やはり俺がVtuberになるのはまちがっている。 作:人生変化論
身の回りの色々なことがひと段落したので、ぼちぼち更新再開します。
今回シリアスで筆が乗って、過去最長になってしまいました。
明るかった外が少しずつ夕焼けに染まり、冷やされた車内がオレンジ色に照らされている。
カタカタと響くエンジンの駆動音。有名な外車らしい、ということは知っているけれど、詳しくないわたしにとってはさっぱりだった。
ぼんやりと、車の外を眺める。
ついさっきまでいた夢の国は少しずつ遠ざかり、白亜の城はその姿をぼんやりと隠していく。あんなにも楽しかった瞬間は久しぶりで、それでいて底なしの喪失感に襲われた。
(はーくんには、悪いことしちゃったな......)
はーくんとのデート中、あの人に会ってつい衝動的に飛び出してしまった。
現実から逃げたくて、離れたくて、____あの時と同じ。無我夢中でデスティニーランドから出た時には、既に何もかもが遅くて。
はーくんは、わたしのこと嫌いになったかな。
勝手にデートに誘って、勝手に拒絶して、勝手に帰る。こんな女、誰だって嫌うに決まってる。
「......」
じっと外を眺めるわたしの横で、ジョンさんは何も言わずにハンドルを握っていた。
彼はお父さんの古い友人で、わたしたちは小さい頃から家族ぐるみの付き合いだった。お父さんとお母さんと、ジョンさんと理沙さん。四人が集まったときは皆本当に楽しそうで、唯一の子供だったわたしは我が子のように可愛がられたことを覚えている。
でも、そんな夢のような日々はもう戻らない。
お母さんは不慮の事故で亡くなった、と聞いた。聞いただけで、本当に不慮の事故なのかは分からない。だってお父さんもジョンさんも、お母さんに関してなるべく遠ざけようとしているから。
理沙さんに何が起きたのかは知らないけれど、そのふたつの件を境に三人が疎遠になったことは確かだ。
関係が元に戻り始めたのはつい最近、それこそはーくんのデビューと同じくらいの時期。たぶん、お父さんを通してわたしに依頼したことがきっかけだったのだと思う。
「彼に、伝えてください」
「......何と?」
ずっと口を噤んでいたジョンさんは、わたしの言葉に答えるようにして口を開いた。
その瞳は前だけを見つめていて、どんな表情を浮かべているのか全く分からない。
「わたしは大丈夫だから、心配しないで。......それと、自分勝手なことしてごめんね、って」
許されないことだって分かってる。
彼は理由も知らず、一方的に突き放された。それがどんなに酷なことで、どんなに辛いことか。
わたし、この期に及んでまだ期待してる。
追いかけてきてくれるんじゃないか。物語の中の王子様みたいに、魔法の馬車に乗って、わたしを助け出してくれるんじゃないか。この先の見えない暗闇から、きっと。
そう思う資格なんてないのに、愚かな考えを捨て去れない自分自身に嫌気がする。
ここはもう、夢の国じゃない。楽しい時間はいつか終わりが来るように、美味しいものは食べると無くなってしまうように。夢の国から離れれば、そこは平坦な現実が広がるだけ。
「......アナタが抱えている物の重さは、ワタシには分かりません。今までも、これからも」
でもね、と。
「それは、八幡を信じない理由にはなりませン。彼はひねくれてますケド、きっとアナタのことを知ろうとするでしょウ。その時まで、八幡のことを信じてあげてくださイ」
ジョンさんはそう言って、再び黙り込んでしまった。
信じる。その一言が胸を埋めつくして、ぼーっとした感覚に包まれる。
はーくん。花咲くん。比企谷くん。
彼のことを考えると、なぜか一筋の涙が零れた。
つらいよ。ずっと、ずっと。
自分を隠したくない。暗くてひとりぼっちの部屋から抜け出して、広い世界に飛び立ちたい。
きみの隣で、いっしょに笑い合っていたい。
「っ......」
心の堤防が決壊したように、涙がとめどなく溢れる。
右手だけでは抑えきれなかった雫が頬を伝わり、ワンピースの裾にちいさな染みが広がった。
濡れた目をごしごしと拭って、泣き腫らした目で夕焼けを見上げる。
夏らしい蜃気楼に包まれていた夢の国は、橙色の空に覆われていた。硝子に反射する夕日の眩しさに少しだけ目を細めて、わたしは自身の過去を思い返した。
◇◇◇
小さい頃から生粋のぼっちだったわたしにとって、学校っていう場所は何よりも辛いところだった。
人と関わることが苦手で、コミュ障の陰キャ。いつもクラスの端っこに陣取って、ひとりで絵を描いて時間を過ごしていた。
『おいネクラ!またお前キモイ絵書いてんのかよ』
小学校の時は、やんちゃな男の子たちにそうやって囲まれたっけ。助けてくれる友達もいなかったわたしは、泣くことしか出来なかった。
中学校に上がって、周りが大人びてきたと共に、わたしを見る視線が少しずつ変わっていることに気がついた。
『おい、白鷺ってさ......』
『クラスでいちばんデカいって噂だよな。顔隠れてるけど、実は可愛いらしいし』
自分で言うのもあれだけど、その、わたしは他の子と比べて発育がよかったんだ。
そういうことに興味が出てきた男の子たちにとっては、格好の的だったんだろう。遊園地の動物を見ているように、離れたところからこそこそ噂されるのは、何よりも気味が悪くて。
絶対に聞こえる距離で、下品な話をされたこともあった。彼氏が興味を持ってるとかで、女の子から意味のわからないやっかみを持たれたこともあった。
わたしが悪いの?
発育がいいのも、コミュ障なのも、陰キャなのも、ぜんぶわたしが悪いの?
わからない。わからなかった。そしてそれは、今も。
毎日毎日ぐるぐると悩んで、自然と人と関わるのが苦手になって。高校生になる頃には、家から出られなくなってしまった。
・・・
通信制の高校に通いながら、ほとんどの時間を部屋の中で過ごした私だったけれど、決して退屈はしていなかった。
ひとつは絵の存在。フォロワーも多くなくて、依頼が頻繁に来るわけでは無かったけれど、好きな絵を描いて色んな人に喜んでもらえる「やさいじゅーす」としての活動は充実していた。
そして、もうひとつ。
「今日も配信来てくれてありがとうございます。......ゆっくり休んでね、おやすみなさい」
もこもこのパジャマというラフな格好をした私は、デスクの上に置かれたマイクに向けて囁いた。
このとき私は、Theytubeで配信者として活動していた。当時はVTuberっていう存在が広まっていなくて、自分で書いた立ち絵を固定キャラクターにしていたのをよく覚えている。
配信を始めた理由は、大したものじゃなかった。
部屋に引きこもってからずっと、誰とも話せないことが悩みだった。扉の向こうから話しかけてくれるお父さんにさえ、体が震えて何も言えない自分を変えたかったんだ。
最初は一人も配信に来なくて、誰も聞いていない画面の先に向かって、話し続けるのは辛かった。けれど、配信をある種のリハビリのように捉えていた私にとって、案外都合が良かったのかも。
少しずつ話すのにも慣れて、回数を重ねるうちに、見に来てくれる人が増えていった。
決して多くない登録者、多くないコメント。それでも、その環境は充分過ぎるほどに満たされていて、心地よかった。
「今日の反応はどうかな、っと......」
SNSを立ち上げて、活動名である『くろねこ』を検索する。
毎日のように行っていたエゴサーチ。いいコメントばかりじゃないし、嫌なこともたくさん書かれてる。けど、そういう評価も、自分の一部として受け入れるようにしていた。やっぱり心のどこかで、現実から逃げた自分を変えたい気持ちがあったんだと思う。
・くろねこちゃん可愛かったああ
・声にまじで癒される、仕事頑張るわ
・大物になって欲しいけど知られて欲しくない気持ち、わかる?
・くろねこって配信者、男に媚びてる声で好きになれん
・典型的なぶりっ子って感じよな
・男釣って貢いでもらうの、何が楽しいんだか。そりゃ何もせんで金貰えるんだから幸せか
「っ......」
ネットで言われている批判は、リアルで言われていたことと殆ど同じだった。対象が容姿から声に移っているだけで、本質は何も変わっていない。
たぶん、一生こうなんだろうな。私。
現実でも、ネットでも同じ。女の子なだけで、ちょっと人と違うだけで、どこか1歩引いた目で見られる。そういうレッテルを、一生貼り付けたまま。
「ははっ......どうすればいいんだろ」
思わず、乾いた笑みが溢れた。
現実から逃げて、引きこもって。必死に飛び込んだネットの世界も、きっと逃げ出したい時が来る。
どうしようもない。どうしようもなく、詰んでいた。
私の居場所は、どこにあるんだろう?
現実にもネットにも無いとすれば、もう。
「......ごめんなさい、お母さん」
事故で亡くなったお母さん。最後に立ち会えなかったお母さん。私が学校のことで泣いていたら、いつも頭を優しく撫でて、一緒に絵を描いてくれたお母さん。
いつもは死にたいだなんてことを、絶対に考えないようにしていた。それはまさしく、最後まで生きたいと願っていたであろうお母さんに対する、何よりの冒涜だったから。
でも、今だけは。どうしようもない『今』から目を背けることを、許して欲しい。
私はおもむろに立ち上がって、カーテンの閉められた窓辺に向かう。
音を立てないようゆっくりと開く。すっかり暗くなった外の世界。朧気に辺りを照らす月に、小さな星たちが舞うようにして散らばっていた。
何も変わらない星なのに、いつも通りの星なのに、思わず目を奪われた。パソコンの明かりのみ煌々と光っている暗い部屋に、優しい月の光が差し込んでくる。
星々に向けて、私は両手をぎゅっと握る。
儚い光を目に焼き付けながら、そっと願った。
どうか、神様。私の願いが叶うのなら____
「私に、居場所をください」
遠くの星が、ちいさく煌めいた気がした。
・・・
『くろねこ』としての活動を始めて、一年が経った。
一年もあれば人間は変わるもので、かくいう私もひとりで外出ができるくらいにはなった。
それでも人の視線に晒されることは相変わらず苦手だったし、インドア派な性格も相まって、滅多に外に出ることはなかったけれど。
小さな一歩。けれど私にとっては大きくて、配信してて良かったなぁ、なんて思ったりもして。
現実だけじゃなくて、配信活動も案外順調だった。
登録者数は順調に伸びて、同接もある程度の数字を維持できるようになっていた。増えていく数字に、たくさんのコメント。批判も多くて、辞めたくなる日はもちろんある。けれど、「悲しい」を上回るほどたくさんの「嬉しい」が、そこにあったから。私はこの先の見えない世界でも、なんとか生きていられた。
「やば、安地遠いかも」
『うわほんとだー。くーちゃん、車乗って行こ』
「おっけー!」
銃を抱えている兵士を走らせ、私はそう答えた。
当時流行っていたバトロワ系FPS。プレイヤーは三人称視点でキャラクターを操作しながら、最後の一人になるまで争うゲーム。
元々対人ゲームは苦手で毛嫌いしていた私だったけれど、1度手を出してみると見事にハマってしまって、毎日のようにゲーム配信を行っていた。
『ふー......流石にこうも長時間やってると疲れるわね。くーちゃんは大丈夫、疲れてない?』
「え?ぜんぜん大丈夫だよ」
『......相変わらず体力モンスターだわ、あんた』
私が運転する車の助手席に座るのは、私と同じ容姿の兵士。そしてそれを操作するのは、私と同じ配信者である女性だった。
半年ほど前、私がこのゲームを初めてすぐに彼女と出会った。キャラクターの容姿を変えることはできず、硬派なFPSで女性人口が少ないため、女性でありながら配信まで行う私を珍しく思ったらしい。
直ぐにDMを送ってくれて、何度かやり取りして、コラボ配信まで行って。何時間も共に過ごしている内に、親友のような、姉のような存在になっていた。
「どのルートで行くべきかな、これ」
『難しいね......北方向の街通るのが最短だけど、あの橋渡らなきゃだから待ち伏せされやすいし。ギリにはなるけど、できる限り迂回しよ』
「りょーかいです、隊長!」
『いい返事だ、隊員くん』
心の中でビシッと敬礼して、車の進行方向を変える。
軍用車両なのか、角張って大きい車体が激しく駆動音を鳴らし、遮蔽物の少ない平地を駆けた。
「この車って、現実には存在しないやつなの?」
『ううん、実際に使われてたやつっぽい。そもそもこのゲーム、コンセプト自体がリアルに沿ってるから。銃も全部実在してるしね』
「へー。流石凜音ちゃん、物知り」
『そういうくーちゃんは興味なさそうね......』
「でも銃とかは好きだよ?結構可愛いのもあるし」
『あんたが好きなのってスナイパーライフルでしょ。どこが可愛いのよあれ』
「ほら、あのフォルムとか」
『ちょっと理解できないかもごめん』
人を異常者みたいに言われても困るなぁ。
長くてすらっとした形は強化版タチウオみたいだし、一発一発を大切に撃つ姿なんてまるでイカがスミを吐くみたい。ちなみに私は秋刀魚がすき。
『お、リアルくろねこちゃんどうでしたか?ってコメント来てるよ』
「あれ、私たちが会った話って皆にしてたっけ」
『この前の配信で言ったじゃん、初めて二人で会ってきまーすって』
安全地帯に向かう道中、コメントを読んだ凜音ちゃんがそう話しかけてきた。
確かに思い返せばそんなことを言ったような気もする。ぼんやりと。
『みんなリアルくーちゃんに会ったことある?あるわけないかうわ可哀そうー』
ナチュラルにリスナーを煽る凛音ちゃんを横目に、初めて彼女と現実で会った日のことを思い出す。
今プレイしているFPSのリアルイベント、というかカフェのチェーン店でのイベントに行こう、と凛音ちゃんに誘われたのがきっかけだった。
ちょっとした外出程度はできるくらい精神的にも回復していたし、私と凜音ちゃんの住む場所が以外にも近かったことが、誘いに乗るハードルを低くしていたように思う。もちろん、女の子が相手だからこそだけど。
待ち合わせ場所に着いた途端、逃げ出したくなるくらい緊張したのをよく覚えている。学校の人付き合いすら上手くいかなかったから今があるのに、ネットの人となんて上手く話せるのか、とか。こんな根暗で、凜音ちゃんにがっかりされないか、とか。
それはぜんぶ杞憂だったって、すぐにわかったけど。
「最初はほんとにびっくりしたよ。私はすっごく緊張してるのに、凜音ちゃん目輝かせながら抱きついてきたんだもん」
『そ、それはごめんというかあたしの悪い癖というか......。でも、リアルくーちゃんが可愛すぎるのがいけないのよ!』
「えぇ......」
第一印象は、クールで落ち着きのある美人さん。
私の身長が低いのもあるけど、頭ひとつぶんくらい背が違う。デニムパンツは長い足を際立たせているし、丁寧に編み込まれた茶色の髪は艶があって、キリッとした瞳とのコントラストが美しくて。
目を奪われて、思わず綺麗と口に出してしまった。
でも、それは凜音ちゃんも同じだったようで。
『びっくりしたよほんとに。おとぎ話のお姫様かと思ったもんね、あたし』
「そ、そんなに?」
『そんなにだって。肌真っ白で綺麗だし、髪の毛なんてえげつなくキューティクルってるし。しかも聞いて驚け、この子ガチのお嬢様です』
そういえば確かに、凜音ちゃんからこの箱入り娘がーってツッコまれたっけ。
お会計の時にカードしか持ってなかったり、待ち合わせってどれくらい前に居ればいいのか分からなくて、1時間も前から待ってたり。......これはお嬢様っていうか、単にぼっちで経験がないからな気もするケド。現実から目を逸らしたいから忘れることにする。
『ほら、コメントでもくーちゃんがお嬢様なのは解釈一致って言われてる。わかるよーその気持ち。めっちゃわかる』
「それを言うなら、凜音ちゃんがクールな美人さんだったのは解釈不一致だったよ」
『......会う前のあたし、どんな風に思われてたか聞いても?』
「えーと、ボイチェン使ってるバ美肉おじさん」
『うぉーい!!くーちゃんさんどゆことぉぉ?!』
ガヤガヤと喧しく騒ぐ凜音ちゃんをいなす内に、戦況はいつの間にか最後の二部隊にまで変わっていた。
今プレイしているモードはデュオだから、残りの人数は四人か三人。気持ちを切り替えて、今の局面に集中する。
「攻めるべきかな、これ」
『あんた、切り替え速いわね......。敵さんは間違いなく安置のど真ん中だろうし、移動し続けてたあたしたちは物資的にも不利。次の収縮で安置がこっち側に寄るのを祈るしかないかも』
そしたら移動して来たところを叩けるから、と続けた凜音ちゃん。
こういう時も、彼女は本当に頼りになる。配信者としてだけではなく、いちプレイヤーとしても私より先輩で。普段は面白くて、ふざけてて、うるさい人だけど......いざと言う時は冷静で、かっこよくて。私がいちばん尊敬する、大好きな女の子。私の、初めての友達。
そんな凜音ちゃんの願いも虚しく、安全地帯は敵側の方に寄って、私たちは呆気なく敗北してしまった。
『あー悔しい!運ゲーじゃんこんなの!』
「あはは......仕方ないよ、安全に行くためには迂回するしか無かったし。私も凜音ちゃんも悪くない」
『うう、くーちゃんの優しさが染みるわ......。よし、切り替えて次行こ、つぎ』
長時間の配信で疲れたと言うくせに、意気揚々と準備完了を示すボタンを押す彼女に苦笑いしながら、私も後に続く。
凜音ちゃんは私のことを体力モンスターだとか言うけれど、彼女だって大概だ。どれだけ疲れていてもテンションは変わらないし、敵の愚痴を言うことはあれど理不尽に怒ることもない。そういうところも、私が尊敬している部分でもある。
凜音ちゃんほど配信業が似合っている女性はいない。付き合いがそう長くない私でさえそう思ってしまうほど、彼女には才能があった。
そこまで大衆向けじゃないFPS、その上で人気にはゲームの技量が求められるこのジャンルでなければ、もっと人気が出るだろうと思ってしまうほどに。
『......あっ、ミスった』
「どーしたの、凜音ちゃん」
『ゲームモード、スクワットになってるよこれ。のんびりやりたかったから二人にしてたのにさー』
「なんだ、そういうこと。もう変えれないし、せっかくなら一位目指してがんばろ?」
『だね。ありがと』
押し間違いによって萎え気味な凛音ちゃんだったけれど、すぐに気を取り直して声色を明るくする。
もうひと頑張りだと気合を入れた途端のことだった。凛音ちゃんが、通話で直接声を聞く私からでも分かるくらい大きな声で叫んだ。
『あー!!!』
「わっ......。ちょ、ちょっとなに凛音ちゃん。びっくりさせないでよ〜」
『ごめんごめん、でも見てよこの名前!!』
「この、ってどの」
『味方の!ほら、このIDって絶対勇者さんだよね!』
彼女が興奮気味に叫んだ名前は、私もよく知っているものだった。
勇者さん。私たちがプレイしているFPSゲームのプロチーム所属の男性プレーヤー。本来の名前はローマ字で『yusia』だったのだけれど、マッチした人達が皆勇者と読み間違えたことでいつの間にか愛称として定着した、というのは凛音ちゃんから聞いたことがある。
凛音ちゃんは、勇者さんの大ファンだった。というかガチ恋勢に足を突っ込んでる気もするけど。それはともかく、いつも勇者さんの配信を見に行っている彼女が言うのだから、本人で間違いないんだろう。
『やばいやばい目眩してきた』
「は、配信中だから落ち着きなよ凛音ちゃん......。ほらひっひっーふー」
『ひっひっふー、ひっ......なんかもっと緊張してきたんですケド?!』
珍しく慌てる彼女を見て思わず笑ってしまう。笑い事じゃないって!とキレてるのが尚更ツボに入っちゃって、叫ぶ凛音ちゃんと爆笑する私という地獄が完成した。
「ごめんごめん、なんだか面白くって」
『もー、じゃあ罰としてくーちゃんが声かけてよ!』
「ええ、なんで私……。そもそも向こうが配信中だったら迷惑かけちゃわない?配信してる私たちが言うことでもないケド」
『大丈夫大丈夫、勇者さんの配信は意地でもリアタイしたくて時間空けてるから。それに、勇者さんに認知してもらえるチャンスなんだよ?!声かけなきゃ損だって!』
興奮したように捲し立てる凛音ちゃんに若干引きながら、一理あるかもと納得する私もいた。勇者さんは界隈の誰しもが知る有名人。知り合いになれることは素直に嬉しい。
それに彼は自分のチャンネルで、面白い野良プレイヤーやボイスチャットの動画をアップしている。もし私たちも取り上げてもらうことができれば、もっと多くの人に私たちを見つけてもらえるかもしれない。
「凛音ちゃんが自分で声かけたほうがいいんじゃない?ほら、私はどちらかといえばにわかだし」
『ムリムリムリムリ、絶対無理!テンパって絶対話せないから!お願いくーちゃん、試合始まる前に!』
推しを前にするとこうも人が変わるものなんだ、と苦笑い。
配信のコメントを見ると、皆んな『言っちゃえ!』と背中を押していた。そこまで言われたらやっちゃおう、咳払いをしてから思い切ってボイスチャットをオンにする。
「裏なのにごめんなさい、勇者さんです…よね?あの、私くろねこって言います。実はいま、ふたりで配信してて。ほんものだーって、つい声かけちゃいました。えと、いつも応援してます!」
普段からおしゃべりを仕事にしているから、会話は得意だと思っていたけれど、有名人を前にするとやっぱり緊張する。
喋り終えてボイスチャットをオフにしてから、ふうっと息を吐いた。何秒かの沈黙のあと、少し低い男の人の声が聞こえてきた。
『あー、応援ありがとうございます。こんな可愛い声の女性にも応援されるなんて嬉しいなあ。こっちもうちのチームメイトと組んでるんですけど、よかったら次の試合から一緒にやりません?突発コラボってかんじで』
勇者さんの声を聞いて、興奮した様子で『ぴゃー』という謎の断末魔を上げる凛音ちゃんを横目に、私はぜひと返事をした。
これが、私たちのチャンネルが伸びる最初のきっかけ。そして、私が『くろねこ』を辞めた原因の始まりだった。
それから、私たちの環境は目まぐるしく変わっていく。
勇者さんとのコラボ配信を切り抜いた動画がすぐに拡散され、この界隈では僅かな女性配信者としてたちまち話題になった。後日勇者さんが自身のチャンネルで『美人配信者さんたちと野良で遭遇!禁断の質問してみた』という動画を上げたこともあってか、私たち2人の名前は界隈中に知れ渡ることになる。
あっという間に増える視聴者数。どんどん大きくなっていくチャンネルに二人して戸惑いながら、人生何があるかわかんないねって笑い合った毎日は、本当に本当に楽しくて。
もちろん悪いこともあった。いつものようにエゴサをすると、目に見えてアンチコメントが増えていた。仕方がない、とは思う。元からあったものだし、それだけ多くの人に見てもらえるようになったってことでもある。それに、悪口が気にならないくらいには忙しくて、いい出会いがたくさんあったから。
初めは勇者さんたちだけだったコラボ相手も、彼らの人脈を通じて様々な人とするようになった。勇者さんのチームメイトさんたち。同じゲームの実況者さんたちに、競技シーンのキャスターさんまで。普段の配信だけではなく、公式の番組にも、大会にまで招待されるようになった。
ここまで歩いてきた道を、人生を思い返す。
人付き合いに悩んだ学生時代。他の子達が普通に会話して、普通に友達になって、普通に学校に行って。その普通が、私にはとても難しかった。普通になれないことが悪い、そう思われるのが何よりもつらくて。
お母さんが亡くなって、お父さんは私を養うために必死で。そんな中でひとり、暗い部屋から出られない自分が何よりも惨めだった。つらい現実から逃げようと、絵を描き続けた。少しでも自分を変えようと、配信を始めた。まちがいだらけの人生だったけれど、それでも前に進んでいる。
『私に、居場所をください』
前に進んで、つらくても進んで、何度も振り返って。進み続けて、幸せだと言える今がある。
だからきっと、あの日星に願ったことだけは、まちがいじゃなかったんだと思う。
けれど、夜はやがて明けるように。
星は青色に塗りつぶされてしまうように。
星への願いも、そう長くは続かなかった。
・・・
公式さんからの依頼やコラボ配信をこなしながら、最近は最も仲の良い凛音ちゃんと、勇者さんの三人で遊ぶ毎日。そんなある日のことだった。
「凛音ちゃん、大丈夫かな……」
配信の準備をしながら、凛音ちゃんとのトーク欄を開きそう呟いた。
事の始まりは三日前。いつものように一緒に配信する予定だった私たちだけれど、時間になっても凛音ちゃんは現れなかった。心配になって配信は止めておこうと言った私とは対照的に、『まあ大丈夫じゃね?それよりリスナー待たせてるし、二人でやろうよ』とどこか興味がない様子の勇者さん。その日は凛音ちゃんに急用が入ってしまったことにして、ふたりで配信を行った。
それから、凛音ちゃんは音信不通になった。
凛音ちゃんとは知り合ってからほぼ毎日連絡を取り合っていたし、旅行に行ったり実家に帰るときは楽しそうに報告してくれていたから、なおさら不審に思う。何かあったのかな、もしかして事故とか、入院とか。
ここまで一緒に戦ってきた戦友で、親友で、お姉さんみたいな存在だから。凛音ちゃんがいることが当たり前になっていたことに気づくと同時に、胸が不安でいっぱいで。
マウスを操作して、凛音ちゃんのチャンネルを検索する。
アーカイブは三日前の雑談枠で止まっている。今でこそ大きな話題にはなっていないが、あと二、三日もすれば彼女のファンは異変に気づくはずだ。リスナーは昔から見てくれている人も多いと本人から聞いたし、時間の問題だとは思う。
「だめだだめだ……しっかりしないと」
悪い方向にばかり向かう思考から逃れるように、ぶんぶんと頭を振った。
こんなことで私がうだうだ悩んでいるのを凛音ちゃんが見たら、きっと『私がいなくて寂しくなっちゃったの?可愛い子ね〜』なんて言って揶揄うだろう。いや、『私なんか気にしないで、やるべきことをやんなさいよ』って叱るだろうか。うん、やっぱり悩んでいる暇はない。何かあったら絶対に連絡してくれる筈だから、今の私にできるのはいつも通りを守ることだ。
パソコンを操作して、配信の枠を立てる。
今日は雑談にするつもりだったけれど、やっぱりいつものゲームにしようかな。ゲーム中は集中するから余計なことを考えずに済むし、凛音ちゃんに関するコメントもそう多く来ることはないと思う。
配信内容が決まったから告知をしようと、トゥウィッターを開いた。
「……え、なにこの通知」
途端私の目に飛び込んできたのは、いつもは見たことがない数の通知だった。慌てて画面を見ると、そのほとんどがダイレクトメッセージで占められていた。
サッと血の気が引いて、思わずパソコンを操作する手が止まってしまう。私、炎上した?それとも周りに何かあった?例えば……凛音ちゃん。
その可能性に思い当たった瞬間、なにも考えられなくなった。纏まらない思考。それでも必死に体を動かして、ダイレクトメッセージにひとつひとつ目を通す。
・大丈夫ですか??
・くろねこさんガチで可哀想
・まじで勇者はクズ男すぎる。代わりに通報しときます
・本当に何も手を出されてないんですか
・男とばっか絡んでるからこうなるんだよ馬鹿w
・お前の自業自得だろ
・姫プでチャンネル伸びるのは楽しかったですか?ww
・くろねこちゃんは悪くないです
・あんな奴ら忘れて配信してほしい
・配信やめないでー
・凛音に裏切られてんの可哀想すぎ
・凛音ちゃんとはビジネスだったんですか?
読んでも読んでも終わらない、応援と批判、馬鹿にするような言葉たち。
普段からエゴサーチをするとよく目にするアカウントもあれば、捨て垢で送られているものもある。必死に内容を理解しようとするけれど、私自身が冷静でないせいか全く頭に入らない。
何か他の情報がないかとトレンドの欄を見ると、『勇者』『凛音』『くろねこ』と、馴染みあるワードが幾つも上がっていた。
そして、見つけてしまった。最も拡散されている一本の動画を。
【悲報】某プロゲーマーさん、配信の切り忘れでとんでもないことを暴露してしまうwww
『爆勝ちないすー』
『キャリーあざっす。勇者さん、今日エイム超冴えてないっすか?』
『自分でも上手すぎて惚れたわ。切り抜きどころ多いし良い収穫だな』
動画は配信の切り抜きのようだった。
声の主は勇者さん、もうひとりは確か彼と同じチームのプロゲーマーだったと思う。勇者さんを通じて何度かお話しをしたことがあったはず。
動画の下にはテロップで『彼らは配信が終了していると思っています』と表示されていた。
『そーいや、あの子とはどうなんすか?』
『誰だよあの子って』
『凛音ちゃんすよ凛音ちゃん!もう会ってヤッたって言ってたじゃないすか』
『ああ……正直アイツは飽きたし、お前らに回してやるよ』
『マジすか!でも、俺も凛音ちゃんとシテる動画見ましたけどめちゃくちゃ美人っすよね?それでも飽きるとか勇者さんまさか……』
『馬鹿、変な性癖あるわけじゃねーよ。俺の狙いは最初からくろねこだしな。凛音に写真送らせたけど、あれはやべーわ。めちゃくちゃエロい体してる』
『うわ最高じゃないすか。くろねこちゃんとも会えそうな勇者さんもやべーっすけど』
『まあな。凛音から何個か脅せそうなネタは貰ったし……それに、今まで散々俺たちが伸ばしてやったんだ、カラダくらい払ってくれなきゃ釣り合わねーよな?』
わからない。何も、何もかもわからない。
『凛音ちゃんとシテる』ってどういうこと?勇者さんと会ったなんて聞いたことない。いつも勇者さんと進展したら嬉しそうに報告してくれてたじゃん。ここ数日音信不通なのもそれが原因?
『カラダくらい払ってくれなきゃ』ってどういうこと?最初から体目的で私たちと接してたの?深夜まで楽しくゲームしたり、イベントが続いて忙しくても、みんなで励まし合いながら活動してた毎日は、全部嘘だったの?
それに、それに。ようやく変われたと思ったのに。現実の自分を捨てて、ネットにできた初めての居場所だったのに。
結局は性欲の対象に見られて、最初からぜんぶ偽りで。これじゃあ、これじゃあ学校にいた頃と何も変わってない。現実の
『それに、凛音にはなんつーか……萎えたわ』
『やっぱり勇者さん、ヤバめの性癖あるんじゃ』
『だからちげーって。あいつ、俺がくろねこ狙いだって分かってから急に態度変え始めたんだよ。裏では男遊びが酷いとか、ああ見えて腹黒いだとか、くろねこへの悪口を言いまくってな。俺のことを独占したかったんだと』
『うげえ、女って怖えぇ……。凛音ちゃんが勇者さんのファンだったってのは知ってましたけど、友情より優先するのは意外っすね』
『会ってちょっと口説いたらすぐホテル行けたし、元々メンヘラ気質だったんじゃねーの。最初から数字稼ぐために絡んだって言ってたしな。まあ、ってわけで凛音はお前たちに回すわ。適当に別れ匂わせれば釣れるだろ。だからくろねこには手を出すなよ』
『勇者さんが狙ってる子にちょっかいかけるヤツいないですって!じゃあ後でメンバーにも連絡を……ってやべえ!勇者さんの配信枠まだ終わってないっすよ!』
『……は?』
慌てた調子の声に、勇者さんの戸惑う様子が流れたことを最後に動画は終わった。
動画のいいねは瞬く間に増えて、私へのメッセージも絶えず送られてくる。でも私はその全てを無視して、パソコンの電源を落とした。
勇者さんのこと。カラダを狙われていたこと。世界でたったひとりの親友にも、最初から裏切られていたこと。今の一瞬で沢山のことがありすぎて、頭がパンクしそうだった。
心の中はわからない。お互いがどう思ってるかなんて誰にもわからないし、どれだけ仲が良くても永遠に続く関係なんて難しい。
友達になるのが難しいことなんて、ずっと前からわかってる。学生時代、ずっとぼっちで過ごしてきた私だから、そんなこと誰よりもわかってる。
でも。わかってる、わかってるけど。
私はずっと、親友だと思ってたよ。
それから数日経ったあと、私は配信者を辞めた。
配信を待ってくれていたリスナーへの謝罪と、そっとしておいて欲しいという意思表示、私は無事だっていう報告を文章に綴ってから、『くろねこ』のアカウントはこの世から姿を消した。
後から聞いた話だけれど、配信の切り忘れによって発覚した勇者さんたちの行いは、同様の被害者が何人も名乗りを上げたことで裏付けがされたことに加えて、暴力等の犯罪行為にも関わっていたことが発覚し、沢山の人を巻き込んだ警察沙汰になったらしい。
勇者さんと彼の行いに関わっていた仲間は全員プロチームから解雇され、配信も二度とできないような状況に追い込まれたという。
私にもプロチームを運営する企業の方から謝罪と、慰謝料を振り込みたいという申し出があったけれど、その全てを拒否した。人が傷ついて得たお金なんて、使える気がしなかったから。
楽しかった日々は案外あっけなく終わる。眠りから醒めれば忘れてしまう夢のように、夜になれば消えてしまう夏の蜃気楼のように、あっさりと。
配信者という夢から醒めて、残っていたのは暗い部屋でひとり佇む
それからは、いつもと同じ毎日。
部屋から出ず、人ともまともに話さず。依頼を受けて、絵を描くだけを繰り返した。
そんなときね。きみに出会ったんだ。
◇◇◇
オレンジ色に染まる喫茶店の片隅で、俺はひとりの女性と向かい合っていた。
恋人に見られるだとか、初対面で気まずいだとかは一切ない。なんたって、目の前で両目を覆いながら涙を流す女性が語った過去に、思わず言葉を失っていたから。
「これが、私とあの子の過去。……私が犯してしまった、取り返すことのできない罪の話」
やさいじゅーすさんの旧友らしい彼女……凛音さんは、その華奢な肩を細かく震わせながら言った。
ディスティニーランドで二人が遭遇し、やさいじゅーすさんが帰ってしまった後。強く拒絶され、追いかけることもできなかった俺は、泣き続ける女性を放置することもできず、まずは話を聞くことにした。
彼女たちの間に起きたことを、俺は何も知らない。やさいじゅーすさんからすれば踏み込んで欲しくない領域かもしれない。でも、でも。社長は俺に、彼女の力になるよう言っていた。多分、今心に触れることができるのは、俺だけだから。
「……そういうことか」
凛音さんが語った過去を聞いた時、大体を理解した。
学生時代の悩み。配信者を始めた理由。とあるゲーム界隈で凛音さんをはじめとした、たくさんの人に出会って、ようやく自分の居場所を手に入れたこと。一瞬で無に帰った、ひとつの出来事。
社長が言っていた「学生時代のトラブル」とは、恐らくこれらの出来事。配信者という自分が消え、引きこもりに戻り、イラストレーターとしての「やさいじゅーす」として活動する日々。そして、俺に出会った。
運命ってやつは気まぐれと聞くが、案外そうらしい。Vtuberになるのが少し早かったら。そもそも、Vtuberという存在に触れたことがなかったら。俺とやさいじゅーすさんが出会うことはなかっただろう。
……だから。これは、花咲望にしかできない。
「貴女たちの過去は分かりました。拒絶される理由も、泣いているワケも。でも」
「……うん」
「それで、凛音さんはどうなって欲しいんすか。葛藤とか苦悩とか、全部乗り越えて笑おうとしてる黒奈さんに。……あの人を裏切った貴女が、どうなって欲しいから声をかけたんですか」
あと一歩だけ、彼女たちに踏み込むことを決意した。
「っ!」
それを聞いた凛音さんは、苦しそうに顔を歪めた。
ただ単純に疑問だった。
始まりは純粋な恋心。それを利用した勇者とかいうクズ男が悪いのは間違いないが、そのトリガーを引いたのは凛音さんだ。
Vtuberのママとして活動しつつ、花咲望のファンとして盛り上がる彼女は、過去なんて忘れているかのように自然体だった。もちろん、心の奥底では苦しんでいたのかもしれない。戦っていたのかもしれない。でも、きっとこのまま行けば、黒奈さんは全部を乗り越えていただろう。彼女は案外強い人だ、それぐらいは俺にも分かる。
「私は。私はただ、忘れて欲しかった!親友だった過去を、恋だけで裏切ってしまう馬鹿な女を!……ごめんね、私のことは忘れて幸せになってって、ただ言いたかった、だけで」
弱々しい言葉。震える声。でも、間違いなく。それは違うだろう。
「忘れられるわけ、ないだろ」
「え?」
「どんなに最悪な結末でも、どんなに胸糞悪い話でも。自分の人生そのものだった過去を、忘れるわけないでしょ」
思い出すのは中学生の頃。調子に乗ったぼっち男子中学生が告白し、あっけなく振られた挙句、クラス中に拡散されたあの出来事。
最悪な結果だし、あれから人間不信が加速した。童貞を揶揄うギャルは撲滅すべし。純愛なら可。
トラウマを抱える結果になった出来事だが、一生忘れることはないだろう。どれだけまちがっていたとしても、恋をしていたという事実は本物だ。それに、あの過去がなければ、今の俺はここにいない。
「黒奈さんにとって、配信者の自分が世界の全てだった。だから、貴女はずっと親友だったし、裏切られた時は鬱になるくらい落ち込んだ。それでも。それでも黒奈さんは、乗り越えようとしていた」
『あのね、はーくん。聞いて欲しいの。わたしが今日、きみに言いたかったこと』
ディスティニーランドのベンチで、黒奈さんが言いかけていたこと。
何が言いたかったのか、詳しく理解できるわけではないけれど。きっと彼女はあの時、色々なものを乗り越えようとしていた。
だから。
「他人が、軽々しく忘れろとか言うなよ」
記憶を消したいなんて思うことは、いくらでもある。過去に戻って取り返したい、何度そう思ったことか。
でも、そう思えるのは自分自身の特権だ。他人が忘れて欲しいだとか覚えて欲しいだとか言うのは、ただの傲慢だろう。
「っ……ごめん、なさい……ごめんなさい」
顔を伏せ、言葉を失う凛音さん。自分が泣かせてしまった罪悪感と、対人経験が少なすぎるが故に、泣いている女性への対応が分からず狼狽えてしまう。どうすればいいんだこういう時。思い出せ数々のハーレム主人公を。
「あの〜、すみませんお客様。他のお客様のご迷惑になるので、よろしければ他所でやってもらえると……」
「アッ、すみませんすみません!すぐ帰るんで!」
声が大きかっただろうか、怪訝そうな表情で近づいてきた店員さんに慌てて返事をした。
周りを見ると、痴話喧嘩か何かだと思われたのだろうか、案外注目されている。空気を読むことには長けているはずだが、やはりぼっちという存在はKYであると運命付けられているらしい。
「……これは、ただの独り言だと思って聞いて」
テーブルにお金を置き立ちあがろうとすると、凛音さんがそう呟いた。
「私は、黒奈を裏切るつもりなんてなかった。勇者さんと関係を持ったのは事実だけど、真っ当に恋愛してるつもりだったし。でも、彼が複数人の女性と体の関係を持っていて、そして……黒奈も狙われていることに気づいたの」
どこか諦めたような表情で語られるのは、一人の配信者の裏側だった。
「彼が女の子をチームメイトに回していたり、犯罪的な行為にも加担していたのは一緒に居たらすぐにわかったわ。ほら、大口叩くくせして抜けてる人だったから。配信を切り忘れるくらいには」
そこまで聞けば、大体を察することができた。凛音さんが、黒奈さんの悪口を言い続けていた理由が。
「だから、黒奈が手を出されないように……彼女を、貶してっ。彼が黒奈に幻滅してくれれば、関わることはないだろうって、思って」
黒奈さんを巻き込まないように、事実が発覚するまで連絡を取らなかった。なんとか証拠を掴んで、ネットに晒すまでは。
確かに、当時の凛音さんが起こせる行動は少なかっただろう。
犯罪行為や女性関係は、証拠がなければただのアンチで片付けられてしまう。
凛音さん自身はただ体の関係を持っただけだから、たとえ暴露したとしても、一部のガチ恋勢が騒ぐだけだ。それどころか、凛音さんが攻撃されてしまう恐れだってある。
「黒奈には、まず言えなかった。あの子、正義感が強くて行動力もあるから。言ったらきっと、私たちに無理矢理でも関わって、勇者さんに話を聞きに行くかもしれない。それは、私がいちばん分かってた」
親友だったから。姉妹のように親しい二人だったからこそ、言えないこともある。
どれだけ仲が良くても、家族にだって、秘密にしたいことなんぞいくらでもあるだろう。それが人間とかいう面倒臭い生き物で、親しき中にもなんとやら、というやつだ。
だから、人間同士の馴れ合いなんぞに意味はない。ひとりでは生きていけないなんて綺麗事は吹き飛ばして、孤高でいることこそが何よりの平穏なのだ。
……だった、はずなのにな。
いつの間にか、そう思っていた俺自身が、変わってしまっていたのだろう。
社長に拾われて、理沙さんに出会って。Vtuberの世界に足を踏み入れたのなんて、ただの偶然で。
我武者羅に準備して、俺なんかを見つけてくれるヤツらがいて。ライバルも、同期にも出会った。
俺の根幹は、「比企谷八幡」の思想は、きっと変わることはないけれど。それでも。
人間同士の馴れ合いに意味はないなんて、もう言えるわけがない。
「……凛音さんがどう思ってようが、昔に何が起こってようが、正直俺には関係ないです。その気持ちを黒奈さんに伝えるのも自由だし、拒絶されたら……まあ、それまでの関係ってことっすから」
突き放すような言い方になってしまったことを少しだけ後悔したが、これでよかったのだと肯定する。
こと黒奈さんと凛音さんの関係で言えば、俺は完全なる部外者だ。そこに首を突っ込むほど首の皮は厚くない。
勇者とかいう男の件も、彼は既に法的、社会的な制裁を受けている。後は黒奈さんと凛音さんが、話し合うか話さないか。許すか許さないか。それだけの問題だろう。
だから。俺にできることは、たったひとつ。
「黒奈さんを元気づけるのは、俺の役目です。その後は……貴女次第じゃないすか、凛音さん」
当然、その馴れ合いの中には、やさいじゅーすさんも含まれているのだから。
「花咲望」が誕生したのは、間違いなく彼女のおかげで。配信を始めてからも、熱烈に応援してくれるやさいじゅーすさんに、何度勇気づけられたことか。その恩を今こそ返す時だろう。
「偉そうにスミマセン。失礼します」
立ち上がったまま、凛音さんに背を向けた。
堂々と「元気づける」とか言ってしまったことは後悔しているが、策ならある。
勇者さんとの事件に、親友から裏切られたこと。学生時代のトラウマと、俺にだけ心を開けた理由。……そして、俺をランドへ誘った理由。それらを考えると、彼女が言いたかったことはきっと。
けれど、これは賭けだ。たくさんの人の期待を裏切ってしまうし、社長や理沙さんには迷惑をかけるだろう。
……あと、アリスには土下座することになるな。
「待って!最後に、ひとつ聞きたいの」
去ろうとした俺の背中に、静止の声が浴びせられた。
少しだけ後ろを振り返ると、凛音さんは立ち上がって、じっと俺を見つめている。
「比企谷くんと黒奈は、どういう関係なの?ふたりでランドに来てるくらいだから、仲が良いのはわかるけれど……」
「あー……」
言われてみれば当然の疑問だった。
俺と黒奈さんとの関係か。何と表現するのが適切なんだろう。友達、知り合い?
親子と表現するのは身バレに繋がる可能性があるし、第一Vtuber業界をある程度知らないと、親という単語が絵師を表す、ということは伝わらないだろう。
強いて言うなら、そうだな。
「パートナー、っすかね」
そう言ってから凛音さんに別れを告げ、喫茶店を出た。
彼女のきょとんとした表情が気がかりだったが、伝わっていると信じたい。
外に出ると、空は次第に暗くなっていって、街灯が灯り始めていた。
ここからどう事務所へ帰ろうかと頭を悩ませていたその時、俺の目の前へ一台の車が止まった。
その車が、あまりにも見慣れすぎていて。そういうことかよと、思わずため息を吐いた。
「これ全部、社長の策略っすか」
「はて、何のことですかネ。ワタシはしがない運転手ですヨ」
運転席の窓から顔を覗かせ、ピューっと口笛を吹き、茶目っ気たっぷりな笑顔を見せる社長。
その憎たらしい笑顔に、俺は強く拳を握りしめた。
パートナーとかいう誤解しかない表現をする八幡くん。
次回は解決編ということで、諸々のことに一旦区切りをつけます。
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