無限城最奥。無惨が珠世から受けた毒を分解している部屋では……いよいよ珠世が無惨に吸収されようとしていた。
取るものもとりあえず、慌てて来ると予想していた餌たちは来なかったが、それでも無惨は上機嫌だった。
「ふむ、どうやら指揮を取っている人間は相当優秀らしい。中途半端な戦力を送って私の力が増すのを嫌ったか……或いは、先行部隊を組む余裕もなかったか」
無惨の推測はどちらも正解だ。
本来なら毒を分解しきっていないうちに無惨を攻撃するはずだった先行部隊は、猗窩座への最後の一押しに向かわせてしまった。
それに加えて総合的に考えて柱やそれに準ずる戦力抜きの攻撃はただ無惨の餌になるだけで無駄と判断したのも事実である。
「どちらにせよ、鬼狩りから見捨てられた気分はどうだ? 珠世よ」
「わたしの……夫と子供を……返せ……」
「ふん。ならば今すぐ死んで、己が殺した身内の元へ行くがいい」
あいも変わらず同じような恨み節をぶつけてくる珠世に、無惨は興味を失ったかのように鼻を鳴らして、最早半分ほどの顔部分しか残っていない彼女を、完全に吸収した。
そして、毒を分解する為の繭からゆっくりと現れた無惨の姿は……体中から口が生え、黒かった髪は白い長髪になっていた。
「誰も彼も役には立たなかった。鬼狩りは今夜潰す」
「カァーー! 上弦ノ壱トノ戦闘ニヨリ、胡蝶しのぶ、時透無一郎、不死川実弥、死亡! 栗花落カナヲ、戦闘継続不能!」
「上弦ノ壱、死亡確認!! 竈門炭治郎、上弦ノ伍ト戦闘開始ィ!」
伝令係の鎹鴉が忙しなく飛び回り、鬼殺隊たちに戦況を伝える。
上弦の陸、参、弐に続き、壱を撃破したというのは本来なら朗報だ。これで無惨への道を阻む上弦はほとんど消えた。
だが……その犠牲もまた、大きかった。
「兄貴が……上弦の壱に、殺された……!?」
上弦の肆、鳴女と対峙していた玄弥は、兄の戦死の報を聞いて目を見開く。
「お、おい玄弥……」
「フゥウウ、フウゥウウウ!!」
怒りに身体を震わせる玄弥。今まで柱が無惨を攻撃するまでの時間稼ぎに徹していたが、怒りに任せて銃を鳴女に、何も考えずに向けようとした時……
「不幸面をするな」
愈史郎が玄弥の襟首を掴んで無理矢理動きを止めた。
「ぐっ!」
「ち、ちょっと、お前も止めろって……」
「コイツが今あの鬼を全力で攻撃したら、この城の制御を奪う作戦が台無しになる……柱がこっちにもいたらもう少し楽だったろうがな」
「うる、せぇ……お、まえらに……俺の、何が、分かるんだよ……! 母親も……弟も妹も……兄貴まで、俺は……!」
ギリギリと襟首を締められながらも、射殺すような視線を愈史郎に向ける玄弥。
そんな玄弥に対して苛立たしげに舌打ちした愈史郎は、襟首を掴んだまま玄弥を引き寄せてその目を間近で見据える。
「俺だって大切な人が殺された……今、この瞬間にな」
底冷えするような低い声でそう言った愈史郎に、ハッと目を見開く玄弥。
自分の襟首を掴む腕がプルプルと震えているのは、力を入れすぎているからだと思っていたが……愈史郎もまた、身を焼き尽くすような怒りの激情を感じているのだ。
「不幸比べは好かんが、そこの奴らだって身内を殺されているんだろ」
それでいてなお、愈史郎も鬼殺隊士たちも、全体の為にその怒りを抑えている。殺傷能力の低い空間操作の鬼相手に、柱が無惨を攻撃するまでの時間稼ぎ兼目眩ましという地味な役回りでも、精一杯こなしている。
「自分の憂さ晴らしを優先して、無惨を討つ好機を棒に振るつもりか?」
しばらく目を見開いたまま固まっていた玄弥だが……ガクリと項垂れると、絞り出すようなか細い声を出す。
「すまねぇ……俺が冷静じゃなかった」
「ふん。だが心配するな、すぐ無惨と戦う時が来る……嫌でもな」
そして、時は収束していく。
「遅かったか……すまない、珠世殿」
岩柱、悲鳴嶼行冥。
上弦の陸との戦いをほとんど一瞬で終わらせた彼が、無惨の元へ一番乗りをした。
それはまるで、産屋敷邸の再現。
「今こそ好機……!」
鬼殺隊最強戦力でありながら、上弦との戦いにほとんど参加できなかった。そのせいで甘露寺やしのぶ、実弥や無一郎が死んでしまった。ならばこそ……本丸との戦いで出し惜しみをする理由がない。
悲鳴嶼はすぐに全身に力を込め、痣者に覚醒する。
鬼殺隊最強とはいえ一人の人間。本来なら警戒するに値しない。だが、相手が痣者であれば話は別だ。ましてや産屋敷邸での苦い記憶が新しく、毒から復活したばかりの無惨は多少なりと警戒の姿勢を見せる。
それでなくともまた妙な血鬼術を使う人間側の鬼がいないとも限らない。
そうして無惨の警戒が自らの周りに集中し、他の鬼の監視がわずかに緩んだ瞬間。
「カァーー!!! カァーー!!! 作戦開始ィ!!」
「よし、お前ら適当に騒いで奴の注意を逸らせ!」
透明の血鬼術の札を自らに付けた愈史郎が、鳴女へ向かっていく。
無惨の注意が逸れているうちに、鳴女の脳を破壊して無限城の制御を奪わなければならない。
鳴女は、これまで散発的に銃が来るだけだった物陰から、急に複数の隊士が猛然と飛び出てきて僅かに驚いたが……柱でもない一般隊士程度、落ち着いて対処する。
「おわっ!?」
「止まるな、走れ走れぇ!!!」
血鬼術で高所や足場のない空間に転移させられるが、刀を支えにするなどしてすぐに体勢を立て直し、再び猛然と鳴女へ迫る。
だが、戦闘能力は低いとはいえ上弦の肆。一般隊士では陽動とはいえ荷が重い。余裕を持って隊士を次々と転移させられ、近づけない。
虚をついた攻勢によって得た多少の精神的優位も、時間が経つことによって失われていく。
(やべぇ、ここで躓いてちゃ話にならねぇってのに!)
玄弥の胸中に焦りが溜まっていく中、踏み込んだ時に砕けた床の木材が玄弥の口に入る。
無意識に吐き出そうとした玄弥だが……
(木……? それに、上弦の肆……半天狗とかいう鬼と、同じ……この城も、奴の血鬼術……)
電流の如き閃きが走る。直後、玄弥は床に這い蹲ると、木の床を……『無限城』を、食べ始めた。
「えぇ!? 玄弥、何してんだ!? 腹減ったの!?」
「うるせぇ!」
困惑する仲間の声を無視して無限城を咀嚼し続ける。腹の中に入れる度に体中が熱く脈動していく。
そう、これはただの木材ではない。血鬼術で生み出された木だ。ならば半天狗の時と同じように……喰って自らの力に変えることができる。
「喰らい、やがれぇえええええ!!!!」
玄弥の銃がビキビキと蠢き、目玉が浮かび上がる。血鬼術に侵食されていく。だがそれでいい。これこそが呼吸の使えない自分の選んだ戦い方だ。
「血鬼術!!」
玄弥の銃から放たれた弾丸は、琵琶の音色によって見当違いの場所へ着弾する。だがその直後……弾痕から巨大な木が生えてきて、鳴女を拘束する。
「……っ!?」
「よし、でかした!」
鳴女の身動きが取れなくなっているうちに、気配を消してにじり寄っていた愈史郎が鳴女の後ろを取った。
「これで終わりだ! 無惨を朝までこの城に閉じ込める!!」
そして、愈史郎の腕が鳴女の頭に突き刺さる。
ビクンビクンと体を震わせる鳴女。だが流石は上弦の肆というべきか、狂ったように琵琶を掻き鳴らしながら愈史郎の攻撃に耐えている。
「くっ、この糞アマァ!!」
木を足場にして鳴女と愈史郎に駆け寄った玄弥は、叫びながら鳴女に噛み付いて血を啜りだした。
「っ!? 半鬼、止せ! コイツは上弦だぞ! それだけの血を飲んだら……!」
「黙って集中してろ!」
「鳴女……!?」
鳴女の異変に気づいた無惨。すぐに鳴女を殺して万が一にも城の制御を奪われるのを防ごうとする。
「岩の呼吸、参ノ型……岩軀の膚!」
「ええい、鬱陶しい!!」
だが執拗に邪魔してくる悲鳴嶼の鉄球により、狙いを定めにくい。こちらの触手は紙一重で躱される。上弦戦でほとんど消耗していない万全の鬼殺隊最強は、無惨にとっても倒される心配こそなくとも厄介な相手だった。
鉄球の攻撃に晒されながら、雑に狙いを付けて鳴女を処理しようとしたが……その狙いは逸れた。
「がっはぁ!!」
玄弥の頭と鳴女の頭が半分ずつ吹き飛ぶ。
鬼の血を接種し続けて鬼になりかけている玄弥の気配と鳴女の気配が混じり合い、鳴女を狙った無惨の呪いがほんの僅かに逸れたのだ。
無惨はすぐに改めて鳴女にトドメを刺す。彼女の頭がグチャグチャに飛び散り、無限城は崩壊を始めるが……
「よくやった玄弥……お前の稼いだこの一秒で、主だった鬼殺隊を一斉に無惨の元へ送る!!」
無惨を夜明けまで無限城に閉じ込めるという最善の結果こそ得られなかったが、愈史郎とてそう上手くことが運ぶとは思っていない。
あのまま鳴女を殺されていたら、鬼殺隊士たちを地上にバラバラに飛ばさざるを得なかった。そうなれば戦力の逐次投入の愚は避けられなかっただろう。
だが、玄弥の活躍により……バラバラに行動していた柱やそれに準ずる者たちを、一箇所に集めることが出来た。
その上で戦力的には劣るが透明化の札を持っている者は、無惨から少し離れた所に集結させた。
これにより……鬼殺隊士たちは、いよいよ宿敵と相見える。
「あ、アイツが……鬼舞辻無惨!?」
「我妻、落ち着け」
「いや俺は落ち着いてるけど……ってヒィイイィィ! 落ち着けと言いつつこの人めっちゃ青筋立ててるーーー!!!??」
「……行くぞ、伊之助。罪を赦す前に……まずは元凶を潰す」
「俺様の新たな技を見せてやるぜ!」
悲鳴嶼行冥に加え、冨岡義勇、伊黒小芭内、我妻善逸、嘴平伊之助。
以上5人が、無惨と正面から戦い得る人材。頭を吹き飛ばされた玄弥はまだ戦線には復帰できない。炭治郎とカナヲは上弦の伍との戦闘に入った後、鴉でも行方を掴めていない。
上弦との激しい戦いを潜り抜けてきた鬼殺隊たちの殺意の籠もった視線を受けた無惨は、億劫そうに口を開く。
「しつこい……お前たちは本当にしつこい。飽き飽きする。心底うんざりした。口を開けば親の仇、子の仇、兄妹の仇と馬鹿の一つ覚え。お前たちは生き残ったのだからそれで十分だろう。身内が殺されたから何だと言うのか。自分は幸運だったと思い元の生活を続ければ済むこと」
「いや、だっていつまた襲われるか分からないじゃん……ねぇ冨岡さん」
「我妻、少し黙っていろ」
「私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思え。何も、難しく考える必要はない。雨が、風が、山の噴火が、大地の揺れが……どれだけ人を殺そうとも、天変地異に復讐しようという者はいない」
「ケッ、山の猪だって、氾濫しそうな水辺のすぐ近くには住処を作らない程度の対策はするっての」
「そういうことだ。貴様には復讐という言葉ですら生温い。これから俺たちが行うのは……単なる対策、駆除作業に過ぎん」
「死んだ人間が生き返ることはないのだ。いつまでもそんなことに拘っていないで、日銭を稼いで静かに暮らせば良いだろう。殆どの人間がそうしている。何故お前たちはそうしない?」
「死者が蘇ることはなくとも、無念を晴らし、安らかに眠ってくれることを祈ることはできる。戦う理由など、それで十分だ」
「違うな。理由は一つ……鬼狩りは異常者の集まりだからだ。異常者の相手は疲れた。いい加減終わりにしたいのは私の方だ」
主だった鬼狩りの戦力を同時に相手にするのは骨が折れるが、逆に考えれば一度で憎い鬼狩りを殲滅できるとも考えられる。
無惨が全身から触手を生やし、鬼殺隊たちへ向けようとした時……彼の脳内に声が聞こえてきた。
『発言をお許しください!! 僕の血を貴方の血にする許可を!!』
それは、唯一生き残った上弦……廃灰からの要請であった。
『廃灰か……よくぞ日の呼吸の継承者を殺し、我が長年の溜飲を下げた。褒めてつかわそう』
『ならば僕の血を!!』
『だが、それとこれとは話が別だ。私が本来は鬼を増やしたくないというのは知っているだろう。鬼狩りを潰し太陽も克服できる今、君の見立てとはいえ鬼を増やすつもりはない』
敵のまともな戦力はたったの五人。一人か二人は休息なり潜伏なりしているかもしれないが、それも大したことはないだろう。
最早憂慮すべき事態は何もない。この土壇場でわざわざ鬼を増やす必要などない。
『しかし!!』
『しつこい。私は忙しいのだ』
一方的に念話を切られた廃灰は、ぼうっとしたまま左手首を爪で切り裂くと、炭治郎の顔にビチャビチャと血をかける。
「どうしよう……ねぇ兄さん、どうすればいいと思う? 兄さんだってこんな終わり嫌でしょ?」
無惨の許可を得ていない以上、その行為には何の意味もない。炭治郎が蘇ることはない。
「やっぱり今のうちに姉さんを捕まえるべきかなぁ……それかいっそ姉さんを殺して、兄さんを鬼にすれば太陽克服するかもって言うとか……」
そんなことをつらつらと述べていた廃灰だが……背中に走った僅かな違和感に、億劫そうに振り返る。
「これ以上……炭治郎を、弄ぶな……!」
視力が落ち、日輪刀も失い、傷だらけの体を引きずりながら、廃灰に近寄ったカナヲが、廃灰の着物を掴んでいた。
「まだいたんですか? 貴女にもう用はないんですけど」
「あぐっ!」
ほんの少し力を込めて振り払うだけで力なく崩れ落ちるカナヲ。それでも、地に這いながら炭治郎が持っていた自らの日輪刀に必死に手を伸ばす。
「せめて兄さんと同じ場所で殺してあげますよ」
「ダメ……せめて上弦の伍だけでも、ここに足止めしないと……みんなが、無惨を、倒す、まで……!」
「随分、夢見がちな乙女ですね」
カナヲの細い首を持ち上げる廃灰。別に力を入れずとも、これだけで首が絞まってそのうち死ぬだろう。
カナヲは苦悶の表情を浮かべながらも、廃灰を鋭く睨み付け続ける。
「力が欲しい、って顔ですね。僕も、今を変える力が欲しかったっけ……でも鬼にでもならない限り、人はそう簡単に変われな……」
突然言葉を止めた廃灰は、カナヲを絞めていた手を離した。激しく咳き込むカナヲ目に入らずに、何かブツブツと呟いている。
「そうか、変わればいいんだ。あの人が頼れないなら、僕が僕自身を望む形に変えるしかない……幸い、変わりかけの姿は知ってる」
廃灰は炭治郎が死してなお握っているカナヲの日輪刀をゆっくりと抜き取る。
「猗窩座さんも黒死牟さんも、あと一歩の所で逃した進化、革命、変革……それを、今の僕ならできる」
廃灰は倒れたカナヲの手を取って、その手に無理矢理日輪刀を握らせると……自らの頸にあてがった。
「何の、つもり……?」
「僕が憎いでしょう? ほら、さっさと斬ってくださいよ」
「ふざ、けないで……何かに、利用するつもり、なら……その手には、乗らない」
「そうですか……あ、そういえばなんですけど」
カナヲに日輪刀を握らせた体勢のまま、廃灰は彼女の耳元で妖しく囁いた。
「……黒死牟さんの部屋にあった死体、どうしたと思います?」
気がつけばカナヲは、日輪刀を一気に振り抜いていた。直後、しのぶの遺体に手を出していたら、毒に苦しんでいるはずだというのに気付く。
謎の自殺行為によって、廃灰の頸は落ちていく。
────あなたは……翼を手にしましたか?
「妙な形だけど……でも、仇は取ったよ……炭治郎」
────人は翼を持つと……自由になれるんですか?
「……え?」
カナヲは信じられないと同時に、見覚えのある光景を目にする。頸を落とされた廃灰の血が止まり……ゆっくりと、頭部が再生していく。
「なに、これ……」
先ほどの黒死牟と違い、顔には大きな変化は見られない。その代わり、その背中からは……
「片翼の……灰羽……?」
「灰羽というより廃羽……かな」
片方だけの、歪な翼が生えていた。その翼をバサッ、と翻す廃灰。
「僕は……鬼を越えた」
鴉のように漆黒でもなければ白鳥のように純白でもない灰色。そして……今にもボロボロと崩れ落ちそうな、見ていると思わず切なくなるような……廃れた羽。
「僕こそがあの方を……無惨さんを超える……真の鬼の王だ」
────私には……翼は見えていますか?