本郷猛のがっこうぐらし!   作:日高昆布

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今度は早めに投稿出来て良かったです…。

感想・批評よろしくお願いします。


その7

 変異体に気付かれてしまったのは、疲労から来る気の緩みのせいだった。ほんの些細なミスだからこそ、悔やんでも悔やみきれない。■■が泣きそうでいて、笑っているような顔でこちらを見ている。私も自分が今どんな感情を抱いているのかも分からない。

 自身の存在を誇示するように、曇りガラスの向こうで身を躍らせる変異体。扉が一瞬だけ軋み、間もなく決壊する。隙間から伸ばされた手が私目掛け────

 

 ・

 

「いやあああああ!!」

 

「美紀! 美紀!」

 

 自分の口から発せられる叫び声と、圭の必死な声に美紀は漸く覚醒する。眉根を寄せ、心配気な表情をした全員が自分を見下ろしている。そこでやっと悪夢を見ていた事と、魘されたせいで皆を起こしてしまった事に気付く。謝罪しようとしたが口がカラカラに乾いていて上手く話す事ができなかった。

 

「体、起こせますか?」

 

 慈の補助を受けながら、ゆっくりと体を起こす。額の汗が顔を流れていく。横から差し出された水を受け取る。一気に煽り、飲み干す。

 

「……水、ありがとうございます」

 

 差し出したのが猛であった事に気付く。空の容器を渡そうと伸ばした腕は汗で湿っていた。全身も汗で濡れている事を遅まきながらに自覚すると、その途端にそんな自分の近くに男性がいる事に猛烈な羞恥を覚えてしまう。暗いおかげで赤面した顔を見られずに済んで良かった、と思ったが、残念な事に猛の目には鮮明に写っていた。何に羞恥を感じているのかは分からなかったが、とりあえず深刻な精神状態でない事が分かった彼は立ち上がると、慈に話しかけた。

 

「たぶん大丈夫だと思いますが、一度校内を見回っておきます」

 

 そう言って退出しようとするが、弱々しい力で裾を引かれた、足を止めた。掴んでいるのは美紀だった。無意識だったのか、直後にハッとした表情で手を離した。振り返り、再び腰を落とす。

 

「どうしました直樹さん」

 

 自分でも何故手を伸ばしたのか分からないようで、答えに窮していた。さてどうしたものか、と思案していると意外な所から答えが飛んで来た。

 

「お兄ちゃんにここにいて欲しいの?」

 

「…………」

 

 沈黙が答えであった。

 

「じゃあお兄ちゃんも一緒に寝ようよ」

 

 今度は猛が反応に窮す番となった。彼女の安寧を考えると提案を了承すべきなのかもしれないが、そうすれば今度は慈や生徒達が安眠できなくなってしまう。かと言って美紀だけ連れて隣室で2人きりと言うのも彼女の負担になってしまう。

 と、答えの出ない窮状に困り果てていたが、皆の反応は予想外なものだった。

 

「まあ先生ならいいんじゃない」と胡桃が言い、

 

「アプローチに全く反応しないってクラスの子が言ってましたし」と悠里が爆弾発言し、

 

「めぐねえと一緒に寝ても何もしなさそうだし」と貴依が慈をオチに使う。

 

 自分の扱いに物申したかったが、猛に関しては今までの振る舞いを見ているとあながち否定出来なかった。

 皆の視線が猛に集中する。些か気になる部分が無きにしも非ずであったが、信頼の証として受け取る事にし、提案を飲んだ。しかし流石に隣り合う事は教師として了承できないため、壁際に寄って寝る事にした。

 

「……無茶を聞いてくれてありがとうございます先生」

 

「これで直樹さんが少しでも安心できるならお安い事ですよ」

 

「……ありがとうございます」

 

 眠る事への恐怖が完全になくなった訳ではない。それでも猛がそばにいれば、夢の中にも来てくれるかもしれない、と思う事ができた。徐々に強くなっていく眠気に身を委ねる。

 

「お休みなさい直樹さん」

 

 ・

 

 バタン、と後部ハッチが閉じられる。残す事になった食料の回収と、娯楽品と教材の収集にリバーシティトロンへと再度訪れた一行。変異体を排除した事で障害がなくなり、物資の回収は恙なく行う事ができた。これで当面の食糧事情は目処が立った。

 改めて慈は自分達が途轍もない幸運だと言う事を自覚する。長期的な生活が可能なほどに安定した生活基盤を作れた事、何より変異体と言う脅威がいる中で誰一人欠ける事なく今日を迎えられているのは、単に猛の存在があってこそだ。

 しかしだからこそ不安に思う部分もある。猛の話では小学校で戦った変異体とここで戦った変異体とでは、その変異具合が異なっており、それに比例して戦闘力も上昇していたと言う。ここで戦った個体にはまだ人の面影があったが、もしもっと変異が進み、もっと強くなってしまったら、果たして人類は勝てるのだろうか。もし猛しか対抗できる存在がいなかった……。

 その不安を口にする事はしない。生徒達を不安にさせてしまうし、それを一番懸念しているのは猛自身だろうから。

 

 ・

 

 教材をパラパラと捲りながら、後部座席で小学校の思い出話に花を咲かせる若狭姉妹と美紀と圭。解け込めるか一抹の不安があったが、裏表のない瑠璃のおかげで多少のぎこちなさはあるものの、順調なコミュニケーションを重ねていた。しかし何もかもが順調と言う訳ではない。

 ルームミラーに映る美紀と圭が浮かべる笑顔には翳りがある。かつてのコミュニティでの事と、それからの隠遁生活の経験がトラウマになっているのは美紀だけではない。時間に任せるしかない事に歯痒さを感じるが、この笑顔が曇るような事だけは避けなければならない。

 

「────ん?」

 

 強化された聴力が異常な音を拾った。それは平時であっても同様の音だった。10数メートル先の大通りの右方向から聞こえて来るそれは、カーチェイスの音だった。ハザードランプを焚き、後続の慈に停車の合図を送る。

 

「車の音?」

 

 その言葉の直後、2台の車が幾度も接触しながら猛スピードで通過していった。キャンピングカーを追うコンテナ付きの大型トラック。映画の中でしか見た事のない光景に静まり返っている車内に、突然タイフーンの起動音が響いた。

 

「せ、先生どうされたんですか?」

 

「変異体がバスを運転してました。先に学校に戻って下さい」

 

 返事を待たず、クラッシャーを装着した猛は、大通りではなく角の雑居ビル目掛け走り出す。看板を踏み台にあっと言う間に屋上へと姿を消す。

 

「悠里さん! 先生は何て?!」

 

 慌てて駆け寄った慈が問う。

 

「変異体が……バスを運転していたって」

 

「そんな……」

 

 ・

 

 大通りには乗り捨てられた車が散乱している。走行不能なほどではないが、回避するたびにけたたましいグリップ音が鳴っている。後続のトラックは回避の素振りさえ見せず跳ね飛ばしている。接触時の減速のおかげで追いつかれていないが、馬力の違いは瞭然であり時間の問題だ。

 障害物の位置から接触と減速のタイミングを図り、屋上からトラックへと飛び移る。しかし着地の寸前に、完全な不意打ちが猛を襲った。背後からの一撃は着地位置を大きくズラした。あわや地面に落下しかけるが、紙一重でキャンピングカーの淵を掴む事に成功。片腕の腕力のみでルーフ上へと上がる。

 振り返り不意打ちの下手人を視界に収める。

 前に突き出た鼻、血に汚れた長い体毛、趾行性の特徴を持つ脚部。人の面影が一切ない完全な変異体。

 極端な前傾姿勢からの加速。振るわれた爪を半身になり回避。背後から接近するよりも早く後ろ回し蹴りが繰り出された。格闘術を使う事に驚愕するが、同時に納得する。ルーティンで登校や通勤をするなら、身に付いた技術を変異体が使ってもおかしくはない。

 踏み止まり回避。しかし変異体は止まらず、跳躍しながら多段前蹴りを見舞う。後退しながら払い受けで捌く。着地と同時に拳が振われる。サイドスウェーで躱し同時に掌で流し、前足を軸に体を回転させながら変異体の背後へと回り込み、後頭部へ肘打ち。ふらつき、距離が開いた所に後ろ蹴りでトラックの方へと蹴り飛ばす。

 追う。

 構え、相対。ジリジリと間合いが詰まる。

 変異体の足が動くと同時に猛が脛を蹴り動作を挫く。そのまま甲を踏み潰し、間髪入れず頭突き。歯が砕け、血飛沫がマスクを汚す。

 趾行脚故か足を抜かれる。しかし大きなダメージを負っており、動きが鈍い。踏み込みきれず拳速も遅い。右腕を顔の横に通し、左右の掌底で挟み込みへし折る。骨が突出し血が噴き出す。悲鳴のような遠吠え。

 しかし感情を喪失している変異体は痛みでは長く怯まない。無事な腕で猛の脇腹を打つ。事前動作に気付くがガードが間に合わず、手の甲に肘を撃ち落とし威力を削ぐ。しかしそれだけでは終わらず、腕を破壊すると言わんばかりに連打を繰り出す変異体。堪らず距離を空ける猛。

 瞬間、トラックが轟音と共に大きく傾く。障害物が少なくなった事で100Km超で走行していたトラックがカーブを曲がりきれず、その車体を強かに激突させたのだ。

 場所は線路を跨ぐ陸橋。その衝撃で両者共トレーラー上から投げ出された。真下の屋根を突き破り、更にホーム上の店舗を破壊し落下。

 すぐさま瓦礫を押しやり立ち上がる猛。肘から血が滴っている。瓦礫の下には顔を潰された変異体がいる。

 跳躍し陸橋の上に戻る。既にかなり距離が開いてしまっている。全速力で走れば追いつけるかもしれないが、痛みきった体でどこまで出来るか。よしんば追いつけても反動で碌に動けないのでは話にならない。

 ふと、すぐそこでバイクの排気音が鳴っている事に気付く。

 

「……この状況で気の触れてしまったただのコスプレでは無さそうだね」

 

 オートバイに跨ったゴスロリの女性がいた。

 

 ・

 

 唸りを上げるエンジン。メーターは未踏の域に達している。再び増え始めた放置車両の隙間を、減速なくすり抜けていく。クールで飄々とした性格だと自覚している彼女だが、安全装置の一切ないジェットコースターに乗って取り乱さないほどの豪胆さは持ち合わせていなかった。しかも前方に見えて来た2台の車がカーチェイスを繰り広げているのだから、いつからゾンビパニック映画からアクション映画にジャンルが変わったのかと慄く。

 トラックに撥ねられ、ひしゃげていく放置車両を尻目に距離を詰めていく。しかし荒々しく蛇行するトラックの脇を通り抜けるのはリスキーに過ぎた。借り物のバイクである上、その場に残しておく事が危険だからと連れて来ているのだ。

 

「しっかり掴まってて下さい!」

 

 もうやってる、とは言わなかった。

 ハンドルを切り、中央分離帯に乗り上げている車両へと向かう。まさか、と思う間もなく、車両を踏み台に中央分離帯を飛び越える。下腹部を襲う不快な浮遊感はすぐさま、下から突き上げる強烈な衝撃に掻き消される。

 前を塞ぐ障害物がなくなり、バイクは更なる咆哮を上げる。急激なトルクの変化に前輪が僅かに浮く。法定速度を100kmを余裕で超過する速度で逆走。チェイスする2台を置き去りに通りを疾走。

 交差点に差し掛かると、白煙を上げるほどの強烈なブレーキングで180度回頭。再び急加速。

 何をするのか、とは問えなかった。

 急速に縮まっていく距離。キャンピングカーの脇をすり抜け、トレーラーが真横に来た瞬間、猛は両足で地面を蹴り下半身を振り上げた。体を捻り蹴りを叩き込む。比較する事自体が愚かと言うほどの重量差。しかし猛の蹴りはその差を凌駕する。

 インパクトの瞬間、トレーラー部全体が波打った。凹み、歪み、それでも衝撃を吸収しきれず片輪側全てが浮き上がった。リカバリーする間もなくあっさりと横転。あっさりと(・・・・・)、そうあっさりと(・・・・・)としか言い表せないほど簡単に横転してしまったのだ。

 ガードレール、車両、街路樹を巻き込みながら10数メートルを滑り、漸く止まる。

 そこに至り、彼女はドライバーが死んでるのでは、と言う考えに至る。どんな悪人だったのか、と思いを馳せていると、ドアが吹き飛んだ。ホッとしたのも束の間、そこから現れた者が人ではなく、更に手足を明後日の方に向けながら、歩こうとしている姿に吐き気を覚える。

 椀部へのエネルギー供給量を増大。スーツを内側から押し上げるほどに筋肉が膨張。走り出す。本能に従うままに迎え撃とうとする変異体の頭部を吹き飛ばした。

 

 ・

 

「ただいま戻りました」

 

 マスクを片手に生徒会室に姿を見せた猛。

 

「怪我もないようで良かったです。追われてた人は?」

 

 悠里が猛の無事を喜ぶと同時に、事の顛末を問い掛ける。

 

「助けられましたよ。それと、ドライバーとは別に生存者とも会いました。別のコミュニティに属しているそうです」

 

 生存者の存在、しかもコミュニティを築いている事に喜ぶ一同。

 

「どこにいる方達ですか?」

 

「聖イシドロス大学です」

 

 ・

 

「おい澄子。どこか行くならせめてノートに書いていってくれよ」

 

「……ああ。すまなかったよ」

 

「随分歯切れ悪いな。何かあったのか」

 

「いやあ、怪物とヒーローの戦いに巻き込まれてね。すごい御仁だったよ。赤目の奇妙なマスクと服を着ててね」

 

「赤目のマスク?」

 

「後ろ姿の隠し撮りだけど見るかい?」

 

「!! 澄子! どこで会ったんだ!」

 

「どうしたんだい急に……××橋の所でヒッチハイクされたんだよ」

 

「それでどこに行ったんだ!」

 

「もし何かあったら巡ヶ丘学院を訪ねてくれって言ってたけど……。何故そんなにご執心なんだい」

 

「生きてた。生きてたんだ、猛。……先生」

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