寄せては返す波の音が微かに聞こえてくる崖際。そこでは、その風流な音を掻き消すように、激しい金属音……刀と爪がぶつかり合う音が鳴り響いていた。
「はぁあぁあ!!」
「ふっ!」
「戦い慣れてないわね」
考えてみればそれも当然のこと。
廃灰はそこまで多くない人数、それも自殺の名所を隠れ蓑に人を食ってきたような鬼だ。当然、鬼殺隊との戦闘経験もない。
既に柱に迫る勢いの実力を身につけているカナヲにしてみれば、はっきり言って相手にならない。
鬼を相手に初めての生け捕りで手間取っていなければ、とっくに勝負はついていただろう。
「がふっ!!」
大振り過ぎる攻撃はカナヲには掠りもしない。躱しざまの横回し蹴りが横腹にクリーンヒットし、廃灰はたたらを踏む。
カナヲは警戒し過ぎたか、と思いながらも、首を刎ねないように目の辺りを狙って技を放つ。
「花の呼吸、肆ノ型……紅花衣」
前方へ弧を描くような斬撃を放つ型。それは寸分違わず廃灰の目を一閃。
「ぐ、ぁあぁああああ!!!」
咄嗟にゴロゴロと転がって距離を取りながら、廃灰は叫び声をあげる。先ほどの殺気が錯覚に思えるような、素人としか言いようのない戦い方。
カナヲは肩の力を抜くと、悠々とした足取りで廃灰へ近づく。
「僕を……どうする、つもりです?」
肩で息をし、斬られた目を庇いながら、這々の体で廃灰が聞く。
カナヲは一瞬迷った後、懐から硬貨を取り出して、片手で空中へ弾く。小気味良い音を立てて跳ねた硬貨を手中に収めてから、カナヲは答えた。
「生け捕りにする。炭治郎に会わせるかは、お館様や師範が決める。どちらにせよ、最後には藤の花の山に閉じ込めるだろうけど」
淡々と答えるカナヲを見て何を思ったのか、廃灰は片手で顔を押さえ、ヨロヨロとふらめきながら後退る。
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ……! 僕は、僕はまだ何も……!」
そんな廃灰の脳内を駆け巡るのは……やはりバラバラで不揃いな、生の感情。
────僕はまだ何も……何も、何だろう。何も成し遂げていない? 何者にもなれていない?
分からない。何も分かっていない。何をしたいのか、兄に会ってどうしたいのか分からない。殺したいのか、話したいのか、愛し愛されたいのか、☓☓したいのか。思考には黒いモヤがかかったようで、自分でも何を考えているのか分からない。
いつだって僕はハッキリしない人間だった。ウジウジした人間だった。そんな僕自身が嫌いだった。それでも無条件で受け入れる家族の愛が眩しかった。
そうだ、僕は……
僕はいつも蚊帳の外だった。家族が仲良くしているのを、少し離れて見ているばかりだった。
自分から歩み寄れば絶対に受け入れてくれる。それは分かっていたけど、何となく一人でいるのが好きで、でもやっぱり本当は少し寂しくて、見ているだけだった。
あの時もそうだった。兄さんが父さんから神楽を教わっていた、あの時も……
遠くからじっと、そっと、ずっと……見ているだけだった────
「花の呼吸、肆ノ型……紅花衣」
カナヲは一気に踏み込み、先ほどよりも深く、顔の上半分を斬り落とすつもりで同じ型を放つ。
「……え?」
だが、必中の確信を持って放たれた日輪刀は、廃灰にほんの一歩軸をズラされただけで、余裕を持って躱される。
「っ……! 花の呼吸、伍ノ型……徒の芍薬!!」
一撃で躱されるならば数を打つ。流れるような動きで9連撃を放つが、それも全て上半身の動きで避けられる。
それ以後もカナヲの出す型をまるで『知っている』ように避ける廃灰。明らかにおかしい。不自然だ。
鬼が過去に殺した鬼殺隊の呼吸法を見切っていることはある。だが同じ技でも使い手が違えば癖というものがある。実力が上ならば技のキレも別物のように代わる。普通、型を見切っただけでは完封はできない。
まして廃灰は明らかに鬼殺隊と戦い慣れていない。本来、こんなことは有り得ない。
ヒヤリと、戦闘が始まって初めてカナヲの背中を寒いものが走る。戦う前に感じたこの鬼の不気味さの片鱗を垣間見た気がした。
その間にも咲き乱れる花のように続けて繰り出される型を、廃灰は舞うような動きで避け続ける。
カナヲは戦闘中だというのに、楽しいような懐かしいような、奇妙な感覚に襲われる。まるで炭治郎と鬼ごっこをしていた時のような既視感だ。
違うのは、自分が追う側であるということ。追われている側こそが鬼であること。
「なんでだろう……貴女の動きが分かる」
それから何回の型、何十回の斬撃を見舞っただろうか。流石のカナヲも少し息が上がりかけてきた時に、廃灰はボソリと呟いた。
「ああ、分かった……似てるんだ、あの神楽の動きに」
竈門家に代々伝わるヒノカミ神楽……日の呼吸は全ての呼吸の始祖。
それ以外の全ての呼吸法は日の呼吸の派生系……元柱であるところの煉獄槇寿郎の言い方を借りれば「猿真似をし劣化した呼吸」に過ぎない。それは当然、花の呼吸も同じだった。
しかし実際の所、日の呼吸そのものが圧倒的に他の追随を許さない強さを誇るわけではない。
最強の日の呼吸は、使い手が始まりの呼吸の剣士、縁壱だからこその最強。それ以下の実力の者が使っても、強いには強いが最強という程ではない。
最強の呼吸の使い手であるはずの炭治郎が劣化呼吸の使い手でしかない柱たちに及ばないのを見ても、それは一目瞭然だろう。
日の呼吸を知っているからと言って、元々の実力差を覆すには至らない。
では、今廃灰がカナヲに善戦できているのはなぜか?
結論から言えば、それは相性の問題である。
日の呼吸自体は圧倒的に強いわけではない。しかしそれは、鬼を滅することを目的とした時の話。
逆に考えた場合……
日の呼吸の使い手にしてみれば、他の呼吸の動きは自分の動きが大元のものばかり。故に、曖昧にだが敵の次の動きが分かる。一方的に相手の手の内を知っているようなものだ。
これまでは隊員同士の私闘が禁止されていたこと、何より日の呼吸の使い手がいなかった事で、全く表に出てこなかった本来意図しない強さ。それが廃灰とカナヲの実力差を埋めている。
日の呼吸の熟練度で炭治郎が終始「できる」と「使いこなす」の間にいるとしたら、今の廃灰はそのさらに下……「知っている」と「できる」の間にいると言える。彼は動きを目に焼き付けているだけで、日の呼吸そのものを使えるわけではない。
それでもなお十分だ。
鬼と戦う鬼狩りの呼吸の始祖であるからこそ、鬼狩りと戦う鬼にとっては最強の呼吸と化す。
それはとても運命的で……とても皮肉なことだった。
「父さん……本当は、こんな使い方じゃないんだろうね。間違ってるなんて、分かってる」
カナヲと戦いながらも、その赤い目は彼女を見ていない。遠く、今は無くした何かを見つめているようだった。
「貴女は、自分の周りが全て壊れてしまえばいいと考えた事がありますか?」
「急に、何を……」
「僕はあります」
困惑するカナヲを無視して、廃灰は語る。
「世界なんて滅茶苦茶になればいい……なんて、大きなことは思えませんでした。ただ何か天災でも起こって、僕の周りだけでも滅茶苦茶にならないかと夢見てた」
カナヲのきめ細かな肌が粟立つ。今廃灰が語っていることは、カナエとしのぶに救われるよりも更に前……毒親からの暴力に心を閉ざす前の自分も、よく思っていたことではないか?
「ここに来て僕に食べられた人は、みんな安心したような顔をするんです」
避けているだけだった廃灰が、少しずつ反撃してくる。カナヲの攻撃の合間合間に、鋭い爪を突き立てようとする。
「死にたいけど自殺するのは自分の心の弱さを認めるようでできない……そんな人たちは理不尽な死を望んでいます」
徐々に徐々に、廃灰の反撃の数が増えてくる。
「自分のせいじゃない、誰かが悪いわけでもない、天災や怪異に殺されたがる」
「それで、その人たちは、殺されて幸せだったとでも言うつもり?」
「いえ、僕が言いたいのは……あの時僕が笑ったのも、別に特別なことじゃない。僕程度に世の中を悲観してる人は大勢いる……それが分かったということです」
気が付けば、カナヲが攻めて廃灰が守るという構図が逆転していた。廃灰の攻めの合間を縫ってカナヲが刀を振っている。
(ただ動きが読まれてるだけじゃない……この鬼自身の動きも、どんどん良くなってきてる!)
急成長。これもまるで炭治郎のようだ。
動きを読んでカナヲに付いて来ているだけではない。カナヲの方が動きを読み切れない瞬間も多くなってきた。
(ど、どうすれば……!)
分からない。分からない。任務は調査及び威力偵察。ある程度力量を把握し、あまり積極的に人を食わないという性格も理解。だからといって人間に協力的というわけでもないという情報も手に入れた。任務は完璧ではないが既に達成している。離脱しようと思えばすぐにでも逃げられる。
けれど、この鬼は危険だ。きっと、もっともっと強くなる。そう、まるで炭治郎のように、成長の歯止めがない。やがてはその爪が、牙が、未だ見ていない血鬼術が、しのぶや炭治郎に襲いかかるかもしれない。今なら任務を放棄して殺す気でやれば、勝てる可能性はある。
(だ、だめ、決められない……! こ、硬貨を……!)
任務を優先して離脱すべきか、自分の判断を優先して戦うべきか。一度大きく距離を離し、カナヲは懐に手を入れる。
だがそれで飛び道具や暗器を警戒したのか、一気に近づいた廃灰が、カナヲの手に握っているものを確かめもせずにはたき落とす。
「あっ……」
やはり廃灰の戦闘経験は希薄だ。懐に隠せる程度の飛び道具や暗器など、鬼にとっては驚異でもなんでもない。にも関わらず警戒し、腕を振るって硬貨をはたき落としに来た。今、彼の左腕は伸び切り、体の守りは薄い。
今なら斬れる。硬貨に頼らずに、今この瞬間に決意さえできれば。
(カナエ姉さん……炭治郎……!)
『きっかけさえあれば、人の心は花開くから大丈夫』
『表が出たらカナヲは、心のままに生きる!』
「花の呼吸……!! 陸ノ型、渦桃!!」
一閃。
「っ、ぁああぁあ゛゛あぁ゛あ゛あ゛!!!!」
「しまった、浅い……!」
頸を斬りきれなかった。苦悶に満ちた叫び声をあげる廃灰の頸は半分ほどまで切り込みが入り、落ちかかっているが、それだけた。
再生も始まっている。致命傷ではない。
考えようによっては最初の目的の生け捕りを狙える状況だが、既にカナヲは廃灰を殺す意思を固めていた。
再生に手間取っているうちに、トドメを刺さなければならない。
廃灰も先ほどのように転がることはなく、頸を押さえながらもその目はまっすぐに敵を見据えている。
……いや、違う。これは急にこちらの動きを読んだ時と同じだ。カナヲを見ながらも、その目はその奥に別の人影を幻視している。
『……父さん』
廃灰の目には……父親、竈門炭十郎が映っていた。一種の走馬灯なのか、その手前にいるカナヲの動きは酷く緩やかに見える。幻影の父と、会話ができるほどに。
『ここで止まれ。このままだと、お前の行き着く先は……地獄の彼方だ』
『地獄の彼方でも世界の果てでもいいよ。自分の意思でそこへ行けるなら』
鬼になったのは成り行きだが、廃灰はそれを拒まなかった。人を食べて生きていくのを受け入れた。拒もうと思えば自殺だって出来たが、それもしなかった。
それは……普通に生きている間に感じていた、人生の雁字搦めから、閉塞感から逃げ出したかったから。どこか満たれないで、空っぽな大人になりたくなかったから。自由になりたかったから。
自分が、世の中にたくさんいる鬱屈した人々と違うのは、ひょんなことから力を手に入れたこと。ならば……たとえその先に何が待ち受けていようと、走り抜けていきたい。
『……そうか、お前は……自分の意志で道を歩きたかったんだな』
幻影の炭十郎は、儚げに微笑む。
『すまない、お前を……導いてやれなかった』
背を向けてどこかへ去っていく父の背中。背を向けたまま、炭十郎はその名を口ずさむ。もう長い間聞いていない、その名を……
『神楽を思い出したお前には、既に力はある。その力をどう使うかは……お前の自由だ、灰■』
なぜか、自分の名であるはずのそれが、廃灰にはよく聞き取れなかった。けれど……伝わったものもある。
「血鬼術……!」
誰に習ったわけでもない。ただの感覚として、廃灰は自らの血鬼術の使い方を理解する。幻影が消えた瞬間カナヲの動きも元に戻ったが問題ない。
「落日散血!!」
廃灰はその鋭い爪を、血の止まりかけていた自らの首へと振るう。
わざと煩雑に、掻き毟るように切り裂かれた首から、大量の血がまき散らされ……血はひとりでに動き出し、血の刃となってカナヲに殺到する。
「なっ……! 花の呼吸、弐ノ型、御影梅!!」
広範囲に斬撃を振るう型で血の刃を斬りおとすカナヲ。この戦いの中で血鬼術までも会得した廃灰に、殺意を新たに斬りかかろうとするが……
「流石に僕も、これ以上深入りするつもりはありません。肉体はともかく……心が疲れたので」
廃灰から噴き出す血は霧状に姿を変え、彼の体を包み込む。
無惨以外の血には感染力はないとはいえ、無闇に摂取していいものではない。霧の中に入ればどうしても口や鼻の粘膜に触れる。霧中では自分の目もほとんど役に立たない。
一瞬の躊躇の間に、血の霧はどんどん広がり……それが晴れた後には、何も残されていなかった。
「逃げられた、か」
足跡の痕跡を探りながら、なぜ殺せなかったのか自問するカナヲ。決して殺せない相手ではなかった。
任務はあくまで特殊な鬼の調査で討伐ではない……が、まるで炭治郎のような急成長に危機感を覚え、硬貨の裏表も見ずに討伐しようと決意したのは紛れもないカナヲ自身である。
「炭治郎……」
そう、あの鬼は炭治郎の弟だった。
もしもあの鬼を斬ったら、彼は悲しむ。せめて彼自身の手で引導を渡させるべきだ。そう思うと殺意にほんの少しの陰りが生まれてしまい、結果的に逃がしてしまった。
あの鬼を殺そうと思ったのは炭治郎のため。あの鬼を殺せなかったのも炭治郎がきっかけ。
「あの鬼……」
炭治郎にも似ているのは勿論だが……どこか、自分にも重なる気がした。
救われる前の、心を閉ざしていた自分と。
日の呼吸関連の独自解釈強めだったので、読者様方の反応が知りたいです。
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