本郷猛のがっこうぐらし!   作:日高昆布

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大変お待たせしました。仕事が忙しかったり、ゼロワンの劇場版2回見てたりしてたら遅くなってしまいました。
評価をして下さった方、感想を書いて下さった方、ありがとうございます。とても励みになってます。
亀更新ですが、頑張って書いていきますので、よろしくお願いします。


その5

 4日。それが血に沈んだ1階と2階の洗浄に要した期間である。それでも全てを洗い流せた訳ではない。隙間や僅かな亀裂などに染み込んでおり、如何ともし難い臭気が漂っていた。常時換気しているが、それでも臭いは簡単にはとれそうになかった。

 

 ・

 

 猛の様子に変化はなかった。それが強がりなのか、折り合いを付けた結果なのか、生徒達は疎か慈にも分からない事だった。敢えて触れる事もできず、時折ギクシャクとした空気が流れる事があった。とは言え、悪感情から来るものではないため、深刻な問題になる事はなかった。

 2度目の正直となるリバーシティへの遠征。遺留品のワゴン車に乗り込み、出発。

 

「……」

 

「……」

 

 車内には沈鬱な雰囲気が漂っていた。その発生源は猛ではない。助手席で項垂れている慈である。あまりに悲痛な表情に猛でさえ声を掛けられずにいた。

 学校に戻って来た日、猛と慈は自家用車を正面玄関に横付けしバリケードにした。もしその時点で通常個体が生前のルーティンに従い行動する事が分かっていれば、別の車を使うと言う提案をしていただろう。そう、慈のミニは見事にその役目を全うしたのだ。出発の時に見るまですっかり忘れていた彼女は、変わり果てた愛車の姿に崩れ落ちた。ボコボコになったのは猛の車も同様なのだが、愛着心が全くなかったため傷の舐め合いもできず、また、収束の目処が立ってない現状ではどこかが保証してくれると言う慰めもできず、今に至っている。

 何とかしてくれ、と言う生徒達の無言の圧力。

 

「そ、そう言えばリバーシティで調達するものの中に服がありますけど、佐倉先生は普段どう言ったものを着るんですか」

 

「めぐねえだと大人っぽい服だと似合わなそう」

 

「大人っぽいって、先生は歴とした大人ですよ! 普段使いできるフォーマル服の1つや2つも、持ってますよ」

 

「由紀も将来そうなりそうだな」

 

「わ、わたしだってりーさんみたいにグラマラスになれるよ!」

 

「ゆきちゃん?!」

 

「……そう言えばりーさんだけスタイル別次元だな」

 

「ズルい」

 

「?!」

 

 瞬く間に色を取り戻す車内。内容が些か以上に気まずい物を含んでいるが、折角暖まった空気に口を挟んで水は差せない。何れ来るであろう、自分の存在を思い出し、瞬間冷凍されるその時をなるたけ先延ばしにしたいだけなのだが。

 

 ・

 

 今考えてみても、あのコミュニティは上手く回っていたと思う。決断力があり、ユーモアもあったリーダーの元、うん、楽しくやれてた。もしかしたら外の状況から目を背けてただけかもしれないけど。だから危機感が欠けてたんだと思う。噛まれれば奴らになるって聞いてたのに、リーダーが手に傷を負ってるのを見ても、誰もそれを改めようとせず言い訳をあっさりと私も含めて皆信じた。信じてしまった。金槌で怪我をしたのなら貼るのは絆創膏ではなく湿布だ。今考えてみれば当たり前に分かる事なのに、誰も気にしなかった。誰もあの居心地の良い空間が壊れるなんて思わなかったし、思うともしなかった。

 全てが燃えてしまったあの日、閉ざし、塞ぎ、瞑り、私たちは生き残った。そして圭は笑わなくなった。

 何の展望もない、閉ざされた空間で私たちは生活していた。本当にただ生きるため、いや死なないための活動しかしてなかった。ただ徒に色々な物を消費しながら、それが尽きるのを待つだけの時間。

 

「生きていればそれでいいの?」

 

 そう言い残し、圭は出て行こうとした。でもドアの向こうに広がっていた地獄は、その意思を容易く挫く物だった。奴らを貪り食う何か。見つからなかったのは奇跡でしかない。震えて声を発せない口。緩慢にしか動かなかった腕。音一つ立てなかった蝶番。

 道は再び鎖された。私たちはここで緩慢な死を迎えるのだと、その時、そう悟った。

 

 ・

 

 恙なく到着した一行は、最優先目標である食料の調達のため地下へと向かおうとした。しかしすぐに中断となった。エレベーターの上端からでさえ強烈な腐臭と、猛にしか分からなかったが、数を把握できない程の足音を捉えたのだ。

 考えてみれば当然の事だった。パンデミックが起きたのは平日の夕方。平日で最も混む時間帯。それに加え地下と言う出口の限られた空間であれば、犠牲者の数は学校の比ではないだろう。同時にそれは変異個体が、少なくとも地下にいない事を証明していた。

 

「皆さんは外で待ってて下さい。私なら無呼吸でもしばらく活動できますから」

 

 それに異議を唱える事はしない。1体や2体程度ならば対応出来るが、フロアを埋め尽くさんばかりの数に加え、光源がなく強烈な腐臭もあるとなれば平時のパフォーマンスすら発揮出来ないだろう。もどかしい気持ちはあるが、皆猛を信頼し賛成した。

 とは言え待つだけとなれば心穏やかではいられない。ソワソワと落ち着きなく車と入口を行き来する。代わる代わる往復し、その数が10を超えた辺りだろうか、猛が姿を現した。両手に持っている買い物籠にこれでもかと缶詰が詰め込まれている。食料の確保より猛が無事な事に安堵する。

 

「まだあるので取ってきます」

 

 買い物籠6個分の缶詰に、2Lペットボトルをケースで1ダース。車に積まれた戦利品に、不謹慎とは思いつつも心を躍らせてしまう。

 次いで衣服類と娯楽品の調達のため再入館。前述の食料調達が順調だった事もあり、皆心なしか楽し気な表情をしていた。男の猛には分からない事だが、着飾る事は楽しいだろう。こんな状況だからこそ、それを心から楽しめるよう粉骨砕身で皆を守るつもりでいた。

 猛の左右の肩を基点に3人1組の列を作る。制限された視界で、ライトを極力使わないための措置である。強化された視力と聴力ならば不意打ちの心配もない。

 まずは3階。フロア内には通常個体の姿が確認出来るが、目的の店内に奴らの姿はない。そのため猛は中には入らず、入口に陣取り備える事にした。姦しくなる彼女らに気後れした訳ではない。揶揄い目的で下着の意見を聞かれ慄いた訳ではない。どの服が似合うかと言われ困り果てた訳ではない。皆の安全のためだ。

 ファッションショーもそこそこに、上階の紳士服売り場に向かう。着せ替え人形になる事を危惧した猛は時間を盾に、チノパンと無地のTシャツと下着類をカバンに詰め込み、強制終了させた。その事に一部から不満の声が上がるが、教員の力で黙殺。

 ふと、猛が何度か鼻を鳴らした。

 

「この上階で火事があったみたいです」

 

 言われ、皆一様に鼻に意識を集中させる。確かにうっすらと焦げ臭さが漂っていた。

 

「て言う事は、生き残ってる人がいるかもしれないって事……?」

 

 由紀の言葉に誰も答えられなかった。

 電力の途切れたこの状況において火は手軽に光源となる存在であると同時に、扱いを間違えば破滅を呼ぶ存在でもある。上階から漂う焦げ臭さはそれを如実に語っている。奴らの攻撃によるものか、はたまたコミュニティ内のいざこざか。何れにせよコミュニティが無事だとは思えなかった。

 

 ・

 

 エレベーターを使おうとしたが、昇り降りを繰り返す奴らがいたため、非常階段に変更。手すりの隙間から上下を覗き込み、奴らの有無を確認。

 

「ここにはいないですが、極力声は出さないように」

 

 その矢先の事だった。上階の売り場から、耳を劈くような悲鳴が響き渡った。

 

「皆さんはここで待ってて下さい」

 

 言うや否や踊り場まで一息に飛び上がる。5階の入口には中身の詰まった段ボール箱によるバリケードが築かれていた。このフロアにコミュニティがあった証である。

 悲鳴はこのすぐ向こうから発せられていた。僅かに聞こえる声から床に近い位置から発せられている事、つまり倒れ込んでいる事が分かる。中段の位置にある段ボールを蹴り飛ばし、迫りつつあった奴らへとぶつける。一段下がった空間へ飛び込み、フロアへと進入。声に引き寄せられ10体近い通常個体がいた。段ボールを次々と投げ付け撃退すると同時に、退路を確保する。無事を確認しようと振り返ると、見知った人物である事にすぐ気付いた。

 

「直樹さん?!」

 

「せ、先生……?」

 

 猛の生徒である彼女──直樹美紀──は、目まぐるしく変わる状況に追い付けず、どこか浮ついた様子であった。

 

「立てますか。一度ここを離れましょう」

 

 そう言い手を引き、立たせる。そこで漸く我を取り戻したのか、表情を一変させる。

 

「圭が、圭が! 変なのに!」

 

 縋りつき訴える。自分でも何を言っているのか分からないほどに、彼女は恐怖と焦燥で混乱していた。

 

「! 祠堂さんが何かに追われてるんですね」

 

 伝わった事に、涙ながらに何度も頷く。しかしそこで気付く。仮に助けに向かってくれたとして、アレをどうにか出来るのか。奴らを貪り、容易く引き裂くアレを。

 

「この階段のすぐ下に佐倉先生達がいます。『変異個体が出たから外に逃げて下さい』と伝えて下さい。私は祠堂さんを助けに行きます」

 

 その事を期待していなかった訳ではない。だが見知った人をむざむざ死に追いやろうとしている事に、沈黙を貫く事もできなかった。しかし猛は1秒でも惜しいと言わんばかりに、彼女を非常階段に押しやり、フロア内部へと走っていった。声を掛ける事さ叶わず、瞬く間に見えなくなってしまう。

 

「せ、先生……」

 

 殺したのは自分だ、と再びショック状態に陥った彼女は、無意識に最後の指示に従おうと動き出した。覚束ない足取りで階段を下る。踊り場を2つ過ぎると、猛の言った通り慈達がいた。初めに気付いたのは慈である。尋常ではない様子の美紀に駆け寄る。

 

「直樹さん大丈夫ですか?」

 

「わ、私のせいで先生が死んじゃう……」

 

「本郷先生なら絶対に大丈夫です。何か言ってませんでしたか」

 

 無事を微塵も疑っていない態度、冷静な問い掛けが、彼女の心をいくらか安定させた。

 

「へ、変異個体? が出たから外に逃げて下さいって」

 

 その言葉に場の雰囲気が僅かに強張る。幸い美紀はそれに気付かなかったが、有無を言わさず慈に手を引かれた事に慌てて口を開く。

 

「先生は、猛先生はどうするんです?!」

 

「本郷先生がそう言ったのなら、私達はその言葉を信じて外で待ちます。私達に出来る事はそれしかないんです」

 

「……先生?」

 

 心苦しさを堪えた声音。ふと周りを見れば、皆も同じ様な表情をしていた。何故彼の行動を容認しているのかは分からなかったが、その事に心底納得している訳ではない事に安堵した。

 

 ・

 

 生きる事を諦めていたはずなのに、突然に訪れた恐怖と苦痛に彩られた死を前にして、私達は生への逃避を図った。

 親友の安否さえ頭から抜け落ち、唯ひたすら走っていた。それでもそれから逃れる事はできなかった。振り向かずとも、それがすぐ後ろにまで迫っている事が分かる。

 溶けたように働かない頭は最後に、漸く美紀の事を思い出した。

 せめて美紀だけでも生きていて欲しい。

 不意に視界が傾いた。とうとう力尽きたのかと、それとも背後の怪物に追い付かれたのかと思ったが、そうではなかった。何かに足を払われ、何かに受け止められていたのだ。

 

 ・

 

「祠堂さんしっかり!」

 

 聞き覚えがあったけど圭の胡乱な頭では思い出せなかった。だが突然訪れた浮遊感が彼女を強制覚醒させる。

 

「な、何で飛び降り──」

 

 その先の言葉は紡げなかった。

 1階から5階までの吹き抜けに飛び込んだのだ。まるで意識がその場に残されてしまった様な錯覚に陥る圭。垂れ幕を掴み減速しながらショートカット。丁度1階に辿り着いた慈達を盛大に驚かせながら着地。

 

「圭?! 圭!」

 

 詰め寄る美紀に半ば押し付ける形で圭を預ける。振り返ると同時に、変異個体が降り立った。

 衣服を破る程に隆起した上半身は、黒い長毛に覆われていた。明らかに校舎で対峙した個体より変異が進んでいた。

 頭部の形状を見るにコウモリか、と当たりをつける。口腔内に収まらない程に長大化した歯は血に濡れ変色している。人か通常個体かは判断出来ないが、吸血を行なっているようだ。

 

「佐倉先生、早く外に」

 

 声に出さず頷く慈。動かした足がガラスを踏む。その音を号砲のように変異体が彼女ら目掛け飛び掛かった。

 タイフーンを起動させた猛による迎撃。横っ面を殴り付け、円柱に叩き付ける。

 クラッシャーを装着し、猛は戦士になる。

 

「早く!」

 

 視線を向けないまま強く促す。固まっていたが漸く皆を伴い外に出る。

 変異体が呻きながら立ち上がろうとしている。跳躍と同時に体を回転させ、踵落としを繰り出す。逃げるように回避する変異体。猛は着地の屈伸で弾みを付け、床を砕いた蹴り足を軸に後ろ回しを見舞う。間髪の無い二撃目は顔面を捉え、商品棚をいくつも薙ぎ倒しながら吹き飛んでいく。その一撃はかなりのダメージを与えたのか、棚を払う動きに明らかな翳りが見えていた。それでも逃走の選択肢を取ろうとはしなかった。

 棚を投げ付け、猛がそれを叩き落とす間に接近。唯一肌が露出している頸部目掛け、挟み込む様に抜き手を放つ。手首に手刀をぶつけ僅かに動きを止め、その間に上体を後ろに逸らし、抜き手を空振らせる。ガラ空きになった頭部へ、逸らした上体を戻す勢いをプラスした猿臂を叩き込む。脳を揺すられた変異体は意識に空白ができる。その隙を見逃すはずがなく、無呼吸による速射砲の様な重く素早い連打を放つ。全身から血を散らしながら吹き飛んでいく。

 追撃に移ろうとしたが、轟音に寄って来た通常個体に邪魔をされる。脅威とはなり得ないが、辟易とするほどの数が集まっていた。強引に包囲網を破ろうとした瞬間、暗闇より何かが飛来した。

 胴体にまともに突撃を喰らい、奴らを薙ぎ倒しながら吹き飛ばされる。

 変異体はその姿を大きく変えていた。筋肉の隆起は下半身にまで及び、飛膜が形成されていた。

 立ち上がろうとする猛に、とどめを刺すべく飛翔からの体当たりを敢行。積み重なった奴らに足を取られているのか、ダメージによるものなのか、緩慢な動きだった。人としての知性が消え、殺戮種として発達した頭脳が直撃を確信し、加速を命じる。

 しかし直撃の寸前に、まるで息を吹き返したように体が跳ねた。加速の付いた顔面に叩き込まれるカウンターの飛び膝蹴り。骨と歯がへし折れていく音が、頭の中で響く。血を撒き散らしながら床に落ちる。

 ただの突撃でダメージを受けるほど柔な筈がなく、攻撃を誘発するための罠だった。

 血反吐を吐きながら何とか立ち上がろうとする変異体は、ダメージを全く感じさせない足取りで近付く猛の姿に恐怖した。戦うと言う選択肢はなく、力を振り絞り一心不乱の逃走に移った。四肢の全てを使い、這いつくばった状態からの大跳躍。そのままに飛行に移行し、街の中へ逃げようとした。

 それを猛が許すはずがない。初めの大跳躍の時点で追走し、足を掴み取っていた。

 変異体は恐怖した。何とか振り落とさなければ、とガラスを突き破り、すぐに反転し、猛をガラスに押し付けながら上昇。しかし屋上に差し掛かった瞬間、猛が縁を掴んだ事で止まる。それを振り解こうと羽ばたくが、拮抗は一瞬だけだった。引き寄せられ、屋上へと叩き付けられる。受け身も取れず転がる。

 仰向けで止まった変異体の視界に、上方から迫る猛の姿が映る。慌てて回避するが、手刀が飛膜を裂いた。

 欺瞞ではない、蓄積されたダメージにより動きの鈍重化。立ち上がった時には、眼前にまで接近されていた。反撃さえ許さない絶え間ない攻撃。踏ん張り切れず吹き飛ぶ。しかしそれは千載一遇のチャンスだった。遮二無二の最後の逃走。吹き飛ばされた勢いのままに飛行し、屋上から離れようとした。

 タイフーンからのエネルギーを全身に満遍なく供給するための回路を切り替え、両脚部へと集中させる。供給量が増大した脚部には、回路の存在を思わせる線が浮き上がっていた。

 地を割り、時速200 kmを超える速度で駆ける。

 柵の手前で寸分の減速もなく跳躍。右足を突き出し、全身の筋肉を硬直、関節をロック。一本槍と化した猛は、背を向け逃げる変異体へと突き刺さる。強化された皮膚と筋肉を裂き、その奥の脊椎を砕き、肉体そのものを両断した。

 

 ・

 

 屋上から一切の減速なく降り立った本郷先生。仮面を外し、汗に塗れた彼の顔を見て漸く安心できた。何故なら、返り血に濡れ、砕け散ったアスファルトの粉塵に巻かれながら立ち尽くす姿を、少しだけ怖いと思ってしまったからだ。


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