「……母さん」
「ひっ! な、なにかしら、累?」
先方には既に話を通していたらしく、気色の悪い人面蜘蛛の案内で山奥の廃屋にすんなりと辿り着いた廃灰を待っていたのは……累と名乗った同い年くらいの見た目の少年と、その母親に見える鬼だった。
無論、それが「見える」だけなのは、廃灰にも分かる。
「お客さんだよ、おもてなししなきゃ」
「そ、そうよね累、滅多に来ないあなたのお友達だものね。今、保管してた血を椀に入れて持ってくるわね」
「友達?」
ピクリと、累が不快そうに眉を顰める。
「勝手に僕の友達関係を決めないでよ。この人はあの方の紹介で会ってみただけの相手だよ」
「ご、ごめんなさい累!! そうよね、まだ会ったばかりでお友達なんて相手にも失礼だものね! お、お母さんを許して!!」
「……いいから早く、血」
「す、すぐ持ってくるわ!!」
バタバタと慌ただしい音を立てて、母親役の鬼が奥へ引っ込んで行く。
その慌ただしい足取りは、まだ色濃く残る人だった頃の記憶にある幼い妹によく似ていた。
そんな幻影を振り払うように、廃灰は佇まいを正してから累に語りかける。
「他の鬼とは何回か会ったことがありますが、もてなしをされたのは初めてですよ。鬼同士で暮らしてるのを見るのも」
「そうだね……僕たちは家族だから」
微塵も情など感じさせない声で、自分や周囲に言い聞かせるように、累は言う。兄と比べてそこまで鼻の発達していない廃灰にも、彼らからは嫌悪と恐怖の匂いしか感じなかった。
「けど、アレは駄目だね。いつまで経っても母親らしい態度ってものを覚えない。何より、僕より圧倒的に弱い。あれじゃあ僕を守れない」
本当は母親などではないということを隠そうともせずに吐き捨てる累。そこで、少々気にかかる内容があった廃灰は訪ねる。
「守れない? 十二鬼月ともあろう人が、部下に守られることを望むんですか?」
その瞬間、累の纏う雰囲気が鋭いものになる。
「……部下じゃないよ。家族だって、言っただろう?」
「……失礼しました」
「言葉には気をつけてよね。鬼が鬼を殺す方法なんて、いくらでもあるんだから」
基本的に鬼同士の戦いは決着が着かないので無意味であるとされる。だが事実、累は自らの元から逃げようとした『姉』を蜘蛛糸で拘束し、太陽の下に晒して殺害した事がある。
廃灰にはそれは知る由もない事だが、その気迫から脅しではないと察した彼は、素直に謝罪した。
「母さんだけじゃない。今はみんな出払ってるけど、父さんも兄さんも姉さんも使えない人たちだよ。家族っていうのは、下の子を守るものなのに」
無惨の紹介で会ったはいいものの、あまり迂闊なことは言えないしどんな発言で気を悪くするか分からない。適当な相槌だけ打ってしばらくしたら帰ろうと思っていた。だが──
「──守られるだけの存在なんて、虚しいだけですよ」
だが廃灰は、言わずにはいられなかった。
「守ってくれるのが家族なら、なおさらです」
頭に浮かぶのは、人間だった頃の記憶。父に、母に、姉に、兄に守られるしかなかった頃の自分。
「初めて一人で炭を焼けた時、僕はもう大人で、もう守ってもらわなくて大丈夫だと思ってた。けど……けど本当は親や兄弟に守られてるだけの子供だった。それに気付いた時に、僕は初めて兄さんに……」
そこまで言って、敬語が崩れているのと、自分語りが過ぎていることに気付く。
だが累は気を悪くした様子もなく、興味深そうに廃灰を見ている。
「……君、面白いね。あの方が気に入るのも、僕に会うように勧めたのも分かるよ」
雰囲気を軟化させた累は、柔らかな口調で告げる。
細部は違えど、廃灰も累と同じように家族へ複雑な心情を持っている。それが何となく分かったが故の友好的な態度である。
なんだかんだ友好的に接されれば廃灰も悪い気はしないので、雑談の幅を広げることにした。
「ご、ごほん。そういえば、ご家族を強くしたいなら麓の町に稀血がいるという噂がありますよ。或いはそれを飲めば……」
「父さんや母さんでも僕より強くなるかもしれないって?」
頷く廃灰。
「本当は僕も狙っていたんですが……まぁ、見聞を広める事を優先したわけです。あの方の誘いを断れるわけもありませんしね」
「へぇ、それは悪いことをしたね。稀血ではないけど、まぁ血でも飲んでってよ」
にこやかに……というわけではないが普段より饒舌に会話していた累だが、そこまで言った後にイラついたような声を出した。
「母さん!! 遅いよ、まだ?」
「い、今持っていくわ!」
再びバタバタという慌ただしい音。さらに少ししてから、ようやく母親役の鬼が椀に入れた血を持ってくる。
「ど、どうぞ」
「ええ」
震える手で差し出された椀を受け取る廃灰。彼も多少は気の毒に思うが、特に何かを言ったりはしなかった。他所の慣習にまで口を出す趣味はない。
しばらく無言で血を飲んでいた累と廃灰。稀血の件だけど、と前置きしてから、累が口火を切る。
「止めておくよ。今から行っても、どうせ他の鬼が食べた後だろうし」
「そうですね……噂では元十二鬼月が、文字通り鬼気迫る表情で探しているとか」
「元、ね……一度数字を剥奪された鬼が、稀血の一人や二人で返り咲けるとも思えないけど」
そう言って累は、おもむろに手から蜘蛛糸を出してあやとりを始める。
「君も早く十二鬼月になるといい。何なら、下弦の肆や陸辺りの席を空けておこうか?」
あやとりの蜘蛛糸を二本、累が引きちぎる。
「陸はともかく、肆? 貴方は下弦の伍では?」
「家族に分けた分の血を回収すれば、もっと上に行けるさ」
「ひっ」
無感情に、今度は4本、蜘蛛糸をちぎる累。それを見た母鬼の、本日何度目か分からない息を呑む小さな悲鳴。
「止めておきますよ。今空席ができても、どうせまだ僕には相応しい実力がない」
「……それもそうだね」
少し前に自分が言ったのと似たようなことをオウム返しされる累。ともすれば皮肉にも聞こえかねない内容だが、不思議と累も悪い気はしなかった。
「実を言うと、あの方のお気に入りなのにまだ弱い鬼がいると聞いて、僕の兄さんにしてあげようと思ってこの場を設けたんだけど」
サラリと恐ろしい事をいってのけながら、累はあやとりの糸を一本、別の糸に繋げようとして……止める。
「君とはそれなりに距離を保った方が、いい関係になれそうだ。家族は同じ方がいいけど、友達は少し違うくらいがいいや」
糸を近くに放り投げてあやとり遊びを止めた累は、まっすぐに廃灰の目……黒布に覆われた目を見る。
それなりに礼儀というものを弁えているこの新米鬼が、それでも一度も外さなかった布。その隠された目を見透かすように、しばらくじっと観察していたが……ふ、と力を抜いて軽く累が微笑む。
「それに君は、兄って気質には見えないからね」
「……そうですね」
一応廃灰には弟も妹もいたが……それを言って反論するのは止めた。
彼にとっては、自分が兄であることよりも、自分が弟であるということの方が大きなアイデンティティを占めている。それは紛れもない事実だからだ。
「たまには顔を出しなよ。家族以外と関わるのも、悪くない」
「そうですね……とりあえず、下弦と並べるくらいの力を手に入れたら考えますよ」
「大きく出たね。下弦の参辺りが聞いたら怒りそうだよ」
『家族』という存在に歪んだ思いを持ってしまった少年鬼二人。
両者はっきりと口に出したわけではないが、立ち振る舞いから互いが同類である事を察した二人。
鬼は群れない生き物だが、彼とは交友を持ってもいいかもしれない。
互いがそんな風に思いながら、この日はそこでお開きとなった。
累が柱に殺されたと廃灰が聞いたのは、それから一ヶ月も経っていないうちの事だった。
まとめサイトとか読んでるとちょくちょく見る、累は家族に血を分けて弱体化してる説を採用してます。
間違ってたらすいません。