鬼舞辻無惨はすこぶる不機嫌であった。下弦の中ではそれなりに見所のあった下弦の壱、魘夢がほとんど何もできずに死んだのも、わざわざ向かわせた上弦の参、猗窩座が柱一人を殺した程度で満足し、あまつさえ例の耳飾りの鬼狩りに一撃を受けたことも、全てが忌々しい。
あれからそれなりの日数が経ったが、どこそこに配置した鬼が狩られただの、最近の鬼狩りは柱以外も強いだのといった不快極まりない情報ばかり入ってくる。不機嫌を治すような朗報は一つとしてない。
「どいつもこいつも使えぬ者ばかり……」
無限城の中で思わずため息を吐く無惨。そこに、無機質な声がかけられる。
「無惨様、
鳴女。空間移動系の血鬼術を発現した鬼だ。彼女自身の戦闘力はほぼ皆無だが、これほど便利な血鬼術を体得した鬼は他にいない。常に傍に置いて、自らの移動や他の鬼の呼び出しによく使っている。
「そうか、繋げ」
「はい」
ベベン、という琵琶の音。鳴女の血鬼術の合図と共に、一人の鬼が現れる。
10代半ばほどの少年の体躯に黒い目隠し、同色の着物、そし額の醜い火傷が特徴の鬼だ。
「無惨様、お呼びにつき参上しました」
「直接会うのは久しぶりだな、廃灰」
廃灰。太陽を克服する鬼を産み出す為に襲った民家にいた少年だ。個人的に気に入ったのでほぼ確実に耐えられる程度の血を与えて鬼にしたが、彼を発掘できたのは久方ぶりの収穫と言える。
あまり人を喰わなくても飢餓状態にならない変わった鬼で、ともすれば太陽すら克服し得ると無惨は見ている。
鬼にした当初はあまり人を喰っていなかったが、最近は前よりは積極的に人を喰っているようだ。それでも継続して喰う必要がないが故に、平均的な鬼と比べたらその数は微小だ。
だが無惨は彼を制裁しようとは思わない。
これで成長が頭打ちであればさっさと人を食いに行かせる所だが……
「君は会うたびに成長しているな……人食いよりも元々の素養が大きいのか、猗窩座に近い性質だ」
彼の成長速度は無惨から見ても著しいの一言だった。少し前まで血鬼術もない下級の鬼であったのに、今は既に下弦より一回りは強い実力を備えているように見える。
「ありがとうございます、無惨様」
性格もやや陰気過ぎるきらいはあるが従順で好ましく、その内に潜む歪さも評価点だ。思考を読んだが、今も無惨の褒め言葉を素直に受け取り、喜んでいるようだ。
「君を呼んだ理由だが……会わせたい鬼がいる」
基本的に無惨は鬼同士が手を結ぶのを好まないが、塁や廃灰のようなお気に入りは例外だ。或いは……
「会わせたい鬼……? 累さんの時と同じような紹介、という認識でよろしいですか?」
「当たらずも遠からず、だな。会わせたい鬼というのは……そこにいる鳴女だ」
鳴女のように他の鬼と共に運営して初めて真価を発揮するような鬼も例外の一つだ。
「そして累の時のようにただ会わせるだけではない。お前たちに仕事をさせたい」
無惨はいつの間にか持っていた地図を広げていた。
「君の感知能力と鳴女の血鬼術があれば、面白い事ができるだろう」
「感知……?」
「君の鼻だ。ある程度限定した範囲でなら、君の嗅覚に勝る索敵はない」
そう言っても廃灰はピンと来ていなさそうな顔をする。
「貴方がそう仰るのであれば、そうなのでしょうが……失礼ですが、実感がないです」
「血鬼術よりもただの五感が優れているというのは、私も思う所があるが……実例もある」
それこそ先ほど例に出した猗窩座なども、血鬼術はあくまで補助的な役割に過ぎず、自らの拳を武器に戦う性質だ。それでなお、上弦の参に君臨している。事実として、優れた鬼の身体能力は血鬼術を超えることもあるのだ。
「鳴女には索敵手段がない。或いはもう少し血を与えれば発現するかもしれんが……鳴女の血鬼術は利便性に優れる故、博打のような真似で失いたくはない」
「ありがたいお言葉にございます」
そこで初めて廃灰の前でも声を出す鳴女。廃灰はチラリと彼女の方を見たが、それ以上の行動を鳴女に対しては行わなかった。
「将来的には鳴女に血を与えて広範囲の索敵手段を覚えさせるが、その前に試運転、というわけだ」
無惨なりにここ最近の鬼たちの不甲斐なさに危機感……というより我慢の限界があり、下の者たちの中でも見所のある鬼を育てようという気概があった。
そこで白羽の矢が立ったのが移動に重宝している鳴女と、成長著しい廃灰というわけである。どちらも十二鬼月ではないものの、従順かつ有能な手駒だ。
「話は分かったな? では本題に入る」
そう言って再び地図を広げる無惨。
「上弦の陸が根を張っている遊廓がある」
「遊廓、ですか……」
思考が読める無惨でなければ分からない程僅かに、廃灰が嫌そうな声で答える。
「別に君をそこに行かせるわけではないから安心しろ」
無惨は基本的に自分に逆らうような鬼、自分の言うことを否定する鬼はよほど有能でない限り即座に粛清する。だが、その嫌悪感が自分ではなく遊廓という場所そのものに向かっているのが分かっている無惨は、特に気にせずに続けた。
無惨とてあのような淫売女まみれの穢れた場所に好き好んで行きたいわけではない。
「その遊廓に、鬼狩りが潜み混んでいたようだ。堕姫が上手く釣りだしたらしい」
「堕姫?」
「そういえば君は知らなかったか……上弦の陸は二人で一人の鬼なのだよ」
あくまで上弦の陸は兄である妓夫太郎で、妹の堕姫はオマケ……という本心までは、無惨も言わなかった。
その横では鳴女が可愛らしく小首を傾げている。無惨がこのように一々疑問点を丁寧に説明することなどほとんどない。よほど廃灰が気に入っているのだな、と彼女は改めて認識する。
……初耳の情報を説明しただけでそんな印象になる辺り、普段の無惨の傍若無人っぷりが窺い知れる。
「敵の規模は不明。柱の存在もまだ確認できていないが、いると考えて動くべきだろう。どちらにせよ、鬼狩りも柱を増援に送ってくるはずだ。君にはその察知及び足止めをしてもらう」
鬼狩りは見ただけで鬼を正確に察知するが、鬼は基本的に柱かそれに準ずる力を持つ者以外は見ただけでは鬼狩りだとは分からない。
無惨もそれは常々疎ましく思っていたことだが……逆に言えば柱やそれに準ずる者は、ある程度容易に判別できるということだ。
「柱を察知したら鳴女の血鬼術でそこまで行き、妓夫太郎たちが鬼狩りを倒すまで食い止めろ」
鳴女の能力を使えばわざわざこんな迂遠な手を使わずとも直接遊廓へ増援を送ることもできるが……そこは本来なら他の鬼を組ませたがらない無惨のこだわりだ。
あまり大人数の派手な戦いをして鬼という存在がこれ以上世間に認知されるのも、無惨の望まない所である。
「柱を倒せとは言わない。日の加減によっては早めに切り上げてもいい。だが、あまり無様な戦いは見せるなよ」
「はい。しかし無惨様、本当に足止めだけでよろしいのですか?」
「……上弦の参すら柱一人と互角だった現状、認めたくはないが今代の柱はかなりの手練揃いと見える。今の君では勝てないさ」
心底忌々し気に吐き捨てる無惨。嫌なことを思い出してしまった、とでも言わんばかりの苦い表情だ。
「本拠地である遊郭で現在潜伏している鬼狩りを殺し、体制を整えた上で増援の柱も葬る。ある程度お膳立てしなければ、上弦とはいえ厳しい相手だろう」
その後も苦虫を噛み潰したような表情で続ける無惨。鬼狩りが手強いのも、上弦とは言え末席の陸では柱が二、三人いれば対処されてしまうことを認めるのも、心底腹立たしいようだ。
説明は終わりだ、とやや早口に言い切った無惨は、近くに置いてあった椅子に腰掛ける。
「細かい作戦は鳴女と二人で詰めるといい。私はしばらくここでやることがある」
そう言って分厚い医学書を開いて読書に耽る無惨。青い彼岸花について、彼も自らのツテを頼りに調べているのだ。
「はい……では無惨様、失礼します」
「失礼します、無惨様。御用の際はお呼びください」
再びベベン、という琵琶の音。気がつくと廃灰と鳴女は、無限城の別室にいた。
「さて、と」
無惨の前を辞したことで体勢を楽にした廃灰は、組むことになった鳴女に向き直る。
「今回はよろしくお願いしますね、鳴女さん」
「はい」
……沈黙。事務的に撤退の合図や地図の再確認をした後、二人の間には気まずい沈黙が流れる。
「……目、どうしたんですか?」
「貴女こそ」
廃灰も鳴女も目の周りを隠している。布を巻くのと髪で覆うという多少の差異はあるが、これはまたとない共通点にして話題の種だ。だが……
「……あまり、あのお方以外に知られたくありません」
「そうですか。僕も別に大した理由じゃないですよ。説明すると長くなるんで」
「そう、ですか」
「ええ」
……再び沈黙。元来廃灰は内気な性格である。そうでなくとも、鬼化して以降付けている、兄へのコンプレックスの現れの一つである目隠しのことを喋る気にはならなかった。
累の時はまだ話しやすかったのだが、彼や廃灰以上に陰気で無口な鳴女とは、特に会話が弾むこともなかった。
「……んっ」
もぞり、と鳴女が身じろぎする。
「どうかしましたか?」
「あのお方より伝達です。上弦の壱、黒死牟様がお見えになります」
上弦の壱。言うまでもなく上弦最強の鬼である。上弦の壱ともなれば事前の
「そうですか……とりあえず僕は、そこで失礼のないようにじっとしてますよ」
そう言いながら、部屋の隅で片膝を付いて頭を垂れる廃灰。
それを確認してから、ベン、ベベン、という琵琶の音を響かせる鳴女。そしてその数瞬後には、威厳すらある重厚な存在感が……上弦の壱、黒死牟が現れた。
「……あのお方の……お耳に入れておきたいことが……ある……繋げ……鳴女……」
「かしこまりました」
無言で平伏する廃灰と、それを認識していながら視界にも入れない黒死牟。後から振り返っても味気なさすぎるそれが……二人のファーストコンタクトだった。