炭になれなかった灰   作:ハルホープ

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完結まで一気にいくつもりが悩んでるうちに一ヶ月も経ってしまった……


灰色と青

「……ここは……」

 

 炭治郎が目を覚ますと、あちこちに彼岸花が広がる不思議な場所だった。

 

「僕らの、或いは無惨さんの力を得た者の……心の中だよ」

 

「灰里?」

 

「僕らは向こうで気を失ったようだ。そうしたら心の中で会えるなんて、素敵だね」

 

 そこにいたのは炭治郎だけではない。彼の弟灰里も、人間の姿でそこにいた。憑き物が落ちた……とまではいかないが、自分の中で気持ちの整理を付けたような、落ち着いた表情をしていた。

 

「限界まで意地を張ってやっと吹っ切れたよ。僕も相当意地っ張りだけど、兄さんの頑固さには負けたね」

 

「灰里……」

 

 最後の最後まで意地を張り続けた灰里と、そんな弟を最後まで愛し続けた兄。

 ただ兄は家族を、弟を無償で愛した。それだけのことだった。

 

「僕はただ、僕でしかない。僕がどんな人間でも、家族の愛は平等だ。そんな簡単なことに気づくのに……時間も犠牲も払いすぎてしまった」

 

 自嘲するように笑う灰里。そんな弟に対して、炭治郎も微笑みかける。

 

「でも、後悔はしてないんだろ? 無惨に殺されかけた時に……生きることを選んだのを」

 

 そう言われた灰里は一瞬目を瞬かせた後、ゆっくりと頷いた。

 

「うん、どんな形であれ、僕は生きていたかった。綺麗な思い出になるより、汚くても存在し続けたかった」

 

「俺もだよ。たとえ鬼になったとしても、家族に死んでほしいなんて思うわけない」

 

「……同じだね」

 

 灰里はそう言うとその場に仰向けに寝転がる。炭治郎も灰里の横に歩いていくと、その隣に同じように転がった。

 

「こうやって寝そべってると、小さかった頃を思い出すな」

 

「……そうだね」

 

 その空間には空がない。空があるはずの場所には水面があり、その向こうには仲間たちの姿が見えた。

 

「帰りたいなぁ」

 

 ポツリと呟く炭治郎。

 

「みんなの所に、思い出がたくさんあるあの家に帰りたいよ」

 

 けれど炭治郎は鬼だ。しかも太陽まで克服した鬼。今は何とか仲間を襲わずに済んでいるが、それもいつまで保つか分からない。だから帰れない。

 

「兄さん、人間化薬はカナヲって子が持ってる。だからもう少ししたら……多分兄さんは人間に戻れる」

 

 灰里が告げるのは、珠世亡き今唯一残った人間化薬のこと。太陽を克服した炭治郎にまで効くかは五分五分と言った所だが、炭治郎自身に強い意志があれば戻れるだろう。

 

「お前はどうするんだ?」

 

「後始末くらいは自分でやるよ。自分でも分かってる。たとえ兄さんや姉さんが赦しても、もう僕は死ぬしかない」

 

 目覚めたらまた太陽に身を灼かれる痛みに襲われるだろう。たとえ兄が覆いかぶさって守ろうと、陽の光は確実に灰里を蝕む。

 

 

 そのことを心配する炭治郎に、灰里は笑いながら手を上にかざす。

 それはかつてのように太陽に憧れ、焦がれ、太陽のようにはなれないと分かっていながら手を伸ばし、自らと同じ地面にまで引きずり降ろそうとしていた頃とは違う。

 ただ自分は自分として、ありのまま手を伸ばすだけだ。

 

 

「兄さんが人間に戻れば、僕が最後の鬼だ。そしてその鬼は頸を斬っても死なず、太陽の光にも耐える」

 

 その手は灰化と再生を繰り返していた。現実世界の灰里と同じだ。

 

「けど太陽の克服は未完全だ。なら一つだけ方法がある。陽光山だ」

 

 陽光山。それは日輪刀を作る材料である、猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石が採れる山。陽に一番近く、一年中太陽の光が溢れる場所。

 

「あの山ならいつかは僕の不完全な再生を越えて、殺してくれるかもしれない」

 

「……本当にそれでいいのか?」

 

「もう逃げ飽きたよ。逃げて、逃げて逃げて……その先に辿り着いた果てが、ここだった」

 

 灰里は寝転がったまま、掲げていた手を地に落として大の字になる。指先が、炭治郎に触れた。

 

「だからもう……いいんだ」

 

「そう……か」

 

 炭治郎は、灰里の手を優しく握った。

 

「一年か十年か……ひょっとしたら千年。無惨の生きた時を越えてなお、苦しみ続けるかもしれない」

 

「覚悟の上だよ」

 

「それでも俺と禰豆子以外、誰もお前を許さない。どれだけの贖罪をしても、お前が殺した人は帰ってこない」

 

「分かってる」

 

 ただ、兄と姉は許してくれる。それだけで救われる。それだけでよかった。それだけで意味のある人生だった。だから、これ以上は何もいらなかったのに。

 

 

 

 

「だから……俺だけは、一緒にいてやるよ」

 

 

 

 

 

 

 

「炭治郎! 今薬を……え?」

 

 炭治郎に人間化薬を注射しようとするカナヲ。だが鬼化した炭治郎はゆっくりとカナヲの手から人間化薬を抜き取ると、あらぬ方向に向かって投げた。その先には……

 

 

 

「炭……治郎?」

 

 鬼食いの影響でほとんど鬼化し、無惨の消滅に伴って少しずつ灰化していた玄弥がいた。

 

「ばっかやろう!! 俺のことなんかどうでもいいだろうが! 俺にはもう誰もいないけど、お前には禰豆子が……!!」

 

「玄弥」

 

 中の薬を注入せずに、突き刺さった注射針を抜こうとする玄弥。

 そこに、玄弥や伊之助、善逸を庇って致命傷を負った悲鳴嶼が、そっと手を添える。

 

「し、師匠?」

 

「玄弥、お前は生きるんだ。炭治郎も……自らが鬼化してなお、それを望んでいる」

 

 そして刺さった注射器を押して、玄弥に人間化薬を注入する。

 

 

「ありがとう……獪岳に唆され、信じることを恐れてしまった私を……君たちが救ってくれたのだ」

 

 

 獪岳との闘いの際に、信じていた子供から裏切られたことをまざまざと自覚させられ、子供たちのことを信じられなくなった。

 

『先生、ごめんなさい。私……私、先生のことを、裏切るつもりなんかじゃ……!』

 

「分かってる。いいんだよ、沙世……」

 

 盲目の自分に今見えている幻覚も、都合のいいただの願望かもしれない。

 

『先生、あの時先生の言いつけを無視してごめん。でも俺たちは先生のことを見捨てたわけじゃないんだ。先生のことを守らなきゃって思って……』

 

 だが、願望だろうとそうではなかろうと関係ない。あの子たちが生きていてくれるならば、見捨てられたって構わないから。

 ただ、生きていてくれるだけでよかった。見捨てられたのか守ろうとしてくれたのか、そんなことはどうだっていいんだ。

 

 

「謝るのは私の方だ……守ってやれなくて……すまなかった」

 

『先生!』『先生!』

 

「ああ、今行くよ……まだ、教えたいことが……君たちには、たくさん……」

 

 

 

 灰里の羽で受けた致命傷に加え、25歳を超えている彼は痣を発現させた時点で死が確定していた。

 だが、悲鳴嶼行冥の最期は……安らかであった。

 

 

 

 

 

 

 

「俺も鬼のままでいるよ。そして同じように、陽光山で死ぬ」

 

「……兄さん、僕にこれ以上付き合う必要はないよ」

 

「違う。それだけが理由じゃない。あの薬は……もっと必要な人に使う」

 

 もっと必要な人と聞いて、灰里は自分の乱入で結果的に命を救うことになった鬼狩りが思い当たった。

 

「必要な人……? そういえば鬼狩りには、半鬼がいたね」

 

 晴れやかな表情でうなづく炭治郎。

 

「玄弥も救えて、お前とも一緒にいられるなら……こんなに嬉しいことはないよ」

 

 道を踏み外した家族への情に加え、仲間への情。その二つを満たせる選択肢があるなら、選ばない理由がなかった。

 

「そっか。なら、目が覚めたら……このまま二人で一緒に灰になっていくのも、いいかもね」

 

『いいや、それは許さん』

 

 その時。どこまでも優しい空間だったそこに、突如としてドスの効いた声が響く。

 

 

『お前たち兄弟は私の最高傑作だ……私に代わり、永久に生き続ける義務があるのだ!!』

 

 それは炭治郎と灰里の血に残る、無惨の残留思念。狂い咲く彼岸花の中から現れた無惨が、恨めしそうに灰里と炭治郎に手を伸ばす。

 

 

「本当にしつこい男だな……」

 

 灰里と炭治郎は立ち上がる。

 

「兄さん、一緒に踊ってくれないかな」

 

 いつの間にか握っていた日輪刀を、炭治郎に投げ渡す。自らは神去雲透を構える。縁壱の日輪刀を研ぎ直した刀と、黒死牟の刀を吸収して作った血刀。

 

「ああ、俺たちは縁壱さんや父さんのような選ばれた人じゃなくても、俺たちにしかできないことがある」

 

 すれ違ったまま終わってしまった兄弟の刀が、400年の時を経て手を取り合う。

 

「ヒノカミ神楽!!」

「月の呼吸!」

「水の呼吸!」

「ヒノカミ神楽!!」

 

 

 長い旅路の中でそれぞれが覚えた月と水。昔から踊っていたヒノカミの舞。それを前に、残滓でしかない無惨の残留思念は何もできない。

 

『やめろ……私を消すな、私を置いていくなあぁあああああ!!』

 

 やがて無惨の姿は掻き消えた。

 

 

「終わったのか?」

 

「いや、一時的に消えただけだよ。死ぬか人間に戻らない限り、彼の血は残り続ける」

 

「そうか……ならそろそろ起きるか」

 

 そう言って手を差し伸べる炭治郎に、灰里は微笑を浮かべる。

 

「今、無惨さんのおかげで思い出したことがある」

 

「……灰里?」

 

 炭治郎は、嫌な予感がした。

 

 

「兄さん、幸せの青い鳥って知ってる? 海外の童話なんだけどさ」

 

 灰里と炭治郎の間に、大量の彼岸花が新たに咲き誇る。まるで、二人を裂くように。

 

「ある兄妹が幸せの青い鳥を探して冒険するんだ。でもそんなものはどこにもなくて……」

 

 灰里は足元に生えている青い彼岸花を摘む。しかしそれはすぐに灰化してしまった。

 

「結局幸せはいつも身近な所にあるっていう話さ。ありがちといえばありがちな話だよね」

 

 炭治郎は駆け寄ろうとするが、分け入っても分け入っても彼岸花が絶えない。向こう側へ行けない。

 

 

 

「結構好きな話だったのに……どうして、忘れてたんだろう」

 

「灰里!!」

 

「兄さんはやっぱり戻らないといけない」

 

 彼岸花の向こうで、鳥のさえずりがした。青い鳥が、バタバタと羽ばたいている。

 

「青い彼岸花を探して。無惨さんがずっと探していた薬の材料だ。それがあれば人間に戻れるはずだよ」

 

 炭治郎に背中を向ける灰里。

 

「お前を置いていけない!! 灰里!! 俺が戻れるなら、お前も……! お前も人間として罪を償え!!」

 

「本当にあるかどうかも分からないものを探して、人間に戻るのを待つには……僕は殺しすぎた」

 

「待て、知ってる! 確か一回見たことがあるぞ、青い彼岸花! 母さんが教えてくれた!」

 

 一度だけ見たことがある。家の近くにあったお墓から、数年に一度だけ咲く青い彼岸花。

 母が教えてくれたこと。灰里は「青い花なんて生えるわけないよ」と言って取り合わなかった花。兄弟の中で炭治郎だけが見たことのある花。

 

 

「同じことだよ。本当に青い彼岸花を見つけても、珠世さんが死んだ今、そう簡単に薬は作れない」

 

 灰里は預かり知らぬ所だが、珠世と同じように薬に精通しているしのぶも戦死した今、新たに人間化薬を作ることはできない。ましてや新しい薬……青い彼岸花の薬は、愈史郎やアオイでは手に余ると言わざるを得ない。

 

 花畑の中へ消えていこうとする灰里に、炭治郎は叫ぶ。

 

「そうやって理屈を捏ねて逃げるな! 死んで楽になりたいなんて思うな!!」

 

 炭治郎の叫びに、灰里の動きが止まる。

 

「そうだね……僕は楽になりたいのかもしれない。贖罪した気になって、死に逃げしたいのかもしれない」

 

 動きが止まっているうちに、無理矢理に行く手を阻む彼岸花を飛び越えて、灰里の手を掴む。

 

「逃げるのは飽きたんじゃなかったのか!?」

 

 

 そう言われて振り返る灰里の顔は……泣いていた。

 

「知ってたはずだろ? 僕が……弱虫だって」

 

 掴んだ手を離すまいとしているのに、花が、茎が、二人を引き離す。

 

「怖いんだよ。憎しまれながら謝り続ける強さは……僕にはない」

 

 昔。灰里が何か不注意で街の人に迷惑を掛けたことがあった。その時に一緒に謝ってあげたことがある。今になって、なぜかそんなことを思い出す。

 

「最後までダメな弟で……ごめんね」

 

「許さない……こんな夢の中じゃなくて、直接謝るまで絶対に許さない!!」

 

 

 炭治郎の体が花に包まれ、水面に……現し世への狭間へと上っていく。

 

「兄さんならきっとすぐ青い彼岸花で人間に戻れるよ」

 

 灰里は灰になっていく。花畑に包まれる炭治郎と灰化する灰里。夢の中からの消え方にも、端的に二人の違いが表されている気がした。

 

「俺は待ってる!! お前が太陽に罪を許されて、もう死ぬしかないってなった時!」

 

 光が見える。仲間たちの待つ場所からの光。けれどその光溢れる場所へ行く前に、どうしても伝えておかなければならないことがある。

 

「廃灰じゃなくて、灰里として帰ってきて……俺に謝るまで!! 25を越えても、待ち続けてやる!!」

 

「無理だよ、兄さん」

 

「無理じゃない!! 忘れるな、灰里……たとえ離れていても……心は、絆は、繋がってるんだ!」

 

「……さよなら」

 

「またなって言えよ! 灰里ぃいいいい!!!」

 

 

 夢が覚めていく。でも、夢で終わらせない。

 

 炭治郎が目を覚ました時、既に灰里の姿はなかった。

 灰になってどこかに消えていった灰里を見て、死んだのか逃げたのか判断しかねている鬼殺隊の面々を前に、鬼の長い爪を手のひらに食い込ませた炭治郎は……一人、静かに泣いた。

 




次回、最終回です。
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