前世でフラれた男、悪徳な豚貴族の長男に転生しまして。   作:水源+α

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侯爵家のスケベ豚長男になりました。

 ──────

 

 ────

 

 ──

 

 

 

 

 ……俺は死んだ、のか? 

 

 人生で体験したこともないような死ぬくらいの痛み──実際に死んでしまったのだが、そんな痛みが全身に駆け巡ったその時に、俺は確かに意識を、命を亡くしたはずだ。

 

 突然だが、死ぬ前までは死後の世界とか、天国や地獄という存在を全く信じてなかった。死んだのなら自分という意識は消えるわけで、その意識だけが体と乖離する現象なんて起こり得るはずがないと考えていた。

 

 

 ──しかし、事実。俺は死んだはずなのにまだ、伊藤祐介という自意識が未だに存在している。こうして、このようなことを考えられているのも不思議に思えてくる。

 当然ながら言葉は発せられないようだ。何せ、身体という実体が無いからだ。側から見たら俺は心霊番組でよく見かけるオーブみたいになってそうだ。

 

 にわかに信じられないが……じゃあこの暗闇の世界は一体どういうところなんだ。

 

 死後の世界、ということだろうか。

 光が一切なく、一面が暗く闇に染まっている。文字通りに何も見えない状態だが、何故か奥行きを気配で感じてしまう

 ような、不思議で不気味な世界だった。

 

 ……もしかして、俺はずっとこのままか。

 

 この光もなく、何もない世界でずっと過ごしていくのかとこれからのことを考えると、頭がおかしくなりそうだ。生き甲斐もなく、身体さえもないのに、五感も感じられない俺は、この先どうやって自我を保って過ごしていけばいいんだ。

 

 神様がいるんだったら早くこんな惨めな俺を消滅させてくれ……

 

 もしかして、この世界こそが、生前で聞いていた地獄なのだろうか。ここが本当に地獄だとしたら納得してしまう。もう既に頭がおかしくなりそうだからだ。自分一人だけの世界。聞こえは良いが、話し相手も居ないのだ。このままでは確実に廃人ルート確定だろう。

 

 と、そんな時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──起……て、下……

 

 内心、飛び上がるほどに驚いた。このままこんな世界で孤独に過ごしていくのだろうと諦観していた矢先、出どころは不明なのだが、誰かの声が聞こえてきたのだから。

 生前ならば誰か知らない人の声なんて気にも留めなかっただろうが、状況が状況だ。

 

 事実、孤独感に打ちひしがれそうな今の自分には、知らない人の声を聞いただけでも安心感を得てしまうほど、心はボロボロだった。

 

 

 心半ばで死んでしまったので、それはもう未練なんてタラタラだ。これからも生きていたかった。告白のことについてはしょうがないと思っている。安藤に好きな人がいるのであれば、俺はきっとこれからも関わることはしないにせよ、きっと陰ながら応援した。勿論、文句はいっぱいあるが、それ以上に安藤は大切な人だ。だから最後まで幸せに暮らしている安藤の人生を見届け、俺も新しく生まれ変わるつもりだった。

 

 いつも元気をくれた銘花ちゃんの存在も、今にして思えば本当に大きな存在だったんだなとやっと気付けた。多少の鬱陶しさはあれど、あの快活さになんども救われてきたのは事実だ。

 死ぬ前、銘花ちゃんは俺を励まそうとしてくれた。ウザったく思ってしまったのは俺の中にあるフラれても諦めきれない女々しいプライドが表面化してしまったからだ。そういえば俺、あいつに謝ったっけ。……出来れば謝ってから死にたかった。

 

 他にも沢山未練がある。諦めたくない気持ちがある。このまま易々と死んでたまるかと。しかし、こんな世界でずっと生きていたとしても何も意味がない。だから、突然聞こえてきた声に、俺の中にある生きることに諦めきれない心が光を見出したのだ。

 しかし、肝心の何を言っているのかがわからない。回線が悪い時の電話みたく、所々言葉が途切れてしまっている。

 耳は無いが、耳を澄ますように集中していると──なんだか突然、俺の意識が上に吸い上げられるような感覚を覚える。

 

 ……これ、もしかして成仏するんじ──

 

 

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

「──まだ消えたく無いッ!」

「「「っ!?」」」

 

 思わず、深い微睡みから覚醒し、その身を()()()()()()()

 

「はあ……はあ──」

 

 なんだか()()感覚と、何故か()()()()()()()()()()()()俺自身に鬱陶しさを覚えながら黙考した。

 まだ成仏したくない。俺が経験してきた記憶(たから)をそう易々と──

 

 ……ん? 

 

 え? ……飛び、起きる? 怠い? 息切れ……? 

 

 死んでいる筈の俺が感じるはずがないのに、今こうして実感している様々な感覚に、そういえばと怪訝になる。

 

 

 それに、尻がフカフカ……ってベッドか? というか……え? なんで俺のベッドを取り囲むようにメイド服とか燕尾服着てる人が……? 

 

「い、いや、そんなことより……!」

 

 思わず、自分の身体のあらゆる所を凄い勢いで触って確かめてしまう。

 

「……え、え? か、らだ?」

 

 うん。ある。確かにさわれる。俺の身体……身体がある! いや、でも何でだ? 俺は確かに死んだはずだ。

 

 だが確かに今は夢では無いし、現実だと断言できるほど、窓から差し込む日の光も、この部屋の匂いも、何もかもが現実的だった。意識も冴えているため、これが幻覚というわけではなさそうだ。

 

 正直に言って安堵する。あのまま無機質過ぎる暗い世界で永遠に過ごすと思っていたからだ。

 

「……?」

 

 というか……誰だこの身体。この腹回りにたっぷりついている脂肪が謎だ。俺こんなに太ってなかったぞ。もしかして事故後に助かって、何年もの間寝たきりだから太ったとか? 逆に痩せ細ると思うのだが。

 

 別人になったような自分の身体の急激な変化に首を傾げていると、今まで奇行とも言える俺の行動に呆気に取られていた人たちの中から代表して、如何にもな初老の執事さんが話しかけてきた。

 

「あ、あの。アレキス様……お身体は大丈夫でしょうか」

「え? あ、ああ。えと、大丈夫……です。それより、初めまして……ですよね?」

「……はい?」

 

 返答した後に明らかな怪訝な表情を途端に見せた執事さんに、思わず焦る。

 

「……え、あの。俺、じゃなくて私、何か変なこと言いましたか」

「「「……」」」

 

 少し上擦ってしまいながら言うと、執事さんだけでなく、控えているメイド服のコスプレをしたお姉さんたちまでもが、本当に驚いた様子で瞠目させていた。いやコスプレにしてはなんだか機能性を重視したメイド服だな。妙な露出がない。

 

「……え?」

 

 年上の大人たちのそのような反応に、俺も少々困惑する。

 

 いや、しかし初めましてだよな。俺この人たちのこと知らないし。というか、さっきからアレキス様って言われてるけど……もしかして俺のことか? 俺にはちゃんとした名前……あれっ、俺の名前って……

 

 混乱しているせいか、何故か生前の頃の自分の名前が咄嗟に思い出せなかった。しかも自分の本能的な部分が、アレキスと呼ばれたがっている気がした。どういうことだ。自分が自分でないみたいだ。

 

 いやそれよりも少し落ち着いて、今のことを考えよう。状況的にこれは車との衝突事故の後、大怪我した俺を看病してくれたのだろう。実際に、今の俺の頭には包帯が巻かれている。

 

 しかし身体の方にはあまり処置が施されてないような気がする。俺は確かに車に思い切りぶつかって全身を強く打撲した筈だ。体内の骨も無慈悲に何本も折れていく音も聞こえた。血反吐も吐きまくった。明らかに生死を彷徨うくらいの重症者だったと思うのだが……頭だけに包帯の処置をされている。どういうことだ。俺の身体は再生でもしたのか。

 

「……うわぁ」

 

 そこまで考えて、今更部屋を見渡してみたのだが、明らかに病院の病室ではない。点滴も無ければナースコールなどの機器もない。どちらかといえばレトロな高級ホテルのスイートルームに近い、随分と豪勢な部屋だ。

 

 こんな設備で、どうやってあそこまで重症だった俺をここまで回復させたんだ? 

 

 部屋を物珍しそうに見渡し始める俺に、咳払いが聞こえてくる。どうやら初老な執事さんが話すようだ。

 

「……一先ず、命に別状が無ければ安心です。ですが、どうやらまだ意識が定まってないご様子ですので、僭越ながら私がこれまでの単的な経緯を説明致しましょう。アレキス様は七日前の朝、不注意で階段から転ばれて、特に頭を強く打ってしまい、今日まで気を失っていたのです。七日ぶりの今朝、お目覚めになられたので、その影響かは存じ上げませんが、恐らく一時的に記憶が混同しているのだと思います。先程は失礼致しました。七日ぶりに目が覚めれば、誰であろうと混乱状態に陥るというのに、突然不用意に話しかけてしまったこと、誠に申し訳ありませんでした。補足として、私の名はターナー=サトロークと申します。長年、アストリオン家に仕え続けて、今はこの家に仕えている者たちのまとめ役を任されております。思い出して頂けましたか」

「……は、はぁ」

 

 あれ……? 事故から助けてくれたんじゃないのか? 階段から落ちた……って、全く記憶にないぞ。

 

 恭しく頭を下げながら、自分より明らかに歳上で聡明であろう執事さんがそう言ってきて、浮かんでくる疑問にふと首を傾げる。なんだか歳上からここまで敬られると、むず痒い感覚がする俺も咄嗟に挨拶を返す。

 

「あ、これはご丁寧に。えっと、俺……あ、いや。私は……アレキスと言います。ターナーさん」

 

 やはり自分でアレキスと名乗ることへの違和感が半端ない。身に覚えのない筈なのに、自分の名前だと勝手に認識してしまっている。本当に訳がわからない。もしかして死んだ後に神か誰かに記憶を刷り込まれたのか。というかやはり俺は死んで、ここは死後の世界なのだろうか、本当に訳が分からない。

 自分の名前でさえ怪しい俺の言葉に、ターナーさんは折っていた腰を戻して

 

「……正しくは、アレキス=ルークス=アストリオンです」

 

 と、親切に俺の名前(?)を教えてくれる。

 

 ……ミドルネームってなんだか貴族っぽいな。

 

「あ、ありがとうございます」

「……」

 

 そんなおぼつかない俺に、ターナーさんは何かを察したようにハッとした後、次には「アレキス様。差し出がましいのですが、いくつか質問してもよろしいでしょうか?」と真剣な表情で尋ねてきたので、気迫に押されて直様頷く。だって怖かったんだもん。

 

「最初に、今の年暦を教えてください」

「え、えーっと……」

 

 ……確か世暦2020年だったよな。

 

「……西暦2020年です、よね?」

「「「……?」」」

 

 多少の自信がありながら問いかけると、周りのメイドさんたちはなんだか微妙な反応を見せる。中には困惑しながら耳打ちしている人もいた。どうやら間違っていたらしい。そんな中、当の執事さんの表情は動じていないのか眉一つ動かさずに答えてくれた。

 

「現在は聖王歴671年でございます」

「…………は?」

 

 聖王歴? なにそれ? ゲームの話か? 

 

「どうやら……ここまで聞いた限りでは、アレキス様の記憶の損傷が予想以上に深刻です。少々心配になってきました。当主様、奥方様の名前は如何でしょうか」

 

 当主って言ったら父親のことだよな。

 

「……? えっと、ボ、ルドーとクレシ、ア?」

「なるほど。そこは覚えていましたか」

 

 と、そこで彼は一旦思案するようだ。

 一先ず、この訳の分からない状況ではこの人の言う通りにしておけば大丈夫だろう。

 

 

 さて。多分ターナーさんは今、俺の記憶がどれだけ損傷してしまっているのかを確認してくれているようだ。因みに両親の名前を聞かれて、咄嗟に出てきた父であるボルドーと母のクレシアの名前。これも本当に違和感しかない。本当の両親の名前が思い出せない悔しさが募る。

 

 そこまで考えていたら、執事さんが考えが纏まったのか、こちらに目を向けてきたので、俺も応じる。

 

「アレキス様」

「は、はい」

「先ずはもう一日だけ様子を見て、明日の朝、また同じような形で私がアレキス様に質問をして、記憶に回復の兆しがありそうなのかを確認させていただきたく……」

「は、はい。大丈夫、です」

「……少し無礼を承知で申し上げますが、以前のアレキス様は私たちみたいな給仕に敬語なんて一切使わないお方でした。しかし今のあなたは……まるで別人のようなお方ですね」

「……!」

 

 ターナーさんの言葉を聞いた瞬間、今の訳の分からない状況に一つ、ある仮説が脳裏を過った。

 

 以前の、アレキス様。身に覚えのない俺の名前や両親の名前。それに、俺を主人のように扱う給仕たち……え、まさかこれって

 

「あ、あの! 俺って……あ、アレキスって、過去の私はどんな人だったんですか!?」

 

 食い気味に少し身を乗り出して聞いてくる俺に、聞かれた本人であるターナーさんは少し目を見開いた後、粛々と告げてくる。

 

「……アレキス様はアストリオン侯爵家の長男であり、次期家督継承権の最有力候補です。今年で成人され、晴れて十五歳となり数ヶ月後には王立学園に特待生としての入学を控えています」 

「……ぇ」

 

 

 

 

 

 

 ……つまり、俺はアレキスってやつの身体の意識に転生してしまったっていうこと、なのか。

 

 とても驚くことだろうが、なんだか驚きすぎて逆に冷静になってくる……訳がねえ! なんで死んで……おまけに他人に成り代わった先が侯爵家の長男なんだよ! 荷が重すぎだろ! 礼儀作法とか知らねえぞ! 

 

 ……あれ、じゃあ俺が成り代わってしまったアレキスってやつはどんなやつだったんだ。

 

 この身体の元持ち主の世間的な評価によって、俺がこの先どう生きていくのか決まってくるだろう。

 

「…………人としてはどんな感じだったんでしょうか」

 

 実は俺は、先程の執事さんの言い回しや、周りのよそよそしさから最悪なパターンを予測していた。それは──

 

「……本当に宜しいのですか?」

「お願いします」

「ですが……」

「では命令です。この場の誰でも良いので、私が気を失う前にどんなことをしていたのか答えてください」

 

 こうでもしないとこの人たちは喋らなそうだ。なんせ、視線でわかる。執事さんからはそれほどでもないが、他の給仕の人たち、特にメイドさんたちからは忌避されているようなものを感じる。恐らく、俺がこの身体に成り代わる前のアレキスってやつは相当やんちゃしていたのだろう。

 

 だって鈍感な俺でも一目で分かるくらいに明らかな苦手意識を持たれている目をしているのだ。

 

 命令とあらば、給仕たちはどうすることも出来ない。こたえるしかないのだ。

 

 やがて、ポツりとひとりのメイドさんが零した。

 

「……私はアレキス様に……その。私のお尻を……通り過ぎる間に触られました」

「……」

 

 はい。もう終わりです。

 もうのっけから救いようのないエロガキだったのが分かったよアレキスくん。俺は一体これからどう生きれば良いんだ。一生メイドさんのお尻を触った侯爵家の長男って嘲笑われるのか。

 

「わ、私は……胸を触られました」

「……」

 

 もうね。言葉に出来ないよ。俺自身に罪がないのに、まさかこのアレキスというエロガキの身体がしでかした罪を俺は一緒に背負わないといけないだなんて……

 

「……二人のお名前は?」

「け、ケシー=リオルと申します」

「……ナシュリー=コールマンです」

「………………マジか」

 

 思わず、起こしていた身体を倒してしまう。

 

 起きてからの情報量が多すぎる。生きていたかったのに死んで、貴族に成り代わって、しかもその身体の元所有者のアレキスってやつは侯爵家長男の権力でメイドにセクハラなどのやりたい放題していたドラ息子で……挙げ句には腐敗してる暴虐な当主がいる家で。

 

 取り敢えずだ。先ずは目の前のことに集中しなければ。

 

 ……俺がやらかした訳じゃないのに、なんでセクハラしてしまったことに対しての心労を感じなければならないんだ。

 

「あ、アレキス様! 大丈夫ですか」

「だ、大丈夫です」

 

 とはいえ、恥ずかしい気持ちを抑えながら、前に出てきて進言してくれたケシーさん、ナシュリーさんにこのままでは申し訳が立たない。再び身を起こして、咄嗟にベッドの上で土下座をした。

 

「……その、記憶を失う前とはいえ、本当に申し訳ありませんでした。まさか私が二人にそんなことをしていたなんて……」

「「──!」」

 

 侯爵家の長男らしからぬまさかの土下座に、周囲のメイドたちや執事さんも驚愕する。

 

「い、いえっ! 頭を上げてくださいアレキス様!」

「分かって頂けただけでも私は幸いです! ですから、どうか頭をお上げください!」

 

 そして、頭を下げられた当のケシー、ナシュリーに至っては内心驚愕と恐怖に襲われていた。こんなところを当主であるボルドーに見られたら不敬罪になってしまうのではないかと気が気でなかったので、必死に宥めているのだ。

 さらに、今までのアレキスの傲慢で怠慢な性格を目にしてきたからこそ、記憶喪失でこれほどまでに人が変わっていることに、言いようのない違和感も覚えているようだった。

 

 俺も起きてから執事さんやメイドさんたちに話をしてもらったお陰か、時間が経つにつれ、アレキスがこれまでどのような振る舞いをしていたのか、当時の本人が体験して来た記憶が蘇ってきたのだ。

 

 記憶の内容は酷いものだ。気に入らなければ直ぐに当主であるボルドーに報告して、その要因となってしまった給仕の人を解雇させたり。しかも、夕食前にキッチンへ忍び込み気に入った食料があれば盗んでいたり。侯爵家が主催するパーティーでは、子爵家などの子息たちに声をかけて徒党を組み、これまた気に入らない他の家の子息が居れば、寄ってたかって影で虐めていたりなど。

 

 もう良くある悪役の子供時代がやる典型的なことの殆どをやってしまっているような子だった。ある意味で、悪役の能力に関して言えば優秀な子だったようだ。ざけんな。

 

「で、でも、私が……」

 

 脳内で徐々に以前のアレキスの記憶の中にある、数々の悪事がフラッシュバックしていく度に、当事者でもないのに俺の心は何故か、罪悪感に支配されていった。

 

 本当に、なんてことしてくれたんだ。アレキスは……

 

 しかし、俺がこのまま成り代わっていなければ、将来的には順当に侯爵家の暴君と化していたはずだ。

 そう考えると、先程まで特に心につっかかり、尾引いていたアレキスに対する申し訳なさ。俺が身体の支配権を奪ってしまったことへの罪悪感などの感情がいくらかマシなってきた。とは言っても、これから評価最底辺の男の身体でどう行動していけば良いのか見当が付かない。

 

 にしても、本人でもないのに、俺が記憶を思い出しただけで、ここまで共感性羞恥を味わうとかどれだけのことをやらかしてきたんだ。

 

 しかも──

 

「もういいのです! アレキス様!」

「お顔を上げて下さい!」

「ま、まさか……ほ、本当に記憶喪失に?」

「こんな……えっ」

 

 俺が土下座をしただけでこの慌てようだ。確かに仕える主人が土下座したら誰だって驚いて、動揺するはずなのだが、今のこの状況に至っては明らかにその範疇を超えていた。この部屋にいるみんながみんな動揺し過ぎてしどろもどろになってしまっている。これだけでも、日頃から相当給仕たちから恐れられ、内心嫌われているのが分かる。

 

 これは当分、会話も上手く出来なさそうだ。

 

「あ、えっと……」

 

 俺が声を掛けようとすると、給仕の男の人の声に遮られた。

 

「このままアレキス様が記憶喪失になってしまったボルドー様の耳に入れば……」

「で、でも記憶喪失じゃないかもしれないだろ!」

「バカ! あのアレキス様が俺たちみたいな給仕に頭を下げるか!?」

「いくらアレキス様の不注意とはいえ、仕える私たちが注意を怠ったのは事実。その時は、最悪わ、私たちの首が……」

「そ、そんなぁっ……」

 

 既に俺が土下座の体勢から身を正したことには気づかないのか、今もなお給仕たちはこれからの処遇のことが気になり過ぎるのか、話に夢中だ。確かに気持ちは分かる。段々と取り戻しつつあるアレキスの記憶によれば、ここにいる給仕たちはボルドーから俺に仕えるように任された人達だ。身の回りの世話は勿論のことだが、いくら長男とは言えども、まだ俺は子供であるため、ふとした些細なことでも怪我をしてしまう確率が高い。さらに自分で言うのもなんだが、困ったことかこの太った身体のせいでさらに怪我する確率が高い。だから、俺に仕える給仕たちは身の回りの危険を、常に抑えておくことが要務でもあったのだ。

 しかし、アレキスが階段から落ちて頭を強く打ってしまった拍子に別人格である俺が成り代わってしまったことで、本当は記憶喪失ではないのだが、俺が記憶喪失に近い状態になってしまったのだ。

 

 この事態は重く受け止められて、あの豚親父……ボルドーはきっとこの人たちをクビに。いや、或いはその場で……

 

 最悪なシナリオが頭に思い浮かぶ。自分のせいではないが、俺がアレキスになってしまった以上、この人たちを守らなければならないだろう。

 

 ここは俺が場を収めないといけない。

 

 そう思い立ち、口を開こうとすると

 

 

「──……アレキス様の前だぞ!」

「「「──!」」」

「!」

 

 と、俺が言う前に、先程までの静かな印象を受けたターナーさんが、威厳が有り余る声で、騒いでいた給仕たちを叱った。

 

 俺も思わずビクンと身体が少し跳ね上がるくらい、迫力あるものだった。これが、長年執事の仕事を全うして来た経験から形成される威厳というものなのだろう。給仕たちも俺と同じように口を一挙に閉じて、再び即一列に並んだ。

 

「……申し訳ありませんアレキス様。私の教育が成ってないばかりに」

「「「……申し訳ありませんでした」」」

「……い、いえ。こちらこそ。謝るためとは言え、土下座は少しやり過ぎたなと……未熟者ですみません」

 

 こういう時、正しい敬語の受け答えで話せないのが辛いところだ。何せまだ精神年齢も高校生で、仕事もしたことがない。これから学んでいくとは思うのだが、ついていけるか心配だ。

 と、そんなことは置いておいて。確かに仕える主人からの土下座は給仕たちからしたら困るだけだったし、一連の騒ぎも俺の言動に原因があった。ここは俺も謝らないといけないだろう。

 こちらの言葉に、一同はまた驚いたようで瞠目してくる。そんなに一々驚かれてたらむず痒いです。

 

「……やはり、別人のようです」

 

 感慨深げにターナーさんは呟いたので、多分折り合いは付けられたのだろう。先程までのてんやわんやしていた状況も、一段落したみたいで、内心ほっとする。

 

「あ、あの。取り敢えず、今日はこのくらいにして明日にまたじっくりと話しませんか? 考え事をしたいので」

 

 それに、早く一人になりたかった手前もあった。何せ死んで貴族の長男の身体と成り代わった今の状況を、頭では辛うじて理解出来たものの、精神的には全く追いついていなかったのだ。

 ターナーさんも「分かりました。何かあれば、外にいる者にお申し付け下さい」と素直に聴いてくれた。

 

「ありがとうございます」

 

 そうして、ぞろぞろと10人くらいは居た俺の部屋からターナーさんたちが後にする背中を見届けた後、静かになった部屋で俺は呆然と呟くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……先ずは痩せるか」

 


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