彼氏に振られて傷心中の女の子を慰めた結果 作:naonakki
「ごめんね、遅れちゃって。」
集合場所へやってきた唯さんは、ほんのり荒い息を吐きながら、そう謝罪をしてくる。
「とんでもないですよ。まだ集合時間まで20分以上ありますし。逆に早いですよ。」
むしろ集合時間より早く来てくれて嬉しい感情でいっぱいだ。唯さんも少なからず、このデートを楽しみにしてくれているということなのだから。
まあ、仮に1時間以上遅れてきたとしても、僅かな怒りすら湧いてこない自信があるけどね。
「えへへ、ひろ君なら早めに来てくれてるかなって思って。私もひろ君に早く会いたくて早めに来ちゃった。」
「そ、そうですか。」
そう言って、悪戯っぽい表情を浮かべて僕の顔を覗きこんでくるものだから、思わず顔を背けてしまう。からかわれているとは分かっているが、僕はこれに反抗する術を知らない。
……やばい、顔が熱い。
「……あ、お弁当作ってきてくれたんですね。」
せめて話題を逸らしにかかろうと、唯さんが持っているバスケットを指しながらそう聞いてみる。
そこで気付いたのだが、唯さんのバスケットを持つ左手の人差し指に絆創膏が貼ってあった。何か怪我でもしたのだろうか? 金曜日にはそんな怪我はしていなかったと思うが。
「うん! 腕によりをかけて作ってきたよ! 初めてひろ君に食べてもらうから張り切っちゃった!」
「……そうですか、本当に楽しみです。早くお昼になってほしいです。」
「あはは、そこまで期待されちゃうとちょっぴりプレッシャー感じちゃうな。」
そんな会話をしていると、ふと視界の端にどこかで見たような金色の何かが目に入った。
……ん?
そちらに視線を向けると、そこには何もなかった。
おかしいな、何かいた気がするんだけど。
というか、さっきの金色の何か、まさか……。
ふと頭によぎる、一人の存在。
……いや、流石にないよな。たぶん疲れているんだ僕は。
「どうしたの?」
僕が一点を見つめながら何かを考える様子を見せていたため、それを不思議に思ったのか唯さんが、きょとんしながら、そう聞いてくる。
「いえ、なんでもないです。それより早速水族館に行きましょうか。」
「そう? ……うん、そうだね!」
少々の逡巡の後、僕は唯さんの柔らかい左手を僕の右手で優しく握る。
唯さんは、「……あ」と少し驚いた様子を見せ、健康的な白い肌を僅かにピンク色に染めながらも、優しく僕の手を握り返してくる。
唯さんと距離を近づけたことで、唯さんからシトラス系の落ち着いた清涼感のある香りが漂ってくる。
僕の顔は今、緊張と照れで真っ赤だろう、見なくても分かる。
その後、僕と唯さんは電車に乗り、目的地である水族館がある最寄り駅まで向かった。
休日の朝早い時間ということもあり、電車の中は最初、そこそこ空き席が目立っていたが、目的地に近づくにつれ、同じく水族館に向かうのであろう家族連れやカップルが増えていった。
今日向かう水族館は一か月前にオープンしたばかりの新しい水族館だ。イルカショーやペンギンとの触れ合いなど、魅力的なアトラクションが沢山あり、休日は人でごったがえしているらしい。
正直、人が多い場所は得意ではないが学校でもその水族館は最近一押しのデートスポットであると話題になっていたこともあり、今日その水族館に行くことに決めたのだ。
……それにしても人多いな。
電車に揺られること30分、目的地に到着したわけだが周りを見渡す限り、人、人、人だ。
オープンから一か月も経っているし、まだ開園から間もないこともあり、それなりに人も少なくなっていると予想していたが、完全に裏切られる形になってしまった。
「わ~、凄い人だね。」
「……そうですね、まさかここまで多いとは。」
「う~ん、でもそれだけここが魅力的な場所だってことだよ、ね!」
唯さんは、この人ごみを前に嫌な顔をすることなく、眩しい笑顔でそう言ってくる。
……本当に、僕には勿体ないほどの彼女だよ。
これが中野さんなら「人多いわね、鬱陶しい」くらい言いそうなものだ。
しかし、そんな中野さんの姿を想像すると、なんだかおかしくなり思わず笑みがこぼれてしまう。
……って、僕は何を唯さんとのデート中に中野さんことを考えているんだ?
はっとなり、中野さんのことを頭から振り払うように軽く頭をぶんぶんと振る。
その後、気持ちを切り替えて事前に購入していたチケットで水族館内に入館した。
結果から言うと、人ごみが気にならないほど夢中になり楽しむことがきた。
色とりどりの鮮やかな熱帯魚、大迫力のサメであったり、巨大な水槽を優雅に泳ぐエイなどなど普段見ることのできない存在を前にいつしか心を奪われていた。
唯さんも同じように目をキラキラさせながら水槽を見つめていたので楽しんでくれていたようだ。
満足してくれているようで、本当によかった。
そして、いよいよ待ちに待ったお昼だ。
僕たちは、芝生が敷かれた大きな広場にやってきた。
澄み渡るような青空、真上に昇った太陽から暖かな陽の光が降り注ぐそこは、心地よい風が吹き抜け、昼寝をするにはもってこいの気持ちよさそうな空間が広がっていた。
この大きな水族館には、このように子供が走り回ることもできる施設もあり、少し離れた場所には遊具がある。これも家族連れに人気がある要因の一つだろう。
さらにここは、持ち込みのお弁当を食べることができ、周りには、レジャーシートを広げ、食事を楽しんでいる家族やカップルが多く見受けられた。
僕たちも適当な場所を選び、そこにレジャーシートを広げ、食事の用意を始めた。
そして
「はい! どうぞ召し上がれ!」
「……。」
笑顔でそう言った唯さんの前に並べられた弁当箱の中には、おにぎりをはじめとした唐揚げや玉子焼き、ポテトサラダと言った色とりどりの美味しそうなものが沢山詰まっていた。
僕はあまりの感動に言葉を発せない。
……僕の為にこれだけのものを作ってくれるなんて。
おそらく朝早く起きて色々準備して作ってくれたのだろう。その事実だけで僕の心の中は幸せで満たされる。
「……じゃあ、頂きます。」
「うん!」
なんとか、そう言葉を出し両手を合わしてから、まずは玉子焼きを口に運ぶ。
「お、おいしい……。」
柔らかく仕上げられ、しっかり味付けのされた玉子焼きは本当に美味しかった。
僕も姉ちゃんと交代でご飯を作っているが、ここまでの玉子焼きを果たして作れるだろうか?
何を使っているのかは分からないが、この塩味? のようなものが何ともいえない味わいを出している。後でどんな調味料を使っているのか聞いてみよう。
そんなことを思いながら、続いて唐揚げやおにぎりも口に運んでいくが、どれも本当に美味しい。
そして、そのどれにも玉子焼きを食べた時と同じ調味料を使っているようだった。
それはどの食材にも合っていた。
その後も夢中になって「美味しい、美味しい」と食べていたが、ふと唯さんに視線を向けると、そこには食事に手を付けず、頬を朱色に染め、恍惚とした表情を浮かべこちらを見つめている唯さんがいた。
……どうしたのだろうか?
こんな表情を浮かべる唯さんをみるのは初めてなので少々戸惑ってしまう。僕、何かしただろうか?
その唯さんは、なぜか絆創膏を貼った右手の人差し指を左手で優しくさすっている。
……痛むのだろうか?
「唯さん、その指どうしたんですか?」
「……え? あ、あぁ、えっとそのお料理をしている時にちょっと切っちゃってね。」
急に声をかけられ、驚いたような反応を見せる唯さんは我に返ったように、慌てたようにそう答えてくる。
唯さんでもそんな失敗をするものなんだと、少し意外に思った。
唯さんは、見た目と性格に続き、頭も良い、運動神経もよいと、なんでもそつなくこなす天才型なのだ。なので余計そう思ってしまった。
……しかし、唯さんの綺麗な指に傷をつけるとは、包丁許すまじ。
その後、お昼も食べ終わり、ゆっくりと日向ぼっこをしながら雑談をしていたが、トイレに行きたくなった為、唯さんに一言断りをいれて、トイレに向かった。
……えーと、トイレはと、こっちか。
案内板に従ってトイレに向かっていると、何やら不思議な光景が。
……あそこにいるのって、もしかしなくても中野さん?
僕の視線の先には、なぜか中野さんがいた。
あの流れるような金髪とモデル顔負けのスタイルだ、見間違えるはずもない。
……何しているんだよ、こんなところで。
というか駅前で見た金色の何かは中野さんだったのか?
この水族館に中野さんがいるのも問題だが、さらに別の問題が。
……中野さん、絡まれてないか?
何やら、二人組の茶髪の男二人に絡まれているようだ。
男達の方は見た感じ大学生に見える。その二人は中野さんを壁際に追い込み、必死に口説いているように見えた。
中野さんの迷惑そうな顔を見るにほぼ間違いないだろう。確実にナンパだ。
迷った。
このまま中野さんを見て見ぬふりしてやり過ごすか、助けるかをだ。
……ぱっと手助けして、唯さんの元に帰ろう。
思考の末、このまま無視するのは後味が悪いという結論になり、助けることにした。
友達として一緒に来たという体でいけばいいだろう。
そんなことを考えながら、中野さんの元へ近づいていき、
「やあ、中野さん探したよ。……このお二人は友達?」
「……え?」
中野さんは、僕の登場に心底驚いたように、目を真ん丸に見開いてこちらを見つめてくる。僕のとった行動がとても意外だとでも言いたげだ。
そして、男の二人も突然の僕の登場に、訝し気な視線を向けてくる。
「……あ、えと、お、遅いわよ! ずっと待ってたんだから!」
すると、中野さんは何を思ったのか僕の元へタタタと小走りで近寄ってくるとあろうことか、僕の腕に自らの腕を組んできた。
「ちょ!」
ぶわぁっと強烈なフローラルの香りと中野さんの柔らかい腕やら体の一部の感触がいっぺんに襲ってきて慌てふためいてしまう。
僕は友達として声をかけたつもりだが、中野さんは恋人として演じようとしているのだと勘違いしたらしい。
すると、中野さんはなぜか嬉しそうに満面の笑みを浮かべて
「じゃあ、早速続きを楽しみましょうか!」
そう言って、ナンパしてきていた男たちには目もくれず、ずんずんと歩き出す。勿論腕は組んだまま。
その中野さんの行動に男たちは「……男連れかよ」「……まあ、そりゃそうか」などと言いながら退散モードだ。
結果的に、中野さんを助けることには成功したが、その過程がよくない。
男たちが完全に去ったことを確認すると、僕は無理やり中野さんの腕を引き離す。
「……あ。何よ、もう少し優しくしなさいよ。」
中野さんは、物寂しそうな表情を一瞬浮かべた後、一変、ぷんぷん怒ってくる。
「……どうしてここにいるんだよ?」
僕はそんな中野さんの主張を無視してそう質問を投げかける。
僕が今日ここで唯さんとデートをすることは昨日中野さんに伝えている。それなのに、この場に中野さんがいるということは、そこに何かしらの目的があることは明白だ。
元々中野さんが今日ここに来る予定があったならば別だが、そんなことは昨日言っていなかったし、一人で来る場所でもないだろう。
「……別に、昨日高坂君が水族館に行くって言うのを聞いて私も来たくなったから来ただけだし。……でも人は多いし、ナンパはされるし、それに――見失うし。」
バツが悪そうに顔を背けながらそう言う中野さんはそれっきり黙ってしまった。
最後の方は何を言っているのか分からなかったが、やはり僕には言いにくい何かしらの目的があったらしい。
デートに来ていた僕に嫌がらせにでも来たのだろうか? そうでないと祈りたいけど。
「……まあいいけど、じゃあ僕は行くよ。」
色々問い詰めたいことはあったものの、ここで中野さんに時間を割くわけにはいかないので僕は早足でその場を離れる。問い詰めるのは後日だ。
しかし
「あ、ちょ、ちょっと待ってよ。」
中野さんから待ったがかかった。足を止めて顔だけで振り返る。
「そ、その……、助けてくれてありがとう。」
中野さんはちらちらとこちらの様子を伺いながら恥ずかしそうに、しかし嬉しさの感情も含めたようにそう感謝の言葉を紡いできた。
一瞬、普段とのギャップを感じさせるその姿に目を奪われるものの、すぐに我へと返り
「……どういたしまして。まあ、ナンパには気を付けて。」
そう言って、僕はそのままトイレへと向かった。
……何だか締まらないなぁ。
「お待たせしました。」
無事、用を足し唯さんの元へ帰ってきた僕を、ほっこりとした笑顔で僕を迎えてくれた。
そんな唯さんは、しかし何かに気付いたようにこちらにその端正な顔を近づけてきた。
……え、なんだ?
突然の唯さんの行動に、心臓が跳ね上がり、固まってしまう。
そんな僕に構わず、唯さんは僕の首元に自身の鼻を近づけると、スンスンと臭いを嗅いできた。
そして、すっと離れ、じっとこちらを見つめてくる。
「……ねえ、ひろ君。」
「え……は、はい。」
唯さんは、相変わらず笑顔を浮かべている。しかし、その表情はどこか無理やり作っているような、ちぐはぐしたようなものに見えた。
そして、その口調。いつもより気持ちトーンが下がったように聞こえたそれは、これまで聞いたことのない重圧のようなものを感じさせた。
言いようのない緊張感に包まれ、自然と背筋を正し、唯さんの次の言葉を待つ。
「……本当にトイレに行っただけなんだよね?」
「……。」
も、もしかして中野さんを助けたことがばれた?
いや、隠していたつもりもないが。
先ほど、唯さんは僕の臭いを嗅いでいた。
そう言えば、中野さんからはフローラルの香りがしている。もしかして中野さんが腕を組んできたときに臭いが移ったのだろうか?
「……えと、実はなぜかトイレに行く途中に中野さんがいて、ナンパに困ってたので助けました。」
と、正直に答えた。
唯さんは、笑顔を崩さないものの中野さんというワードを聞いた瞬間、その眉をピクリと動かした。
しかしその心中までは測り得ない。
「そっか~、ひろ君は本当に優しいね。」
「……い、いえ。」
そう言う唯さんだが、その言葉はどこか棒読みであり、本心からそう言っているわけではないと分かる。
唯さんの変わりように動揺を隠し切れない。
……怒っているのだろう。
やはりデート中に他の女の子と接点を持ってはいけなかったのだろう。
……反省だ。そうだよ、ああいう場面に遭遇してもここのスタッフに通報するなど他に手段はあった。
昨日に引き続き、唯さんには申しわけが立たない。
「……あの、すみません。デート中に他の女の子と絡むような真似をしてしまって。」
「ううん。困っている人がいたら助ける、人として当然のことだよ。でもそっか……」
中野さん……ね……。
ゾクリ
思わず僕の背中に何か冷たいものが走ったような気がした。
最後にそう呟いた唯さんの表情は、にこにことしていたものの、その奥に何か形容しがたい負の感情のようなものを感じた。
しかしそれもほんの一瞬。
……なんだ今のは? 見間違い?
「じゃあ、そろそろ行こっか。お昼からはメインのイルカショーだもんね。」
唯さんは、この話は終わりとばかりに話を切り替えてくる。
その表情はいつもの、優しく癒しを与えてくれるものだった。
先ほどの雰囲気が嘘のようだ。
唯さんの変化に戸惑うこともあったが、僕も気持ちを切り替える。
何はともあれ、悪いのは全部僕なんだ。今後はもっと自身の行動に気をつけよう。
「そうですね。ここのイルカショーは迫力が凄いって噂ですから楽しみです。」
「ふふふ、そうだね。」
そういうわけで僕たちは、その後、ペンギンとの触れ合いゾーン、イルカショーといったこの水族館の目玉を回った。
……これが本当に楽しかった。
午前中も当然楽しかったが、午後の特に、イルカショーは噂通り、いや噂以上に面白かった。
この水族館デートは成功といっていいだろう。唯さんを怒らせてしまったことは失態だったが、それは僕が今後気を付ければいいだろう。
中野さんがなぜ、水族館に来ていたかは明日聞くとしよう。
ちなみに昨日の中野さんとのやり取りも約束通り話そうとしたけど、「ひろ君のことは信じているから」と言ってくれたので、中野さんとのやり取りを話すことはしなかった。
夕方頃には唯さんと別れ、それぞれ帰路についた。
足取りも軽やかに自宅であるボロアパートにたどり着いた僕は、その日あったことを姉ちゃんに報告し、次の日の学校に備えて早めに就寝した。
……あ、そう言えば唯さんが何の調味料を使っているのか聞くの忘れたな。
まあいいか、今度聞こう。
そして次の日の学校。事件は起きた。