「しかし……さきほど中将閣下は、彼女たちの装備していた主砲が空砲だったとおっしゃいましたが……何故そのように?」
歩きがてら。
門の向こう側から見えていた建物のうち、恐らくは執務室や、応接室、通信室などが設置されていると思われる建物に入ったあたりで、少佐はそんな風に訊ねた。俺は答える。
「少佐は見ていなかったかもしれないが、先ほどのもめ事の最中に、うちの夕立がそちらの霞の主砲を奪い、それを不知火に向けて動かないように制止したタイミングがあったんだ」
「ぽい?」
名前が出たからだろう、夕立がぴょこんと一歩前に出てこちらを見る。その頭を撫でてから、俺は説明を続ける。
「その状況下で、不知火は一切の躊躇いなく夕立へ走り出した。砲を向けられているのに……しかも動いた撃つ、と宣言されているのにも関わらず。不知火が自殺志願者でもない限り、どう考えても異常行動だ。では、なぜそんなことが出来たのか。簡単な話だ。不知火は撃たれないことを知っていた……そう考えれば、状況も鑑みて――ひょっとしたら主砲の中は空なんじゃないか、という推測に行きつくのは自然なことだろう」
「夕立もそう思ったっぽい!」
得意げに笑う夕立。実際、あの時、夕立は距離を詰めてくる不知火に対して、砲の引き金を引くのではなく、砲そのものを投擲するという行動に出た。あれも、主砲が空砲である可能性を考えてのことだったのだろう。
「なるほど……そんなことが」
少佐は感心した様子で頷く。
「でも提督、あくまでそれは空砲の確率が高いだけであって、必ずそうである確信があったわけじゃないよね? 正直あの時……山風に砲を向けられていたとき、僕は結構ひやひやしていたんだよ?」
時雨はやや不満そうな半眼で俺を見る。俺は釈明するように言う。
「仮に空砲じゃなくても、撃たれる可能性はほとんどなかっただろうさ。何度も言っているように、あのタイミングで俺を撃つメリットがない」
「……提督の悪いところだよ、それ。誰もが提督みたいに論理や利害関係だけで動くわけじゃない。感情に任せて突発的に行動することだって多いんだ」
「……わかってはいるんだけれどね」
人はロジックじゃない。
それはわかっている。理解している。だが、わかっていても忘れるというのは往々にしてよくあることだ。それが俺の弱点の一つであることもわかっている。だから、時雨のようにそれを補佐してくれる人材が必要になる。
向こうの鎮守府にいた時は、もっぱら大淀さんにその役目をお願いしていたが、この視察中はその役目を時雨に任せることになるだろう。
「頼りにしているよ」
俺の言葉に、時雨はやれやれ、と肩をすくめた。
「……あら」
しばらく歩いていくと、廊下の曲がり角の向こうから、一人の女性が姿を現した。白と青を基調にした、弓道着をアレンジしたような和服。サイドテールにした髪はやや茶色がかった黒色。平坦な目つきで、突然現れた我々を見ている。
航空母艦、加賀だ。
「提督。もしかして、そちらの方々は……」
「ああ、加賀。ちょうどよかった。紹介しよう、このたび我々の鎮守府に視察にいらした中将閣下御一行だ」
中将の紹介に、どうしようかと一瞬迷ったものの、俺は軽く右手を挙げて答える。右隣では時雨が小さく頭を下げ、左では夕立が元気よく手を振っている。
「あなたが噂の……初めまして。航空母艦、加賀です」
そう言って、加賀は見事な海軍式の敬礼を行う。なるほど、本来敬礼を行うのが正しいのか。生憎と民間出身の俺にはその習慣が根付いていなかった。俺が行わないということは、俺の鎮守府にもその習慣は根付いていない。少佐も初対面の際に敬礼はしていなかったが、あれはまあ、状況が状況だ。そんな場合ではなかったのだろう。ここは答礼を返すべきなのかもしれないが、残念ながら正しい答礼を行える自信はない。ここは言葉による挨拶で替えさせてもらおう。
「どうも。これからしばらく滞在することになるだろう、中将だ。よろしく頼むよ」
「ええ、こちらこそ、よろしくお願いします」
言いながら、加賀はじっと俺、そして夕立と時雨へと視線を向ける。さながら値踏みされている気分だ。別に悪いことではない。実際、これから行動を共にする機会がある相手がどのような人物なのか、初見で把握しておくことは大切である。その行動は正しいと言えるだろう。
「……ん?」
そんな加賀の様子を見ていて、少し違和感を覚える。具体的には、こちらをじっと見つめる目……その右の眼球に。
そこで、この鎮守府に来る前に読んだ、掃き溜めの艦娘についてのデータを思い出す。そこまで詳細な内容はなかったが、それぞれの艦娘がどのような原因でここに送られたのか、その理由が大まかにではあるが、書かれていた。
それによれば、確か加賀がここに送られてきた原因は……出撃中の被弾による後遺症を理由とした、戦闘能力の欠陥、だったはずだ。だとすると……
「……ああ。お気づきですか」
俺の視線に気が付いたのか、加賀は自分の右目を閉じ、瞼に手を当てる。
「お察しの通り、私は右目がほとんど見えません……左目の視力もかなり落ちています。以前所属していた鎮守府で負った外傷が原因でして……どうにも入渠してもこればかりは治らないみたいで」
「……なるほど。留意しておこう」
俺の言葉に、加賀は小さく頭を下げた。
戦闘において、視力がどれほどアドバンテージを生むのかは、言うまでもない。それも空母という、超長距離で戦う機会が多い艦種にとって、目は命と言ってもいいだろう。その二分の一を失った加賀が、どのような扱いを受け、ここに来ることになったのかは想像に難くない。
一生戦えなくなっても不自然ではない。
しかし、加賀の目に絶望の色はなかった。視力は失っても、その目は死んでいない。むしろ、戦うという気概が見て取れる。彼女のパーソナリティの一端が、その強い意志に垣間見えたような気がした。
「加賀、よければ少し同行してくれないか。これから中将閣下と話があるんだが、扶桑が……その、所用で外していてな」
「所用? ……まあ、私でいいなら構わないけれど」
少佐の言葉に、少し怪訝そうにしたものの、加賀は頷く。扶桑が外しているのは、負傷した三隻に付き添って入渠ドックに出向いているからである。それを説明するためには、あの四隻が俺たちを襲ったことを説明しなければならない。その説明は煩雑になるし、何かと面倒な反応を生むだろう。所用と表現し、曖昧にした少佐の判断は正しいと言える。
「ありがとう、助かる」
そう言って、少佐は「お待たせしました。こちらです」と案内を再開した。加賀は少佐の右後ろに付き添う。俺たちはその後を追っていく。
しばらく無言の時間が過ぎる。
「……さて、着きました。ここが執務室です」
少佐に案内された先には、木製の両開きの扉があった。執務室というのは、両開きの扉にしなくてはいけない規則でもあるのだろうか? うちの鎮守府の作りも似たような感じである。
「中に入っても? そろそろ話も聞きたいところだ」
「ええ、もちろん」
少佐が扉を開き、室内へと足を踏み入れる。俺たちはその後に続く。
流石に執務室、というだけあってか、室内はそれなりに整っていた。おそらくは提督が使用する机が部屋の奥にあり、その背となる壁には海が描かれた日本画が掛けられている。左右にはフォルダーにまとめられた書類が入った棚。右側の壁の一部には扉があり、向こう側の部屋に繋がっているようだった。
部屋の中心付近には横長のマホガニー材のテーブルが置かれ、それを挟んで年期の入ったソファーが二つ、左右に置かれている。
「どうぞ、こちらへ」
少佐に促され、俺たちは向かって左側のソファーへと向かう。俺と時雨はそれぞれ、コートを脱いでソファーに腰かけたが、夕立は座らずにソファーの背中側に立ち、背もたれに肘を置いて寄り掛かっている。ソファーには四、五人座れるくらいのスペースはあるのだが。
「座らないのか?」
「夕立は大丈夫っぽい」
「……そうか」
時雨の方を見ると、肩をすくめている。まあ、立っていた方がいざという時動きやすい、ということなのだろうか。とにかく、夕立がそれでいいというならばそれでいいだろう。
「すまないが加賀、お茶を用意してくれないか。私の分はいらないから」
少佐が加賀に声をかける。
「わかりました」
「あ、夕立も遠慮するっぽい」
先ほど派手に運動していたが、喉は乾いていないのだろうか。あるいは、単純に立っているから飲まない、というだけなのかもしれないが。
夕立の言葉に、加賀は頷くと、執務室にある扉の向こう側へと歩いていく。あちらが給湯室にでもなっているのだろう。
加賀を見送って、少佐は俺の向かい側にあるソファーに座る。
……あちらが加賀を同行させてきた、ということは、彼女にも話を聞いていて欲しいのだと想像できる。ならば本格的な話し合いは加賀が戻ってからにするべきだとして……さて、どうしたものか。
「……ああ、そうだ、少佐」
何を話そうかと悩んでいると、不意に時雨が声をあげた。
「ん? あー……と」
時雨の呼びかけに、少佐は戸惑ったように唸る。どうやら時雨に対してどのような態度で接するべきなのか決めかねているらしい。俺のように明らかな上官、というわけではないが、その上官の部下である。しかし見た目は少女にしか見えない。立ち位置的には微妙なところだ。
「普通に話してもらって構わないよ。敬語もいらない。僕もそうさせてもらうから」
「えっと……そうか。わかった。お言葉に甘えさせてもらおう。それで、どうした?」
時雨の言葉に、少佐は少し迷ったようだったが、普段通りの言葉遣いで接することに決めたようだ。
時雨は言う。
「いや、大したことじゃないんだけれどね――執務室の、あの時計」
そう言って、時雨は俺たちが入ってきた扉側の壁に掛けられている鳩時計へと視線をやった。提督の使用する机と向い合せになる都合上、時計はそこに置くのが合理的なのだろう。必然的に、部屋に入ってすぐに室内を眺めた際には、そこに時計があることには気が付かなかった。
「時計がどうかしたか?」
少佐は首をかしげる。
「うん。あの時計、多分だけれど、十分……いや、十五分から三十分くらいかな。遅れているから、後で直しておいた方がいいよ」
「何?」
言われて、少佐は懐から懐中時計を取り出した。俺も気になり、腕時計を見る。
「……本当だ。しかし、何故だ?」
時雨や少佐が言ったように、鳩時計の時間と腕時計……すなわち実時間は乖離していた。確かに、鳩時計の方が、二十分以上遅れている。
俺は時雨へと視線を向ける。
「なるほどな。よく気が付いたな」
「僕は提督と違って腕時計を身に着けていないからね。この部屋に入った時、最初に時計を探したのさ。そこでまず、違和感を覚えた……あとは状況から考えれば、あの時計が遅れている可能性を思いつかない方が難しいよ」
「……すまないが何故遅れているのか、私には見当がつかない。よければ教えてくれないか」
少佐の言葉に、時雨が話し始める。
「簡単なことだよ。少佐は多分、僕たちが予定より早くこの鎮守府に着いた、と思っていたんだよね。でもそれは違うんだ。僕たちは時間ちょうどに、門の外にいた。そこで、出迎えがないことについて変だと話していたんだ」
「ちょうどに? いや、そうか。あの時計が遅れていたのだとすれば……そうなるのか」
「出迎えがないことについて、僕たちはいくつかの仮説を立てた。その中で、『到着時間を勘違いしているんじゃないか』って考えがあったんだけれど、中将の視察なんてビッグイベントの予定時間を勘違いするなんて、いくらなんでも考えにくい。なら、逆の発想が出てくる」
「勘違いしていたのは、予定の時間じゃない。実時間の方だった、って考えだな」
「その通り」
俺の言葉に、時雨は頷いた。
「けれど、いくらなんでも急に『実時間を勘違いしていた』って発想に至ることはない。流石に突飛すぎるよ。この考えを思い付いた理由は……蒸し返すようで悪いけれど、さっきの摩耶さんたちの襲撃だよ」
「……そういうことか」
ここまで説明されれば、少佐にも事のあらましが整理できたようである。時雨は続ける。
「摩耶さんたちは、鎮守府に入った僕たちをすぐに襲うつもりだった。でも、そこに少佐がいると不味い。あれが摩耶さんたちの独断だってことは聞いたからね。何とかして、僕たちが鎮守府に着く時間を、少佐に誤認させる必要がある……僕らがこの鎮守府に着くのが十三時だ、って言うのは、多分あらかじめ知らされていたんだろう。そして、その時間になるまで、少佐が執務室にいることを彼女たちは知っていた。今思えば、少佐が身に着けているのが、腕時計じゃなくて懐中時計だって言うのも、計算に入っていたんだろうね。壁に時計があるのに、わざわざ確認に手間がかかる懐中時計を取り出して時間をチェックする人は少ない」
「だから、あの時計を遅らせて私の時間感覚を誤らせた……と。その隙に、中将閣下を襲うために……」
「まあ、ただの推測だけれどね。あっているかはわからないよ」
「いや、実際に時間はズレているんだ……恐らくその通りだろうな」
少佐は苦虫を噛み潰したような顔で額を抑える。部下の艦娘にしてやられたのだから、当然の表情とも言える。どうにも部下のコントロールはし切れていないようだった。まあ、いきなり襲撃された時点でわかりきっていることではあるが。
「……お茶が入りました」
と、そのタイミングで加賀が扉の向こうから現れる。ちょうど話が切れるタイミングだったので、頃合いを見計らっていたのかもしれない。
俺と時雨の前に、緑茶の入った茶碗が手際よく置かれる。時雨の緑茶には茶柱が立っている。幸運艦というのはこういうところにまで影響を及ぼすのだろうか、などという益体もない考えが頭に浮かぶ。
「ありがとう」
俺と時雨の礼に、軽く返礼すると、加賀はそのまま少佐の後ろに立つ。別に座っていてもいいとは思うのだが、こちらも一人、夕立が立っている。そのために立っているのかもしれない。だとすれば気を使わせて申し訳ないような気もするが、まあどうでもいいことか。
流石に夕立のように背もたれに寄りかかった立ち方ではなく、背筋を伸ばした綺麗な立ち姿である。できる秘書艦、といった雰囲気が凄かった。