俺にとって、普段動くことの無い感情の揺れは、不思議と心地よい。女性の落とした本を拾い上げ、意図的に笑みを浮かべる。
普段顔の筋肉は笑う事に使わないせいか、ぎこちないかもしれない。
「お嬢さん、私こそぶつかってしまい、すぐにお詫びもせず失礼しました。お怪我などはありませんか?」
そう言うと、俺は先程拾った本の袋の土を軽く払って渡そうとする。
だが相変わらず「推しが…、推しが…」と下を向いたまま小さく意味のわからないことを呟いていて、反応がない。少年のようなうな服装に反して、アワアワとしている動きが、混乱した小動物のようだ。
そして何故か可愛いと感じてしまった。本当にこれまでにみたいつもの肉食獣達と反応が違う……と、少しからかってみたくなった。
すっと女性の顎に手を添え、上を向かせる。
ひょえっ!ともふぇぇっ!ともつかない声を上げつつ、彼女は真っ赤に染まった顔で、潤んだ瞳で俺を見上げる。
気まぐれに仕掛けた悪戯で、不意に見せられた表情に息が詰まった。このまま唇を奪ってしまおうか……そんな衝動に襲われる。
けれどその衝動はかろうじて抑えた。逃したくはないし逃げ道を与える気もないのだから。
俺の心は名も知らぬ彼女に落とされたのだ。
前世の俺が、ビアンカを求めてやまなかったように、今度は貴女を絶対逃さないよ。覚悟してくれ。
貴女が悪いんだ、俺の心を動かした貴女が…。
「勝手に触れて失礼しました。声をかけても気がついて頂けなかったので、つい…」
無意識の行動に見えるよう、彼女の顎からおずおずと、手を離す。頬を赤らめたまま、俺を見つめる彼女。
彼女が俺を見ているだけで鼓動が跳ねる。
「お怪我はありませんでしたか?」
本を手渡しながら、関わりを持ち続けるための糸口を探す。
「私は旅行でしばらくこの島に滞在することになったマクシミリアン・フェルナンデスといいます。」
「ふぇっ?マクシミリアン!?あ、あ…、いえ、フェルナンデスさん? 私は春原みことといいます」
春原みことと名乗った彼女はなぜか、ニアミス…?など呟く。何がニアミスなんだ?
「数ヶ月の島の旅館でお世話になる予定なのです。今日この島についたばかりで、知り合いもいないので、これもなにかの縁ですし、良ければこの島を案内してもらえると助かるのですが…」
大きな目を驚きで見開きつつも「はい!私で良ければ!」快く了承してくれた。
「私の事はマクシミリアンと呼んでください。貴女のことはみことと呼んでも?」
にこりと微笑みそういって、名で呼ぶ権利を勝ち得たのだった。