「ちぃ、どうなってやがる!」
鳴女と接触した玄弥。接近しようとすれば琵琶の音と共にどこかに移動させられ、遠くから銃撃しても再び琵琶を掻き鳴らされると着弾する前に空間が歪み、どこか遠くからバスッと着弾音がするだけだ。
「くそ、弾もそんなに多くはねぇ……騙し騙し、増援を待つしかないか」
下手に銃を乱射して弾のスピードを見切られると、最悪発射した瞬間背中から自分に弾丸がズドン、というのもあり得る。ここは辛抱強く待つべき時だと、玄弥は鳴女と距離を保ちながら睨み合う。
「おい、そこの半鬼……お前だお前」
「あぁ?」
その時、玄弥の後ろから彼を呼ぶ声がする。振り返ると、隊服を着た見たことのない少年と、見覚えのある隊士何人かがいた。
「いいか、今はあの鬼は適当にあしらえ。鴉から伝令があってから俺が攻撃するのを補助しろ」
「はんき? 玄弥お前、変なあだ名で呼ばれてるな。なんかこいついつの間にかいたんだけど、知り合いか?」
「いや、知らねぇが……はんき?」
はんき……半鬼。半分鬼。少年……愈史郎の言っている意味が分かった玄弥は、思わず食って掛かる。
「テメェ!」
「不本意か? ならそれ以上喰わんことだ。そのうち、戻れなくなるぞ」
掴み掛かった玄弥の手を鬱陶しそうに払う愈史郎。だが刺々しいながら玄弥を気遣う言葉を投げかけられ、玄弥は怒りを収めた。
「ちっ……言われなくても、好きで喰ってるわけじゃねぇよ」
「ふん。とにかくアイツが空間転移の血鬼術の使い手で間違いない。制御を奪ってこのふざけた城を手中に収めるぞ」
「なら急いだ方がいいんじゃねぇのか?」
「無惨は間抜けだが馬鹿じゃない。今行っても制御権の奪い合いになるだけだ。やるなら柱が無惨に攻撃をしかけて注意が逸れてからだ」
「柱か……兄貴たちは無事なのか? さっき甘露寺さんの訃報があったが……」
「さぁな。途中で一人、柱とすれ違ったが……手助けも必要なさそうだったからこっちに来た。アイツならすぐに無惨の所に着くだろう」
「ぁあああああ!!! クソ! クソォ!!! 善逸のやつ逃げやがって!! あのカスさえ来たらこんな怪力坊主の相手しなくてすんだのによぉ!!! 話が違うじゃねぇかクソぉおおおおお!!!」
「獪岳……」
悲鳴嶼行冥は時透無一郎と分断された後、彼を追いかけていたが、上弦と遭遇して足を止めた時に琵琶の血鬼術で再びどこかへ移動させられて完全にはぐれてしまった。
その上弦とは、新たなる上弦の陸……獪岳。かつての僧侶時代に面倒を見ていた孤児の、成れの果てだった。
「クソ坊主も少しは加減しろよゴミが! そんなんだからガキ共に逃げられるんだよ!!」
「……鬼となったお前は、最早私の生徒ではない。お前を滅することに、何の躊躇もない」
柱最強の悲鳴嶼と上弦最弱の獪岳の戦いは、一方的なものだった。速度だけは獪岳が僅かに上だったが、血鬼術を付与した雷の呼吸は鉄球に防がれ、移動は鎖によって妨害される。
反撃の鉄球を受けて、頸だけは守ったものの吹き飛ばされて全身の骨が折れた。再生は間に合わない。間に合ったところでどうしようもない。勝敗は一瞬で決した。
「ヒヒ……ギャハハハハハハハ!!」
獪岳は自分の死を認めた。だが、それで潔く死ぬ獪岳ではない。狂ったような笑い声をあげ、ゆらりと立ち上がる。
「南無阿弥陀……」
「俺が鬼を連れてった」
追撃しようとしていた悲鳴嶼の手がピタリと止まる。
「俺を見逃してもらう代わりにな。ほんのちょっと金をくすねただけで追い出された腹いせもあったが」
「……子供というのは無垢だ。その無垢さは、時に残酷になる」
「遠回しに言って誤魔化してんじゃねぇよ。俺なんか……ガキなんかクズだって思ってんだろ?」
一人で死ぬのは惨めだが、自分が命を懸けた所で鬼殺隊最強を道連れにするのは不可能だ。ならばせめて、少しでもあの男を苦しめてから死ぬ。
「金と鬼だけなら俺がクズって話かもしれねぇけど、他の奴らもアンタを見捨てて逃げたんだろ? しかも沙代に至ってはアンタに濡れ衣を着せた」
「……なぜお前が、それを知っている……!」
「爺が教えてくれたよ。善逸より俺を特別扱いさせる為にちょっと大袈裟に話したら必死に調べてくれてよぉ。本人には言うなとか宣ってたが、あんな老害の言うことなんか知らねぇよ」
その瞬間。無言で投げられた悲鳴嶼の鉄球が、獪岳の頸を抉る。鉄球の重さで引き千切られた顔がゴロゴロと転がって灰になっていくが、それでも獪岳はその口を止めない。
「アイツらはアンタを裏切ったんだよ。人間を裏切った俺を殺すってことは、アイツらを殺すってことだ」
「戯言を言うな……!」
どんどん体が崩れていく獪岳。それを見下ろしていながら、まるで悲鳴嶼が追い詰められているかのような会話が続けられる。
「沙代もなんか死んだらしいぜ。あの寺の跡地でさ」
「なにっ!?」
「せっかくアンタを犠牲に生き延びたってのに、数年で死ぬなんて、アンタへの裏切りだよなぁ」
ほとんど灰になった顔を醜く歪ませて嘲笑う。
「裏切られ続けた人生を恨みながら、せいぜい惨めに殺されるんだなぁ……」
最後の最期まで呪詛を吐き続けた獪岳は、その言葉を最後に完全に灰化した。後にはただ、何も成せなかった男が残るのみ。
「う、ぉおおおおおおおおおお!!!!」
既に灰になっているのを分かっていながら、激情のままに拳を振り上げる悲鳴嶼。
────悲鳴嶼さん!
だが玄弥や炭治郎、柱の仲間たちの声が脳裏によぎった瞬間……悲鳴嶼は手を止めた。
「……それでも私は……私のやることは変わらない」
獪岳との戦い自体は勝負にならなかったが、逸れた無一郎と完全に分断されてしまった。今から探すよりも、一刻も早く無惨の元へ辿り着くことの方が先決だろう。
────もし、死に際にあの子たちが現れても、もう素直に受け止められないかもしれない。
そんな悲観的な思いに囚われながらも、悲鳴嶼は走り出す。
そして、無限城別所。
「久しぶりだね、兄さん」
「灰里……」
「不思議だ、会えるかもしれないって時はあんなに冷静になれなかったのに……今はとても、落ち着いた気分だよ」
運命の再会を果たした兄弟もまた、鬼と鬼狩りとして対峙していた。
「少し話そうよ。あの人は兄さんを……ヒノカミ神楽を警戒してる。僕が鬼狩り一人に執心しても、許してくれるさ」
シュルリと、最早必要ないとばかりに目の布を捨てる廃灰。炭治郎は咄嗟に青眼に構える。それを見て何がおかしいのか、廃灰はクスリと笑う。
「止めなよ。今の僕に兄さんが勝てるわけないだろ?」
「灰里、言いたい事も聞きたい事もたくさんある。けど、お前と会ったら躊躇せずに斬ると……俺は鱗滝さんや義勇さんと約束した。だから……!」
「相変わらず頭硬いなぁ」
炭治郎の悲壮な決意を、まるで家の戸締りを心配し過ぎなのを揶揄するような軽い口調で流す。
「上弦を一人で足止めできるって考えたら、むしろそっちに得だと思うけどね。戦ったら何人か仲間を引っ張って来ないと勝負にならないんじゃない?」
これ見よがしに髪をかき上げて、両目の数字を……上弦の伍の数字を見せる。
「確かに、そうかもしれない……けど俺たちは、鬼と鬼殺隊である前に、兄弟だ! 一対一で、決着をつける!」
「兄弟か……そうだね、けど僕はもう鬼で、あの頃とは違う」
切なく悲しそうにも、どこか嬉しそうにも聞こえる声で、廃灰は続ける。
「話してあげるよ。最初に殺したのは女の子だった。自罰的って言えばいいのかな? 昔鬼に襲われた時に色々あったみたいで、どうしようもない状況で鬼に殺されたがってた」
炭治郎は、そのことはもう知っていた気がした。一度見た夢の中に、そんな光景があったからだ。
「そうそう、あの村……女の子が次々消えるって噂のあった村! あそこの近くに拠点を置いた時期があったんだけど、知り合いがいたよね? 名前は聞いてないけど男女二人組のさぁ!」
「なっ!? 灰里、まさか和已さんとトキエさんを……!」
「殺して食べたよ。兄さんの知り合いだと思うと、我慢できなくなってね」
最初は食べるつもりはなく、飢餓状態になった結果ほとんど不可抗力で食べてしまった……ということは言わなかった。どんなつもりで食べたかなんて関係ない。
自殺の名所を拠点にして散々人を食べたこと。中には単なる観光客もいたこと。それとは関係なしに大勢の鬼狩りを返り討ちにして殺して、殺して、殺して……気がついたら上弦の伍にまでなっていたこと。
「分かったろ? 僕はもう灰里じゃない、廃灰なんだ」
「灰里、なんで……」
それでもなお弟を人の頃の名前で呼んだ炭治郎は、ゴクリと唾を飲み込んでから続ける。
「なんでそこまで覚えてるんだ? なんでそこまで俺に話したんだ?」
「なんで? それは……」
話したくなったから話した。そんな表面的なだけの回答は求められていないしする気もなかった。
確かに、これまでに殺した人間のことなど、普通の鬼は話さないし覚えてもいないだろう。
「僕はさ、何となく将来とか家のことに不満や不安があった」
それをこうして覚えているのは、兄に話して……『本当の望み』を叶えるため。
「自分の周りを滅茶苦茶にしてみたいっていう、子供なら一回くらいは考える他愛もない妄想。僕が他と違うのは、たまたま力を手に入れただけ。馬鹿げた望みを実現できる力が」
会ってどうしたいかなんて自分でも分からなかった。けれど直接会って分かった。血を分けた兄を鏡として、ようやく自分の望みが分かったのだ。
「僕はね、家族が死んで自由になれたみたいで清々した。僕は、僕はずっと息苦しかったんだ。暖か過ぎる家族、まっすぐ過ぎる兄さんや姉さん。だから僕は人間をやめた。そして……」
そこで息継ぎした廃灰は、唇を歪ませて笑う。
「そのなんでも僕の我儘を許してくれそうな顔を、ずっと歪ませたかったんだ」
「っ!」
「太陽みたいな兄さんを、空から僕のいる大地に引きずり下ろして、安心したかったんだ。僕らは同じなんだって」
廃灰は両手を広げる。何かを迎え入れるように。
「さぁ、僕を憎んでくれ。憎んで恨んで、その激情を僕とぶつけ合おう!! 初めて僕らは対等な、醜い争いができるんだ!!」
「小僧、答えろ。小生の血鬼術は、凄いか……?」
「凄かった。でも、人を殺したことは……」
「赦すよ」
「……え?」
「他の鬼なら、どんな理由があろうと人を殺した事は赦せない。けど、お前なら……俺だけはお前を赦す」
変わらない慈しみ。掴みついて離さない愛。
「俺たちは兄弟だろ。罪も過ちも、全部を……人生を、分け合うんだ」
「な、にを……」
廃灰は後退る。
「お前が戦いたいなら戦ってやる。その覚悟はしてきた。でも今は非常時だ、お前が無惨を倒すのを邪魔しないでくれたら、別の道もある」
「なんでだよぉ……!」
「罪を償おう。鬼を人間に戻す薬ができたんだ。それで人間に戻れる」
「や、やめろ……! 僕に、優しくしないでくれ! こんな気持ちにさせないでくれ!!」
「お前は許されないことをした。殺そうとする人だって大勢いる。でも、罪を償うなら生きるべきだ。憎まれて恨まれて蔑まれて、それでも誰かを助けて償う為に一生を生きるんだ!」
「僕は!!! 化物として兄さんに憎まれて恨まれて蔑まれて!! 思うまま戦いたいんだよぉ!!」
「なら来い! お前がどうしても戦うというなら、俺が受け止めてやる!! せめて俺の手で、お前を……!」
「だからぁ……! そういうのが嫌だって言ってるだろぉおおお!!! なんでそんな、まっすぐな目でクズになった弟を見れるんだよぉ!!!」
「弟だからだ!! この、バカ野郎!!!」
頭を抑えて被りを振る廃灰。そんな弟に近寄った炭治郎は、刀を鞘に納めて一気に走り寄ると……その頭に、渾身の頭突きを喰らわせた。あくまでも、兄弟として。
「はぁ、はぁ……!」
荒い息を吐きながら、弟をまっすぐ見据える炭治郎。廃灰は頭突かれた額を押さえながら呆然としていたが……
「は、ははは……分かったよ兄さん、今のままじゃどうやっても、僕を憎んでくれないんだね」
押さえていた手を上げて、まるでお手上げとでも言うように首を振った。
「もう鬼と鬼狩りの闘いは止めにしよう。化物の身に甘えて兄さんが恨んでくれると思ってた僕が間違ってたよ」
「ああ。たとえ戦うとしても、俺がお前を憎むことは、絶対にない」
「そうだね、だからこれは人間と化物の闘いじゃなくて……兄弟の戦いだ。いや、戦いとも言えないような、歪んだ八つ当たりかもね」
「……灰里?」
それでも、歪んだ弟の、炭になれなかった灰の暴走は止まらない。止まれない。最早それだけが……兄を自分と同じように歪ませるのが、廃灰の、灰里の存在理由。
「兄さんが悪いんだよ。僕のこと憎んでくれないから」
「待て、灰里!!」
「皆既ノ簾!」
炭治郎が手を伸ばすより一瞬早く、廃灰が自らの手首を切る。得意の血の煙幕により、廃灰の体は隠される。
「慌てなくても、まだ夜は長い……後でゆっくり相手するよ、兄さん」
そうして、廃灰は炭治郎の前から消え去った。炭治郎は唇を噛み締めながら、複雑極まりない無限城の別の道を探す。
「姉さんを探したい所だけど、流石にこの状況で外に行ったら何言われるか分からないな……まずは他の鬼狩りを殺して、場を整えよう」
地に落ちた灰は汚れ続ける。泥や砂を吸収し、混ざり合い……やがては炭でも灰でもない、形容しがたい何かになっていく。
次回、上弦の壱戦。