炭になれなかった灰   作:ハルホープ

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人喰い

「君にもそろそろ働いてもらおう」

 

 廃灰(はいかい)が鬼になって2年以上が経過したある日。突然彼の前に現れた無惨は、前置きなど時間の無駄と言わんばかりに言い放つ。

 

「先日、ある一画を任せていた鬼が死んだ。君はその周辺に赴き、青い彼岸花及び鬼狩りの本拠を探れ」

 

 返事も待たずに言い切る無惨。廃灰が平伏する一瞬の間に要件をほとんど言い終えてしまった。

 

「とはいえ、しばらくは噂集めでもしつつ人を食って力を付けていればいい」

 

「分かりました、無惨様」

 

「それともう一つ。私の名について、これまで以上に気を付けるように。もし私を前にした時以外に名を呼んだら、君とて容赦はしない」

 

「……呪いの件は重々、承知しています」

 

「そうか、ならばいい。では最低限の身支度だけして、この地図に記された一帯に向かえ。根城は好きにしていいが、前任の鬼と同じ村は避けた方が無難だろうな」

 

 そう言い残した無惨は地図だけを置いて、現れた時と同じように気配も残さずにあっという間に去っていった。廃灰はお気に入りということもあり、彼にしては懇切丁寧に説明した方である。

 

 

「……行くしかない、か」

 

 廃灰にとっては気がすすまないが、命令に逆らうという選択肢はない。彼にとって無惨は恩人であり、何より生殺与奪の権を一方的に握られている相手なのだから。

 

 


 

 

 鬼である以上、人を食べなければ生きていけない。当然それは廃灰も例外ではない。

 しかし、まだ人間の頃の感情が色濃く残っている彼は、浮浪者の吹き溜まりにいる死にかけの人間や、自殺の名所にいる現世に絶望した人間などしか食えていない。

 そんな有り様で血鬼術が発現するはずもなく、廃灰は無惨のお気に入りでありながらも未だ下級の鬼であった。

 

 

 そしてそれは仕事を任されてからも変わらない。あれから無惨の命令通り北西の地域に住処を移した。しかし、主な餌場が有名な自殺名所の崖になった以外特に変わったことはない。一応青い彼岸花や鬼狩りの噂話を集めてはいるが、どれもこれも噂の域を出ない不確定な情報ばかりだ。

 

 結局、鬼になったからと言って、廃灰にとって何かが劇的に変わったわけではない。名前や生態などという細かいことは多く変わっても、胸を締める言いようのない閉塞感はまだ残っている。

 

 あの日死にかけた時には確かにあった解放感は、未だ脳裏を過る兄のせいで徐々になくなっていた。今も兄はこの世界のどこかで生きている。そう思うと罪悪感や劣等感、様々な感情が去来する。

 

「こんな所を根城にしてるから、辛気臭い考えが抜けないのかな」

 

 廃灰は上述の通り自殺の名所である崖際付近を根城としている。フラフラと死にたがった人間がたまに現れるので、食事に困らないという理由だ。

 しかしさすがは自殺の名所というべきか、なんだが近くにいるだけで気が滅入ってくるような場所だった。

 

「……ん?」

 

 そろそろ拠点を変えようかと思っていた所に、若い男の気配を察知した廃灰。だがその男性はこんな所に来た割にしっかりとした足取りだったので、ただの観光客かもしれないと警戒する。無抵抗以外の人間を食うのは気がひけた。

 

 廃灰が自分の家で鬼化した時は、周りにほぼ死体しかなかったのと、無惨によって連れ出されたのもあって飢餓状態のまま誰かを食うことはなかった。

 

 或いはそのせいで、いまだに人を食う事に抵抗感が残っているのかもしれない。

 そう思いながらも、ここ最近人間を食えていない廃灰は、隠れて男の様子を伺うことにした。

 

 


 

 

 

「……こんな所に来て、どうするつもりだったんだろう」

 

 和巳……少し前に人喰い鬼に婚約者を殺された青年は、一人崖際で佇んでいた。

 彼は婚約者の仇を取ってくれた鬼狩りの少年……竈門炭治郎の別れ際の言葉を思い出す。

 

『失っても失っても、生きていくしかないです。どんなに打ちのめされても』

 

「あの子は、ああ言ったけど……俺には無理だよ。君みたいに、強く生きられないよ」

 

 失ったものを忘れることも、受け入れることもできない。仇を取った事すら、彼女の両親に伝えられない。人喰い鬼など、実際に目にしなければ信じてもらえない。

 自分の娘が最後の犠牲者になった事で、彼女の父親は一層和巳を憎むようになった。

 なぜよりによってあの日、もうすぐ事件が沈静化するという時に限って、娘を外に連れ出したのだと……

 

「里子さん……僕は……僕は……!」

 

 

 俯き、言葉にならない思いを、失った婚約者の名前と一緒に吐露する和巳。そんな彼に近づく黒い影があった。

 

「……トキエさん?」

 

「すいません、後をつけるような真似をして」

 

 トキエ……人喰い鬼に攫われたが、鬼狩りの少年に助けられた少女である。

 あの事件以降、2人は時たま近況報告を兼ねて顔を合わせるようになっていた。

 表向きは事件の衝撃を忘れられないトキエを和巳が気遣っていることになっているが……その実、反対だ。

 婚約者を失った喪失感に蝕まれ続ける和巳を、トキエが心配して見てくれていると言った方が正しい。

 

「こちらこそ心配をかけてすいません。その、滅多な事を考えているわけではないんです。ただ……」

 

「簡単には割り切れませんよね」

 

 沈痛な顔で曖昧に肯定するトキエ。彼女には和巳の気持ちが痛いほど分かる。

 

「私が生きているのは、犠牲になった女の子たちのおかげ……」

 

 人のできた娘であるトキエは、会ったこともない犠牲者たちを悼み、感謝していた。自分が助けてもらえたのは、自分の前に犠牲になった少女たちのおかげだと。

 故に、命の恩人の忘れ形見とも言える和己には、何とか立ち直って幸せになって欲しいと願うのだ。

 

 

 

「男女で心中でもするんですか? 明治の文芸みたいでお熱いですね」

 

 その時、2人の重い空気を壊すかのように、第三者の声が突然響く。トキエが現れた時は和巳も声をかけられる前に人の気配で何となく気づいてから対応した。だが、今回は声をかけられる今の今まで全くその存在に気づけなった。

 

「……失敬、どうやら恋仲というわけではなさそうですね」

 

 驚いて振り向いた2人の先にいたのは、奇妙な出で立ちの少年だった。

 

 彼の身につけている黒い着物自体はどこにでも売っているものに見える。少し着崩しているが、だらしないというよりはお洒落と利便性重視といった感じでおかしな所はない。

 

 ではどこが奇妙かというと……少年は、なぜか着物と同色の黒い布を目元に巻いていた。

 そのせいで表情も顔つきもどこか不明瞭で判然としない。

 

「君、目が見えないの? 危ないからこんな所に一人で来てはいけないわ」

 

 トキエが優しげに少年に声をかける。少し歩けば断崖絶壁があるこの場に、目の不自由かもしれない子供がいるとなっては、気にかけるのは彼女にとって当たり前の行動。

 だが和巳はどこか異様な雰囲気の少年に気圧され、何も言えないでいた。

 

「ああ、ご心配なく、何となく見えてるんで。この布は薄いんです」

 

「え?じゃあどうして……あ、ごめんなさい、なんでもないわ」

 

少年の額に歪な半月のような火傷痕があるのを見つけたトキエは、痕を隠す為か何か、とにかく触れられたくない理由かもしれないと思って追求を止めた。

 

「き、きみは……何者なんだ……?」

 

 トキエの横で和己がようやく絞り出した一声は、酷く曖昧な質問。

 それは初対面の相手の出身地や年齢を尋ねるような、会話の為の会話と同じようでいて、実は違う。

 

 酷く警戒する和己に、少年が意外そうな表情を浮かべた……ように和己には見えた。目元が隠れて分かりにくいので、実際の所は不明だ。

 

「勘がいい……いえ、元々存在を知っていたんですか? お察しの通りです」

 

 少年はクイッと、目に巻いていた黒布を少しずらす。すると、その下に隠されていた目が顕になった。

 

「人喰い鬼……少し前にこの辺りで噂になったアレと同じですよ」

 

 瞳がない虚ろな目。あの時見た鬼の目と同じ特徴だった。

 そう、「同じ特徴の目」であって「同じ目」ではない。

 あの鬼のような知性も理性もない、ただ暴虐を尽くすだけの化物の目とは違った。

 

「ひっ」

 

 一度人食い鬼に攫われたトキエは、息を呑んで一歩後退る。

 

「なんで、隠してて……なんで、教えて……?」

 

 トキエを庇うように一歩前に出ながら、整理されていない言葉を紡ぐ和巳。

 

「ある確認をしたかったんですが……それをなるべく穏便に済ますためですよ」

 

 すぐに目隠しを元の位置に戻した少年は、何事もなかったかのように話を続ける。

 

「あなたが自殺しに来たのか否かを……ね」

 

「じ、自殺? そりゃ、確かにここは自殺の名所だが……なんで鬼が?」

 

「食べるためです。人喰い鬼ですから」

 

 なんてことのないように少年は続ける。

 

「抵抗されると面倒だし、死にそうもない人が消え続けたら鬼狩りが来るかもしれない。だから僕は死にたがってそうな人しか食べません」

 

 本当のことを言っているようにも、何かを誤魔化すように説明口調になっているようにも聞こえる。

 

「運が良かったですね、僕が話の通じる鬼で。見たところ少し魔が差しただけのようですし、ここは見逃してあげますよ」

 

 わざと尊大な態度で突き放すような振る舞い。ひょっとしたら目の前の少年は、人を食べたくないのかもしれない。鬼狩りの少年が連れていたような「良い鬼」なのかもしれない。そう思った和巳は、内から湧き上がる感情を抑えられなくなった。

 

 話をしたい。鬼について理解したい。婚約者はどうして死ななければならなかったのかもっと知りたい。

 そうすれば自分は変われるだろうか。あの鬼狩りの少年のように、強くまっすぐ、生きられるだろうか。

 

「か、和己さんっ!?」

 

 そんな疑問とも欲求とも取れない感情の波に突き動かされ……気がつけば和己は、一歩踏み出していた。後ろで困惑するトキエの声も、耳に入らない。

 

「教えてくれ、君は鬼狩りの彼が連れていたような良い鬼なのか? 良い鬼と悪い鬼がいるなら、なんで悪い鬼が生まれてくるんだ? どうして里子さんは死んだんだ? 彼は、多分、僕を気遣ってだろうが、あまり詳しいことは教えてくれなかった……」

 

「良い鬼? 鬼狩りの彼?」

 

 無防備にも鬼に近寄って、堰を切るように言葉を紡ぐ和巳。断片的な情報の中から、鬼の少年は耳寄りな言葉だけを聞き取る。

 

 

 

 ──合理的に考えれば、この時の和巳の行動は非難されるべきことである。目の前の少年が鬼と分かった瞬間、トキエを連れて一も二もなく逃げ出すべきだったのだ。

 

 だが、きっとこの時向き合わなければ、和巳は婚約者を失った喪失感に苛まれたまま、死んだように生きるしかなかった。望む答えなど返ってこないかもしれない。それどころか殺されるかもしれない。けれど、『納得』したかった。

 

 それが彼にとっての『打ちのめされても生きていく』だ。それを批判することなど……誰ができようか。

 

 

「僕らの村にいた鬼を退治した子だ。確か名前は、竈門……」

 

 

 次の瞬間、少年はそれまでの穏やかな雰囲気を一転させた。そしてそれを和巳が感じ取るよりも早く……彼を強引に地面に押し倒した。

 

「う、うわっ!? は、離れろぉ……!」

 

 突然の強行にジタバタと暴れる和巳。そして何を思ったか鬼の少年は和巳を押し倒したまま、彼の顔に鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅ぎ始めた。

 

「なに、を……」

 

 何をする、と言いかけた和巳の脳裏に、鬼狩りの少年の姿が浮かぶ。

 鬼を探してまるで犬のように地面を嗅いでいた彼と、今和己に鼻を近づけている鬼の動きは、鏡写しのようだった。

 

 まさかと思う和己の前で、急に激しく暴れた反動か、あるいは先ほど少しズラして緩くなっていたのか、少年の目の黒布がハラリと落ちる。

 

 そこから現れたのは、さっきまでの理知的な瞳ではない、赤黒く濁った瞳が顕になる。だが、はっきり目元が見えたことで分かったことがある。動きだけではない。顔立ちもどこかあの鬼狩りの少年と似ている。

 

 

「まさか、君は……」

 

「……兄さんの、匂いがする」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 気がついた時、僕の目の前には、怯えきった少女と……既に事切れている男の亡骸があった。

 

「なん、で……」

 

 なんで僕は、先ほどまで普通に話し、見逃すつもりだった2人を、襲っている? 

 竈門と聞いて、まさか兄さんかと思って、つい匂いを嗅いで、懐かしい匂いがして……それより後の記憶がない。

 

「違う、僕は……!」

 

 殺すつもりはなかった。自殺志願者ではないと分かった時点で見逃すつもりだった。まだ、死ぬ気もない人を食べる覚悟がなかったのに。

 

「ひっ! いやっ! 来ないでぇ!!」

 

 腰の抜けた少女が這うようにして離れる。僕は呆けたまま、それを眺めていたのだが……

 

「飢餓状態か……やはり君は特別なようだ」

 

「無惨、様……?」

 

「あ、あぁ……」

 

 逃げる少女の前に、いつの間にか無惨様が立っていた。少女は目の前にいるのが僕よりもずっと危険な存在なのを直感的に理解したのか、這うのを止めてただただ震えている。

 

「通常、飢餓状態は人間をしばらく食べていない時になるが……君の場合は肉親、いや、兄に繋がるものを見つけると飢餓状態になるようだ」

 

「肉親……兄……」

 

「廃灰、君はあまり積極的に人を喰っていないだろう。それで飢餓状態にならないのが不思議だったが、特殊な進化をしているようだ」

 

 太陽を克服するのが私の宿願。特殊な進化をする鬼は大歓迎だ。そう続ける無惨様の声も、耳を素通りする。

 

「前任の鬼を倒したのが、兄さん? そんな、ありえない……」

 

 兄さんは愚かなくらい優しい人だった。復讐なんて無意味なことをやるような人じゃない。

 いや、でも未来の平和の為に自分を礎にするのは、いかにもあの人らしい行動に思えた。

 

 俯いて考え込む僕の目に、いつの間にか外れたのか、目元に巻いていた黒布が映る。

 ああ、僕はなんで特に意味もなく目を塞いでたんだっけ? 

 

 

 目を塞いだことで、嗅覚が研ぎ澄まされる。僕が憧れた兄さんみたいな、鋭い嗅覚になる。

 目を塞いだことで、目の前が暗くなる。眩しくてつい背を向けたくなる兄さんを、見ないで済む。

 

 そんな理由だった。自由を求めて鬼になったのに、結局、兄さんに縛られ続けている。でも、もう兄さんと会うことを諦めていたけど……鬼として生き続ければ、兄さんに会える? 

 鬼と鬼狩りとして出会い……どうしたいのだろう。僕の手で殺したいのだろうか、無惨様や他の鬼に殺して欲しいのだろうか。何がしたいかすらも、実際に会うまで決められない。けど、けど会わなければ、僕はずっと兄の幻影に囚われたままで、自由になれない。それだけは分かる。

 

「君の鬼としての才能、活かさないのは惜しい」

 

「ごふっ!!」

 

 無残様はそう言って、彼の足元で這いつくばって震えている少女を蹴り飛ばし、僕の方に転がしてきた。

 

「ひ……いや、死にたく、な……」

 

「兄を探すのだろう? 自由になるのだろう? ならばお前はもっと強くならなければならない。鬼狩りに負けぬ力を手に入れなければならない」

 

 僕は兄さんが大好きだった。鬼になってもなるべく人を食べたくなかった。それは嘘ではない。だがそれと同時に……

 

「人を喰うのだ廃灰。炭を妬み、焦がれる灰の鬼よ」

 

 僕は兄さんが妬ましかった。鬼として人を喰い、人の迷惑とかそういう事を気にせず自由気ままに生きたかった。それもまた事実。

 

「僕の望み、は……」

 

 そうだ、迷うことなんてない。好きでも嫌いでも、その両方でも、僕の望みは変わらない。

 兄さんに会いたい。それだけは変わらないし曲がらない、今の僕の唯一の望み。それ以外は、もうどうでもいい。

 

 

「いや……いやぁああああ!!!」

 

 

 この日、僕は初めて……嫌がる人間を無理矢理喰った。自殺志願者や浮浪者の骨ばった肉とは違い、若い女の子の肉はとてもおしいかった。

 

「あ、はは……あはははは……」

 

 また一つ、心の枷が外れた気がした。別にもう、どうだっていいけど。

 

 

 




オリ主のビジュアルはニー○オートマタの9Sが和服っぽいのを着てるようなイメージです。
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