例によって例の如く暗くて凄惨な展開なのでご注意ください。
無惨の実質的な最後の砦。上弦の壱、黒死牟が控えている部屋。そこに飛ばされた霞柱、時透無一郎は黒死牟と遭遇し、気圧されながらも果敢に立ち向かっていたが……圧倒的な実力差によって片腕を斬り落とされ、柱に釘付けにされてしまう。
「我が末裔よ……あの方にお前を……鬼として使って戴こう」
さらには透き通る世界によって無一郎が自らの子孫だと知った黒死牟によって、鬼に勧誘されていた。
「技の継承者は見つけたが……己が細胞の末裔とは……また別の感慨深さがあるものよ……」
激痛に脂汗を浮かべながらも、無一郎は無言で黒死牟を睨む。
「そう案ずることはない……腕ならば……鬼となったらまた生える……まともに戦える上弦は、最早二人のみ……あの方もお前を認めてくださる」
「ぐっ、がっ……! 誰が、鬼なんかに……!」
「そうか……私も……一度に二人の面倒を見れるほど器用ではない……自ずから鬼にならないならば……斬り捨てるまで」
廃灰……似ているが同じではない、同族嫌悪と同時に、自分とは違うものへの忌避を感じさせる相手。そして縁壱の後継者を殺して、関節的にでも自分を縁壱に勝たせてくれる弟子。
彼がいたことで勧誘への意欲がやや欠けていた黒死牟は、一息に斬ろうとする。
「死とはそれ即ち宿命……お前がここで私に斬り捨てられるのも……所詮それまでの男だったということ……」
そこまで言った瞬間、突然黒死牟の姿が霞のように掻き消え……
「お前も……そう……思わんか……?」
「なっ!?」
隠れて隙を伺っていた栗花落カナヲの、少女故の身軽さを活かした斬撃は虚しく空を切る。
直後、彼女の顔……右目の辺りが深々と斬り裂かれた。
「ぐぅううう!?」
「栗花落さーーーん!!」
「女とはいえ……刀を握っている以上……一人の剣士として扱おう」
構え直し、カナヲにトドメを刺そうとする黒死牟。無一郎は助けに行こうともがいているが、すぐには脱出できそうにない。
「まずい、目が……!」
カナヲは自分の目など仲間や姉の命に比べたら気にしない。だが右目が斬り裂かれ、距離感が一瞬掴めなくなる。終ノ型は今使ったら後が続かない。上弦の弐とは渡り合う自信があったカナヲにしてみても、上弦の壱は予想以上の大敵だった。
「風の呼吸、肆ノ型 昇上砂塵嵐!!」
直後、風のような剣戟が吹きすさび、黒死牟を後退させる。
「……風の柱か」
「その通りだぜ、テメェの頸をォ、捻じ斬る風だァ」
現れたのは風柱、不死川実弥。右目からダラダラと血を流すカナヲを見て、実弥は激昂する。
「よくもカナエの忘れ形見を傷つけやがったなクソがぁ!!! 許さねェぞ目玉野郎!!」
「……大丈夫ですか、カナヲ?」
「姉さん!」
そして現れたのは実弥だけではない。いつの間にか無一郎を助けていた蟲柱、胡蝶しのぶが、カナヲの傷を覗き込んでいた。無一郎の傷も応急処置ではあるが手当されており、ただ止血しただけの先ほどまでより調子が良さそうだ。
「ほう、兄弟姉妹で鬼狩りとは……懐かしや」
「不死川さんの言葉と重複しますが……よくも妹の目を潰してくれましたね」
「姉さん、私の目なんかどうでもいいの! ひょっとして恋柱様は……!」
「……貴女の想像通りです。彼女は吸収効率が高かったので、藤の花の毒を摂取して頂きました」
それを聞いて複雑そうな表情を浮かべるカナヲ。仇を自分たちの手で討てなかったが、そのおかげで姉はわざと吸収されずに済んだ。しかしそのせいで仲間が死んだ。自分が藤の花の体質になれれば、甘露寺は死なずに済んだかもしれない。
だが今は後悔している暇はない。下手をしなくても宿敵である上弦の弐以上に危険な上弦の壱が目の前にいるのだ。
「柱三人に継子一人か」
応急処置された腕の斬り口を見ながら、無一郎は冷静に分析する。上弦を柱三人分と仮定した場合、数字の上では鬼殺隊側がわずかに有利。だが柱と一口に言っても差がある。
紛うことなき天才だが経験が浅い無一郎、頸を斬れないので鬼殺の手段を毒に依存しているしのぶ……上弦を相手にするには、些か相性が悪い。
ましてや相手は上弦の壱。無惨の血の力を最も多く分け与えられた鬼なのだ。
(悲鳴嶼さんがいれば……っていうのは贅沢な上に弱気だな。いる人材でやるしかないんだ)
泣いても笑っても四人。他の仲間の状況は分からないが、恐らくはこれ以上鬼殺隊は戦力を割けないだろう。決意を胸に日輪刀を構えて黒死牟に向かっていく四人。
「月の呼吸、伍ノ型……月魄災渦」
「ちぃ、振り抜かずに斬撃を飛ばせるのかよ!」
四人それぞれが回避行動を取る。しのぶと実弥は必要最低限の動きで避けてすぐに黒死牟と戦っているが、経験の少ない上に手負いの無一郎とカナヲは大きく動いて避けてしまっている。
「ほう、私の動きについて来るか……風の柱……お前を討ち果たせば……残りは容易くすみそうだ」
「はっ! 過分な評価ありがとうよォ!」
さらにしのぶも恵まれない体格のせいで真っ正面からぶつかり合うことができず、ほとんど実弥が一人で切り結んでいた。しのぶの刀による、それ自体は致命傷にならない刺突もしっかりと防ぐせいで、毒の注入もできない。
どんどん実弥の体に細かい裂傷が増え、出血量が増えていくが……しばらくすると、黒死牟の動きが鈍る。
「これは……?」
「猫に木天蓼、鬼には稀血……オイオイどうした? 千鳥足になってるぜ! 上弦にも効くみてェだなぁこの血は!」
実弥の血は稀血。鬼殺隊に入る前、ずぶの素人時代に生き残れたのは、この稀血の性質によるところが大きい。
「俺の血の匂いで鬼は酩酊する、稀血の中でもさらに稀少な血だぜ! 存分に味わえ!!!」
「今こそ反撃の機! 一気に畳み掛けますよ!」
「はい! 師範!」
しのぶ、さらには追いついたカナヲと無一郎も加わっての、四つの呼吸、四つの刀による総攻撃。
「風の呼吸、漆ノ型……勁風・天狗風!」
「蟲の呼吸、蜻蛉ノ舞……複眼六角!」
「花の呼吸、陸ノ型……渦桃!」
「霞の呼吸、伍ノ型……霞雲の海!」
「ぬうぅ……!」
たまらず防御した黒死牟の着物の袖が、斬撃を受けて破れた。通じる。四人がかりならば上弦の壱にも勝てる。そう確信した面々がより一層日輪刀を握る手に力を込める。
「まだだ! 油断するな! 頸を斬るまでは、頸を……!」
「そうだ、その通りだ」
次の瞬間、常識的な刀の範囲にはいなかったというのに……黒死牟の攻撃が届いた。
「着物を裂かれた程度では……赤子でも死なぬ……」
黒死牟のとてつもなく長い刀……虚哭神去の真の姿を解放した際の一撃。たった一撃で四人を壊滅させる程の威力が込められた斬撃はしかし、黒死牟が思っていた程の戦果を上げなかった。
「え……?」
カナヲの頬に、生暖かい液体が触れた。鬼殺隊として戦っていく中で何度も触れてきたもの……血。
黒死牟の攻撃に全く反応できず、ここまでかと思われたが、なぜかカナヲは無傷だった。一番重傷だった無一郎もそれ以上の怪我は負っていないし、実弥から流れる稀血の量も増えていない。
「しのぶ姉さ、ん……?」
「ご、ぽ……!」
胡蝶しのぶが両手を広げ、黒死牟の攻撃をほとんどその身に受けていた。
「姉さぁあああああああん!!!」
カナヲは頭が真っ白になった。目の前に敵がいるのに、しのぶを抱き抱えて後退してしまう。
「ちくしょう……ちくしょうちくしょう!! なんで庇ったんだよしのぶ!? 俺は、俺はカナエの忘れ形見すら……!!」
「上弦の壱ぃいいいい!!」
しのぶが盾になったことで無傷だった実弥と無一郎が叫びながら黒死牟と切り結ぶ。目の前で仲間を切り刻まれた二人の技量は益々冴え渡り、一時的にせよ互角に渡り合っている。圧倒的なリーチの差も、一度踏み込んでしまえば致命的なものではない。
「即死しない、とは……私も甚だ……悪運が強いですね」
「姉さん、喋っちゃダメ!」
しのぶを連れて後退した後、服の裾を破いて必死に止血するカナヲ。何とか溢れる血は止まったが、傷が治ったわけではない。衰弱していくのを止められない。
「止血は……終わりましたか……?」
ちょうど止血が済んだ時にしのぶが、血を口元から垂らしながら尋ねる。自分の身を顧みないしのぶが、手遅れと分かっていながら治療するカナヲを止めない。そのことになぜか……カナヲは嫌な予感がした。
「止血が済んだならば……貴女にはやらなければならないことがあります」
「ぁ……」
それだけで分かった。分かってしまった。なぜしのぶが上弦の壱の攻撃から自らを盾にしたか。どうして『それが一番効率が良い』と判断したのか。姉妹の育んできた絆が、阿吽の呼吸が、しのぶの望んでいることを理解したくもないのに分からせられる。
「で、できない……私にはできないよ……!」
「できないではありません。やりなさいカナヲ。鬼殺隊の一員として、責務を果たしなさい」
首を横に振って姉にすがりつくカナヲ。そんな妹を、しのぶは地に倒れながらも毅然とした態度で叱責する。
(カナエ姉さん……?)
そんなしのぶの凛々しい姿に、もう一人の姉の姿を幻視するカナヲ。呆然とする妹に、しのぶは表情を和らげてふわりと笑う。
「私を、甘露寺さんに命をかけさせておいて、自分は逃げる卑怯者にはしないで。私を……上弦の壱なんかに殺させないで」
「う、うう……うぁああああああああああああああ!!!!!」
カナヲは絶望と悲壮感に満ちた渇いた叫びをあげて……しのぶの腹部に、日輪刀を突き刺した。
「それで、いいの……」
しのぶは優しく微笑み、カナヲの涙をそっと拭う。止血のおかげで先ほどの傷口から血が大量に溢れることはない。血が無為に床に散らばることはない。
「辛い役目を押し付けて……ごめんなさい……」
そしてぎゅっと、妹を抱きしめた。感極まったカナヲも、力の限り抱きしめ返す。けれどやがてその身から力が抜けていく。暖かさが消えていく。
介錯とはいえ自分自身が姉の、何よりも守りたかった人の命を奪ったことに、顔を涙で濡らしながら……カナヲはしのぶの腹部から日輪刀を引き抜く。
「ごめんなさい、ごめんなさい姉さん……! 絶対に、姉さんの血を無駄にしないから……!」
しのぶの血でべったりと濡れた日輪刀を拭いもせずに、カナヲは黒死牟へと突撃する。
「あぁぁあああああ!!」
実弥と無一郎との打ち合いの片手間にカナヲの攻撃を防ぐ黒死牟。だが、次の瞬間……彼の刀はボロボロと崩れ出した。
「なにっ、これは……!?」
「でええぇりゃああああ!!!」
武器を失った一瞬を見逃さず、実弥と無一郎は刀を✕状にクロスさせて黒死牟に一気に斬りかかる。
「ぐっ、が……!」
着物ではなくその身に、初めてまともに斬撃を喰らった黒死牟は、たたらを踏んでよろめきながら後退する。
「逃がすか!!」
「待ってください霞柱様、風柱様! 今無理に攻めても仕留められません! お二人は姉さんの所に!!」
「ああ? 何言ってんだおま、え……」
ようやっと上弦の壱が見せた隙に、一気に斬りかかろうとした二人を止めるカナヲ。訝しげに眉をひそめながら実弥がカナヲに目を向け……ベッタリと血に濡れた刀を見て絶句する。
「栗花落お前、まさかしのぶを……!?」
「姉さんの体には、藤の花の毒が染みこんでました」
ギリ、と奥歯が折れるのではないかと思うほど強く歯を食いしばりながら、カナヲが絞り出すように語る。それを聞いて実弥と無一郎も……しのぶの血で濡れた日輪刀が黒死牟の刀を砕けた理由を知った。しのぶがその身を盾にしたのは……『新たな武器』を他の三人に渡すためだった。
「本当はわざと上弦の弐に吸収されて弱らせるはずだったけど……そうならなかった。代わりに……」
左目から涙を、先ほど斬られた右目からは血の涙を流しながら、悲壮な表情で日輪刀を構える。
「姉さんの血を、力を纏ったこの刀で……お前を討つ!! 上弦の壱!!」