炭になれなかった灰   作:ハルホープ

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歪んだ日と欠けた月

──太陽に憧れたのは、君みたいだから──

──太陽を遮ったのは、君みたいだから──

 

 

 

 鬼は人間程には睡眠を必要としないが、それは眠らないというわけではない。廃灰は黒死牟から受けたダメージと、無惨に血を分けられたことによる衝撃により、激しい睡魔に襲われていた。

 何とか無惨と黒死牟と共に無限城へ帰還した後、廃灰は自らに割り当てられた部屋で爆睡する。単なるダメージならば人を喰った方が早く回復するが、無惨の血による衝撃はそうもいかない。故に、睡眠で──皮肉にも、禰豆子が人喰いを克服したのと同じ方法で──回復を図る。

 

 

 鬼になって以降、ともすると初めてかもしれない熟睡。

 

 そこで廃灰は、夢を見る。それはかつて炭治郎が見たのと同じ、細胞の記憶。先祖の記憶を夢として追体験する夢。

 

『炭吉、道を極めた者が辿り着く場所はいつも同じだ』

 

『時代が変わろうともそこに至るまでの道のりが違おうとも、必ず同じ場所に行きつく』

 

『お前には私が何か特別な人間のように見えているらしいが、そんなことはない』

 

『私は大切なものを何一つ守れず、人生において為すべきことを為せなかった者だ』

 

『何の価値もない男なのだ』

 

 そして廃灰には、無惨の細胞……無惨の血も宿っている。堕姫が炭治郎に縁壱の幻影を見たように、ある程度血を分けられた鬼はふとした拍子に無惨の記憶を見ることもある。

 

『何が楽しい? 何が面白い? 命を何だと思っている?』

 

『どうして忘れる?』

 

『人間だったろうお前も。かつては、痛みや苦しみにもがいて涙を流していたはずだ』

 

 だから炭治郎と比べて、二つの視点から縁壱を見ることができた。それによって……かなり曖昧だが、黒死牟と縁壱の関係も……兄弟だということも、何となく、察しが付いた。

 

「……夢、か……こういうのは、柄じゃないな」

 

 夢から醒めた廃灰はそう呟きながら立ち上がり、無限城の一室に向かう。先ほどの夢の確認に。そして何より……ただ、己の目的のために。

 

 

 

 

 

 

 パチン、パチン。

 

 黒死牟は決戦に向けての精神集中を兼ね、自室で碁を打っていた。両の石を自分で打つ一人遊びだが、ただただ定石通りの手を打つのもそれはそれで乙なものであった。

 

「……何の……用だ……」

 

 入室してから何も言わずに後ろで待機している新たな上弦の伍に、痺れを切らして問いかける黒死牟。

 廃灰はそう聞かれた後も少し言葉を考えていたようだが、やがて諦めたように端的に話した。

 

 

「夢で彼に会って来ました」

 

「夢……? 彼……?」

 

「僕の先祖に、神楽を教えてくれた人の顔を見たんです」

 

 それを聞いて、黒死牟は碁を止めて廃灰に振り返る。

 

「細胞の記憶か……あの方のではなく……祖先の記憶……というのは……初めて見るが……」

 

「彼は貴方とよく似ていましたよ。顔も、その痣も」

 

「……遺憾だが……血の繋がりは……否定できん……痣の男は……私の弟だ……」

 

 淡々と告げる黒死牟。だがそれは努めて淡々としなければ、激情に呑まれてしまいそうだから、敢えて何でもないことのように話しているように見えた。

 

「詳しく聞かせてくださいよ、急に斬られた件の迷惑料代わりにでもしますよ」

 

 廃灰が、根絶やしにしたはずの日の呼吸の使い手であることに、黒死牟も複雑な心情がないではない。だが鬼として無惨の為にその力を振るっている以上、本来ならそれを疎ましく思う必要もない。

 そもそもこの四百年で黒刀の鬼狩り自体は少ないながらいたが、彼らは得てして弱い。無論、適性のない呼吸を使っているのだから弱くて当たり前なのだが……縁壱ならばそんな理屈は吹き飛ばしていただろう。

 

 そう、特別なのは日の呼吸ではなく縁壱だ。自分が日の呼吸を覚えられなかったのは単なる適性の問題だ。

 

「その前に……ひとつ聞かせろ……お前はなぜ……目を隠している……?」

 

 黒死牟からしても、廃灰が何かに──先の会話を鑑みれば兄に対して──執着し、ともすれば自分の縁壱へのそれに近い程の感情を持っているのは見て取れた。だというのに廃灰は目を隠している。黒死牟は縁壱の剣技に焦がれ、自分のものにしたいという欲求から目が六つになったにも関わらず。

 

 同じように見えてその実正反対。それが黒死牟の興味を引いていた。

 

「……見たくないけど、でも本当はあんな風になりたい。言うなれば、羨望と嫉妬……ですかね」

 

 兄に憧れて鼻を強くする為に目を隠した。憧れが眩しくて直視できないから目を覆った。羨望と嫉妬が入り混じったのが、この目隠しだ。

 それを聞いて満足したかどうかは定かではないが、黒死牟はポツリポツリと語り始める。

 

「神の寵愛を……一身に受けた存在を……見たことはあるか……」

 

「神の寵愛?」

 

 訝しげに眉をひそめる廃灰。

 

「あの人はよくできた人だったけど……神がかりとまでは行きませんね」

 

「そうか……ならば……お前は幸運だ……」

 

 天を仰ぐように顔を上に向け、黒死牟は何かを思い出しているようだ。

 

「人を妬まぬ者は……運がいいだけだ……出会ったことがないだけだ……神々の寵愛を……一身に受けた者に……」

 

 そう前置きして続けられたのは……黒死牟の過去。

 

 化物染みた才能を持つ弟がいたこと。

 才に劣る自分が寺に出されるはずだったのを、弟の慈悲による出奔で跡取りに『させてもらえた』こと。

 再会した時には弟は鬼狩りになっており、その剣技に執着して妻子も家も捨てて鬼狩りに入ったこと。

 それでもなお弟の呼吸……日の呼吸は習得できず、猿真似に過ぎない月の呼吸を覚えたこと。

 技術として教わった、力を引き出すための『痣』は寿命の前借りに過ぎず、痣を出した者は二十五になる前に死ぬこと。

 限られた寿命では弟に追いつき追い越す事は敵わないと見て鬼になったこと。

 

 話したくないのか忘れているのかは定かではないが、黒死牟の語りは端的だった。

 だがそれでもなお、彼の内に潜む激情は感じることができた。

 

「老いた弟は……私が殺し……日の呼吸を知る者も……根絶やしにした……だが……それを元にした神楽にまでは……手が回らなかったようだ」

 

「老いた?」

 

「そうだ……あの男だけは……二十五を越えても……死ぬことはなかった」

 

 含みのある言い方だ。老いたとはいえずっと追いかけ続けた弟を越えたにしては、全く嬉しそうにしていない。

 だがそのことに関しては本気で話したくないようで、そこで自分の話を打ち切ってしまう。

 

「次は……お前が話せ」

 

「僕が? 何も話すようなことはありませんよ。察するにヒノカミ神楽もその人が技術を何らかの形で残したかっただけでしょう?」

 

「そんなはずはない……あの男は自らの技が途切れるというのに……未来への期待で笑っていた異常者だ……自分から技を残すなど……有り得ない」

 

 ハッキリと断言する黒死牟。

 

「心境の変化くらい誰にでもあるでしょう」

 

「お前に何が分かる……あの男は……そう簡単に思想を変えん……何かがあったに……違いない」

 

「それは、細胞の記憶を少し垣間見ただけの僕には、分かりかねますが……」

 

 黒死牟の執着を分かっていて話を聞いた廃灰だが、流石に少し面倒くさくなる。

 

「とにかく、貴方の望む話はできません。僕が話を聞きたかったのは……貴方の執着がどこに向かっているか見たかったからです」

 

 そう言うと廃灰は顔を黒死牟に近づけて凄む。礼儀正しそうに見えて、上弦になったばかりで上弦の壱に対して威圧するという跳ねっ返りぷりは、黒死牟も嫌いではない。

 

「兄さんと戦うのは僕です。誰だろうとそれは邪魔させない。貴方がヒノカミ神楽そのものに執着してたら面倒でしたが……貴方は弟さんに焦がれているようで、安心しましたよ」

 

 黒死牟は凄む廃灰を正面から見据える。この鬼もまた、兄弟に異常とも言える執着を示している。自分と縁壱の戦いは不満しかない結果になったが、果たして廃灰とその兄の戦いは、満足いくものになるだろうか。

 

「……それじゃあ僕はこれで。上弦の参にも釘を刺して来ないといけないので」

 

「待て」

 

 立ち去ろうとする廃灰を、黒死牟が止める。

 

「お前の……日の呼吸は……まだ完全ではないだろう」

 

「それが何か? 心配しなくても、多分鬼狩りと戦ってるうちに覚えますよ」

 

「私の……月の呼吸は……日の呼吸に……最も近い呼吸だと言える……」

 

「だから、それがどうし……っ!?」

 

「鬼狩りの技よりも……参考になるだろう……」

 

 廃灰が振り返った瞬間、黒死牟は自らの刀……虚哭神去を振りぬいていた。斬撃の衝撃で碁石がバラバラに吹き飛んでいく。以前は全く不意打ちに反応できなかったが、大量の無惨の血を分けられた今、回避するだけなら可能だった。

 

「私から技を盗め……そして完全になった日の呼吸を……あの御方の為に……鬼狩りを殺す為に……使え……」

 

 どういう風の吹き回しか、黒死牟は廃灰を鍛えると言う。一見すると、主の為になるならば無償で後進を育てようとする『侍』染みた行動に見える。

 

「……穢せるのが楽しみなんですね、神の技を。蹴落とせるのが嬉しいんですね、神の子を」

 

 だが廃灰は、その奥に潜む歪な感情を見逃さなかった。

 

「口では侍ぶっていても、その内面は僕と同じ、嫉妬と劣等感に溢れてる」

 

「……ほう……」

 

 神の技を穢す……それが鬼殺隊を相手に日の呼吸を使うことを指しているのは明白だ。それを楽しみにしているというのは、ある程度内面を知っていれば分かることだろう。

 だが、神の子を蹴落とす……それは黒死牟の内心を的確に見抜いていないと出てこない言葉だ。

 

 そう、黒死牟は、廃灰を鍛えて、炭治郎に勝たせることによって、間接的に縁壱に勝とうとしていた。

 全てにおいて弟に敵わなかった黒死牟だが、『後継者育成』ならば勝てると踏んだのだ。

 無論、ただ神楽として伝わった日の呼吸を覚えているだけで、直接的な師匠はそこらの鬼殺隊に過ぎない炭治郎に、黒死牟が今から直接育成する廃灰が勝ったとしても、『後継者育成』で勝ったとは言い難い。

 だが四百年以上に敗北感を抱えたまま生き続け、これからも一生それを覚悟していた黒死牟にとって、仮初でも弟に勝てるならば構わなかった。

 

 そんなことまで分かるのは……やはり、二人が似ているからだろう。

 

 

 廃灰からも黒死牟からも、互いが似ていることは分かっていた。そして、似ているが故に余計に浮かび上がる僅かな違いも認識していた。それが互いにどうしても理解できない。

 同族意識もあるにはあるが……それ以上の同族嫌悪と、自分とは違う者への嫌悪感……彼らはその両方を互いに抱いていた。

 

 神に愛されたとしか言いようがない才能に嫉妬した。だがそれ以上に、兄でありながら全てが弟に劣る自分を嫌悪していた。もしも最初から自分が弟として生まれていたら、何の後腐れもなく寺に預けられていたのに。武家という競争社会でもないのに、兄という純粋に憧れていればいい存在を妬む気持ちが理解できない。

 

 兄に頼るしかない弟という立場に甘え続けてしまう自分が嫌いだった。いつしか兄に頼るのは、ひいては兄自身が、自分を縛るものだと考えるようになった。遠い所で侍として生きることを選べたのに、いつでも鬼狩りを離れて自由になれたはずなのに、自分から弟に縛られ続けた姿が滑稽に映る。

 

「けど、それはそれとして貴方の申し出はありがたく受け取りますよ」

 

「……そうだ……それでいい……私もお前を……利用させてもらおう……」

 

 廃灰も血鬼術を使い、血の刀……没刀天を発現させる。

 歪んだ日と欠けた月は、ジリジリと距離を詰めて対峙する。

 

「ああ、そういえば聞きたかったんですが……貴方、なんて名前なんですか?」

 

「……黒死牟……知っているだろう……」

 

「人間の頃の名前です」

 

「そんなものに……興味があるようには……見えないが……」

 

「別に貴方個人に興味があるわけじゃないですよ。有名な武家なら話を聞いてみたかっただけです」

 

「……くだらん……お前こそどうだ……? そもそも……本当の名前を……覚えている……のか……?」

 

「僕の名前……?」

 

『その力をどう使うかは……お前の自由だ、灰■』

 

 あの時、自分を呼ぶ父の声が聞こえなかった。長らく耳にしていないうちに、自分でも忘れかけているのだろうか。だが兄は自分を人間の名を呼ぶだろう。遠くから呼ばれても分からなかったという事態は避けたい。

 そう、確か、僕の……

 

「僕の、本当の名前は……」

 

 


 

 

 廃灰と黒死牟が歪な師弟関係を結んでいる頃。鬼殺隊たちは柱稽古をしていた。

 

 

「風の噂でお聞きしたのですが、甘露寺さんのその髪は桜餅をお食べになったことが原因だとか」

 

「え、ええっ!? ど、どうしてしのぶちゃんが知っているのかしら!?」

 

 一般隊士は柱を周りそれぞれの技術を伝授される。柱は人に教えることによって自らの理解をより深くする。

 

「子供は無垢だが残酷だ……君もそうは思わないか、時透」

 

「僕には、よく分かりません」

 

 また柱同士の手合わせによってさらに技術を上げ、さらに咄嗟に連携できるように特訓を行う。

 

「行くぜ冨岡ぁ!! 死に晒せやぁ!!」

 

「…………ふん」

 

 各地での鬼の被害が一時的に消滅したことで、じっくりと鍛錬を積む時間ができたのだ。

 

 当然炭治郎も本来であれば柱稽古で鬼のような猛特訓をするのだが……今だけは座して部屋の中にいた。同じ部屋には栗花落カナヲと、蛇柱の伊黒小芭内もいる。

 

「皆様方、お待たせいたしました」

 

 と、炭治郎が訝しんでいると、お館様こと産屋敷耀哉の妻、産屋敷あまねが現れる。少し前より、病気の悪化した耀哉に代わりあまねが当主代行をしていた。

 

「今回の議題は、上弦の対策についてです」

 

「あの、なんで俺たちが集められたんですか?」

 

「黙っていろ竈門炭治郎。今奥方様が説明してくださる」

 

 残る上弦は壱、弐、参の三体。上弦の参は煉獄との戦いを見ていた炭治郎たちの証言によってある程度の戦闘方法が。上弦の弐はカナエの遺言を聞いたしのぶによって見た目の情報がそれぞれ鬼殺隊内で共有されている。

 

 もし新たな情報が入ったのだとしても、この面々が集められたのはおかしい、と思う炭治郎。

 

「先ほど病床の耀哉様が仰っていました。竈門様の弟御は……おそらく上弦になると」

 

 それを聞いても伊黒は無反応で、カナヲは心配そうに炭治郎を見る。炭治郎は……唇を噛み締めていた。

 

「栗花落様と伊黒様は直接戦闘を行っています。その鬼に対する情報を纏め、隊内に広めて欲しいとのことです。竈門様を同席させるのも、耀哉の指示です」

 

「俺が……アイツを止めたがっているからですか」

 

「貴方が一番、その鬼と戦闘になる可能性が高いからです」

 

 じっ、と炭治郎を見据えるあまね。炭治郎も正面からその視線を受け止め……やがて拳を握りしめながら平伏し言った。

 

「分かりました……カナヲ、伊黒さん、聞かせてください……アイツが、どんな風に……戦ったのか」

 

 そして、その部屋の外でも、各々の思いが渦巻いていた。

 

「爺ちゃんが、切腹……!? 介錯も付けずにっ!?」

 

 手紙を読みながらわなわなと震える善逸。鬼殺隊を裏切った兄弟子……否、元兄弟子の暴挙に、善逸は恐怖を塗り潰すほどの怒りを覚えた。

 

 

「伊之助さん、どれだけ食べるんですか!?」

 

「山の神である俺が、大食いで負けたままでいられねぇ!! うおおお!! 猪突猛進! 猪突猛進!! アオイ! もっと持ってこい!! 稽古はその後だ!」

 

 伊之助は柔軟運動を主とする甘露寺の柱稽古の後、甘露寺の大食漢もとい大食乙女っぷりを見て、勝手に大食い勝負を挑んだのだ。そこで初めて大食いで負けた伊之助は、リベンジに燃えていた。

 

 こうして、最後の休息の時間は過ぎていく……

 




最初の文はLISAさんの別のアニソンから取りました。

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