暫くドアを睨み続けていた俺だったが、やがて背後から心底嫌そうに、されど非常に尊大な御言葉が投げつけられた為再び部屋の中央へ体を向けた。
「それで、貴方の名前は?」
「……比企谷八幡、1-Fっす」
ひきがやはちまん……と小さく復唱した雪ノ下先輩だったが、かぶりを振ってこんなことを言った。
「御免なさい、この学校の生徒は大凡……いえほぼ全員少なくとも名前くらいは覚えているはずなのだけれど、その名前は聞いた事がないわ」
「さいですか、どうせ俺は“みんな”なんぞの中には入ってない……今全員覚えてるって言いました?」
「ええ、でも誇ることは出来ないわね、あなたのような闇に埋れた生徒を見落としていたから」
闇に埋れてるってなんかすごい厨二っぽいな。まぁでも言い換えればお前みたいな根暗ぼっちなんて知らんということなのだが。
……そう言い終えると、早くも俺への興味を失ったかのように中央の椅子に座って本を——え、『Vingt mille lieues sous les mers』?……もしや海底二万里原語で読んでるのこの人。
なんで俺がフランス語の題名見ただけで分かったかと言うと、勿論俺が英語フランス語スペイン語ドイツ語ロシア語アラビア語マサイ語全てを習得したスーパーバイリンガルだから……
……では無い。厨二病全盛期に、外国の小説を原語で読めたらカコイイ!と思った俺は、近くの図書館に行きそこにあった洋書を片っ端から借りて持ち帰った。
無論そんな妄想だけで外国語が読めるようになる訳はなく、早々に挫折。しかし意地でも題名だけはと辞書を漁り、いくつかの有名どころの小説の題名を原題で覚える事はできるようになった。無論中身はまるで読めないのだが……
「……何かしら」
と、己の黒歴史を思い返し悶えていた俺だったが、その余りに不審すぎる行動に眉を顰めた雪ノ下先輩が心底気味が悪そうにそう尋ねてきた。
「い、いや……ところでこの部活ってなんの部活なんですか?」
流石に黒歴史を自分から暴露する気は無い。俺は誤魔化すようにそう逆に問い返した。もしここで『質問を質問で(ry)』と雪ノ下先輩が言ってきたらオタぼっちレーダーがビンビンに反応しまくるのだが——
「……そうね、ならクイズにしましょう。ここはなんの部活動でしょうか?」
あらら残念。……って、クイズ?
「……読書部?」
「その心は?」
「雪ノ下先輩がずっと本読んでるだけっぽいから」
「これはただの暇つぶしよ」
さいですか……読書部なら良かったんだが……
「……はい、時間切れ。正解は——」
スッと立ち上がる。ゆっくりと俺の方へ向け歩いてくる雪ノ下先輩を、相変わらずの腐り目で見つめつつ、俺はそこにぼんやり突っ立っていた。
「……比企ヶ谷くん、あなた最後に同年代の異性と話したのはいつかしら」
「妹とは毎日話してますよ」
「……訂正するわ、家族以外で最後に女子と話したのはいつかしら?」
正解ではなく、そんな事を言い出した雪ノ下先輩。女子と話したのは……?アレはいつだったか……斜め前の席の女子が消しゴムを落とし、それを拾って手渡した際に掛けられた『あ、ありがとう……』という言葉か……しかもそのあと近くの友達に『あんな人このクラスにいたっけ?』とヒソヒソ話していた……
「——持つ者が持たざる者に慈悲の心をもって此れを与える」
「はい?」
またもトラウマスイッチがオンになってしまい、沈黙せざるを得なかった俺を一瞥し、雪ノ下先輩はこんな事を言った。
「困っている人を手助けする。途上国にはODAを、ホームレスには就職支援を、モテない男子には女子との会話の手引きを。人はこれをボランティアと呼ぶ——ようこそ奉仕部へ。歓迎するわ、比企谷八幡くん」
微塵も嬉しくなさそうに、心底冷たい視線のまま雪ノ下雪乃は俺に向けそう宣った。ドMの性癖をお持ちの方ならさぞ天国のような環境であろうが、生憎俺の性癖スロットにそんなものはセットされていない。
「優れた人間は哀れな者を救う義務があるそうよ。感謝なさい、あなたの問題をこの私自ら矯正してあげるわ」
「いーや、結構。これでも俺は自分の事が嫌いじゃないんでね、人助けは別の人間相手にやって下さいよ」
にべもない拒絶。しかし自分で言った通り、俺はそもそもこの性格、このぼっち生活全て問題だとは微塵も感じていなかった。
孤高こそ至高。猜疑と拒絶のみを友とし、俺は今日まで一人で生きてきた。今更そんな尊大な上から目線の奴に「助けてやる」などと言われたところで「うるせぇばーか!!」であり、不要どころか害悪でしかない。
「違うわね、あなたのそれは単なる逃げと諦観よ。それを無理矢理そう思い込んでいるだけだわ」
「だとしてもアンタには関係ないでしょ。第一俺はこの間の実力テストで国語学年1位とった超エリートで、顔もそこそこ良い恵まれたハイスペ——」
「高々千葉の一高校での1位なんてなんの意味もないわ。そもそも学力だけで人の価値は測れないし、顔だってあなたの主観じゃない」
あっ、このアマ千葉をディスりやがったな?!ふざけんな全国魅力度ランキング21位の千葉王国を貶すとネズミの国から刺客が来るぞ?しかもあのランキング信憑性に難がある……という事で千葉の魅力は日本一ィィィィーーーー!!!!
あと、今の言葉で一つ分かった事がある
「……アンタ友達いないでしょ」
確かにド正論ではあったが、それ故に対人関係では敬遠されやすいものだ。ソースは俺……じゃない知り合いのH・H君。
「そうね、まずどこからどこまでが友達というのか定義してもらって良いかしら」
「あ、もういいです分かったんで」
そのセリフは友達いない奴専用機である。例えるならアムロとガンダム、シャアと……いやシャアは結構機体変えてたな……まぁとにかく雪ノ下先輩に友達いない事確定であるのは間違いない。
「……そもそもこの世界は不思議な事に優れた人間ほど生きづらいのよ。——でもそんなの間違っている。だから——
私が変えるの。人も、この世界も全て」
……不覚にも、俺は見惚れてしまった。その夢に、彼女の在り方に——
これは恋か?いや違う——同族相求、共感。
たったこれだけの会話でも、俺は直感的に悟っていた。俺と彼女は何処か似ている。だから——
「——あー、雪ノ下センパイ、なら、俺と友達に「御免なさいそれは無理」早ッ!!」
俺の絞り出した提案を突っぱね、生ゴミでも見るかのような視線で俺を一瞥した後、彼女は本をパタリと閉じ、鞄にしまうとスタスタと歩き去っていく。いや、ちょ——
「鍵、よろしくね」
そう言って、彼女はもうこちらに見向きもせずにドアを出て帰ってしまった。ええ……何なんだあのアマは……
「……チッ、やっぱ青春なんざ糞喰らえだ」
そう吐き捨て、隅の机に放ってあった鍵を握りしめる。こんな時はマッ缶をやけ飲みするに限る。俺は相棒の腐り目と共にこの忌々しい教室を後にした。
……まぁ、暫くしたら辞めてやるわこんな部活。