炭になれなかった灰   作:ハルホープ

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夜明け

「なんだ、姉さん……もうほとんどただの人じゃないか」

 

「灰里……」

 

「心配しなくても姉さんと兄さんは生かしておいてあげるよ」

 

 三つ巴、というには禰豆子は無力過ぎた。最早血鬼術も使えず、人よりは多少丈夫という程度。時間が過ぎれば過ぎるほどただの人間になっていくだろう。それでも、この戦いに割って入らなければならなかった。

 

「ごめんね……灰里が悩んでいるのを知ってたのに、そういう年頃だからって、無視してた」

 

「今さらどうでもいいよそんなこと。実際僕の悩みなんて大したことじゃなかったさ。多分同じような人はたくさんいるよ」

 

 鬼化した炭治郎はまだ動かない。変化した直後でまだ自意識がないのだろう。

 

「でも確かに……僕にとっては生きづらい世の中だった。きっと何者にもなれない人生だった」

 

 いざ戦いが始まれば獣のように暴れ狂うだろうが、それまでは自分から動くことはないだろう。

 

 

「一生懸命生きてる人は偉いけど、でも、とても馬鹿らしくも見えた。そんなに必死に生きて何になるんだろうって」

 

 それが分かっているから、灰里は姉に語りかける。

 

「だから僕は全部を壊すよ。そうだ、こんな人を超えた力を持ちながら、やることが人に紛れて暮らすだなんてあり得ないよ」

 

「確かに私たちは必死に生きて、必死に死ぬことしかできない。でも、だからってそんな私たちから、必死に死ぬことまで奪うの?」

 

「僕はたまたま力を手に入れただけの子供だけど、だからこそ僕が全ての生きづらい人たちに代わって、力を手に入れることもなく、ただ生きるしかない人に代わって……この世界を壊す。子供の我儘と止めるなら止めればいいさ」

 

 そんな我儘程度で壊れる世界なら壊れてしまえばいい。文明開化も大正浪漫もくだらない。ただ何も考えず、生きるために生きていた原始の時代になるまで日本を、この翼で海すら越えて世界を壊す。

 しかしそう語る灰里を、禰豆子は悲しげな瞳で見ている。

 

「灰里、それが本当に灰里の望みなの? 違うよね、ただ引っ込みが付かなくなってるだけだよね。確かに灰里はもう戻れない。でも止まることはできるんだよ?」

 

「うるさいなぁ……この期に及んで説教? ちょっと黙っててよ」

 

「きゃっ!?」

 

 億劫そうに呟いてから、パン、と乾いた音。灰里が平手で禰豆子の頬を強く張ったのだ。

 

 手加減しているとはいえ、あくまで死なない程度。禰豆子はその一撃で力なく倒れ込む。打たれた頬は赤く腫れ、口から吐いた血が灰里に飛び散った。

 

「あー、ごめん姉さん、やりすぎたよ。でも姉さんが弱すぎるのもいけないんだよ?」

 

 白々しくそう言いながら、形だけ気遣うように、禰豆子を立ち上がらせるために手を伸ばそうとする。

 

 

 

 

「伊黒……俺はあの時、『違う』と思った。今までの鬼になった奴らと禰豆子は、何かが『違う』と」

 

「どうした、急に?」

 

「それはあの時……抵抗する炭治郎を気絶させて、禰豆子を殺そうとした時……禰豆子が炭治郎を守ろうとしたから」

 

 

 

 灰里が手を伸ばした先では。

 

 

「やっぱり、お前たちは……違うんだな」

 

 

 

 炭治郎が腕を広げて、禰豆子を庇うように立っていた。

 まるで、あの雪の日、全ての始まりの日……炭治郎を庇った、禰豆子のように。

 

 

 

 

「素晴らしい……素晴らしいよ兄さん!!!!」

 

 灰里の背にゾクゾクとした快感が走る。

 

「流石は僕らの兄さんだ!!」

 

 興奮のままに炭治郎に詰め寄る灰里。翼によって以前よりさらに加速した灰里はしかし、炭治郎に蹴り飛ばされる。

 

「ぐっ!?」

 

 

 

 灰里は鬼になってから、最初のうちはカナヲや伊黒といった強者に苦戦することもあったが、どちらかと言えば鬼の圧倒的優位性にものを言わせて楽に殺してきた。

 炭治郎が相手でも、精神的にはともかく本気で戦ったら負ける気はしなかった。

 だが今の炭治郎は違う。鬼となった炭治郎は、無惨すら超える強さを身につけていた。

 

「自意識もろくにないのに、やるね兄さん……ああ、でもそうだ、こうやって何も考えず考えさせず、兄さんと喧嘩してみたかったんだよ!」

 

「ぅがぁあああああ!!!!」

 

「月に映えるヒノカミ……明けの神楽!!」

 

 炭治郎が鬼としての身体能力に任せて獣のように戦い、灰里が父と師から受け継いだ全集中の呼吸で舞う。

まるで善と悪が逆転したようだった。

 

「禰豆子、危険だ! 下がれ!」

 

「冨岡さん、私は大丈夫です!」

 

 炭治郎も灰里も、近くで戦いを見届ける禰豆子を極力巻き込まないようにしながら戦っていた。とはいえ炭治郎のそれは無意識であり、灰里は死なない程度に意識しているだけだ。危険なことには変わりはない。

 

「月の呼吸、伍ノ型……月魄災渦! ヒノカミ神楽、日暈の龍・頭舞い!」

 

 刀を振らずに発生させた月輪を纏いながら、龍がうねるように駆けての斬撃。

 炭治郎は月輪に切り裂かれるのをものともせずに、灰里の刀を受け止める。

 

 

「なにっ!?」

 

「うがぁあああああ!!!!」

 

 ぶん回し。そうとしか言いようのない動きで、刀ごと灰里を投げとばす。

 

 

「これは少し……想像以上かな」

 

 近くの建物にぶつけられた灰里だが、すぐに立ち上がって再び炭治郎に向かっていく。

 

「月の呼吸、拾陸ノ型……月虹・片割れ月! ヒノカミ神楽、斜陽転身!」

 

 月と日、それぞれの型の、上空からの斬撃の型を同時に放つ。

 炭治郎は上からの攻撃に対応できずに両腕を斬り落とされる。腕が再生するまでの一瞬の隙きをついて、斬撃を隠れ蓑に背後から飛んできていた血の刃が、炭治郎の頸を斬り落とす。血鬼術による攻撃では頭部もすぐに再生するが、問題ない。

 

「本命は、こっちさ!!」

 

 これは隙を作る為の、言うなればジャブ。灰里はその辺りに大量に落ちている日輪刀を蹴り飛ばし、炭治郎の頸を狙う。

 

「ゔ、あああああああ!!!!」

 

 炭治郎は頭部が再生していないが危機を感じ取ったのか、見えていないままの足払いで石礫と土煙、そして衝撃波を放つ。

 

 それによって灰里の投げた日輪刀は逸れた。と同時に頭部が再生して視力の戻った炭治郎の目に、黒い日輪刀が映る。

 

「殺しはしないけど、自分の武器でダルマになるがいいさ!」

 

 だが、灰里の剣技はあくまで素人だ。ヒノカミ神楽の動きを真似るのに都合がいいから血で刀を象った武器を使っていただけで、黒死牟もわざわざ鬼が本物の刀を使うことはないだろうと、剣術までは教えなかった。

 

 雑に振るわれただけの日輪刀は炭治郎には当たらず、必要以上に振りかぶって隙だらけだった灰里の横腹に、炭治郎の拳が突き刺さる。

 

「がっ!?」

 

 さらにもう一発、と炭治郎が再び拳をめり込ませるが、灰里は肉弾戦には付き合わず、バックフリップで距離を取る。そして着地はせずに、片翼をはためかせて空中に浮いた。

 

「あー、鬼同士の戦いは決着が付かないから無意味って聞いたことあるけど、確かにそうだね」

 

 一進一退、といえば聞こえはいいが、ようするに互いに決め手がないのだ。これならば例え力は弱くとも人間の頃の兄と戦っていた方がヒリついて楽しかった。

 

「流石に飽きてきたよ。こんなことを鬼狩りはやってきてたんだね。ご苦労さまというか、よくやるというか」

 

 灰里は炭治郎から目を逸らして、徐々に白んできている空を見上げた。

 元々鬼殺隊は無惨と戦っていた時点である程度朝は近づいていた。いよいよ、朝が来たのだ。

 

「時間切れ、か。僕は行くよ。兄さんや姉さんが世界を守るなら、今日また陽が沈むまでに僕を見つけてみるといい」

 

 灰里は広げた翼を畳んで自分の体を包む。ついつい朝日が昇るギリギリまで戦ってしまったが、こうすれば身を守れる。

 

 そのままとりあえず太陽を凌げる所に行こうとしたその時、炭治郎と戦っている間はほとんど視界に入れていなかった禰豆子を見ると……禰豆子は長い爪を灰里に向けていた。

 

 

 

 

「お姉ちゃんを……甘く、見るなぁああああ!!!!」

 

 最後の最後、完全に人間に戻る前の一瞬に、禰豆子は血鬼術を発動させた。

 

 爆血、文字通り血を爆発させる血鬼術によって……先ほど叩かれた時に灰里に飛び散っていた血が、一斉に爆発する。

 

 

 

「しまっ……!」

 

 爆発によって翼は吹き飛んだ。爆血の性質のせいですぐには再生しない。爆風で地面に叩きつけられる。

 

 この程度、灰里には多少の足止めにしかならない。だが、今の、朝日が今まさに出ようとしている今だけは、その一瞬が命取りになる。

 

 以前、普通の鬼ならもう少し時間に気をつけていただろうが、進化によって灰里は傲っていたのだ。

 

 

 もっと言えば、彼は最早、太陽すらも克服できると思っていた。自分は鬼を超えた存在だ。鬼である姉が太陽を克服できたなら、鬼の王である自分も克服できないわけがない。

 意識的にせよ無意識にせよ、そう高を括っていたのである。

 

 

 

 

 そんな傲りを討たれて翼を失い、地に伏した灰里に、太陽の光が襲いかかり……

 

 

 

 

「ぐ、があ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」

 

 

 

 灰里の濁った叫びが、周囲に響き渡った。

 

 

「うぐうおぉっ……! ぁ゛……ぐぁ゛…………!」

 

 

 だが死にはしない。悶え苦しみのた打ち回りながらも、灰にはなっていない。確かに灰里は太陽を克服してはいたのだ。

 それは灰里の期待していたような完全なものではなかったが。

 

「ゔああああああ!!!」

 

 当然、炭治郎にも陽の光がサンサンと降り注ぐ。が……

 

 

「炭治郎っ! ……え?」

 

 爆風の気絶から目覚めた善逸が思わず駆け出そうとした先では、炭治郎が一瞬だけ苦しんだ後……何事もなかったかのように立ち上がっていた。

 

 

 既に太陽を克服していた上に人間へ戻った禰豆子は勿論、炭治郎もすぐに太陽を克服したのだ。

 そんな二人の前で……灰里は未だ這いつくばっていた。

 

 死にはしない。だが炭治郎のようにすぐに克服できたわけでもない。しばらくすれば同じように克服できるかもと期待した灰里だが、いつまで経っても苦しみから解放されない。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ!!! う゛う゛う゛あぁああ゛あ゛あ゛ぁあぁあああ゛!」

 

 灰色で壊れかけの、灰羽にして廃羽。その翼が溶け落ち、再生したかと思えばまた溶け落ちる。

 

「あ゛、あがが……! おげえ゛え゛え゛っ……! な、ん、で……!」

 

 込み上げてきた衝動のまま吐血する。

 

「僕は、鬼の王なんだ……兄さんも姉さんも黒死牟さんも無惨さんも超えた、真の鬼の王、なのに……!!!」

 

 這いつくばりながら、灰里が上体だけを上げて叫ぶ。その視線の先には、自分と違い太陽を克服した二人。

 

「ど゛う゛し゛て゛だ゛よ゛ぉ゛お゛お゛お゛お゛!!!!」

 

「簡単な話だ。鬼としての適性は炭治郎の方が遥かに上だった」

 

 血反吐を吐きながら叫ぶ灰里に、近くの物陰で陽の光から身を守りながら、愈史郎が語りかける。

 

「借り物の力で得意になり、いつも不意打ちで現れて誰かの力を奪う。そうして得た偽の強さじゃ、所詮ここまでということだ」

 

 

「ふさ、け……! 知ったような、口、を……! が、あ゛ぁ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」

 

 太陽に灼かれる痛みに体中を掻きむしりながら、灰里は地面の上を転がり回る。

 

 暴れたせいで、服の隙間からコロコロと、人間化薬が転がっていく。

 転がる人間化薬を拾い上げたのは……カナヲ。進化を果たした灰里がカナヲなど眼中にない様子で飛び去った後、カナヲも愈史郎によって地上に転送されていたが、重症故無惨との戦いには参戦できなかったのだ。

 

 姉の残した形見とも言えるそれを、カナヲはギュッと胸に抱いた。

 

 

「か、え、せぇ……!」

 

 このままではどうにもならない。一瞬人間化薬を接種して、半分人間の状態になって太陽を無効化しつつここを離脱する。その後体内で薬を分解すれいい。

 

 激痛で鈍る頭の中で算段を立てた灰里はフラフラと立ち上がってカナヲに向かっていく。だが目の前に着いたところで限界を迎え、再び地に倒れた。

 

 さっきまであれだけカナヲを甚振ってきた相手だというのに、今は自分の足元で這いつくばっている。その姿に憐れみさえ感じながら、カナヲは首を横に振った。

 

「これは姉さんが私に持たせてくれたもの……貴方のものじゃない。これは、炭治郎に使う」

 

「く、そ、ぉお……!」

 

 カナヲに背を向けて、近くの日陰へ這って行く灰里。日陰で一旦落ち着きさえすれば、なんとか翼を回復させて身を守れる。

 

「おい、テメェ……なに、逃げようとしてやがる」

 

 しかし当然、黙って逃がすわけがない。

 

「俺たちを庇って、数珠のオッサンの腕が千切れた!! 他にも何人もテメェの羽で、一緒に飯を食った仲間が死んだ!!」

 

 体中から血を流した伊之助が、這いつくばる灰里の前に立ち塞がった。

 

「返せよ、俺の仲間を返しやがれ! それができねぇなら……百万回死んで償え!!!」

 

「えぐぅうう゛う゛う゛う゛ッ!!」

 

 日陰に避難しようとしていた灰里を、思い切り蹴り飛ばす伊之助。激情のままさらに追い打ちをしようとする伊之助の肩に、伊黒が手を置いた。

 

「もういいだろう、伊之助。鬼とはいえ無意味に拷問するほど悪趣味じゃない」

 

「……そうだな、その通りだ」

 

 義勇が一歩前に出た。

 炭治郎がまだ鬼の今、この哀れな少年を斬るのは自分の役目だろう。

 

「水の呼吸、伍ノ型……干天の慈雨」

 

 灰里は自ら頸を差し出したわけではないが、最早ほとんど無抵抗だ。憐れみを持って慈悲の技を放つ義勇によって、灰里の頸が落とされた。

 

 

「伍ノ型? なんで、よりによって」

 

 だが、灰里の頸はゆっくりと再生した。太陽に苦しんでいても、頸斬りによる死を克服したことは変わらない。猗窩座や黒死牟と同じだ。頸を斬っても再生する。猗窩座は隊士たちが斬り刻み続け、黒死牟は血を奪えば滅することはできたが、それも猗窩座や黒死牟自身に生きる気力がなかったからだ。

 

 まだ生きようとする意志があり、ましてや変わりかけだった猗窩座や黒死牟と違い、完全な進化を果たした灰里は頸を斬っても死なない。

 

 

「僕の、嫌いな数字の型を……!!」

 

 再生された灰里の頭部には、もちろん普段巻いている黒布はない。露わになった瞳には……上弦の伍の数字が、ハッキリと残っていた。

 鬼を超えたと豪語しても、頸を切り落として再生しても、決して消えなかった数字。結局のところまだまだ無惨の生み出した鬼という枠組みから逃れられていないと言われているようで、黒布で隠した伍の数字。

 

 

 

 

「……どうする? 死ぬまで殺すか?」

 

「それしかないだろう……哀れだがな」

 

「憐れむ、な! 今さら死ぬのは怖くない、けど、憐れまれるの、だけは、ゆる、さ、な……!」

 

 結局、太陽は克服できなかった。炎に焼かれて売り物になる炭と違い、灰はただただ焼かれた後に残るだけのゴミ。

 ゴミはゴミらしく、疎まれ憐れまれながら、処理されるだけの運命。

 

「灰里……」

 

「そんな、そんな目で僕を見るなぁ……!!」

 

 灰里は目の数字を隠すように、視線から逃れるように、手で顔を覆った。

 

 

 

 そんな灰里を無表情で見ながら、未だどこかボウッとしている炭治郎は、自らの額に……痣に触れていた。生まれ持ってのものではない。元々は下の兄弟を庇った時についたものだ。

 同じ痣が……兄弟二人で下の子を守った証の痣が、灰里にもあった。必死に顔を隠す指の隙間から覗いている。

 

 

「ぁ……ぃ……ぃ」

 

 

 

 

 炭治郎はそっと、苦しむ灰里の上に覆い被さった。太陽の光から、弟を守るように。

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 

 ──突然失礼致します。此れは不幸の手紙ではありません。

 

 

「止せ炭治郎、そんなこと無意味だ」

 

 ──だってほら、真冬と云ふのに、なまあたたかい風が吹いている。

 

「待って、冨岡さん」

 

 ──時をり海の匂ひも運んで来る。道では何かの破片がきらきら笑ふ。貴方の背を撫づる太陽のてのひら。

 

「お兄ちゃんは……灰里はもう死ぬしかないってことが分かってる」

 

 ──貴方を抱く海苔の宵闇。留まっては飛び去る正義。

 

「それでも、それが分かっていても……目の前で苦しんでる弟を、放っておけないんだよ」

 

 

 ──どこにでも宿る愛。そしていつでも用意さるる、貴方の居場所。

 

 

 

「兄さんってやっぱり、暖かい、ね……なんで、僕はこうなっちゃったんだろうね」

 

 

 ──ごめんなさい。いま、此れを読んだ貴方は死にます。

 

「僕は兄さんのことが……家族のことが、大好きだったはずなのに」

 

 ──すずめのおしゃべりを聞きそびれ、たんぽぽの綿毛を浴びそびれ

 

「ここじゃないどこかを探してた。自由の翼を、どこへでも行ける魔法の靴を探していた」

 

 ──雲間のつくる日だまりに入りそびれ、隣りに眠る人の夢の中すら知りそびれ

 

『私は、何者にもなれなかった。ただ、縁壱になりたかったのだ』

 

「そんなものなくても、本当は何にだってなれたしどこへだって行けたのに、ただただ自分で自分を諦めていた。僕はそういう人間だった」

 

 

 ──家の前の道すらすべては踏みそびれながら、ものすごい速さで次々に記憶となってゆくきらめく日々を、貴方はどうすることもできないで

 

『私は一体……何の為に、生まれてきたのだ』

 

「そうして自分を縛っているうちに、本当にどうしようもない人間になってしまった」

 

 ──少しずつ少しずつ小さくなり、だんだんに動かなくなり、歯は欠け目はうすく耳は遠く、なのに其れをしあはせだと微笑まれながら。

 

「でも、だけど」

 

 ──皆が云ふのだからさうなのかも知れない。或いは単にヒト事だからかも知れないな。貴方などこの世界のほんの切れっ端にすぎないのだから。

 

 

 

「たとえ何者にもなれず、誰も愛せず、誰からも愛されず……何のために生まれてきたのかも分からない人生でも」

 

 

 ──しかもその貴方すら、懐かしい切れ切れの誰かや何かの寄せ集めにすぎないのだから。

 

 

 

 

 

 

「この世界の片隅に……生きていたんだ……」

 

 

 

 

 

 竈門灰里は、激痛の中に感じる兄の温もりの中で、ゆっくりと意識を失った。

 

 その寝顔は、まるで、父に、母に、兄に、姉に、家族に叱られた後、仲直りした子供のように……安らかであった。

 

 

 

 ──どこにでも宿る愛。変はりゆくこの世界のあちこちに宿る、切れ切れのわたしの愛。

 

 

 

 


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