。程なくして戻って来ると、明かりをつけた。家の中が明かりに包まれると、安全地帯に来たのだと漸く安堵する事ができた。
雨戸を閉める時に持って来たのだろう、座布団を並べ、座るように促した。が、慈の足には蜘蛛の糸の切れ端が付着したままになっており、座布団に付かないようにと難儀していた。
「取りますよ。こっちに座って下さい」
「あ、ありがとうございます」
「失礼します」
椅子に座り足を差し出す。彼女の前に跪く猛。断りを入れ足に触れる。そしてまた遅まきながら自身が生足を男性に触らせていると言う状況に気付く。その事実に気付いてしまうと、いくら意識しないようにと意識しても羞恥心が込み上げる事を抑えられなかった。
(めぐねえめっちゃ恥ずかしがってるな)
(恥ずかしい事じゃないって思い込もうとしてるみたい)
(何か、凄いアレな見た目してる……)
(めぐねえ何で赤くなってるんだろ)
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床に無造作に置かれている千切られた糸の残骸を見て、唯一その硬さを知る胡桃は猛が普通の人間ではないのだと改めて実感していた。
戦う猛は、苛烈で容赦がなかった。だからその姿を怖いと思ってしまった。
胡桃が知っている猛は、暴力どころか乱暴な言葉さえ使おうとしない人だ。粗相を働いた生徒がいても、真摯な姿勢で向き合い言葉で諭していた。決して強い言葉や横柄な態度を取らなかった。だから優しすぎるのでは、と苦言を呈する教員がいても悪く言う事はなかった。
だから怖かったのだ、と胡桃は気付く。自分が知っている猛とのギャップが強く、余計にそう感じてしまったのだ。でもそれは自分達を助けるためであり、何かが変わった訳ではない。怖がる必要などないのだ。
「先生、助けてくれてありがとう」
手を止め振り返る猛。驚きの表情だった。それだけで彼が自身の力を、誇っていないのだと分かる。
「先生がいなかったら、私達全員助からなかっただろうし」
「……倒す事しか出来ない力ですから」
そう言って向き直った猛の背中は、酷く小さく見えた。
「あたしも、先生が来てくれなかったらトイレの中で餓死してただろうし」
貴依が笑いながら言う。
「るーちゃんだってそうです。先生がいなかったら、助けに行きたいって言う事さえ出来なかったと思います」
起こさないようにと、そっと撫でながら、目に涙を浮かべながら言う悠里。
「わ、わたしも助けてもらってる! ロッカー蹴っ飛ばしてた! ね、めぐねえ」
張り合うように言うと由紀は、慈にも振る。
「そう言えばそうでしたね。そうすると私だけ2回も助けてもらっちゃってるんですね。ありがとうございます、先生」
確かな暖かさを持った言葉。しかし猛の心に染み入るそれは、痛みを与えた。
戦いの果て、猛の手には何も残らなかった。人智を超えた力を持っていても、掴み取れるものより、溢れ落ちる物の方がずっと多かった。想い人も、友も溢れていった。
そんな自分が感謝を受け取る資格があるのだろうか、と問うまでもない。心は既に否、と答えている。
「……糸、全部取れましたよ」
桁外れの強度を持つ糸だったが、皮膚を害するような毒性はなく、慈の足は腫れや打撲痕もなく綺麗な状態だった。
「ありがとうございます」
糸の処分をどうするかと考える猛を見て、慈はその素性をどう問うたものかと頭を悩ませる。彼の性格から力を誇示する性格でない事は分かっているが、自分から積極的に話そうとしていない事から複雑な感情を抱いている事も分かる。とは言え、今後の事を考えると聞かざるを得ないのだ。
「……本郷先生」
どれだけ頭を捻っても、直接問う以外の方法が見付からない。意を決し口を開く慈。
口調の固さから何を問おうとしているのかすぐに分かった。だから先んじて答える。
「……聞いていて気分の良いものではありません。もし辛くなったら中断します」
そう前置きをし、猛は戦いの記憶を語り始めた。
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努めて感情を込めないように、淡々と語った。しかしやはり、当たり前の日常を送っていた彼女らには、大き過ぎるショックを伴うものだった。激動、過酷と言う言葉でさえ足りない程の猛の人生に誰もが口を開けなくなっていた。
これ以上ここに自分がいてもいい事はないと判断し、客間に予備の布団がある事を告げ2階の自室へ引っ込んでいった。
明かりをつけず、ベランダに出る。夜でさえ聞こえていたはずの生活音は一切ない。恩恵を受ける者がいない街灯は、そう遠くない内にその役目を終えるだろう。
遠くでは火が街を照らしている。学校で見た場所と同じだ。消防が全く機能していないのか、それとも消火する意味がないのか。
テレビもラジオも役目を全うしていない。
文明が徐々に死んでいく。命懸けで守ろうとした世界が、崩壊していく。
もしかしたら征服されていた方が良かったのかもしれない、と魔の差した考えが浮かぶ。慌ててその考えを打ち消す。世界を救えないならばせめて、守れるものだけは守らねば。でなければ、意味がなくなってしまう。
そうだ、それこそが生き残ってしまった自分の、
・
翌朝。外から聞こえる奇妙な音で慈は目を覚ました。窓のすぐ外。敷地内の庭からだ。慌てて立ち上がり、猛に知らせに行こうと廊下に出る。すると玄関の靴が一足ない事に気付く。猛のものだ。視線を少し上げると、玄関の鍵が開いていた。もしかして、と思い、ゆっくりとドアを開ける。ひょこっと顔を出すと、庭にいたのはやはり猛であった。シャベルで土を掘り起こしていた。下半身が隠れる程の深さ。
「おはようございます」
先に声を掛けられ、少し驚く。
「おはようございます……。何をされてるんですか」
「女々しくて処分できなくて、それでも目に入れるのが辛くてここに隠していたんです」
「……何を、ですか」
「戦うための力です」
掘り出された物は2つの大きなキャリーケース。
それを見詰める猛の横顔をそっと伺う。あらゆる感情が綯い混ぜにした表情は、声を掛ける事さえ憚れるものだった。
「所用を済ませてしまうので、皆を起こして下さい」
終ぞ声を掛ける事はできなかった。思わず伸ばされた手は何も掴む事なく、力なく落ちていく。近くにいるはずなのに、決して壊せない壁に阻まれているようだった。
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家の周りを軽く確認してから戻る。
声を掛けてからリビングに入る。すると、待ち構えていたように瑠璃が飛び込んで来る。
「おっと」
「お兄ちゃん、ありがとう! お姉ちゃんから、助けてくれたのはお兄ちゃんだって聞いた! やっぱりお兄ちゃんはヒーローだよ!」
「──無事でよかったです。お腹空いてませんか」
「空いてる!」
元気よく答える彼女の天真爛漫さに、釣られ笑顔を浮かべる猛。
「生憎、手作りのご飯はありませんけど、朝食にしましょう」
・
昨日もそうだった、と感謝の言葉に僅かに苦しげな表情を見せた猛を見て由紀はそう思った。
彼の口から語られた片鱗だけでも、自分の想像を絶するものだった。そしてそれは彼の心に癒えない傷をいくつも付けたのだ。感謝の言葉を苦痛に感じてしまうほどに、彼の心はボロボロになっているのだ。
感受性の高い由紀だから気付けた事。しかしそれに気付けたとしても、何ができる訳でもない。当たり前の日常と平和を享受していた自分には、彼の傷を理解する事はできないのだ。そしてその存在はもうこの世界にいなかった。
──それでも……
それでも、孤独だった自分を助けてくれた彼を助けたいと思った。例えどれだけ時間が掛かっても、ありがとうの言葉を素直に受け取れるようになって欲しかった。