黎明廻戦   作:鯖のごった煮

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第一◯話 快刀乱麻を断つ

 轟音鳴り響く『前線基地(イドフロント)』下層の廊下。

 

 刀を携えた乙骨は、祈本と共に薄暗いそこを駆けていた。時刻は午前3時過ぎ、きっと外に出れば輝く月が見えたことだろう。

 

 眼前にて待ち構える『祈手(アンブラハンズ)』たちを前にして、乙骨の思考は凪いでいた。

 

「お待ち」「待って」「こちらへ」

 

 すれ違いざまに三連撃。『祈手(アンブラハンズ)』たちから血が噴き出す。

 

 よろめく彼らは、直後に放たれた祈本の打撃で叩き潰された。3秒足らずで壁の沁みと化した彼らに、もう抵抗する力は残っていない。

 

「……ここにも、ない」

『ない゙、な゙いぃぃ!』

 

 苦もなく『祈手(アンブラハンズ)』を惨殺した乙骨の顔には、しかし焦りが浮かんでいた。背後の祈本も口をへの字に曲げて不満そうにしている。血に塗れた両の拳を、小刻みに震わせていた。

 

 ことボンドルドの戦いにおいて、何より重要なもの。

 

 それは間違いなく、彼の生命線を見つけることだ。二年前に目撃したボンドルドの肉体の乗り移り。それを成している彼の呪物を発見し、破壊する。そうしてようやく、乙骨とボンドルドは同じ土俵に立てるのだ。

 

「『精神隷属機(ゾアホリック)』…」

 

 乗り移りの種は割れている。ボンドルド自身が、乙骨にそれを教えてくれた。『精神隷属機(ゾアホリック)』。笛の音を媒介することで、他者に自身の精神を植え付ける呪物。実際に見させてこそくれなかったが、ボンドルドは事細かにそれの特徴について説明してくれていた。最初のボンドルドの成れ果てであるそれを破壊出来れば、戦局は確実に乙骨へと傾くだろう。

 

 問題は、一向にその『精神隷属機(ゾアホリック)』が見つからないこと。

 

「……里香、下に行こう」

『わがっだ!!』

 

 乙骨の言葉を受けて、屈託なく嗤う祈本が両腕を廊下に叩きつけた。

 

 凄まじい衝撃が走り、瞬く間に崩壊する床面。重力に身を任せるような形で、乙骨は一階層下に突入した。続いて祈本もそこに侵入する。

 

 祈本の攻撃の影響で、辺り一面には土煙が立ち込めていた。視界が霧に覆われている。落ちてきた部屋の全容はおろか、足元に転がっているであろう床面の残骸すら良く見えない。軽く咳き込んだ乙骨は、無手の左腕で砂塵を払って。

 

「素晴らしい」

 

 灰色のヴェールの先では、紫の光が瞬いていた。

 

「…お久しぶり、ですね」

「ええ、さっきぶりになりますね」

 

 塵埃の晴れた先。瓦礫の並ぶ研究室を背景に、ボンドルドは悠然と手を広げていた。

 

 彼の背後からは、装甲に覆われた尻尾が伸びている。あの時と同じ、どこか機械的な尾。恐らく、いいや絶対に、このボンドルドは高い実力を持っている。

 

「君は本当に素晴らしい」

「……何がですか」

 

 吐き捨てるように返事を告げて、乙骨は剣を両手で持ち直した。正眼の構え。刃の向こう側にボンドルドの姿を捉える。

 

 今はまだ、相手の間合いまで踏み込むことはしない。無闇に剣を振るえばボンドルドの思う壺だ。焦らず冷静に、着実に攻めていかなければ。ボンドルドは断じて、勢いだけでどうにかなる相手ではない。

 

「遂に君の…君だけの祈りを見つけたのでしょう。おめでとうユウタ。ああ、大変喜ばしい」

 

 乙骨の警戒などこ吹く風といった様子で、ボンドルドあらんばかりの賛辞を述べた。決して嘘偽りではない、心から溢れたボンドルドの本音。構わない。今はただ、刃を敵に向けるのみ。自身が出来る極限まで、殺意を研ぎ澄まし集中する。

 

「さあ、ユウタ」

 

 気づいた時には。

 

 ボンドルドは乙骨の真横に滑り込んでいた。はためく黒衣。低い姿勢から放たれた尻尾が、乙骨の胴目掛けて伸長する。

 

 咄嗟に乙骨は刀で防御、白い刀身に唸る尻尾が激突する。

 

「ッ!!」

 

 次の瞬間、乙骨の目の前で黒い火花が弾けた。ぐらつく視界。小爆発にも似た衝撃を受けて、乙骨は5mほど吹き飛ばされる。全身の筋肉がぴりぴりと震えた。

 

 即座に体制を整え、乙骨は刀の切っ先をボンドルドへと向けた。

 

「共にぶつかり、そして夜明けを見届けましょう」

 

 しかしそこには、既にボンドルドは立っていない。

 

 乙骨の足元。その数センチ手前まで、スライディングのような形でボンドルドが迫ってきている。彼の尻尾は、現在乙骨の眼前にて振りかぶられていた。後1秒足らずで、直撃する。

 

『憂太ぁ゙!!』

 

 その直前に、ボンドルドへと祈本の拳が振り下ろされた。人体は勿論、コンクリートすら容易く砕く巨大な豪腕。ボンドルドは咄嗟に横に跳び、祈本の攻撃を回避した。彼女の拳は床に直撃、漂っていた砂の粒子を吹き飛ばし、部屋全体に蜘蛛の目状の亀裂を刻んだ。

 

「相変わらず、驚異的な破壊力ですね。いやはや、羨ましい」

 

 風圧でたなびく黒衣を気にすることなく、ボンドルドはまた手を広げた。乙骨はじりじりと後退し、彼から距離を取っている。刀を握る両手には、じんわりとした汗が滲んでいた。

 

 今の攻防の中で、乙骨の内にあった疑問が確信に変わったのだ。

 

「アナタのその身体…天与呪縛ですか」

「これはこれは、ご明察ですね」

 

 今現在、ボンドルドの肉体には呪力が全く宿っていない。一般人並ですらない、完全な0。全身を固める呪具、背中に背負う機器、そして尻尾からも漏れ出ている呪力が、その中身(からだ)からは微塵も感じられないのだ。それはさながらがらんどう、鎧が一人でに動いているようにも思われた。

 

 この現象について、乙骨はおおよそ当たりがついていた。

 

 天与呪縛、生まれついて備わった『縛り』。ボンドルドの場合は、呪力全てを引き換えに身体能力を底上げされているのか。確かにそれならば、あの馬鹿げた速さにも納得が行く。

 

 生物として最高峰の肉体を、恐らく今のボンドルドは保有しているのだ。

 

「『明星へ登る(ギャングウェイ)』」

 

 やがて放たれた紫の魔弾。乱反射する光の弾丸のみを残して、ボンドルドの姿が搔き消える。

 

 乙骨は全身を呪力で強化。複数方向から迫る光弾を全て己が身で受け止めた。同時に横合いから振るわれたボンドルドの尻尾を刀で防御する。刹那の攻防。一瞬でも気を抜けば、待っているのは敗北のみだ。

 

 そして生ずる黒い火花。乙骨が構える刃越しに、凄まじい衝撃が伝わってくる。

 

「くッ!」

 

 乙骨は吹き飛ばされそうになるのを必死に堪えた。後ろに弾かれつつも、決して地面から足を離さない。全身を巡る火花の震動を、身体の内のみに留め続けた。

 

 今のこれは、やはり間違いなく。

 

「…『黒閃』!!」

 

 打撃との誤差0.000001秒以内での呪力の衝突、その先にて弾ける黒い火花。狙って出せる術師は存在しないとされるそれを、あろうことかボンドルドは連続で成功させた。『黒閃』の威力は、平均で通常のそれの2.5乗。下手に喰らってしまえば、四肢すら簡単に捥げてしまいかねない。

 

 つまりは、一撃一撃が致命傷。まだボンドルドが『黒閃』を連発出来るどうかは確定した訳ではない。しかし、彼ならば出来るだろうという確信が乙骨にはあった。

 

 そうであるならば、どうするか。

 

「里香、合わせろ」

 

 無言で首肯する祈本を視界の端に、乙骨は呪力の出力を更に高めた。

 

 全身を呪力で強化し、手に持つ刀にも呪力を纏わせる。冴え渡る思考。あらゆる雑音を不要のものとして切り捨てる。高鳴り続ける心臓だけが、静寂の中でひどく煩かった。

 

 ボンドルドと乙骨、両者は同じタイミングで足を踏み出した。

 

「『枢機へ還す光(スパラグモス)』」

 

 ボンドルドの両肘から光が噴き出す。下から斜めに、左右から謎めいた光剣が乙骨へと肉迫する。乙骨は走る勢いのまま宙に跳び、祈本もそれに追従。ボンドルドの挟撃をぎりぎりで交わした。

 

 中空にて身を捻った乙骨は、そのままボンドルドへと刀を翻す。

 

「おっと」

 

 上空からの乙骨の斬撃と、ボンドルドの尻尾がかち合った。空間に走る『黒閃』の亀裂。それに怯むことなく、乙骨は続けざまに連撃を放った。

 

 左、右、斜め上、下。落下しながら振るわれた乙骨の斬撃。あらゆる角度からボンドルドに迫るそれが、彼の尻尾によって全てはたき落される。連続する『黒閃』。その余波が乙骨の身体に重い痛みを与えていた。手足に無視出来ない痺れが蓄積している。

 

 やがて乙骨は床に着地した。息の荒い彼の顔前に、ボンドルドの右肘があてがわれる。

 

「『枢機へ(スパラグ)——」

『まっで』

 

 万物を貫く悍ましい光線。それが発射される寸前に、祈本がボンドルドに殴りかかる。横から来る拳をボンドルドは小ジャンプで躱し、軽やかにその巨腕へと飛び乗った。

 

『あ゙』

 

 祈本が危ない。乙骨は地を蹴りボンドルドの元へと飛び出した。すれ違い樣に剣を一閃。『黒閃』で防がれた勢いのまま、乙骨はボンドルドの真上を位置取った。

 

 重力に従い、乙骨の剣がボンドルドの元に落ちていく。

 

「!」

 

 乙骨の攻撃をボンドルドは尻尾で防ぎ、しかし『黒閃』は出なかった。裂けた装甲から僅かな血飛沫が舞う。地面に降り立った乙骨は、血に濡れた己の剣を確かに見た。

 

『あかぁぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ!』

 

 ボンドルドが負傷した瞬間を好機を見たのか、祈本は伸ばしきっていた腕を引き、そのままその腕を振りかぶった。未だボンドルドは乙骨の目の前。彼は祈本が動き出す直前に、その足場(うで)から飛び降りていたのだ。

 

 広げる両腕。その肘には、再び凄まじい光量が満ちている。

 

「里香、避けろ!!」

「『枢機へ還す光(スパラグモス)』」

 

 乙骨が屈んだ直後に、横薙ぎの斬撃が彼の真上を通り過ぎた。髪の毛先が焼け焦げる音。後一歩遅れていれば、首が落ちていた。

 

 上を見れば、祈本が傷一つない姿で浮かんでいた。恐らくは上空へと飛翔することでボンドルドの攻撃を回避したのだろう。敵意の滲む彼女の視線は、ただ一人ボンドルドに注がれている。構えられた彼女の両手は、固い握り拳を作っていた。

 

 突き刺さる殺意を気にしているのかいないのか、ボンドルドは蒸気を纏う両手を広げた。

 

「ああ、なんと素晴らしい。ヒトと呪いでありながら、共に助け愛し合う。……本当に感動的です」

 

 つい先ほどのボンドルドの尻尾攻撃。そこに『黒閃』は伴っていなかった。尻尾に傷を入れられたのがいい証拠だ。どうやら、いつどんなタイミングでも尻尾から『黒閃』が放てる訳ではないらしい。

 

 どういう方法か、尻尾のみで呪力操作を完結させていることが関係しているのだろう。乙骨の目から見ても、明らかに尻尾の呪力の流れが乱れる瞬間は確かにあった。

 

『憂太、アイツころ゙せる?』

「うん、いけるさ」

 

 手で軽く刀を弄びながら、乙骨は側へ寄って来た祈本に囁いた。

 

「ボンドルドさんの動きにも、段々慣れてきた」

 

 天与の暴君。本来備わっていたはずの呪力の一切を引き換えにすることで、生物として限界を超えたその肉体。

 

 その速さに順応し始めている異常さに、果たして乙骨は気づいているのか。

 

「だからさ、里香」

 

 乙骨は柔らかな微笑を浮かべながら、祈本の方へ顔を向けた。明らかな隙だ。しかしボンドルドは動き出さず、興味深そうに彼らの姿を観察していた。

 

「もっと派手に、激しく行こう」

『うぅ゙ん!』

 

 祈本はぶんぶんと首を縦に振って、同時に握り拳を持ち上げた。聳えんばかりの巨大な掌。夥しい呪力で構成されたそれが、標的の元へ一直線に叩きつけられる。

 

 彼女の巨腕が向かう先は、ボンドルドの方向ではなく。

 

「……おやおやおや」

 

 『前線基地(イドフロント)』の壁。部屋と部屋を区切っていたそれが、祈本の攻撃を受け音を立てて崩壊した。噴出する粉塵。乙骨の姿が、墜落する鉄骨やコンクリートに遮られる。祈本も乙骨の元に向かい、やがてその部屋にはボンドルドのみが取り残された。

 

 時刻は午前3時半。僅かに傾いた月は、未だ燦々と瞬いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この戦いでの乙骨の目的は、当然ながらボンドルドの殺害である。

 

 肉体的な意味に留まらない、その存在の完全な抹殺。そのための呪物『精神隷属機(ゾアホリック)』の捜索なのだ。乙骨は決して、ボンドルドの戦闘体と戦うために下層を荒らしている訳ではない。

 

 『精神隷属機(ゾアホリック)』の術式効果を鑑みるに、きっと最終的に乙骨はボンドルドの抱える『祈手(アンブラハンズ)』を皆殺しにしなければいけないだろう。しかしながらそれは、『精神隷属機(ゾアホリック)』の破壊よりも『祈手(アンブラハンズ)』の殺害を優先する理由にはならない。むしろボンドルドの生命線である『精神隷属機(ゾアホリック)』の方が、優先度としては高いまであった。

 

 故に乙骨は、ボンドルドとの命懸けの鬼ごっこを選択したのだ。

 

「『月に触れる(ファーカレス)』」

「…気をつけて、里香。ボンドルドさんが来る」

 

 祈本が積み上げた瓦礫の山。その向こう、隙間から、得体の知れない黒い触手が伸びてくる。不定形に蠢くそれは、瞬く間に天井、瓦礫へとへばり付いた。

 

「ユウタ、そんなに焦らないで下さい」

 

 ボンドルドの声が聞こえるが否や、乙骨は瓦礫の山の反対側——薄暗い研究室の奥へ駆け出した。呪力で足を強化した全力疾走。祈本もそれに付き従う。背後にて聞こえる歪な水音が、ひたすらに不気味で仕方ない。

 

「里香、妨害をお願い」

『りょぅ゙かいぃいい゙!!』

 

 乙骨の言葉を受けて、祈本は哄笑を上げながら両腕を振り回した。彼女の拳の一振り一振りが、周囲に乱立する機器を薙ぎ倒す。乱回転しぐしゃぐしゃに潰れたそれらは、ただ転がっているだけで障害物として十分な機能を果たすことだろう。

 

 積み上がる鉄塊たち。それらを掻い潜りこちらに迫る触手を躱しながら、乙骨と祈本は一心に逃げ続けた。乙骨が『精神隷属機(ゾアホリック)』を探し、祈本が全てを壊し尽くし妨害工作とする。それを追っ手を意識しながら、新しい部屋に入る度に繰り返す。しかし計5つの部屋を経ても、『精神隷属機(ゾアホリック)』はどこにも設置されていなかった。時間だけが過ぎ、乙骨の中で焦りが積もり続ける。

 

『どこ? どこぉお゙お?』

「くそッ、どこに…!?」

 

 通算6度目の研究室への侵入。乙骨は、乱れる髪に構うことなく部屋を見渡した。祈本が機器を跡形なく押し潰す中、『精神隷属機(ゾアホリック)』が置かれていないか立ち止まって精査する。焦燥から、乙骨は追っ手のことすら忘れて事細かく観察してしまっていた。

 

 だから、背後に這い寄るボンドルドの気配に気づけなかった。

 

「ようやっと、追いつけました」

 

 こつり、と。

 

 乙骨の背後の壁面に、ボンドルドは『月に触れる(ファーカレス)』を利用して張り付いていた。乙骨が後ろに振り向くと同時に、彼の右腕から3本の黒針が射出される。『呪い針(シェイカー)』、質量に応じ接触した対象に呪いを植え付ける呪具。

 

 高速で飛来するそれら全てを、乙骨は刀の数振りで斬り伏せた。真っ二つとなった黒針たちが、地面に力なく転がり落ちる。

 

『憂太を゙、虐めるな!』

 

 乙骨に遅れてボンドルドの姿を認めた祈本は、すぐに動き出した。

 

 ボンドルドの頭目掛けて、祈本の横殴りの巨腕が押し迫る。あらゆるものを押し潰す圧倒的な破壊の奔流。瞬く間に接近するそれが、ボンドルドの黒衣を風圧で撫ぜた。

 

「おおっと」

 

 一言吐いて、ボンドルドは壁から中空へと跳躍した。直後に祈本の拳を受け、彼の掛けていた壁全体が崩壊する。左手にしなる触腕を携えたボンドルドは、やがて乙骨の真上に躍り出た。

 

 不意に乙骨の顔に影が差す。ボンドルドの影。彼の右肘から、眩い極光が迸る。

 

「『枢機へ還す光(スパラグモス)』」

 

 乙骨は、咄嗟に半歩後ろに下がった。

 

 刹那。乙骨の眼前——つい先ほどまで乙骨が立っていた地面を、輝く光線が通り過ぎる。立ち昇る小ぶりな砂塵。コンクリートの床には、深い裂傷が刻まれていた。

 

 ボンドルドは攻撃を避けた乙骨へ更に光剣で追撃。乱舞するそれを乙骨は、左へ横へとステップで躱し続けた。幾度かの連撃を放ったボンドルドは床に着地、右肘より噴き出る光も段々と勢いを失っていった。油断なく刀を握り締める乙骨を見つめながら、ボンドルドは一歩前へと進む。

 

 同時に、ボンドルドの背後の祈本が手に持った瓦礫を投げつけた。

 

「おやおや」

 

 軽自動車ほどの大きさの瓦礫。研究室に林立していた機器だったものが、ボンドルドの元に高速で飛来する。祈本の豪腕で投げられたそれは、あっという間にボンドルドの間近まで到達していた。

 

 それなり以上の破壊力を持つはずのそれを、ボンドルドは尻尾の一振りで粉微塵にした。

 

 響き渡る『黒閃』。ばらばらになる瓦礫を見届けながら、乙骨はボンドルドへと駆け出した。両手で持つ刀を、ボンドルドの脳天に振り下ろす。

 

「———ッ!!」

 

 呪力を込めた、乙骨の渾身の一撃。

 

 叩きつけるように振るったそれは、ボンドルドの右腕に阻まれていた。彼の刃はボンドルドの外装に食い込んでこそいたが、逆に言うならばそれだけだ。完全に、防がれた。

 

 息を呑んだ乙骨。彼の土手っ腹に、ボンドルドの尻尾が叩き込まれる。弾ける『黒閃』、乙骨の身体中を黒い火花が駆け巡る。クリーンヒットした。身体の芯が軋むような衝撃に、乙骨は思わず数歩後退してしまう。

 

『ゆゔたぁあ゙あ!!』

 

 愛する人の危機を目の当たりにし、大口を開けて祈本は叫んだ。身体に満ち満ちる憎悪のままに、彼女はボンドルドへと両の拳を振り上げて。

 

「『月に触れる(ファーカレス)』——閉じろ」

『い゙っ!?』

 

 いつの間にやら、祈本の周囲に展開されていた黒い触腕。強靭かつしなやかなそれらが、祈本を中心に一点に収束した。唐突な触手の動きに祈本は対応し切れず、3秒足らずで彼女の全身は『月に触れる(ファーカレス)』に覆われた。

 

 あらん限りの力を使って、祈本は触手の拘束から抜け出そうとした。必死に踠く彼女の姿をちらと見遣って、ボンドルドは乙骨の方へと向き直った。

 

「……」

「おやおや。大丈夫ですか、ユウタ?」

 

 片手で刀を持ったまま立ち尽くす乙骨に、ボンドルドは心配そうな声出した。

 

 乙骨の身を案じながら、彼は同時に前傾姿勢を取っている。明らかな攻撃の準備動作。触腕の檻に囚われた祈本を携えて、ボンドルドは乙骨の方へと跳び出した。

 

『ゆ゙、ゔ、だ』

 

 直後に。

 

 ぶちぶちと、生きた呪霊の拘束具を祈本は引き千切った。尋常でない強度を持つはずの『月に触れる(ファーカレス)』が、呆気なく破られていく。当然だ。たかが準一級以下の寄せ集めが、底なしの呪力に叶うはずもない。

 

 呪霊の肉から溢れ続ける鮮血。ぬめぬめとてかるそれを身体中に浴びながら、祈本はボンドルドへと殴りかかった。

 

「これは驚きました。『月に触れる(ファーカレス)』が、ここまで速く破られるとは」

 

 祈本の拳を、ボンドルドは右手で受け止めた。ボンドルドの立つ地面に亀裂が走り、彼の身体が小さく沈む。その余りの衝撃に、ボンドルドの全身は僅かばかりだが震えていた。

 

 目の前にて晒された敵の隙。乙骨の足が、ゆっくりと動き始めた。

 

「……今なら」

 

 乙骨は何も、『黒閃』で重篤なダメージを受けていたから立ち止まっていたのではない。

 

 無意識の内に、彼は理解しようといていた。『黒閃』という現象、その何たるかを。身体の奥深くまで染み込んだそれを、咀嚼し、味わっていた。自然と研磨されていく意識。自身の喰らったそれをものとするために、乙骨の刀に呪力が宿る。全身全霊、ありったけの呪力。歩み始めた足の速度は、ひたすらに上がり続けている。

 

 かくして、黒い火花が微笑んだ相手は。

 

「なんと…!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()、『()()()()()()()()()()

 

 部屋に、空間に走る黒い稲妻。その衝撃は、軽い旋風を引き起こした。振動する大地、たなびく自身の髪。今はただ、全てが心地良く感じられる。これが、呪力の核心に近づくということ。

 

「素晴らしい…素晴らしい……!」

 

 何やら感動して震えているボンドルド。彼の尻尾の先端は、見事に弾け飛んでいた。放たれたのは同じ『黒閃』。故にこそ、後は込められた呪力量が物を言ったのだろう。乙骨の刀も僅かにひび割れてしまっているが、それでもボンドルドの尻尾ほどではない。

 

 欠けた尻尾から黒い肉塊を零しながら、ボンドルドは左にステップした。即座に振るわれた祈本の追撃も躱し、ボンドルドは乙骨らから距離を取る。

 

「ボンドルドさん、何を…」

「『枢機へ還す光(スパラグモス)』」

 

 輝く光剣を二振り、ボンドルドの左右の機器や瓦礫が崩落する。通路を塞がれた。

 

 しかしこの程度の障害物ならば、祈本の手ですぐ取り壊せる。このまま『精神隷属機(ゾアホリック)』探索を再開しても良いが、ボンドルドの動きが少々不気味だ。祈本に先導される形で、乙骨たちはボンドルドを追いかけることとした。

 

「すみません、ユウタ。もっと君たちの頑張りを見ていたいですが、これ以上設備を壊されては支障が出ます」

 

 そして、乙骨たちは目撃した。

 

 祈本が取り除いてくれた瓦礫の先で、ボンドルドは一人立っていた。手と手を合わせ、祈るような仕草。心なしか、胸に下げられた白笛の呪力の勢いが増している。

 

 あれは印だ。ボンドルドは、両手で印を結んでいる。乙骨も術師として、今までずっと呪術の知識を学んできた。手で印を結ぶという行為。その意味が、その意図が、分からない訳がない。最悪だ。急いでボンドルドのあれを防がなければ。

 

 けれど、もう全てが遅過ぎた。

 

 

 

 

 

「領域展開」

 

 

 

 

 

 世界が。

 

 暗く澱んだ。




あとがきという名の補足

◯ボンドルドの尻尾について
現在のボンドルドの肉体には呪力が宿っていないため(伏黒甚爾の身体能力は天与呪縛によるもののため、下手に呪いなどを植え付けるとかえってその恩恵が薄れてしまう可能性があります)、彼の尻尾には『月に触れる』と同質の呪霊の塊を詰めた上で『精神隷属機』でその精神を上書きしています。しかしながら、『精神隷属機』と呪いとの相性は結構悪いので、本編の通り少しだけ『黒閃』発動率は低下してしまっているようです。
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