一緒 御心振り奉りて
しかして無意識の魂の叫びは、不変に苛まれつつも決してその性分が変わることなく生き抜いてきた一人の御人好しに拾われる事となった。
「親か?」
少年は意識が覚醒するような錯覚を覚えずにはいられなかった。
はっきりとそう聞き返された。
男の、坊主の声は先程とは打って変わって芯があり、温かいというよりも身体深くに響くような包容力と威厳に富むものへと変容していた。
少年は何故か口を開くことができた。
声は出なかった。
口から音が発せられることこそなかったが、代わりに口の中に今まで味わったことのない刺激を感じた。
「……………コク………」
飲んだな。
押し潰すような男の声が聞こえると顔の布が除かれて昼の光が目に入ってきた。
男が耐えていたのは痛みであるか。
目を全幅開け放ちて見ると男の苦痛に歪む顔はない。
だが、襖を開け放ち、仁王立ちの男の手には案の定赤く汚れた小刀が握られており、今ほど刀身を拭いた先ほどまで少年の視界を遮っていたであろう白い布には赤い滲みが、男の額には大粒の汗粒が浮かんでいる。
「俺は痛いのが嫌いでな。…どうだ?少し外に出てみないか?坊は世間知らずの様だからな。」
この男は何をいうのだろう。
いかなる良薬だとしてもそう早くに治っては道理にあわない。
少年は己の身体が動かぬことをこの愚か者に教えてやろうと起き上がるつもりで身じろぎをした。
むくり。
上体は腹筋の収縮軽やかに重力に垂直な角度にまで起き上がった。
「…え」
少年は恐らく生まれて初めての驚愕に驚いている。
心身の生理的不快は全く消え去っている。
手を開き握ってみるも神経の伝達に不具合は見られない。
立ち上がろうと思えば立ち上がれる。
肉体が丸々入れ替えられた様な感すらあるのだ。
「よし!ではでは元気になられた様だから遠足と洒落込むかっ!」
男はそういうと少年を軽々と抱き上げると足を踏み鳴らして寺院から飛び出した。
少年は焦燥こそないものの、困惑を隠せず、だが動き出したものは止まれんと男の法衣の裾を握った。
ぐんぐんと生まれてから一度も出たことのなかった生家から離れていく。
あたり一面の一切合切が新鮮かつ独創的であった。
広い世界には色々な大人がいた。
侮蔑の上にあった大人という動物への印象は偏見となる前に解かれた、皆が皆祈り唱えずとも生きていけるのだ。
少年は生まれてこの方祈る大人か泣く大人しか見てこなかったのだから。
男は方々に歩き回っては腕の中で行儀良くじっとしている少年に語りかけ続けた。男は博識で何より大のお喋りだった。
「空を飛ぶ鳥にも種類がある。知らないからって気を落とす必要はないぞ!世界は些か広すぎるから知らないことの方が多いに決まってるんだ。」
「いつも何を食べているんだ?」
「あ、食べ物と言えばな、何も高い安いだけじゃないくて"お袋の味"というものがこの世にはあるんだ。」
「コイツは誰しもが持つもので、いつ食べても美味しいが忘れてくる頃や辛い時に食べると一段と美味いものだ。坊のお袋の味は何だ?…無いのか?なら今度何か作ってやろう。どっちかというと親父の味だけどな。
「天候の変化も色々だ。寺を飛び出してから1時間とたたないが雲の動きにも遅い早いがあってみていて飽きない。俺は飽きたが。」
「これから社会はどんどん変わっていくぞ。坊が年寄りになる頃にはきっと社会は色々ゴタゴタしだすかもしれんな。先のことだからあんまり気にしなくてもいいがな。」
「生まれてからずっとあの場所にいて飽きないのか?母ちゃん父ちゃんと遊んだことは?飯は一緒に食うのか?ご両親の仲が良くないのか?」
「勉強は最低限しておいたほうがいいぞ。必ず役に立つからな。あ、特に!特に数学には気をつけろよっ!俺は苦手で苦手で敵わなくてな。坊は賢そうだからどうにかなりそうだから教えておこう。」
「…楽しくないのか?何かしたいことはあるか?どうしたら嬉しい?何か食べたいことや見たいものはないか?知りたいことは?教えられることなら何でもいいんだぞ?」
「………極楽があるか?あんなとこ行ったって暇なだけだぞ?…まぁ無いよりはマシか?俗世の方がよっぽど楽しいと思うがね。…まだ若いのにそんな事を気にするだけ疲れるってもんだ。」
「…人間はないもの強請りな生き物だ。満足したら死んでしまうのさ。少年よタイツ…じゃなくて、大志をいだけ!これだこれ!これはな、偉そうなこと言う奴は大抵失敗してるから安心しろよって言う意味の言葉だ。偉そうな奴だって失敗するんだから俺の様な凡々が変に難しく考える必要はない!そう言うことだ。大事なことは人それぞれだとは思うが、坊が背負わなきゃならんのは自分のことだけだぞ。」
少年は男の腕の中で思った。
生まれてからずっと停滞していた時が動き出したようだ、と。
結局この日少年は男に抱かれて丸半日連れ回されてから帰った。
夕食に生まれて初めて屋台の蕎麦を食べたり、カエルを触ってみたり、何とも忙しい一日になった。
寺院に帰ると両親が血相を変えて出迎えてくれた。
口うるさく心配しただの何だのと宣う彼らは眼中になかったが、どうやっても男の姿が見当たらないことに気づいた。
「さっきまで一緒にいたのに…。」
誰がこんな事を!と父親が言うと母親は祟りだ、あの坊主がこの子に病をかけたに違いないという。
二人は力が篭っていない抱擁で少年を包んだが、少年にはどうでもよかった。
崇勘の姿は振り返っても見当たらず、少年は心細さとも寂しさともいえる一種の不快を感じた。
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あと2話で童磨の原作開始前の諸々が判明する予定。
次からは琴葉さんのターンです。
あ、その前にFateの方を進めなくては。