炭になれなかった灰   作:ハルホープ

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朝の日間ランキング17位!ありがとうございます!
モチベ爆上がりしたので挟むタイミングなくてボツにしたネタを手直しして投稿します。
ファンブック読んだり兄上エミュの参考に他の二次読んだりしてるので、本編の方はもう少しお待ちください。


番外編~在りし日の記憶~

「三人とも、着いて来てくれ」

 

 あれは、過ごしやすい秋の日のことだった。あの頃はまだ比較的元気だった父さんは、俺と禰豆子と上の弟……年長の三人を連れて、山の麓まで降りて来ていた。

 

「父さん、どうしたの? 炭も持たずにここまで来るなんて」

 

「そこの農家に用があってな。いい機会だから、お前たちも連れて来たんだ」

 

 いい機会、と言われても意味が分からず、俺たち三人は顔を見合わせる。しかも父さんは俺たちにここで待っているように言いつけると、一人で農家の中に入って行った。

 

「お父さん、どうしたんだろう?」

 

 禰豆子が不思議そうな顔でそう口にする。だけど、俺も弟も首を傾げるしかない。

 

「僕らを連れて来たってことは、お得意さんへの挨拶とかだと思ったけど、違うみたいだね」

 

 弟は一応の見当は付けていたようだが、その推測も外れてしまったようだ。

 

 そうして、三人で話しながらしばらく待っていると、父さんが戻って来た。

 その手に、もぞもぞと激しく動いている麻袋を抱えて。

 

「と、父さん、なに、それ?」

 

 三人を代表して俺が尋ねると、父は無言で袋の中身を取り出した。

 その中身は──足を縄で縛られた、生きた鶏だった。

 

「うわっ」

「きゃっ」

 

 禰豆子と弟が驚きの声をあげる。

 俺たちの家は山奥だから、野生動物はたくさん見たことがある。けれど、こんな……足を縛られて、麻袋に入れられて、激しく暴れて……今すぐにでも食べる下拵えの為に締められそうな生き物は、見る機会がなかった。

 大正の世の今、食肉というものはある程度加工されて店頭に並ぶことがほとんどだ。農家でも猟師でもなく炭焼きの俺たちには、縁がないものだった。

 

「いい機会だから、誰かコイツを締めてみないか?」

 

 父さんが続けた言葉は、薄々予想はしてたけど、それでも衝撃的なものだった。

 

「父さんたちは命を食べているということを、実感して欲しいんだ」

 

 父さんの言うことは分かる。普段俺たちが食べている肉も魚も、元々はひとつの命だった。今日の夕食になるであろう鶏を、自分たちの手で締めることで、命の重みについて教えたいのだろう。

 

 

 事実俺は、命について分かっているつもりで分かっていなかった。縛られながらも激しく暴れる鶏を前にして、呆然と立ち尽くしてしまう。

 

「父さん、俺がやるよ」

 

 それでも俺は長男だから。両隣で顔を引き攣らせている弟と妹を見たら、自然と一歩、踏み出していた。

 

「炭治郎、頑張れよ」

 

 父さんはいつもと同じ、穏やかな表情。けれどその中に確固たる意志を感じさせながら、俺に刃物を渡して、鶏を地面に強く押さえつける。

 

「こ、こけー! こけーっこっここけーーこ!!」

 

 本能的に身の危険を感じたのか、より一層激しく暴れる鶏。預かった刃物を握る手が震える。

 

 ああ、可哀想だな。でも、誰かがやらなきゃならないことだから。せめてなるべく痛くないように、苦しまないように、一息でやらないと。

 

「炭治郎、それではダメだよ」

 

 なるべく一振りで即死させられるように、刃物をがっしりと掴んで首を切り落とそうとする。でも父さんはそんな心を読んだかのように、俺を止めた。

 

「え?」

 

 何がダメなのか分からなくて、そのまま立ち尽くして固まってしまう俺。

 

「父さんたちは炭焼きであって農家じゃない。上手く血抜きしてやれないんだよ」

 

 その後に父さんが続けた言葉も、俺にはよく分からなかった。

 でも弟は分かったようで、俺の隣に立つと、そっと手を添えて俺から刃物をスルリと抜き取る。

 

「あっ……」

 

「分かったよ父さん……兄さん、僕に任せて」

 

 いや、ここは俺が。そう止める間もなく、弟はそのまま刃物を振りかぶり……首に向かって勢いよく、躊躇わずに振り下ろした。直後に響く、鶏の激しく甲高い悲鳴。俺は思わず目をそらしてしまう。それでも俺の鼻をつく、濃厚な血の匂い。俺は生まれて初めて、自分の鼻の良さが少し嫌になった。

 

「ちょ、ちょっと、何してるの!」

 

 その時、禰豆子が悲鳴のような声をあげたので、視線を元に戻してみる。すると、弟は刃物をグイグイと捻り回して、無理矢理血を噴き出させていた。鶏の断末魔の叫びも抵抗もより一層激しくなっている。

 

「酷いよ、わざと苦しめるなんて!!」

 

 普段は温厚だけど怒ると怖い禰豆子が、その時ばかりは本気で怒ったように見えた。だけど弟は、諭すように、ゆっくりと首を横に振る。

 

「姉さん、兄さんも……死ぬ前になるべく血を抜かないと、食べられなくなるよ」

 

 その言葉に、俺も禰豆子も動けなくなる。父さんが言っていたのは、こういうことだったのか。血抜きしなきゃいけないことくらい知っていたはずなのに、困惑のあまりそれを忘れていた。

 

「僕らが鶏を食べるには、なるべく苦しんで死んでもらわなきゃならない。そうしないと、鶏の死が無駄になっちゃうんだ」

 

 こんこんと説くように、紙芝居屋が小さな子供に言って聞かせるように続ける弟。その声はストンと、俺の心の中に自然と入っていった。

 

「だからそうしないのは……それは優しさじゃなくて、ただの我儘だよ」

 

 やがて、血を噴き出しながら激しく痙攣していた鶏が、完全に動かなくなった。

 弟は刃物を抉るのは止めたけれど、そのまま固まっている。父さんが弟の肩に手を置くと、ビクンと震えた後、ゆっくりと刃物を鶏の死体から引き抜く。

 

 

「よく頑張ったな」

 

 父さんが一仕事終えた次男の頭を優しく撫でている。弟は照れくさそうにはにかんでいたが、急に恥ずかしくなったようで「鶏触った手で撫でないでよ」とふくれる。

 

 それで困ったように苦笑する父さんと、微笑ましく見守る俺と禰豆子。

 つい今しがた一つの命を奪ったというのに、いつもと変わらない日常の風景。でもそれは今までだって同じことだった。俺たち家族が暮らす傍らには、いつもたくさんの命が犠牲になっていたんだ。ただそれを、しっかりと実感できていなかっただけで。

 

「人間が他の動物の命を奪わずに生きることはできない。俺たちには精一杯生きる義務があるんだ。それを、忘れないで欲しい」

 

 笑いあった後、父さんは真剣な口調で俺たちに告げる。

 

「父さんは家族を守ることで、命に責任を持ったつもりだ。お前たちにはまだ難しいかもしれないが、きっといつか、奪った命への報い方が見つかる」

 

 そう言うと父さんは、落ち着かない様子の弟をしっかりと抱きしめる。アイツは一見なんでもなさそうに淡々としているように見えて、心の中では人一倍傷ついたり落ち込んだりしていることを、俺たちは知っている。

 

 

「灰■……今日のことを、どうか忘れないでくれ」

 

 父さんが色々な感情の匂いをさせて、万感の思いを込めて息子を抱きしめているのが分かる。立ち尽くしていただけの俺にはまだよく分からないけど、きっと弟は今日、命の重み以上の何かを、父さんから教わったんだ。

 

 

 その後家に帰ってから、禰豆子を中心に三人で羽を毟ったり内臓を出したりして、改めて『鶏』を『鶏肉』にしていく。そうして食卓に並べられた鶏肉は、今まで食べてきたどんなものよりも美味しかった。

 

 俺たちはきっと、今日のことを忘れない。言葉にはしなかったけど、その思いはみんな同じだったはずだ。

 

 あれから俺も機会を見つけて、自分自身で生き物を絞めようと思った。けれど、どうしてもできなかった。苦しむだろうなと思うと、どうしても振り上げた刃物を降ろすことができなかった。

 

「兄さんは無理してやらなくていいんじゃないかな。兄さん、幽霊に塩を撒くのにも同情しそうだし」

 

 俺がどうしても命を奪えないのを見ていた弟は苦笑する。

 

「そういうわけにもいかないだろ。誰かがやらなきゃいけないんだし、お前だってやったのに」

 

「兄さん、誰かがやらなきゃいけないことだからって、兄さんがやらなきゃいけないわけじゃないよ」

 

 そう言うと弟はあの日のようにそっと俺に手を添えて刃物を取ろうとする。俺は今日も弟にばかり頼るのが嫌で、抵抗する。

 

「いいや、今日こそは俺がやる!」

 

「相変わらず頭固いなぁ……って兄さん、刃物持って揉みあうのは危ないって!」

 

 一瞬刃物の奪い合いになりかけたが、弟がすぐに手を離した。

 

「……兄さん、今ので分かったでしょ?」

 

「うん? 何がだ?」

 

「僕が臆病だってこと。自分で持ってない刃物とか……制御できない火が怖いんだ」

 

 そうして表情を暗くする弟。俺は励まそうとして口を開いた。

 

「なんだ、炭が上手く焼けないことを気にしてるのか? 大丈夫、すぐ上手くなるさ。それにお前ができなくても、俺たちが支えるから、お前はできることをやってくれれば……」

 

「僕が言いたいのもそういうことだよ、兄さん」

 

 俺の言葉はそこで遮られた。

 

「え? あっ……」

 

 今言ったことはそっくりそのまま、自分に返ってくることに気づいて、俺は手で口を抑える。

 

「……お前は大人だな」

 

「兄さんの方が兄さんでしょ。それに……大人じゃないよ。僕みたいな子供は不自由ばかりだ」

 

 そう言うと弟は空を仰ぐ。

 

「一人で街を歩けば周りからお父さんはお兄ちゃんは? って心配される。遠出しようとしたら三郎さん辺りに止められる」

 

 何だか今日の弟は機嫌が良い。饒舌に喋りながら、太陽をまっすぐ見上げている。

 

「大人になって自由になったら、一回、地平線をどこまでも走ってみたい」

 

「あ、いいな、それ!」

 

 どこまでも走るという夢。なぜか俺もそれに惹かれて、二人で大人になったらやりたいことを語り合う。

 

「兄さん、色々あるだろうけど、大人になって自由になるまで支え合おうよ。僕は兄さんと……そういう兄弟になりたい」

 

「そうだな……お前がまた明治の作家の本を読んで自殺とかに憧れだしたら、俺が止めるよ」

 

「ちょっ……それはもう、忘れてよ……」

 

 笑いあう。俺の弟は自慢の弟だ。きっと俺よりもしっかりしている。でも、何だか儚げというか危うげというか。放っておけない雰囲気もある。だから、あの時の俺は……長男と次男として、支えあって生きていければいいな、って……どちらかが道を踏み外したら、どちらかが戻してやれるようになりたいって……そう、思ってたんだ。

 

 




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