炭になれなかった灰   作:ハルホープ

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鳴女の能力便利過ぎて逆に困りましたね…


蛇柱

 蛇柱、伊黒小芭内は吉原遊廓へ向けて夜の道なき道を走っていた。疚しい目的ではない。そこを根城にしている鬼が上弦の可能性が高いと聞いて、急ぎ助太刀に向かっているのだ。

 先行している音柱、宇髄天元も中々の手練だが、単独で上弦相手というのは荷が重い。

 一応は例の竈門炭治郎やその同期たちも同行しているようだが、伊黒は彼らに弾除け程度の期待しかしていなかった。

 

 

「……見つけた」

 

 

 この草原を抜ければ、もう10分もしないうちに着く、と思った直後。前方に突然、月を背にして鬼が現れていた。

 なぜ急に鬼が、と思うよりも先に、伊黒の体はその身に染みついた動きをほとんど無意識で行っていた。

 

「蛇の呼吸、壱ノ型……委蛇斬り」

 

 走っている勢いを殺さぬまま、一直線に鬼に接敵した後、蛇のようにうねる斬撃で首を狙う伊黒。その鬼はせめてもの抵抗か、手を前に出すと……親指と中指を擦り合わせ、空気の破裂音を響かせる。

 鬼の全力の握力で行われるそれは、最早『指パッチン』などという生易しいものではない。それこそ今伊黒が救援に向かっている宇随なら喜びそうな、派手な炸裂音。

 

 その数瞬後……鬼の姿が突如掻き消える。

 

「なにっ!?」

 

 先ほど突然現れた事といい、瞬間移動のような血鬼術の使い手なのかと警戒する伊黒。

 流石にこの時ばかりは遊廓へ急ぐ足を止め、次にどこから現れるか探る。

 

 その少し後、やや遠くにある背の高い草の辺りに、突然鬼の気配が現れる。

 

「遠隔援護は改善点が多いですね……小回りが効かなすぎる」

 

「そこか!」

 

 また逃げないうちに、素早く接近して日輪刀を振るう伊黒。

 速度を得た代わりに得意の正確性を犠牲にした一撃は、鬼の手から──厳密に言えば、先ほどの指パッチンで弾け跳んでいた指から──伸びていた血の刀で防がれる。

 

「その隙のない身のこなし、そして判断の早さ、何より体に染みついた鬼の返り血の匂い……やはり柱ですね」

 

「ちっ、足止めか……鬼も集団行動というものを覚えたらしいな」

 

 単純な腕力では、伊黒は柱の中でも下から数えた方が圧倒的に早い。防がれたまま無理に力押しするのを止めて、一度距離を取る。

 

 逸る心を抑えながら、日輪刀を捩じ込む隙を探す為にその鬼を観察する。

 

 見た目はあまり鬼らしくない鬼だった。角も見当たらず、異形でもない。なぜか黒い布を目の周りに覆っているのが、唯一の直人(ただびと)らしからぬ要素だ。

 

「なぜ顔を隠しているんです?」

 

「ふん、そっくりそのまま貴様に返そう」

 

 鬼……廃灰の軽口にも、取り付く島もない。数ヶ月前、伊黒の恩人の息子である煉獄杏寿郎も、上弦と単独で戦闘し、あと一歩の所まで追い詰めながらも死亡した。そのことが余計に伊黒の心を急かしている。無駄口を叩いている暇はない。

 

「僕はまぁ、あれです、所謂゛ふぁっしょん゛というやつですよ」

 

「興味、ないな!!」

 

 再びの激突。なぜか最初に使ってきた空間転移は使わず、血を操る血鬼術で攻撃してくる廃灰。

 よもやまだ別の鬼がいて、空間転移はそちらの鬼の血鬼術かと推測する伊黒。

 

(だとしたら、なぜコイツはバカ正直に俺と戦う? 足止めならば空間転移を繰り返して一撃離脱を繰り返すのが上策のはず……)

 

 なにか制限があるのか、思惑があるのか。結論から言ってしまえば両方である。

 

 戦闘区域から離れて琵琶を弾いている鳴女からは、細かい戦闘の様子が見えない。先ほどの指パッチンのような合図があった時に転移させてはいるが、それも小回りが効かない。伊黒にピッタリと張り付いて足止めし続けるのは無理だ。かと言ってほとんど戦闘力のない鳴女を目視で戦闘を確認できるような近距離に近づけるわけにもいかなかった。

 そしてもう一つ……せっかくサポートありで柱と戦うという機会があるのだから、その研ぎ覚まされた全集中の呼吸を見て、ヒノカミ神楽と重なる部分を探りたいという廃灰の思惑があった。

 

「ヒノカミ神楽……円舞!!」

 

 柱相手に出し惜しみの必要はない。すぐにヒノカミ神楽を使う廃灰。だが流石は柱、以前戦った隊士たちとは身のこなしが段違いだ。

 

「蛇の呼吸、弐ノ型……狭頭の毒牙」

 

 廃灰の円の動きに対して、隙間を縫うような正確無比な斬撃を次々と放つ伊黒。致命傷は与えられていないが、少しずつ廃灰の回復が追いつかなくなっていく。

 

「終わりだ!!」

 

 伊黒の青紫の日輪刀が、廃灰の血の刀……没刀天を大きく弾く。返す刀で頸を狙う伊黒。だがその前に、廃廃は再び指を鳴らして爆音を立てる。

 そしてまたも指から飛び散った血が、弾丸のように伊黒を襲う。無論伊黒は何の問題もなく身を躱したが、そうやって稼いだ数瞬の間に、合図を聞いた鳴女が廃灰を少し離れた場所に転送する。

 

 

「厄介な……」

 

 戦っているうちに、伊黒は鬼が二人組であることを察した。一回目も二回目も不必要な程に大きな指を鳴らしてからの発動。そして指を鳴らしてから転移までの一瞬というには少し長いタイムラグ。さらには相対している時に使っている血を操る血鬼術。転移という足止めにうってつけの能力がありながらそれを多用しない鬼……これだけの情報があれば、戦闘経験豊富な伊黒には簡単に推測できる。

 

 無論、血鬼術の発動に指を鳴らす、楽器を弾く等の行動を必要とする鬼は見たことがあるし、分身や潜伏といった複数の血鬼術を覚える鬼も見たことがある。だがその両方の性質を持っているというよりは、遊郭へ向かうのを阻止している事からも分かるように、集団行動をしていると考えた方が伊黒には自然に思えた。

 

 鬼というのは本来群れないものだが、例外がないわけではない。

 

「なるほど、蛇のようにクネクネと曲がる手先で頸を狙うわけですか」

 

 伊黒が脳裏で素早くそんなことを考えている間に、離れた場所から戻ってきた廃灰がポツリと告げる。

 

「そういう貴様は妙な技を使うな、まるで全集中の呼吸だ」

 

 伊黒は勝負を急いでは逆に時間がかかると見て、焦りを抑える意味を込めて敢えて廃灰の軽口に付き合った。

 

「まだまだこんなものじゃないですよ。もっと面白いものをお見せしましょう」

 

 そう言うと廃灰は、手首を切り裂いて再び血の刀に作る。

 

「やはり柱は効率が段違いだ……今の僕ならできる」

 

 意味の分からないことを言いながら歪んだ笑みを浮かべる廃灰に、伊黒が警戒を新たにした瞬間……廃灰が跳んだ。

 

「ヒノカミ神楽、火車!!」

 

 

 垂直方向にクルクルと回転しながら、鋭い斬撃を見舞う廃灰。

 この数ヶ月の間に、廃灰はそれなりの数の鬼殺隊と戦い、その動きを見てヒノカミ神楽との共通点を見出し、覚えていた。そこに来て優れた呼吸……猿真似ながらヒノカミ神楽に近い呼吸を使う柱との戦い。蛇の呼吸は伊黒が独自に編み出した呼吸だが、その大元は水の呼吸だ。ヒノカミ神楽の習得に使えない道理はない。

 

 つまり、今まで円舞しか使えなかった廃灰が、柱との戦いの中で他のヒノカミ神楽を使えるようになったのである。

 

「ふんっ……蛇の呼吸、肆ノ型……頸蛇双生」

 

 廃灰の攻撃をバックステップで躱し、そのまま揺れ動く剣筋で左右から挟み込むように……二つ頸の蛇が獲物を狙うように頸を狙う型を出す。

 

「斜陽転身!!」

 

 再び空中に跳び上がりながら、躱しざまに横薙ぎに刀を振るう。

 本来なら、ヒノカミ神楽を極めていない者が連続して舞うのは激しい疲労を伴う。だが……

 

「疲れない呼吸が不完全でも、鬼なら関係ない」

 

 鬼には体力の上限がない。かなり鍛錬を積んだ炭治郎ですら神楽の連発にはかなりの負担がかかる。

 だが、鬼には関係ない。鬼になったから、神楽を十全に扱える。本当はもっと尊い何かの理由で先祖代々伝わっているのが分かっていながら、鬼になって人に仇なす目的でなければ使えない。

 その矛盾を振り払うかのように、次々とヒノカミ神楽を連続して舞う廃灰。

 

「右目がほとんど見えてないようですね!!」

 

 戦っているうちに気づいたのか、片方の目の色が違うのを見て察したのか。廃灰は常に伊黒から見て右側……見えていない方の目に回り込む形を維持する。

 

「ネチネチとした嫌な戦い方だな……だが!」

 

「シャーーー!!」

 

 伊黒の連れている蛇、鏑丸が鳴き声をあげた瞬間、伊黒はまるで見えているかのような正確な動きで、死角にいたはずの廃灰に刀を振るう。

 

「くっ!?」

 

 まともに打ち合えば柱には勝てないことを分かっている廃灰は、これまでは舞うように跳び回りながらのヒットアンドアウェイで戦っていた。

 だが死角にいて油断したのか、伊黒の斬撃を正面から受け止めてしまい、鍔迫り合いの要領になる。

 いくら伊黒自身は非力とはいえ、血鬼術でそれらしい形にしただけの没刀天では、鍔迫り合いは不利。しかも両手が塞がっているから、鳴女に合図を送ることもできない。

 

「盲導犬ならぬ盲導蛇ですか……大したものですね」

 

「ふん、それだけでは……ないっ!」

 

「ごふっ!!」

 

 鍔迫り合い中の刀から片手を離した伊黒が、廃灰が力を入れて押し返すよりも早く……彼の腹部に重いアッパーを放つ。しかもどういう理屈なのか、腹部にめり込んだ拳を中心に、廃灰の体が動かなくなる。

 それは奇しくも、伊黒が柱合会議の折に炭治郎に対して行ったのと、同じ系統の技であった。

 

 こうなっては隙だらけだ。何度目かも分からないが、今後こそ廃灰の頸を斬ろうとした伊黒だが……その瞬間、没刀天の鍔の部分が、伊黒の顔目掛けて伸びてきた。

 

「ちぃっ!」

 

 咄嗟に飛び退いたおかげで、頬を軽く斬っただけで済んだ。幸い何事もないようだが、鬼によっては毒を仕込んでいる事もある。本当なら掠り傷も負いたくなかった。

 

「俺としたことが、見た目に騙されたな……鬼の使う刀が真っ当な刀であるはずもないか」

 

 頬から流れる血を乱雑に拭う伊黒。上弦どころか下弦ですらない鬼相手にこのザマとは、と歯噛みする。だが……

 

「……どうして喜んでるんです?」

 

「なに?」

 

「人の核心に踏み込むのは嫌いですが、気になってしまいましてね」

 

 だが廃灰には、歯噛みする伊黒が違う風に見えたようだ。

 

「貴方、血を流して喜んでいたでしょう? 匂いましたよ」

 

 伊黒にとって自らの血は、罪深い一族の穢れた血でしかない。叶うことなら全ての生き血を抜いて取り替えたいくらいだ。

 故に、生まれてきたことそのものが赦されざる罪である自分が、鬼との戦いで人を救うことには真っ当な喜びだけでなく……血を流すことによる暗い喜びがあったのも事実だ。だがそれを見抜かれたのは初めてだ 。しかも、こんな短期間で。

 

 

「……鬼と話す舌は持たん」

 

「舌? ああ」

 

 シュルリと、廃灰は目に巻いていた黒布を外す。あれを巻いていても特に問題なく見えていたようだが、それでもない方がよく見えるのか、露わになった目でジッと伊黒を見つめる。

 

「そういうことですか、舌というか口というか」

 

 その瞬間、自分の蛇のように裂けた口を……一族が寄生し、盗品を恵んで貰っていた鬼にやられた傷を見透かされているような気がして、伊黒は駆け出していた。

 

「蛇の呼吸、壱ノ型……委蛇斬り!」

 

 ガキン、と鈍い金属音。伊黒の日輪刀は廃灰の没刀天によって防がれていた。

 

「どうしました? 動きが荒くなってますよ」

 

「黙れ……」

 

「血を流して喜ぶのと、その口の傷が関係あるんですか?」

 

「黙れ……!」

 

「何かに負い目があるんですか? 生きていることそのものに負い目があった僕に……鬼になったばかりの頃の僕みたいな目をしてますよ」

 

「貴様のような悪鬼と一緒にするなぁああ!!」

 

 目隠しを外した途端、見透かすようなことを言い出す廃灰に、伊黒は激怒した。

 

「蛇の呼吸……! 参ノ型、塒締め!!」

 

 蛇がとぐろを巻いて獲物を締め付けるように、ねちっこく、執拗に斬撃を浴びせる伊黒。

 技巧派の彼らしくない、力任せの滅多打ち。だがそれでも素の実力が上故に、その太刀は廃灰をどんどん追い詰めて行く。だが、目の前で一心不乱に刀を振るう伊黒の型を間近で見て……廃灰はまたも笑みを浮かべた。

 

「ヒノカミ神楽……炎舞!!」

 

「ぐうっ!」

 

 炎舞。演目の終わりに舞うヒノカミ神楽で、一度伊黒と距離を置く。円舞と炎舞、そして他のいくつかの型……使いこなすとはとても言えないが、ただ舞うだけなら十分と言える型を思い出し、物にすることができた。

 

「潮時か……これ以上やってるとそのうちやられてしまいそうですし、足止めは十分ですね。後は上弦に任せましょう」

 

 廃灰は没刀天にそっと触れる。すると、刀を形作っていた自らの血がゆっくりと水蒸気のように蒸発し……それがそのまま煙幕となって廃灰を隠す。

 

「なっ……待て!!」

 

「皆既ノ簾!!」

 

 血の煙幕がより大きく、高く、モワモワと周囲に散漫する。それでも果敢に煙幕の中に飛び込み、気配を読んで日輪刀を振るう伊黒だが……

 

「ちっ、また転移か……」

 

 気配は現れた時と同じように、なんの跡形もなく消えていた。

 また現れたら面倒だが、あの鬼の目的は本人も言っていたような足止めで、既に目的は達成されているのだろう。

 おそらくはこれ以上無理に自分を襲っては来ないと結論付けた伊黒は、先ほどの鬼についてしばし思案する。

 

 妙な鬼だった。特にあのこちらを見透かしたような発言。不愉快極まりないと同時に、図星でもあった。

 

 そういえばあの鬼はふぁっしょん……ファッションという横文字を使っていた。明治維新すら既に伊黒が産まれるより前の事である大正の世の今、別に横文字くらい使う人間はいくらでもいる。しかし、長く生きている強い鬼はそういった新しい言葉を使いたがらない傾向にある。

 だがあの鬼は、まるで本で知ったばかりの言葉を使いたがる子供のような言い方で横文字を使っていた。

 鬼の見た目というのは年齢を図る材料には使えないが……あの鬼は見た目通りの年齢なのかもしれない。

 

 無論伊黒は相手が本当に子供だとしても、鬼である以上手加減などしない。自分の過去を見透かしたようなことを言ってきたのは……子供特有の勘か、あるいは……

 

「そんなことを考えている暇はないな」

 

 つい思考の海に沈んでしまいそうになった伊黒だが、かぶりを降って考えを捨てる。

 確かに妙な鬼だったが、今はそれよりも重要なことが……仲間の救援がある。

 

「思わぬ足止めを食った……死ぬなよ、宇随」

 

 そして再び遊廓へ向けて走る伊黒。今度は、途中でその足を止める存在は現れなかった。

 


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