六太の名前を七太にするか迷った末、名前を出さずに茶を濁すことにしました。
この前読んだ竈門一家系オリ主だと普通に六太だったんで気にすることもないかもしれませんが、念のため。
「それじゃあ、炭を売りに行ってくるよ」
「ええ、雪が降ってるから気を付けるのよ」
「早く帰ってきてねー」
「気を付けてねー」
山奥に住む炭売りの少年竈門炭治郎は家族の見送りを受けて街へ繰り出していた。周囲には雪が降りしきっているが、正月のささやかな贅沢のためにも今のうちに稼いでおきたい。
「お兄ちゃん」
「禰豆子」
そこに、一番下の弟を寝かしつけていた妹、禰豆子とバッタリ出くわす。
禰豆子はいつも幼い弟妹の面倒をよく見るしっかりした妹だ。彼女がいるから炭治郎も安心して炭を売りに行ける。
「お父さんが死んじゃって寂しいんだね。みんなお兄ちゃんにくっついて回るようになった」
クスリ、と明るく笑う禰豆子。だが兄である炭治郎はそこに潜む影を見逃さなかった。
父親が死んで悲しいのは自分も同じなのに、それをおくびにも出さないで、周囲を安心させようとする気丈な姿。
そこに一抹の侘しさを覚えながらも、だからこそ長男である自分がよりしっかりしなければ、と決意を新たにする。
「あれ、アイツは?」
と、そこで炭治郎は、出かけ際に唯一顔を見ていない、一番上の弟の姿を探す。てっきり禰豆子たちと一緒にいると思ったのだが。
「ああ、あの子は隙間風が酷いから窓を補強するって」
「そうか、アイツにも助けられてばっかりだな」
上の弟は手先が器用だ。目もいいから細かい作業に向いている。
炭治郎の家は山奥故に頻繁に家具を買い換えて運び込むわけにもいかず、騙し騙し使って行くしかない。弟は一人で黙々と作業をするのが得意なようで、気づいたらガタの来ていた椅子や机を整えてくれていたりする。
きっと気づかないうちに受けている恩恵も多いことだろう。
無口でよく一人でいるが、それでも心の奥にある優しさを、家族の絆を疑ったことはない。
(そう、あの時も……あの時もそうだった)
炭治郎はそっと、自分の額……火傷痕に手を這わせる。
この傷は今禰豆子に抱かれている下の弟が火鉢を倒した時に、
慌てて弟に抱きついて背中に庇った俺と、火鉢そのものを蹴り飛ばして遠くにやろうとしたアイツ。結局はやかんの熱湯が俺とアイツにかかって二人揃って火傷を負ってしまったが、幸い大事には至らなかった。
弟の顔にも火傷痕を残してしまったのは悔やまれるが、それでも2人で協力して下の子を守れたのが嬉しかった。
それに弟自身は、父の生まれつきの痣にも少し似たその火傷痕を気に入っているように見えた。事実炭治郎も、この火傷を誇りに思いこそすれ、恥ずかしく思ったことは一度もない。
「それじゃあお兄ちゃん、行ってらっしゃい」
「ああ、行ってきます」
禰豆子らと別れ、再び歩みを進める炭治郎。
(生活は楽じゃないけど、幸せだなぁ)
そんな事を思いながら、雪に足を滑らせないように歩く炭治郎。だがその歩みを止める声が響く。
「兄さん」
涼やかでいて、どこか儚げな呼びかける声。上の弟の声だ。
「あれ、お前ここにいたのか。てっきり家の中で家具の修理でもしてると思ってたよ」
「僕は、皆と賑わいの中にいるより、一人でいる方が好きだからね」
思い詰めているようにも、無感情にも聞こえる声で続ける弟。小声なはずなのに、その声はどうしてか雪に吸収されず、鮮明に耳の奥に届く。
「そんな、そんな普通の人間だった。僕程度に陰気な人間も、僕程度に歪んだ人間も、きっとたくさんいたんだ。ただ、それが爆発する前に、みんな大人になって忘れていくだけ」
弟はなんだかよく分からないことを言う。彼はいつだったか「一冊で長く楽しめるから」という理由で分厚い本を買ってから、難しい言葉や持って回った言い回しを使いたがる時期があった。でもその時もこんな不明瞭なことは言わなかったし、1年もしたら恥ずかしがって止めていたのに。
「僕はあのままじゃ、きっと何者にもなれなかった。けど、世界にはそんな人の方がずっと多いのかもしれない。虚無感を恐れる必要なんてなかったんだ」
「なぁ、さっきからどうしたんだ? 今日は様子がおかしいぞ……って、俺も今日はなんか変な気分なんだけどな」
炭治郎自身も今日はなんだが調子がおかしい。先ほど家族を見かけた時になぜか涙が止まらなくなったり、禰豆子が外に出ていると聞いて慌ててしまったり……そこに来て弟の妙な言動。本当に、今日は不思議な日だ。
「……本当は分かってるくせに」
「え?」
弟はいつの間にか、手に刃物を持っていた。細々した作業の時に使う、万能
そんなもの持ち歩くのは危ないぞ、と言おうとした矢先……信じられない速さで駆け出した弟が、炭治郎の腹部に刃物を突き立てていた。
「あ、う、ぁ……?」
だが、痛くない。なぜか? 隊服を着てるからだ。ちょっとした刃物くらいなら受け止めてくれる。隊服? 隊服ってなんだ? 鬼殺隊の服だ。鬼を狩り、人々を守る組織の……鬼殺隊の、隊服と、刀……
その瞬間、炭治郎の脳内に、見たこともないはずのに、何故か知っている景色が溢れ出す。
『俺の家にはもう一つ、嗅いだことのない誰かの匂いがした。みんなを殺し……たのは多分そいつだ!』
『それに、その匂いと一緒に、あいつの……弟の匂いもした! あいつは犯人に連れ去られたんだ! なんでかは分からないけど……』
『簡単な話だ。鬼が食いもせずに人を連れ去る理由などない。つまり、お前の弟もまた人間ではない』
『なっ……ち、違う、弟も妹も人間だ!』
『傷口に鬼の血を浴びたから鬼になった。人喰い鬼はそうやって増える』
『俺の家族は、人を喰ったりしない!』
『よくもまぁ今しがた己が妹に喰われそうになっておいて』
『違う! 俺のことはちゃんと分かってるはずだ!』
『ならばお前以外のことはどうだ。弟は今この瞬間にも人を喰っているやもしれんぞ』
『それは……!』
『な、治す方法を探す! アイツが人を喰ってたら、人間に治してから、俺も一緒に一生かけて償う! 禰豆子にも、誰も傷つけさせない!』
『治らない。鬼になったら人間に戻ることはない。だからお前の妹だけでも、ここで殺す』
『ま、待ってくれ! 家族を殺した奴も俺が見つけ出すから! 俺が全部、ちゃんとするから……!』
『やめてください……どうか妹を殺さないでください……お願いします……』
『生殺与奪の権を他人に握らせるな!』
『妹が人を喰った時やることは二つ。妹を殺す、お前は腹を切って死ぬ。鬼になった妹を連れて行くというのはそういうことだ』
『そして弟が鬼になっていた場合。お前は腹を切らなくていいが、弟は必ず殺せ』
『身内へのケジメを見せなければ、妹を連れて歩くことは叶わなくなると思え』
『君は心が綺麗ですね』
『私の姉も、君のように優しい人だった。鬼に同情していた。自分が死ぬ間際ですら鬼を哀れんでいました』
『優しくなんてないですよ』
『あ、しのぶさんのお姉さんは、貴女の言う通りの人だったんだと思います』
『でも俺は……弟に言われたんです。同情は優しさじゃないって。哀れみは悪意がなくても人を傷つけるって』
『……面白い事を言う弟さんですね』
『ええ、俺は……俺は信じてます。そりゃ、最悪の覚悟もしてるけど……アイツは、生きているって』
『昼間うちの子にそう話しているのを聞いた時は、何を甘いことをと思いましたが……私もそう願いますよ』
『置き去りにしてごめんね炭治郎。禰豆子を頼むわね』
『あの子を……止めて』
あの日の、全ての始まりの記憶を取り戻した炭治郎。それを皮切りにして、その後の鬼殺隊としての日々も、後から後から沸騰したお湯の泡ように湧き出てくる。
そうだ、自分は今、鬼が出るという無限列車の中にいる。炎柱の煉獄さんや同期の善逸と伊之助、勿論禰豆子とも一緒にいた。
なのにいつの間にか鬼からの攻撃を受け、夢の中にいた。
きっとみんなも眠らされて夢を見ている。すぐにでも起きなければならない。
弟のおかげで本当の記憶だけでなく、夢からの脱し方も分かった。『夢の中の死』が『現実の目覚め』に繋がる。
一人なら怯んでしまうことでも、弟と一緒なら大丈夫。
「ありがとう……起きて戦ってくるよ」
弟の握る刃物に手を添えて、そっと自らの頸に充てがい……躊躇わずに、一気に切り裂いた。
その瞬間、覚醒の兆しを感じ、炭治郎は笑顔を弟に向ける。
だが、なぜか夢の中の弟は……泣いてるようにも笑っているようにも見える、ぐしゃぐしゃな顔をしていた。
例え幻影だと分かっていても、目が覚める前に、その涙を拭ってやろうとして……手が触れる直前で、目が覚めた。
この夢の中の弟は炭治郎の本能の警告。既に気づいていたはずの夢から抜け出す手がかりを理解できていなかった為に、本能が弟の姿を借りて現れたに過ぎない。
けれど、それならば弟にあのような不穏な言動や行動を取らせる意味などない。
炭治郎の本能は分かっていたのかもしれない。弟が鬼になっていることも、弟が家族に……自分に対して複雑な心情を抱いていたことも。
けれど、それを炭治郎が本能ではなく理性で理解するのは……ずっと後のことになる。