やはり俺がVtuberになるのはまちがっている。   作:人生変化論

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たぶん社長の本名覚えてる人ひとりもいない。


黒奈はデートする

 

やさいじゅーすさんとの通話から二日後の土曜日、俺はひとり朝から出かけていた。

何を隠そう、『何故か』誘われたやさいじゅーすさんとのディスティニーランドデートの為である。

 

集合場所である舞浜駅に向かう電車に揺られながら、車内をぼーっと眺める。

土曜日の上に夏休み真っ只中であるが故に、電車の中は割と混んでいた。この調子ならディスティニーランドなんて激混みだろうに、やさいじゅーすさんは軽々とチケットを確保してきた。流石は売れっ子イラストレーター、圧倒的な財力に八幡脱帽。

 

今日彼女と出かけるということは、ごく一部の人......というか社長にしか伝えていない。小町にも、あくまでV関係の人という情報のみだ。めちゃめちゃ聞かれたけどな。

というのも、やさいじゅーすさんの現状を鑑みると、どこまで話していいのか判断がつかなかったからだ。

 

 

 

『学生時代、どうやらトラブルがあったらしク、鬱のようになってしまいまシテ。実家の御屋敷の部屋かラ、出てこないようなんデース』

 

 

社長の言葉を思い出すと、鬱で部屋から出られないと言っていた。それなのに今日ここまでの行動を起こすとは、あまりにもおかしな話だった。

社長から情報を聞いたのは確か二ヶ月前程度だから、たった二ヶ月で外に出られるようになるまで回復するとは考えにくい。何か心境の変化でもあったのか、はたまた別の何かなのか。

 

それに加えて、俺がこのことを伝えた時の社長の反応も疑問だった。

少しだけ驚いたような表情を見せた後、『力になってあげてくだサーイ』との一言しか無かった。何かしら事情を知っているかのような反応、どうもきな臭い。

 

一抹の不安を抱えながら窓の外に視線を移すと、少しずつディスティニーランドが見えてくる。

白亜の城や活火山は夏の暑さで蜃気楼に包まれ、不思議な雰囲気を生み出していた。

普段とは違う夢の国。まるで異世界に迷い込んでしまうような気がして、俺は少しだけ目を細めた。

 

 

◇◇◇

 

 

電車から降りると、そこは既に夢の国の片隅である。

そもそもの造りがメルヘンチックだし、顔を上げるとディスティニーのキャラクター達が顔を揃えている。

見渡すと、至る所で女子高生たちが写真を撮っていた。俺もパリピギャルのつもりで写真をパシャリ。っべー、映えるわ。っべー。

 

ギャルの憑依を解きながら、待ち合わせできそうな場所を探す。ある程度見晴らしが良くて駅からそう離れていないところがいいが、如何せん人が多い。夏休みだからだろうが、家族連れから陽キャの集団までよりどりみどりである。つか、この人の多さのなかで本当に大丈夫なのか?

 

頭を悩ませながらてくてく歩き回っていると、いつの間にか駅のホームから外に出ていた。歩道橋というかデッキというか紛らわしいそこは人もまばらで、いい具合に日陰になっている。

柵からほんの少し身を乗り出して下を見ると、ディスティニーランドに向けての人の往来がよく見える。ここであれば改札を出てすぐだし、やさいじゅーすさんも迷うことは無いはずである。

 

柵に体を預けながら、俺はやさいじゅーすさんにこの場所の写真を送った。もうすぐで舞浜駅に到着するようだから、そう時間はかからないだろう。

さあこの数分間暇だ、何しようかしらん......って危ない、配信の告知忘れてた。

 

以前の雑談配信でも言っていた通り、今日の夜はアリスとのホラゲー配信の予定だ。その旨は既にやさいじゅーすさんに伝えてあるし、その為に午前中の集合にしてもらった。

手早くスマホを操作し、トゥウィッターに文章を打ち込む。後は理沙さんに作って貰ったサムネだけ貼り付けて終わりだ。この作業も、三ヶ月ちょっとすれば慣れるもんだな。

 

告知を終え、一息ついたも束の間のことだった。

 

 

「はーくん?」

 

 

途端、頭に電流が流れるかのような感覚。

この脳に直接響くカワボは間違いない、紛れもなくやさいじゅーすさんだ。

俺は声のした方を振り向きながら、期待をすると同時に覚悟を決めた。

 

しばらく外に出れていない引きこもりの娘。社長から聞いた断片的な情報だけではそう思ってしまうのも仕方がないというか、にんにくらーめん先生二号みたいな人が来る可能性も十二分にあるだろう。

だからこそ、どんな人物が来ても態度を変えることは無いと断言出来る。恩があるのはやさいじゅーすさんという個人に対してであり、彼女の姿形なんて全く関係のないことなのだから。

 

 

「......うっす。そちらはやさいじゅ____」

 

 

視界に飛び込んできたのは眩しいほどの白だった。

純白のワンピース。汚れひとつ無い澄んだ色は彼女の清純さを表しているかのようで。

肩よりも下まで伸びる髪は黒く艶やかで、栗色の瞳は不安そうに揺れている。控えめに握られた小さな鞄を持つ姿はまるで人形のようで、この一角を切り取っただけで美術館に飾ることできるだろう。

そのレベルで__いや、俺が人生で見てきた中でも一二を争う程の美人な女性が、そこには立っていた。

 

健康とはやや言い難い白い肌など、確かに現在進行形で引きこもりであったと言われれば納得してしまう部分もあった。ただ、それらを差し置いても余るほどの美貌だった。

 

そして。理性の塊だと自負している俺ですら目が行ってしまうほどの、そのふたつのたわわ。でかい、何がとは言わんけど。

幾ら目を逸らそうとしても自然に向かってしまうのは、避けられない男の性というか何と言うか。

 

 

「あ、あの......。もしかして聞こえてない...?」

 

「......や、聞こえてます」

 

 

予想外の光景に思考が停止していた俺に、やさいじゅーすさんは不安そうに声をかけた。

いや俺じゃなくても思考停止するわこんなん。超カワボで超美人ってなんなんだこの世の中。

 

 

「ふふっ」

 

「なに笑ってるんすか」

 

「ううん、わたしたちが最初に出会ったときも、こんなやり取りしたなーって。懐かしくなっちゃった」

 

 

優しく微笑む彼女に、思わず心臓が跳ねる。

夏場の日差しがやけに暑い。遮るように手をかざしてから、やさいじゅーすさんに向き直った。

 

 

「こっちのはーくんはわたしの想像通りだったなー。そのやる気のなさそうな瞳とかそっくり」

 

「俺は予想外すぎましたけど」

 

「それどっち方面に予想外だったかで意味合い変わるけどね」

 

 

むっとした顔で抗議するやさいじゅーすさん。ごめんなさい、正直悪い方向に予想してた。

頭の中のミニ八幡が土下座するのを冷ややかな目で見つめた。ほらミニ八幡、もっと謝りなさい!

 

 

「あー、じゃあ改めて自己紹介を。花咲...いや、比企谷八幡です」

 

「話逸らしたよね?......今回はゆるす。こっちでははじめましてだね、やさいじゅーすです」

 

 

彼女は手を後ろで組んで、俺の方をじっと見つめてくる。俺の方が幾らか身長が高く、上目遣いされているようでなんだか小っ恥ずかしい。

 

 

「今日はわたしの誘いを受けてくれてありがとう。はーくんもいろいろと忙しいはずだけど」

 

「いや別に」

 

 

これは心からの『いや別に』。アリスとの配信を除けば日中本当に予定がない。生粋のぼっち舐めんな。

 

 

「......で、今回はどういう理由で?」

 

「あぁ、うん。それなんだけど......まだ心の準備が出来てないというか......。と、とにかく!デスティニーランドに行ってから言うねっ」

 

 

頬を赤らめながら、まくし立てるように言った。

その様子はさながらギャルゲのワンシーンのようで、『俺これから告白されんじゃねーかな』みたいな妄想が頭をよぎる。

ええい、止まれ俺の妄想。勘違いは折本で満足だ。

 

 

「はーくん。わたしから誘っておいてあれなんだけど、今日はふたつだけお願いがあるの」

 

「お願い?」

 

「うん。ひとつは、わたしのことを別の名前で呼んでほしいなーって。ほら、たくさん人がいるところでやさいじゅーすさんって呼んでたら、色々とまずいでしょ」

 

 

俺がはーくんと呼ばれる分にはいい。別に珍しいあだ名では無いし、この人混みではーくん=花咲望だと判断できる者はいないだろう。

ただやさいじゅーすさんは別だ。珍しい以前にそんな呼ばれ方される人なんぞ一人しかいない。何を思ってやさいじゅーすなんて名前にしたのかは非常に気になるところではあるが、今は関係ないと余計な思考を振り払うように頷いた。

 

 

「他の名前って言っても、なんて呼べば?やさいさん、とか」

 

「せめてじゅーすさんじゃない?もうちょっと女の子っぽい名前あったでしょ」

 

 

俺のネーミングセンスにご立腹のようである。

何故だ、いいだろやさいさん。いかにも食物繊維たっぷりで健康そうだ。今なら千葉県産高級落花生も付いてくるよ!お得だね買うしかない。

 

こんなんだから小町に『女心が分かってないよごみいちゃん』とか言われるんだろうな。心から謝罪。

 

 

「も〜......わたしだけ、はーくんの本名知ってるでしょ?それってちょっと不公平だろなって思って。だから、はーくんもわたしのこと本名で呼んで欲しいな」

 

「......いいんすか、それは」

 

 

そう言われた俺は、思わず躊躇った。

やさいじゅーすさんや俺のようなネットで活動する者にとって、リアルの本名というのは非常に大きな意味を持つ。

身バレして特定されるなど、炎上や犯罪方面のリスクはもちろん付きものだ。だからこそ俺は事務所を介してケアしてもらっているし、やさいじゅーすさんも親が活動をバックアップしていると聞く。

 

俺が彼女の本名を知ったとしても大して影響はないだろうが、不安なのはやさいじゅーすさん自身だった。

引きこもりであるはずの彼女が、今日外に出ることが出来た理由は分からない。しかし引きこもってしまう大半の原因が、何かしらのコンプレックスを抱えていることに起因する。

コミュニケーション能力や協調性、容姿に__声。

彼女のどこに地雷があるか分からない以上、無理に現実の自分を想起させるべきではないはずだ。

 

 

「うん。......わたしはもう、大丈夫だから」

 

 

こちらの不安を悟ったのだろうか、少しだけ陰りのある表情で呟いた。

大丈夫の一言に込められた重さを、今の俺では到底計り知ることができなかった。

 

 

「白鷺黒奈っていうの。珍しい苗字でしょ?」

 

「白鷺さん......確かにあんまり聞かないっすね」

 

「はーくん、その......わたしってきみのこと下の名前で呼んでるでしょ?だからわたしもそう呼んでほしいなーって......」

 

 

照れくさそうに微笑む彼女の姿は、まるで一枚絵として飾れそうなレベルの美しさだった。

めちゃめちゃあざとい。めちゃめちゃあざといが、恐らくこの人は本心から言っているのだから恐ろしい。天性の人たらしである。

 

 

「はーくんがよかったらだけど、くーちゃんって呼んでくれてもいいんだよ?」

 

 

魂が浄化されていく。

嗚呼、天使はここにいたのか。今の聞き方はクリーンヒット、まさに会心の一撃。圧倒的で感動的な、理想的超えて完璧な一撃だった。俺もRAD化しちゃう。

 

 

「くーちゃ......黒奈さん」

 

「むー......」

 

 

不満そうにこちらをじとーっと見てくる。

普通だったらあざといと一瞥する台詞ではあるが、年上のお姉さんがやっていると言うだけで目を惹かれてしまう。こんな人クラスメイトにいたらさぞモテただろうに。

 

ああなるほど、きっとそれもあるんだろうな。

美少女で、カワボで、天性のあざとさ。女子同士の友人関係は男子の何倍も闇が深いと聞く。

やさいじゅーすさんが引きこもりになってしまった一端が今、垣間見えた気がした。

 

 

「それでね、もうひとつなんだけど」

 

 

真夏の炎天下。

少しずつ日は高くなり、日陰だったはずの場所を少しずつ光が侵食していく。

汗で肌に張り付いたシャツが鬱陶しくて、首元をパタパタと扇ぐ俺を横目に、彼女はそっと近づいてきた。

 

やさいじゅーすさんは一瞬だけ悩む仕草を見せてから、その白い手を伸ばした。それでいて躊躇うように手を引っ込めて、目をぎゅっと閉じた。

俺の手が柔らかな感触に包まれる。困惑するのもつかの間、肩が触れ合う程の近さにやさいじゅーすさんがいることに気づき、思わず心臓が跳ねた。

 

 

「まだ、人がいっぱいいる所は怖いから......。手、握ってて欲しいなって」

 

 

電車の到来を知らせる厳粛な鐘の音が、やけに大きく響いた。

 

 

◇◇◇

 

 

数多くの本に包まれた書斎。

部屋の中央には木で作られた机が置かれており、一台のパソコンと大量の資料が積み上げられている。

そこに鎮座するのは、艶やかな黒髪をきっちりと七三に分けた男。着物と浴衣の中間のようなラフな格好にも関わらず、真面目そうな雰囲気が漂っていた。

 

 

「これで一区切りか......」

 

 

男は椅子の上で伸びをした。男性らしい渋い声に関わらず、容姿は若々しい。やや痩せ気味の体型も相まって、二十代と言われても分からない程だった。

目の疲れを解すように目を閉じて揉んでいると、部屋の扉がノックされた。怪訝そうな表情で、扉の向こうにいるであろう人物に問いかけた。

 

 

「飯山さん?今日の業務終了はまだ先のはずだけど......まさか、息子さんになにか病気でも?それはいけない、急いで帰りなさい」

 

「い、いえ旦那様......息子は元気でぴんぴんしてますけれど、ってそうではなく!」

 

 

扉から顔を覗かせたのは妙齢の女性だった。

程よく肉づいた肢体はエプロンに包まれ、手には雑巾が握られている。頬には汗が一筋流れており、彼女が焦っていることは明白だった。

 

 

「そ、その。大変申し上げにくいのですが......」

 

 

次の瞬間、男の大きな声がこの家中に響き渡った。

 

 

「黒奈が一人でデスティニーランドに行ったあああ!?それも男とのデートでぇぇぇ!?」

 

 

クールな風貌を驚愕と焦燥に歪ませ、女性ですら思わず耳を塞いでしまうほどの大声で叫んだ。

 

 

「あの黒奈がデートだと!?しかも僕の知らないどこぞの野郎と!?ていうか電車に乗れたのかあの子!」

 

「も、申し訳ございません!止める暇も無いくらいの速さでお家を飛び出してしまって......。でも、確か電車ではなく『知り合いのおじさんに送って貰うから』と仰られていたような」

 

 

女性の言葉を聞いて、彼はピタッと動きを止めた。

数秒の思考のうち、唸るように手を頭に当てた。悩む姿はやけに様になっていて、クールで一般的にはイケメンと捉えられるだろう容姿と相まって、ドラマのワンシーンの様であった。

 

 

「あいつか、そうか......。ごめん、取り乱した。いつも迷惑をかけるね、飯山さん。大変不本意だが、あいつ(・・・)が関与しているのなら大丈夫だろう。黒奈のことは心配しなくてもいいよ、業務に戻ってくれ」

 

「は、はぁ......。失礼致します」

 

 

怪訝そうな表情を浮かべた女性が部屋から出ていくのを見届けて、男は大きくため息をついた。

懐から自身のスマホを取り出し、知り合いのある人物に電話をかける。

 

 

『あらラ、バレてしまいましたカ』

 

「バレてしまいましたかじゃないよ、本当に......」

 

 

通話相手の何も気にしていないような反応に、もう一度大きくため息をついた。

 

 

「黒奈を唆したのは君か、ジョン」

 

『心外ですネー、ワタシは協力を頼まれたにすぎませんヨ。彼と共に出かけたのは紛れもなク、彼女自身の意思によるものデース』

 

「彼......また君のところの花咲くんか。まったく、黒奈といいうちの子といい、皆こぞって彼に変えられてしまう」

 

『ほウ、黒奈チャンだけではなくあの子もですカ?』

 

「先日、例のイベントに出るという報告があったばかりでね。人と話すことを極端に恐れていた彼女がここまで変わるとは、随分と驚かされたものだよ。確かに差異はあれど、黒奈もあの子も問題の部分は似ているが......花咲くんには特攻でもあるんじゃないか?」

 

 

同じの男に影響されるなんて、まるでラブコメみたいじゃないか。

そう付け足してから、窓の外をそっと眺めた。

 

 

「なあ、ジョン」

 

『どうしましタ?』

 

「黒奈は、変われるだろうか」

 

 

男の表情は、たちまち不安そうなものになった。

そこにいるのは威厳のある大人ではなく、ただ娘を心から心配するひとりの父親だった。

 

 

『それはワタシにも分かりませン。変えられるのだとしたらそれハ......花咲クンだけでしょうかラ』

 

「随分と、彼のことを信用してるんだな」

 

『ええ。花咲クンの活動を見ていれば分かりますガ、彼には自分を犠牲にする癖があル。小説の時も普段の配信も、自分が叩かれ傷つくことを厭わなイ。問題解決の為ならバ自身をも犠牲にするその在り方は、多くの人にとって毒でしょウ』

 

 

そう語るジョンの声色は、男が聞いたことの無いくらい重く、それでいて不安げだった。

 

 

『彼はきっと、自分が犠牲になることで周りの人間がどんな反応をするか知らないのでス。今でもひとりだと思っているシ、思っているからこそまちがえル。自己犠牲は一時的な解決にはなりますガ、将来的に見れば決して良い結果にならなイ』

 

『でも、黒奈チャンにはそんな荒治療が必要なのデース。深く傷つき、本当の自分を閉ざしてしまった彼女には、花咲クンのような存在がいるべきなのデース』

 

 

男はふと、今までの黒奈の様子を思い返した。

黒奈は引きこもりだが、全く部屋から出てこないという訳でもなかった。掃除のために外に出るし、男__父親と打ち合わせのために顔を合わせたりする。

しかしどんな時でも、黒奈の顔は暗く陰りがあった。イラストレーターとして活動を始めても、それは変わらず。仕事も目標も、どんな評価に対しても黒奈の瞳に光が灯ることは無かったのだ。

 

そんな彼女が、花咲との出会いを経て一変した。花咲の話をする時は顔が綻び、時折嬉しそうな声が彼女の部屋から響いていて。

花咲の依頼を継続的に受けたいと言ったのも、黒奈自身だった。彼女が自発的に行動するのは何時ぶりだろうかと、男はさぞ驚いたものだ。

 

 

「......信じるよ。君が信じる花咲くんをね。黒奈はもう、僕では届かない所まで自分を覆い隠してしまった。でも彼ならきっと、黒奈を探し出してくれる」

 

『えエ』

 

 

そう言ってから、男は窓に手をついた。

肩が揺れ、しっかりとしていた筈の声が震える。

 

 

「僕は、何も出来なかった。黒華も、黒奈も。......理沙ちゃんも、誰ひとり救えなかった......っ」

 

『......そんなことないでス。黒華サンの件は残念でしたが、ワタシたちがどうこうできることではありませんでしタ。黒奈チャンと理沙は......アナタの忙しさと、理沙の正義感と、副社長の欲望。そしてワタシの無力さが招いた結果デース』

 

 

ジョンは慰めるような優しい声色で言った。

 

 

『いいですカ、アナタはワタシたちのなかで一番の天才デース。誰よりも早くVTuberに目をつけ、一度はどん底まで落ちたのにも関わらず、トップと言われるまで成長させタ。だから、自信を持ってくださイ』

 

『黒華サンはもういない。黒奈チャンには花咲クンがいる。理沙は、新しいやりがいを見つけていまス。だから、アナタは自分のやるべきことをやってくださイ。ウチも最近は勢いがいいですからネ、直ぐに追いついてしまいますヨ〜?』

 

 

最後は煽るようにして締めたジョンに、男は思わずクスッと笑ってしまう。

目尻に浮かんでいた雫を指でそっと拭った。

 

 

「まったく。君には......いや、君たちには敵わないな、本当に」

 

 

男とジョンは、学生時代からの友人だった。

成績も、大人になってからの業績も常に男が上を行き続けていたが、人間的な部分でジョンに勝てることは一度もなかった。

のらりくらりとした態度で、人をイラつかせることなんてザラにある癖に、人一倍情に厚い。変なところで抜けている癖に、先を読む嗅覚は誰よりも優れている。ジョン・ルーンとは、そういう男だった。

 

 

「今度、理沙ちゃんも連れて三人で呑みに行こう。黒華が好きだった麦焼酎を持ってね」

 

『いいですネ。その方が彼女も喜ぶでしょウ』

 

 

夏の空を見上げると、どこまでも雲ひとつない空が広がっている。

男は今頃黒奈は何をしているだろうかと考えながら、昔話に思いを馳せた。

 

 

◇◇◇

 

 

「はい、はーくん。あーん」

 

「あ、あーん......」

 

 

恐る恐る口を開けると、できたてで湯気がたっているチュロスが口に放り込まれた。

流石夢の国、外サク中フワで美味いって熱っ!?

そうだよ、出来たてなんだから熱いに決まってるだろ。それなのに俺が噛み切るまで黒奈さんはチュロスを離してくれない。鬼かこのひと。

 

俺たちは今、デスティニーランドの中を歩いていた。

チュロスを俺に食べさせるためだろう、手を繋ぐ以上に密着していて、腕に黒奈さんのたわわな感触が伝わってきた。健全な高校生男子には刺激が強すぎる。

 

なんとか噛み切ったチュロスを口の中でもごもごさせながら、ぼーっと辺りを見渡す。

夢の国らしく数多くのリア充がイチャイチャしながら歩いているが、中には男だけのグループもいて、こちらを羨ましげに見つめている。

視線の先は一目瞭然、黒奈さんの美貌とそのたわわに注がれていた。そんな美女と仲睦まじく歩く俺に、こいつら殺そうとしてるんじゃないかと錯覚するような視線を送ってきた。

すまんな世の非リアども。さあ、どれだけ打ちのめされようと、心を燃やすんだ。

 

 

「はーくん?」

 

「......すみません、ちょっとぼーっとしてました」

 

 

危ない危ない、どこぞの柱に憑依されてた。

俺が齧ったチュロスを、何の躊躇いもなく食べる彼女に尊敬の念を向けつつ、黒奈さんについて考える。

 

幾つかアトラクションを回って分かったことは、彼女が自身の声に対してコンプレックスを抱いているという事だった。

俺からしたら今までに聞いたことの無いレベルのカワボなのだが、黒奈さんはそうではないらしい。

今日の黒奈さんは、『怖いから』という理由で声のボリュームを最小限に抑えていた。それこそ、隣に居る俺ですらかろうじて聞き取れる程に。

思いがけず大きな声を出してしまった際には、ハッとした表情で口元を覆い、少しだけ肩を震わせていた。

 

他人から視線を向けられることは気にしないところを見るに、彼女のコンプレックスが声である事は明白。

恐らく声に関連した何かが学生時代に起こり、それが原因で引きこもりになってしまったのだろう。

ただその事実を知ったところで、俺に出来ることは何も無い。というか、黒奈さん自身解決を望んでいないように見える。黒奈さんが何も言わない以上、俺は彼女が今日の目的を語るのを待つことしかできない。

 

 

「えと、次は......そうそう、スプライドマウンテン!」

 

 

スプライドマウンテンは、デスティニーランドにある数多くのアトラクションの中でも特に有名で、長い時は数時間待ちの列が出来る。待つことは覚悟の上、諦めることを視野に入れていたのだが。

 

 

「あれ?意外と列短いね」

 

「あー......あれじゃないっすか、パレード」

 

 

視線をスプライドマウンテンから視線を先に移すと、がやがやと人だかりが出来ていた。あの辺は確か広場があり、パレードが開催されるにはちょうどいい時間だった。

 

 

「どうします?」

 

「う〜ん、甲乙つけがたい......。でもアトラクションは結構乗ったし、パレード見てこっか」

 

 

黒奈さんは俺の耳元で、囁くように言った。

耳にぞわぞわとした感覚が走り、変なことをしている気分になる。

頭に浮かんできた煩悩を振り払いながらなんとか頷いて、人だかりに向け歩き出した。

 

広場に着くと、見た目以上に人でごった返していた。さすが真夏のパレード、季節限定の内容がある事も相まって、後ろからでは到底見えそうにない。

黒奈さんと顔を見合わせて、これは無理そうだと苦笑いした。その場からそっと離れて、広場の端にあるベンチへと向かった。

 

パレードの真っ最中だからだろう、端にはほとんど人がいない。いちゃつく男女と休憩する家族が何組かいるくらいで、大半のベンチががら空きだった。

特に周辺に人がいないベンチを選び、二人で腰掛ける。ぼーっとパレードの喧騒を眺めながら、どちらも声を発さない時間が続いた。その沈黙は不思議と気まずくなく、落ち着いた雰囲気にほっと息をついた。

 

 

「......楽しいね、今日」

 

 

沈黙を破ったのは黒奈さんだった。

変わらずに前を向きながら、楽しそうに微笑む。

 

 

「黒奈さん、絶叫耐性あったんすね」

 

「弱いと思ってた?」

 

「正直」

 

「意外と得意なんだよね、絶叫系。ちっちゃい頃は家族でよく乗ってたな〜」

 

 

びっくりしたでしょ、と微笑む彼女の横顔は、いつにも増して綺麗だった。

白亜の城を背景にして佇む黒奈さんはどこか儚げで、夏の蜃気楼のように消えてしまいそうな錯覚がした。

 

 

「......黒奈さんは、どうして俺の依頼を受けてくれたんですか」

 

 

以前からずっと疑問だった。気に入った仕事しか受けないはずの彼女が、全くの未知であるVTuberの仕事を受けたこと。それが、他ならぬ俺だったこと。

そもそも俺の予想が正しかった場合、最初の通話を受け入れてくれたことすら疑問だ。声にコンプレックスを持っているのなら、どうして俺と通話することが出来たのか。

 

 

「う〜ん、強いて言うなら......」

 

 

黒奈さんは俺の方に向きを変えて、ずいっと距離を詰めてきた。

片手をベンチにつき、もう片方の手は人差し指を立たせ俺の口元に寄せてくる。ゆっくりと近づいてきて、柔らかな指が俺の唇にそっと触れた。

 

 

「ないしょ、かな?」

 

 

ぱちっとウィンクをひとつ。それから柄にもないことをしたと照れくさそうに微笑んで、指を離した。

黒奈さんは体を起こしたが、先程よりも距離が近い。肩どうしが触れ合ってしまうほどの距離に、自然と目眩がする。

前と同じだ。今でもこのお姉さんに勝てないらしい。

 

 

「ふー......」

 

 

下を向いて、彼女は大きく深呼吸をした。

それだけで黒奈さんの纏う雰囲気が真剣なものに変わったのだと理解する。決意を固めたように、俺の目をじっと見てきた。

 

 

「あのね、はーくん。聞いて欲しいの。わたしが今日、きみに言いたかったこと」

 

 

先程からかってきたとは思えないほどに頬を赤く染め、言葉を何度も飲み込んでいる。両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、祈るように黒奈さんは言った。

 

 

「あ、あのね。わたし____」

 

 

彼女の姿がぼやける。

夏の蜃気楼。そうだ、蜃気楼。黒奈さんは確かにそこにいるはずなのに、直ぐに消えてしまいそうな予感がした。

 

 

 

「黒奈?」

 

 

 

「えっ......?」

 

 

そう声をかけたのは、見知らぬ女性だった。

大学生くらいだろうか、茶色の髪をポニーテールに纏め、薄縁の丸眼鏡を掛けている。

スキニージーンズにダボッとしたシャツ。デスティニーランドのキャラクターであるパンさんが模されたキャップを被るその女性は、クールと言うよりもボーイッシュな風貌だった。

 

 

「......知り合いすか」

 

 

そう尋ねるが、黒奈さんからの返事はない。

怪訝に思い隣を見ると、黒奈さんの顔は驚愕の表情に染まっていた。瞳は大きく開かれ、ぐらぐらと揺れている。

彼女は何も言わずに立ち上がり、俺に視線を向けた。途端に俯いてしまい、顔は陰に隠れている。

 

 

「ごめん、今日は帰るね」

 

 

急に呟いた彼女に、俺は驚きを隠せなかった。

この女性は昔の知り合いかなにかか?向こうは黒奈さんのことを知っているようだし、何かしらの関係があることは間違いないだろうが。

 

 

「待って!私はただ貴女に謝りたいだけなの!あの頃からずっと......」

 

「っ......!」

 

 

女性がそう言った瞬間、黒奈さんは弾かれたように走り出した。

それの様子を見て、俺も続くように立ち上がる。ここでひとりにしては行けないと、心のどこかで叫んでいるようで。

 

 

「来ないで!!」

 

 

初めての拒絶。

今までにない程大きな声で、はっきりと口にされた。

思えば今まで、黒奈さんに否定されたことはなかった。だからこそ、彼女の口から出た言葉だとは到底信じることが出来なくて。

 

 

「わたしは、だいじょうぶだから」

 

 

消え入りそうな声だった。大丈夫ではないことなんて誰にでも分かるのに、俺の足は動かない。

黒奈さんは途端に人混みに紛れ、蜃気楼のように消えてしまった。この場に残されたのは呆然とする俺と、今にも泣き出しそうな顔で佇む女性だけだった。

 

 


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