「ふっ! はあっ!」
「まだまだ、反応が遅れてる! すぐにカバー!」
光羽のハイキックに対して反応しきれず、防御しようとした右手ごと思い切り吹っ飛ばされる。必死に重心をキープし、追撃に備える。
「そりゃ!」
「……ッぐ」
ハイキックの勢いを利用して身体を回転させた光羽が裏拳を放ってくる。今度は身体を後ろに逸らしてギリギリかわす。カウンターを狙って左膝で蹴り上げようとしたが、光羽は軽く身体を捻るだけで回避し、片手で私の足を押す。バランスを失った私は立っていられず倒れてしまった。
光羽がすかさず私に体重をかけて動きを封じてくる。
「そこまで! 光羽の勝ち!」
審判をしているオーナーの声が響く。
これで0勝9敗。私はまた負けてしまった。
時は2月。
場所は孤児院の中にある一室。
私と光羽はそこで組手を行なっていた。
「……また負けちゃった。あんまり進歩してる気がしない」
「そんなことないよ。最後の膝蹴りは危なかったと思う。あれが決まってたらあたしもノックダウンしてたかも」
「すごく簡単そうに避けてたのに……!」
私は息を整えながら光羽を眺める。だいぶ恨み節を込めていたと思うのだが、光羽は平然とペットボトルの水を飲み始めていた。
私もタオルで汗を拭う。
体力強化と立ち回り方の訓練の一環として、私はオーナーと光羽の付き添いの元で格闘の手解きを受けていた。光羽は総合格闘技を習っているので、私としても胸を借りる気持ちで挑んでいるのだが、勝つどころか一矢報いることも難しい。
どうやら、私には体術のセンスはあまりないらしい。
「……こんなことなら、光羽が道場通い始めた時に私も一緒に始めていればよかった」
彼女が格闘技を習い始めたのは小学生の頃からで、もう5年以上のキャリアがある。きちんと習ってもいない私が一朝一夕で追い越せるわけがないのであった。
「瞳子の場合は右眼を閉じてるっていうハンデがあるし、そもそも“個性”ありなら近距離で戦う必要もないんだから別にいいと思うんだけどね」
さっきも右の死角をついたハイキックで崩されたので、それが私の弱点なのだろう。
実際私としても自分が近距離で殴り合うようなヒーローになれるとは思っていないし、そんな状況は御免被りたい。
組手を見終えて静かに立っているオーナーを見る。
この組手の発案者はオーナーなのである。オーナーは軽く首を振ってこう言う。
「たとえ直接戦わなくても、体術を身につけることは重要だ。自らの身体をきちんと意識して動かせるようになればさまざまな場面で的確に行動できるようになるし、経験というものは動きに出る。
人命救助の場において躊躇いは時間のロスだ。それを消すための瞬時の判断力は実践の中で磨くしかない」
オーナーの言葉は実際に現場を見てきた人間による重みのある言葉だった。
私は自分の手のひらを見つめて思う。瞬時の判断力なんて、今までの私からすれば程遠い言葉だった。いつもうじうじ、下を向いてばかり。
でもこれからは変わらなきゃいけない。私はヒーローを目指すのだから。即断即決で行かないと。
何せ雄英の入試は明日にまで迫っているのだから。くよくよしている時間はない。
「まあ、特訓を始めた頃よりはだいぶ瞳子も動けるようになってきたと思うよ。素手の喧嘩ならそこら辺の不良程度には負けないくらいにはなってると思う」
「……うちのかわいい娘たちが不良と喧嘩なんて、俺はどこかで教育を間違えたか……?」
「オーナーっ光羽の言葉を間に受けないでください! 喧嘩なんてしませんから!」
そもそも争いごと自体があまり私は好きじゃない。孤児院で光羽や弟妹らと喧嘩することもほとんどないし、こうして格闘技を覚えようとしているのも誰かを助けるためだ。
「とにかく、光羽には勝てなかったが瞳子もこれまでよく頑張ってきたし、本番前までにやれることは全部やったと俺は思っている。明日の入試に備えて今日は早く寝るようにするんだぞ。いいな?」
「はい」
「瞳子、先にシャワー浴びてきていいよ。あたしもその後入るから」
じゃあお言葉に甘えて。
私は浴室に向かった。
シャワーから出てリビングに行くと、夕飯を待っていたと思わしき子供たちが何人か寄ってくる。
「ひとみこねーちゃん! コタローがリモコンわたしてくれないの! しかってよお」
「だってこのあとオールマイトが出るんだぜ! おれそれみたいもん!」
「わたしだってじーにすとのばんぐみみたいのに……」
「おねーちゃん明日お出かけするんでしょ〜? レミもいっしょに行きたい!」
「レミだめだってば。こーこーじゅけんってやつなんだから、あたしたちはまだいけないよ」
「こーこーじゅけんってなにー?」
わちゃわちゃとする子供たち。私は適当にあしらいながら台所に顔を出す。
「光羽いる? お風呂空いたよ」
「あーい」
光羽はオーナーの奥さんが料理を作るのを手伝っていた。私は交代で俎板の前に立ち、ジャガイモとピーラーを手に取る。
「あら、瞳子ちゃんは今日は手伝わなくてもいいのよ? 明日の入試があるのだし、ゆっくりしていなさいな。今日はあなたの好きな肉じゃがを作ってあげるから」
「いえ、普段と違うことをしていると逆に落ち着かないので……」
オーナーの奥さんーーアヤメさんはおっとりとした優しい人だ。料理上手で私もよく習っている。
「じゃあそこのジャガイモ剥いておいてくれるかしら。指を切らないように気をつけてね」
「わかりました。大丈夫です」
くっついていた子供たちをリビングに戻してやってから、私はジャガイモの処理に集中することにした。
しばらく黙って作業していると、隣で大鍋の準備をするアヤメさんが語りかけてくる。
「瞳子ちゃん。明日の入試なのだけれど、ちゃんと準備はできている? 持っていくものとか欲しいものがあったら言ってね」
「一応このあと寝る前に再確認するつもりです。あまり大荷物でもないですし多分大丈夫ですよ」
「あらあら、瞳子ちゃんはしっかりしていて偉いわ。さすがヒーローの卵ね」
「まだ気が早いというか、これからヒーローの卵になりに行くんですけどね。
……正直、どれだけ準備しても、そこはずっと不安で」
私が雄英に合格することができるのか。それはここ数ヶ月の間ずっと私の頭にある不安。
身体を鍛えた。学力を伸ばした。個性をコントロールする訓練をした。
どれだけやっても自分に対する自信のなさは消えてくれない。この調子で本番を迎えて、緊張で大失敗とかしてしまうことが怖くて仕方がない。
私の不安を感じたのか、アヤメさんは作業の手を止めて私に近づいてくる。
「心配ないわよ。瞳子ちゃんが頑張ってきたのを私たちはずっと見てきたわ。あなたの実力がちゃんと出せればきっと合格できる」
ぎゅっ、という軽い感触とともにアヤメさんに抱きしめられる。私は思わず手に持っていたジャガイモを取り落としてしまう。
とても優しい花の香りがした。
「あ、あの!」
「昔から自信がないのがあなたの問題ね。もっと自分に自信を持ちなさいな。
……光羽ちゃんと比べることなんてないわ。瞳子ちゃんには瞳子ちゃんの素敵なところやすごいところがあるの。血は繋がってないけど、私たちの自慢の娘なんだもの」
「……」
アヤメさんの柔らかな温かさに包まれて、私は何も言えなくなる。
光羽は昔から天才肌で、勉強も運動も、なにをやらせても優秀だった。ちょっと暴走気味なところもあるが、快活で面倒見が良くて慕われる性格もある、言ってみたら完璧人間だ。
私はずっと光羽に憧れていて、それは今でも変わらなくて。でも気がつけば心の片隅に、彼女のことをずっと追いつけない存在だと決めつけてしまう自分がいる。
『光羽を助けられるようなヒーローになる』と雄英に行くと決めた時に誓ったはずなのに、自分ではそんなふうになれないと思ってしまう。光羽の眩しさが、時に憎たらしい。
光羽はあれで他人に対する評価がとても高い人間だから、私がこう話しても軽く笑い飛ばしてしまうのだけれど。
そんな私の内心を、アヤメさんは見透かしていたようで。
「子供の頃から、瞳子ちゃんは光羽ちゃんの後ろを歩いていたものね。光羽ちゃんはかっこいいから気持ちはわかるけれど。大丈夫、瞳子ちゃんもしっかり成長しているから、自分の歩幅でね」
「……私、成長できてますか? あまり実感が湧かないんです」
「自分がどれくらい進んでいるのかって、人は歩いている最中には気づかないものよ。それはいつか、自分が歩いてきた道のりを振り向いてようやく気づくの。
私たちが瞳子ちゃんを引き取ったとき、あなたは傷だらけの小さな子供で、光羽ちゃんに手を引かれて助けられるばかりだったでしょう? そんなあなたが、今では誰かを助けるヒーローになると言うんだもの。それだけですごい成長だと思わない?」
アヤメさんの言葉は穏やかに、私の心の染み込んでいく。
私はそっとアヤメさんの手を振りほどくと、床に落としてしまったジャガイモを拾い上げた。
「……今は子供たちが待ってますし、肉じゃが作っちゃいましょう」
アヤメさんは少し戸惑ったような表情を浮かべて私を見ている。
私は普段あまり動かさない表情筋を総動員し、慣れない笑顔を作った。
「もう、大丈夫です。明日の入試、頑張りますから」
不安も、迷いもまだ心の中にあるけれど、心の中に生まれた温かなものはきっと、それを打ち消すくらい、希望のあるものだろうから。
アヤメさんはふわっと花の香りがするような笑顔を浮かべてくれた。
翌日。朝5時に起きる。
「軽く走りに行こうか」
光羽がそう言い出すことも、なんとなく予感がしていた。
私はいつものように身支度を整え、光羽と一緒に院の外に出る。
しばらく二人で無言で走り続ける。もちろん入試に響かない程度の運動だけれど。
そして辿り着いたのは、私にとってもう馴染みとなった例の河川敷だった。
「結局、この一帯からゴミを集めきることはできなかったね」
私は隣に立って景色を眺めている光羽に対して声をかける。
光羽はさして気にしてもいなさそうな声音で、
「まあ、あたしたちがここのゴミ拾いをするのと同時に、ここを使う人たちがまたゴミをポイ捨てしてただろうから、なかなか綺麗にならないのも仕方がなかったかな」
「それ、予想してたの?」
「ある程度はね」
なんだ。私はてっきり、光羽が本気でこの河川敷を美化しようとしているのかと思っていた。いや、光羽のことだから本気ではあったのだろうけれど、ある程度妥協も考えてたのか。
「もちろん、人がポイ捨てするのをやめてくれればそれで良かったんだけど、別に注意書きとかがされてるわけでもないしね。悪いことを悪いことと思ってない人もいるし、残念だけど完璧な美化活動はまた機会を取ろうか」
「怖いこと言わないでよ……」
まるでポイ捨てする人を全員退治しようとしているように聞こえてびくっとする。
「ふふ、冗談だって。あたしも流石にそんなことはしないよ」
「……やめてってば。光羽の冗談は冗談に聞こえないから」
他愛のない会話。私と光羽は堤防のに程近い草むらを歩く。朝霜がサクサクと音を立てた。
「ゴミ拾いをやめたら、またそのうち汚い状態に戻っちゃうんじゃない?」
私は軽い言葉を投げかける。
光羽は素直に肯いた。
「まあ、そうかもね。半年頑張ったけど、ちょっと残念。
……ねえ瞳子? あたしたちがこれまでやってきたことって、全部無駄なことだったと思う?」
その質問に私は少し思いを巡らす。
私たちがゴミ拾いをして、“個性”を扱う練習に使って、多少この河川敷は綺麗になったけれど、放っておくとまた汚れてしまう。
物理的に見たら、私たちがやったことは微々たる抵抗でしかなかったかもしれない。
でも、私はここで特訓したことで、多少は右眼を扱えるようになった。
ゴミ拾いは私たちの記憶のなかに経験した時間として残っている。
「全部無駄……ではない気がするけど」
「そう。無駄じゃない。あたしたちがこの河原でできたことは多くないし、今のあたしたちはその程度の人間でしかないけど、無駄なことじゃなかった。
瞳子のこれまでの頑張りは、決して無駄なことじゃないからさ。きっと雄英も見てくれるよ」
私はそこまで聞いて、光羽なりに私を応援してくれているのだと気づく。
「光羽……」
「瞳子が自分の努力を認めて、無駄じゃないって思えるなら、きっと大丈夫」
光羽が私の手を引く。
「さ、今日は帰ろ。入試に遅刻しちゃいけないし」
「……うん。頑張る」
光羽には敵わないなと思う。だけど、それは不安を呼び起こすような気持ちじゃなくて。
この先も一緒にいたいな、と思わせるものなのだった。
3話目、入試直前の回。
次回入試回を書くつもりですが、そこから本格的に原作の展開、学園編になっていく予定です。原作キャラもようやく登場します。
オリキャラプロフィール②
名前:
ニックネーム:アヤメさん、ママ、アヤちゃん
5月10日生まれ 36歳
性別:女
身長:160cm
血液型:B型
髪の色:薄い青紫
好きなもの:子供たちとしゃべること、花の手入れ
嫌いなもの:毛虫
特技:料理
性格:おっとり優しい
個性:『フローラル』
身体から色々な花の香りを発することができる。香水要らずの個性。
ラフレシアなどの香りも出せるが、本人も臭いのは嫌なので滅多に出すことはない。
備考:大学で薬学を専攻し、旦那となるオーナーと出会う。当初は博士と助手という関係だった。オーナーが孤児院を設立するのに合わせて籍を入れた。現在では孤児院の母親役として子供たちの面倒を見る生活を送っている。