普段は可愛げもない教え子の、珍しいどころか初めての増援コール。それを受けて到着した夜蛾の目に映るのは、消波ブロックに腰掛けて和気藹々と話し込む三人。いや、二人と一匹であった。
五条の術式すら歯牙にも掛けない特級を相手にしているというから、慌てて馳せ参じたのにだ。尚、他の呪術師は五条悟で無理なら行く意味がないとボイコットしている。
未だ被害も確認出来ず、だが五条と夏油の二人からの連絡はない。上層部は威力偵察として夜蛾を使い、報告次第で対応を決めようという魂胆だろう。
最悪の場合教え子二人が死んでるかもしれない。そんな想定までしていた。それなのにコレだ。
安心と怒りも度を越せば呆れになった。
夏も終わりかけ。まだまだ蒸し暑いくらいだが、海風が合わさるとそれなりに涼しいくらいだった。
「お、先生やっと来たじゃん」
「ヤーさんじゃないのか?」
「違う。確かに人をコンクリートで固めて海に沈めそうな見た目をしているけど、一応私たちの担任だよ」
こんな状況でも無礼なのがこいつらだったな、と夜蛾は思い直す。この顔面で生きてきた身からすればまだヤクザと間違える呪霊の方がマシだ。
「遅いよ先生、暗くなってるじゃん。もう夕飯の時間だよ」
五条の周りには菓子のゴミが無造作に置かれ、申し分程度にその一部がコンビニの袋に突っ込まれてまとめられている。きっと夏油が途中までまとめて諦めたのだろう。それだけ貪っておいて夕食の話をよくするものだ。
そして当の呪霊は何故か緑のカエルのパッケージのスナック菓子を抱えている。
仲良く特級呪霊と会話するな、菓子パをするな、と言いたいことは山程あった。だが口をついて一番に出たのは説教文句からだった。
「おい事態は報告しろと言ったよな?」
まだこの二人が高専に入学してから半年に満たないほどの時間。その短い期間ですら二人を問題児だと断ずるには十分過ぎたし、同種の説教を幾度かしている。
今回もノータイムで夏油が五条を指差し、犯人は明らかになった。
「一応連絡入れようと思いましたよ?でも悟にケータイ取られたので」
「すぐそこにある公衆電話はなんだ?」
五条と夏油が渋々と消波ブロックを降り地面に正座する。我関せずの呪霊は五条の残したチョコを口に放り込んでいた。
夜蛾から見てあまりにその動作やら行動やらが気安いので、この呪霊に現在脅威はないとして説教を続行することにした。
この問題児共の良いところは、怒られそうな気配を察知すると一応正座して怒られる体勢をつくることだ。尚、説教により行動に改善が見られたことはない。完全にポーズだけである。
「で、報告を怠った理由は」
「ほっとけば先生来るだろうし、せっかく海沿いだから海鮮でも奢ってもらおうかと」
夏油も五条の言葉に頷きで肯定を返す。
あまりにもフザけた理由に次の瞬間にはげんこつを落とした。
片方はそのまま無下限を解いた白い頭に吸い込まれ、もう片方は女の白い手が黒い頭との間に挟まれる。確認するまでもなく女の形をした呪霊のものだった。
その手は人にはありえないほどの硬さを持って夜蛾のげんこつを弾く。それどころか打ち付けた拳の方が痛いという有様だった。
頭を抱えて悶絶する五条を尻目に、なるほどと納得する。この呪霊を夏油が呪霊操術を用いて取り込んだのだろう。
今まで自我をここまで確立させた呪霊を取り込んだことは前例になかったはずだが、取り込むとこうして自我を持たせたまま運用できるのだろうか。
だがそこで疑問が湧き上がる。だとすると五条でさえ術式を通せなかったという最初の報告は一体なんだったのだ。
「多分夜蛾先生の思っていることは違いますよ」
夏油が心底可笑しそうに笑う。
「契約したんです、取り込んだわけじゃありません。互いに利のある縛りで交渉したんです」
「仮マスター契約みたいなものだな」
うんうん、とお竜さんは頷く。気の抜けるような緩い頷きだ。尚お竜さん以外に仮マスター契約の意味は微塵も伝わっていない。
「コイツさ、呪霊じゃなくてガチもんの由緒正しい神霊なんだって。雰囲気ちょっと禍々しいけど」
契約結ぶ時に確認した、嘘をつけない縛りもしたから本当だ、とげんこつの鈍痛から回復した五条がその正当性を保証した。
「この際ちゃんと紹介しましょうか。まつろわぬ神、高千穂の大蛇ことお竜さんです」
「いえーいお竜さんだぞ、ぴーすぴーす」
夜蛾は頭を抱えた。それが真実なら到底こんなところに居て良いはずのない神だ。それどころか契約を持ちかけた時点で不敬だと殺されかねない。神というのは往々にしてそういうものだ。
きっと前持って五条がその言葉の正当性を保証したのは嘘だと思いたいという願いを正面から叩き潰すためだったのだろう。
「ちなみにカエルで買収しました」
「月に10のカエルと寝食。さらにはボーナスが出る。最高だ。カエルも買えないひもじい暮らしは、惨めだからな」
・・・・・
「それで、縛りの内容は?」
「やっぱり言わないと駄目ですか」
大盛りの海鮮丼を前にしてお預けを食らったのもあるだろう。少しの不機嫌を隠さずに夏油は返した。親友は遠慮とか気を配るといった機能がないのでさっさと食べ始めていた。
お竜さんは大人しく夏油の隣の席についている。その当の本人と言えば、カルデアで神秘の秘匿を学んだお竜さんは宙に浮いてもいいところと駄目なところの違いを理解できるようになったのだ、TPOというやつだな、と内心で自画自賛しているが。
「上は絶対煩くなる。契約を結べる存在であるなら奪おうとしてくるだろう」
「対策済みです。向こう20年までが契約期間で満了までは切れないような条件になっているので」
それよりご飯の温度が刺し身に移っちゃうので食べちゃ駄目ですか、という目線を夜蛾はシャットアウトする。正直自分も早くありつきたいとは思ってはいるのだが、聞くべきことはまだある。
「本人を前にして言うのもどうかとは思うが、暴れたとしてどうにかできるのか」
お竜さんはそんなことしないぞ、という圧力がじとっとした目から発せられる。そしてそのお竜さんを五条が、逆鱗をやられて暴走したじゃん、と煽ろうとするもまだその口には海鮮が詰まっているため視線のみである。こんな場面でなければ五条の家柄の良さを実感することはない。
「お竜さんはゴーサインの出てない限り人間を傷つけないってちゃんと約束したぞ」
「その上で一日一回の命令権を三回までストックできる。これならば滅多なことは起きないでしょう」
はぁ、と長く重い溜息を吐く。求めれば求めるほどその対価は重く、縛りもそうしてきつくなる。命令権と引き換えに何を求められたのだか。神霊だと言うことを吟味すれば、それ一回だけで人ひとりの命が飛びかねないのだから。
「それで、その縛りの代わりに何を求められたんだ?」
夜蛾のその言葉に一瞬の間をおいて、夏油は吹き出した。普段からおとなびている夏油には珍しい笑い方だ。しばらく笑ってから、だがまだ肩を震わせながら言った。
「この縛り全部お竜さんからの提案ですよ、こちらから条件をつけたのは人目がある場所での転変と浮遊の制限だけで」
ああ、と夜蛾には何故ここまで夏油が可笑しそうに笑っているかに納得がいった。こんな降って湧いた幸運のようなもの、人であるならおかしくて面白くてそりゃあ笑ってしまうだろう。そしてそれを他が熱望するほどのものを、対価などなしに手に入れたとなれば尚更だ。
夏油への尋問は一先ずは終了。夜蛾は今度はお竜さんを相手にしなくてはいけない。クッソ生意気な五条が生きているのだから、余程ピンポイントに地雷を踏みさえしなければ無事で居られるだろうと思うと少しだけ気は楽だった。
夜蛾がお竜さんに向き直る。夏油は話の終了を感知してすぐに丼に醤油を回しかけた。育ち盛りの男子高校生らしいことだ。
「契約なら五条でもよかったのではないのか?はたまたその他の人間でも」
「ゴジョウは自分で天才って言うのが知り合いのクソザコナメクジ思い出すから駄目だ」
それは夏油を選んだ理由ではない。これでは二択の中から消去法で選んだに過ぎない。
だからその他の理由を求めようと話を促そうとしたところで、お竜さんが続ける。
別にゲトウじゃないと駄目だなんて理由があるわけではないんだが、とまで言って声のトーンが一つ落ちた。
「強いて言えば、きっと五条とのやり取りを見て、ほんの少しだけ懐かしいと思ってしまったからだろう」
まあすぐ暴力に訴えるし罵倒するしで全く似ていたわけではないんだが、とお竜さんにしては稀な遠い目をする。きっとカルデアで楽しく過ごしているお竜さんだったらちっともそうは思わなかったのだろう。少しでも眩しいものを見たと思ってしまったことが敗因だった。
だから他を探すことなんてせずに契約を提案したのだ。
尚、返答されるべき夜蛾はお竜さんが坂本龍馬に連れ添ったお竜であるという話を微塵も聞いていないため、サングラスの奥で懐かしいというワードに疑問符を浮かべている。まあきっと放っておいても詳しくは夏油もしくは五条が勝手に話すだろう、とお竜さんは気にしないことにした。
「そういえばなんで20年も契約しようと思ったわけ?また寝てればよかっただけだろ」
ぺろりと大盛りだった丼をカラにした五条が尋ねた。そもそも起こしたのも偶然だったろうに、と言うのが五条の言い分。
お竜さんは少し答えを躊躇う。だが聞いたところでどうしようもないだろうから、気にせずに直球で言うことにした。
「この先20年の間に人類が滅ぶ……かもしれない」
「それマジで?」
五条と夜蛾の男二人があんぐりと大口を上げて間抜け面を晒すのはお竜さんから見ても奇妙な光景だった。夏油は口にものが詰まっているから少しはマシな顔をしているけど、驚いていることは一目瞭然だった。
流石に呪いによる大虐殺は前例があるが、人類が滅ぶほどの危機はなかった。到底想像もできない規模だ。
「確定じゃないし、本当に起こるとしても知ったところでどうもできない。」
それがこんなに強いお竜さんでも、きっと何もできない、と静かに言った。焼却と漂白を夢で垣間見たからこそ言えることだった。
どんなに強い神霊より、サーヴァントより、ただの人間であったマスターと盾のあの子でなければ解決することはできない。そしてきっと焼却と漂白を逃れるのはカルデアだけなのだろう。そしてこのお竜さんはカルデアにすらたどり着けない。
「それだからと言って眠りこけて何もしないというよりはマシだ」
だから20年は起きていたい。何かが起こるかもしれないからと言って、無為に過ごすわけにはいかなかった。あれだけ立ち止まらなかった人間を見てきたら、否が応でも自分が立ち止まるなんてことは出来なくなる。
それが夏油と契約を交わした一番の理由。
「まあ何も起こらないということはないだろう。歴史の過渡期というやつだ」
五条のサングラスから覗く青い眼というのはまさにその筆頭なのだろう。思えば赤いジャケットの神でも殺すと豪語する少女も綺麗な青い眼をしていたっけ。そして現代の生まれだった。
「お竜さんはそれまで待ちつつカエルを貰える便利な暮らしが送れる、お前らはこんな時代にお竜さんが味方になる、うぃんうぃんだろ」
つまりはカエルさえ貢げばいいのだ、あとは住む場所。これほど良心的な交渉もあるまいとお竜さんは自負している。
感想の返信で人間の方のお龍に言及するといったな、あれは嘘だ
と、いうのは冗談ですけど今回は入らなかったのでさらにあとに回ります