五条家は、菅原道真の子孫である。ならば当然。その遠縁である加々知家も、菅原道真の血を引いている。
菅原道真は、怨敵であった藤原時平を祟り殺す際にその身を蛇に変えて、時平の両耳から姿を現したという。
そして、“カガチ”とは、蛇の意である。加々知家は、元々、蛇に縁がある一族だった。相伝術式は、『白蛇操術(はくじゃそうじゅつ)』と言って、その名の通り白い蛇の式神を操ることが出来る術式らしい。(鉈弥には受け継がれなかったが)
「ふぅん」と、自分の家にあった古い文献を読んでいた加々知鉈弥は、まるで他人事のように吐息を漏らした。
ようは、蛇に転じた菅原道真の系譜で、さらに蛇に縁がある一族だったから、姦姦蛇螺の鱗の処理を押し付けられたのだ。相性が良いとかなんとか言われて。本家から大金を貰って。丸め込まれて。
ごろん。とソファに横たわる。勝手に実家から持ってきた文献を、雑に隣座っていた伏黒恵に投げ渡した。
「おい。投げるな」
「すまない。ソレ捨てておいて」
「……いいのか。お前の家の大事な文献なんだろ?」
「いいよ。役割の意味が分からなくなったって、誰も困らない。どうせ私の代で終わってしまえば、良いように改竄して後世に伝えるだろうし」
伏黒は、顔を顰めたあと、机の上に文献を置いた。それを今度は虎杖が手に取る。ぱらぱらと項を捲っては首を傾げていた。
「よくこんなの読めるな……ミミズみてぇ」
「似たようなのを絵本がわりに読んでたから」
「ふぅん……」
「おじさんが漫画とかくれるようになってからは、さっぱり読まなくなったけどな。漫画の方が面白い。実家に全部置いてきちまったのが悔やまれる。暇つぶしように適当に持ってきたのがそれだった」
ずっと雑誌を読んでいた釘崎が顔を上げて、「漫画好きなの?」と問う。加々知はにっかりと笑ってそれに頷いた。それから、話題は、どんな漫画が好きなのかというものに移って行く。穏やかな時間だった。高校生らしい、和気藹々とした雰囲気。
冷たいあの家で一生を終えるはずだった加々知は、この瞬間に高専に来られたことの意味を知った。
ほんわかとしたものが、胸に広がる。
願わくば。
願わくばずっと……
「……いや。あと1年か」
「なんか言った? 鉈弥ちゃん」
「なんにも言ってないぜ。野薔薇ちゃん」
たった1年だけでも、この暖かな友人達と過ごせるのならば、思い残すことなどないだろう。
■■■
2018年7月。
西東京市 英集少年院。
私たち高専1年生は、伊地知さんの案内の元、その少年院に招集されていた。
今回の任務は、人命救助である。
3時間ほど前、突如上空に現れた受胎を“窓”が確認。避難誘導9割の時点で施設を閉鎖。半径500メートル内の市民も避難完了をしたが、まだ中に5名取り残されているらしい。
受胎が変態する場合、殆どが特級となる。
普通なら同等の術師が対応に当たるのだが、日本には特級術師は片手で足りるほどしかいない上に、いま五条先生は出張中。
あと私が知っているのは2年生の乙骨先輩だが、彼は海外に出てるらしい。1回しか会ったことがないけれど、いい先輩だった。私の遠い親戚にあたると五条先生が言っていた。
今回は、圧倒的人手不足ということで、私たちが派遣されたのだとか。
少し違和感を覚える。2級の伏黒がいるとしても、特級案件は荷が重いはずだ。野薔薇ちゃんは3級で、私は4級。虎杖の級は知らないけど、同じくらいのはず。
どう考えたって、危険だ。実力不足。
そんなに人がいないのか。と首を傾げつつ、建物内に入ろうと扉を開いた。
「うえッ、」
入口から、中を視認した途端、吐いた。
「加々知!?」
伏黒が驚いている。
だが、それどころじゃなかった。視界がおかしい。何も変哲のないようなのに空間がねじ曲がっているような感覚。視覚情報と脳内処理の差異が酷い。
「ごめん……なんか、ウッ……気持ち悪い……」
「どうしたんだ!?」
「わかんない……見ている景色と、……感覚が合わない……ゲホッ……」
目を瞑るが、1度感じた気持ち悪さが消えない。元々目を閉じていればこんな事にはならなかったのかもしれない。
結局、私は入口を跨ぐことが出来ず、そのまま置いていかれることになった。
扉が閉まる。
情けない。口の中の酸っぱさが、なんとも惨めだ。本当は行かなければいけないのに、目眩が酷くて立ち上がれない。伊地知さんが走ってきて、私を抱えて門付近に座らせてくれた。
「……大丈夫ですか」
「……ごめんなさい、直ぐに後を追うから。目をつぶったまま行けば大丈夫なはず……」
「…………」
水の入ったペットボトルを貰い、口を濯ぐ。目を瞑って暫く耐えていると、目眩は治まってきた。これなら行ける。
ふらつきながら立ち上がる。だが、伊地知さんが私の腕を掴んで歩みを止めた。驚いて思わず目を開き、彼の顔を見る。
「誰かと一緒なら兎も角、4級の君を1人で行かせる訳には行きません。待機してください」
「でも、」
「従ってください。そんなにフラフラでどうするんですか。万全な状態でもない子供を1人で死地に向かわせられない」
その死地に、みんなは入っているのに?
「私だけ、そんなの、」
「…………」
「ッ、」
その真剣な目に、言葉が詰まる。
なにも、していないのに。
なにも、できていないのに。
「待っていましょう。彼らなら無事に戻ってくる筈です」
待っている間、時間がやけにゆっくり進んでいる気がした。何度も1人で行ってしまおうとして、その度に伊地知さんに止められた。その気になれば、伊地知さんを突き飛ばして突入することもできたのだが、伊地知さんに怪我をさせたくは無い。この人はいい人なのだ。
皆の無事を祈り、ただひたすらに帰りを待った。
待っていると、突然扉が開いて伏黒と野薔薇ちゃんが飛び出してきた。伏黒は無傷なようだけれど、野薔薇ちゃんは怪我をしているようだった。伊地知さんが彼女を抱き上げて場を離れようとする。その時、犬の遠吠えが辺りに響き渡った。姿は見えないが、伏黒の玉犬らしい。
「虎杖は、」
「……中だ」
「は、?」
話を聞くと、特級呪霊に遭遇した彼らは、このままでは逃げられないと判断し、虎杖を残して撤退したと。さっきの玉犬の鳴き声を合図に、宿儺と代わり、呪霊を倒す手筈なのだと言う。
だが、私の中の何かが言っている。「上手くいくわけないだろう」と。
■■■
宿儺は、眼前の伏黒と加々知を見て不敵に笑った。「小僧を人質にする」と、心臓を抜き取り、捨て去る。宿儺は心臓が無くても生きいられるが、虎杖はそうはいかない。変われば即死する。
加々知は、ひゅ、と喉を引き攣らせた。震える手で、太腿に取り付けられたホルダーからアイスピックを取り出し、構える。
「まあ待て、女。お前は後だ、慌てるな」
「虎杖を返してもらう。宿儺」
瞬間。宿儺は、体の異変を感じ取った。加々知の瞳から目が離せない。金縛りにあったようにその場に縫い付けられていた。
加々知の金色の目が、イヤに輝いている。
「ほう、」
即座に理解する。そして、顔を歪めた。
「あの忌々しい蛇の権能か。気が変わった。お前から殺す」
ごきり、と筋繊維を無理やり動かす。だが、依然として体の自由が効かない。不愉快だと舌打ちをしながら、ゆっくりと進んでいく。
そこに、伏黒が鵺を呼び出し撹乱しながら本人が攻撃を仕掛けに行った。宿儺は、それを軽くいなしてまた笑う。
「せっかく外に出たんだ。広く使おう」
今度は加々知がアイスピックを握り締めて、宿儺の背面に立った。だが、当然の如く当たらない。
「頑張れ頑張れ」
「ふっ、」
「? 何を笑っている」
「見ながら戦うのって、楽だ」
加々知の瞳が怪しく煌めき、瞳孔が更に細長くなる。それと同時に、ぎしりと宿儺の動きが鈍った。その隙に、するりと加々知が宿儺に絡みつき、首元にアイスピックを突き刺す。
体内に加々知の呪毒が流れ込む。この呪毒は出血毒に似た効果があるらしい。宿儺の反転術式をもってすれば、すぐに解毒することができる。大した問題じゃない。
「なるほどな」
宿儺は、加々知を引き剥がすと、軽く投げて宙に浮かせ、サッカーボールを蹴り飛ばすような気軽さで加々知の腹を蹴り上げた。凄まじい勢いである。遠く遠くへ吹き飛んでいき、壁に激突して加々知は崩れ落ちるように倒れ込んだ。
「ひゅっ、……がはッ、……」
「貴様。自分の術式を理解していないな? 無意識のうちに使っているというわけか。
キヒッ。あの蛇も、浮かばれまい。こんな弱い小娘に己の権能を無駄遣いされてはな。
ふむ。少しは溜飲が下がった。もう楽にしてやろう……ん?」
宿儺が、加々知にトドメを刺そうとした瞬間、伏黒の式神の巨大な蛇が彼を飲み込んだ。
加々知は、伏黒が宿儺と戦っているのを眺めながら、ぷつりと意識を手放した。
■■■
加々知が目を覚ますと、そこは自室だった。オートリカバリーのおかげか、もう身体は全快している。
よろけながら立ち上がって、同級生達を探す。
めちゃくちゃに廊下を走っていると、曲がり角で誰かにぶつかった。転びそうになるのを咄嗟に支えられる。
見上げると、五条悟の姿がそこにあった。
「先生……い、虎杖と伏黒は!?」
「…………恵は無事」
「………………『恵は』? じゃあ、虎杖は」
「……ごめん。悠二は、死んだよ」
加々知は、よろめいて、その場に座り込んだ。
「……………………」
「鉈弥。体は大丈夫? あれから3日間眠っていたんだよ」
「私のことなんか、どうだっていい…………先生、あとの二人は、どこにいる?ご存知?」
「……訓練場だよ」
「分かった」
「……泣かないんだね」
五条は、気が付くとそう言っていた。加々知は、凪いだ瞳で五条を見据えて口を開く。
「……私に泣く資格は無いよ。
先生。先生は私の術式が分かるよね?
……教えて欲しい。強くならなきゃいけないんだ」
五条は、その静かな瞳を見ながら黙って頷いた。
■■■
胃の腑が疼く。この感覚には覚えがあった。マニュアルで反転術式を使った時と同じもの。
これは、私の中にある蛇の力を使っている時に起こるらしい。宿儺と対峙した時、その感覚があった。確かあの時、私は宿儺と目を合わせたら、彼の動きが少しだけ鈍くなった気がした。
“蛇の権能”と宿儺は言っていた。
蛇。動きが止まる……
『蛇に睨まれた蛙』とかそういうことだろうか。
通常、術式というのは、本能で使い方を理解するらしい。だけれども、私は全くと言っていいほど自分の術式が分からなかった。
そこで、五条先生に協力してもらって術式の解明を始めたのだ。
判明しているのは、反転術式による回復とピット器官に似た効果の目。そして、『蛇に睨まれた蛙』的なやつ。
これ全てが“蛇の権能”なのだろうか。
1から100まで教えてもらうより、ある程度自分で気がついた方がいいだろうとの事で、五条先生がくれるのはヒントだけ。あとは先輩方にも協力してもらって、自分の術式を探った。
「!?」
「なーるほどな。目を合わすと金縛りになるのか。初見殺しだな」
「声も出せねぇみたいだな。こりゃいい」
やって見せろと言われたので、あの時の感覚を思い出して狗巻先輩と目を合わせてみた。宿儺の時より効果が強い。パンダ先輩と真希ちゃん先輩が様子を観察しながら感嘆の息をついた。
「呪霊には使えないんだよな?」
「呪霊とは目を合わせられないから無理。至極残念……」
「対人間用ってか。交流会で役に立つな」
「交流会?」
「アレ? 聞いてなかった?」
パンダ先輩が不思議そうな顔で私に問う。首を振ると、真希ちゃん先輩が微妙な顔をしていた。
「五条め、言い忘れてやがったな」
説明を受ける。姉妹校である京都の高専と年に1回行うものらしい。1日目が団体戦、2日目が個人戦で腕を競うのだとか。
本来ならば2、3年生のイベントなのだが、今私達の3年生は停学中なので人数が足らず、代わりに1年生の私達がかり出されたと。
「なんで五条先生、そういう大事な話を伝え忘れる?」
「五条だからな。諦めろ」
とりあえず、目標ができた。力試しは交流会で行う。
「……おかか!!」
「お、動けた。3分ってところか? なかなか脅威だな。これだけあればタコ殴りにできる」
「タコ殴り……」
「だけどな、困ったことに呪術師ってのは目線を隠すのが上手いんだよなぁ……五条みたいに目元を隠すやつもいるし」
皆で頭を抱える。どうすれば有効的に扱えるだろうか。
「しゃけ、こんぶ、明太子」
「?」
ボディーランゲージで狗巻先輩が何かを伝えようとしている。最後にあっちの方で休憩していた野薔薇ちゃんを指さした。
「えっと?」
「あーはいはい。なるほどね。挑発して目線を向けさせると」
「上手くいく?」
「術師ってな、だいたいプライド高ぇんだよ。お高くとまってる連中ばっかだからな」
「お前、ちょっとパンダ挑発してみろ」
「無茶ぶり……」
挑発、挑発……ちらり、と野薔薇ちゃんを見る。彼女なら、なんて言うだろうか。
「……えっと、『クサイ。ドブ風呂にでも浸かってたのか?』」
「…………」
「…………」
「臭くない!!!!……ッ、!」
「あ、掛かった。いけるなこれ。ついでに中指とか立ててみろ」
「こう?」
「イイ感じだ」
「禪院先輩! 加々知に変なこと教えないでください!」
ずっと見ていた伏黒が、声を荒らげながら走ってくる。
「お、伏黒ママが来たぞ。相変わらず過保護だなお前のママ」
「まま」
「ママじゃない」
「ママじゃないなら良くね?」
「……だけど、加々知に変になこと教えられるのは困ります」
「困るか? ほら鉈弥、中指」
「立てるな」
■■■
加々知は、受け身が上手い。すぐに体勢を整えられる。釘崎を放り投げながら、パンダはそう思った。元々、真希に鍛えてもらっていたためか、ほかの1年よりは近接戦闘が上達していた。
ウェイトが軽い分、力はないが、身のこなしは軽やか。身体の使い方をよく理解できていた。
だが、長物の扱いは下手。手元で扱えるアイスピックが最適解だろう。
恐らく、あのアイスピックから流し込む呪力の効果も、“蛇の権能”とやらが関係している。出血毒や神経毒の効果を付与しているのだ。なかなかに厄介な術式である。出来ることの幅が、解釈が広い。
それ故に、持て余している印象である。
「うーん。今年の1年は伸び代があるね」
そう呟いて、また釘崎を遠くへ放り投げた。
菅原道真が蛇になって藤原時平の耳から出てきた云々は、蛇ではなく青い竜だったという話もありますが、この作品では蛇ということにします。ご都合主義。
鉈弥の戦闘力は、恐らく1年の中で最弱。逆に言うと伸び代は1年の中で1番です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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