護衛二日目。黒井を救出しに沖縄に向かったボンドルドらは、今現在海でのバカンスを存分に満喫していた。というのも黒井を攫っていたのがまさかの盤星教の信者、つまりは非術師であり、その捕縛、尋問が非常に手早く終わったのだ。
空いた時間はバカンスに使おうと悟が提案し、皆がこれを了承した。
「ああ、健気でかわいらしい。君たちも、是非欲しい」
「ブハハハハ!! ナマコ!! ナマコ!!」
「キモッ! キモなのじゃー!!」
今現在、空港で待機している1年とボンドルド以外は、皆水着に着替えている。ならばボンドルドはといえば、いつも通りの黒づくめで海に踏み入り水棲生物の収集していた。
ヒトデをI字仮面に付けたその姿に夏油は若干引きつつも、浜辺の方から声をかけた。
「ボンドルドさん、本当に着替えないんですか! 今ならまだ、時間はありますから」
「大丈夫ですよ、スグル。私の『暁に至る天蓋』は防水加工ですので」
「…分かりました」
それって果たして海水浴と言えるのかという疑問を、すんでで夏油は腹の底に飲み込んだ。
きっと深く考えてはいけないことだ。そう自分自身を納得させる夏油に、同じく浜辺で彼らを見守っていた黒井が口を開いた。
「気にしないでください。ボンドルドさんは、ちょっとばかり天然なところがありますから」
「ああいや、別に大丈夫ですよ。あの人のことは何となく分かってきてますから」
そう語る夏油の口調は、穏やかで優しげなものだった。声色に安心したのか、側に立つ黒井も顔を綻ばせる。
しばらく愛おしげに彼らを眺めていた黒井は、ふと水平線の彼方を見やった。
「…あの人は、ボンドルドさんは、理子様が両親を亡くされてすぐに来てくださったんです。勉学や身の回りのこと、それに金銭面まで…。本当に色々な面で、
「そうなんですか…」
「ええ。本当に、感謝してもし足りない」
夏油はふと、実家にいる両親のことを思い出した。非術師でありながら術師としての彼を祝福し、そして高専に送り出してくれた優しい人たち。もしあの人たちがいなかったらなんてこと、夏油は到底考えられない。
「喜びしか知らぬ者から祈りは生まれない」
「…良い、言葉ですね」
「はい。ボンドルドさんが、幼い理子様に教えてくれた言葉です」
黒井の瞳は、僅かばかり潤んでいた。
「あの人は理子様のことを星漿体としてでなく、特別に見てくれた。この世にたった一人しかいない、理子様の育ての父なんですよ」
弱きを助け強きを挫く、それが呪術師のあるべき姿だと夏油は考えている。それは例え親友にポジショントークと罵られようとも、決して曲げられない信念だ。
勿論非術師の中には、見ていられないような悪人だって存在する。そもそも呪術師の相対する呪霊が人々の心から生まれているのだから、当然と言えば当然の話だ。その周知の醜悪を、夏油が否定している訳ではない。
けれどきっと、呪術師は彼らのような
「…あっ! すいません!! つい長話をしてしまって」
「構わないですよ。むしろ貴重な話が聞けて嬉しいぐらいです」
「そんな…! とんでもないです」
いつも通りのニヒルな笑みを浮かべて、夏油は未だ遊んでいる五条らの方を見やった。
「悟、時間だよ!!」
15時には沖縄を出て17時に高専に到着。そして天内の懸賞金取り下げまでそこで待機する予定を夏油たちは立てている。割と長く遊んでしまったため、時間が少々押しているのだ。
しかしながら。結局、天内の心象を案じた夏油らは滞在期間の延長を敢行した。1年の術師の皆には申し訳ないが、天内はこの後天元様と同化する。つまりは外の世界を見ることは望めない。そう考えれば、1日ぐらい安いものだと夏油は考える。
護衛三日目の午前。夏油らは、沖縄の様々な名所を巡った。カヌーやご当地うどん、水族館など、存分に沖縄を味わうことが出来た。
カヌー中にも関わらず何故か一人川を練り歩いているボンドルド、仮面を取らず器用に麺をすするボンドルドなど、思わぬ珍事(?)もいくつか見られたが、非常に有意義で楽しいひと時であった。それは、天内にとっても同じことだと夏油は信じたい。
そして、三日目の15時前。
「すみません、サトル、スグル。折り入って頼みがあるのですが」
筵山の麓、都立呪術高専に続く階段を登りながら、ボンドルドはそう二人に手を合わせた。無数の鳥居が立ち並ぶそこは、正に呪術の本場といった装いである。
ちなみにだが、現在の彼の背にはうねうねと機械めいた尻尾がしなっていた。
なんでもこれは一種の呪具であるらしく、高専内ではいつもこれを装備してうろついているのだとか。東京に着くなり少し離れると言った彼が合流した姿がこれだったので、五条らは大いに面食らうこととなった。天内だけは興味深そうに尻尾をつんつんしていたが。
「頼み、ですか?」
「ええ」
ボンドルドは鷹揚に手を広げた。
「高専最下層にある薨星宮。その本殿へは、私とリコの二人で向かいたいのです」
「なんでって…ああ。最後に親子水入らずでってやつね」
ボンドルドの真意を理解した五条は、軽く夏油の方を見やった。視線を受けた夏油は、おずおずとその口を開く。
「…私たちとしては全然構わないですけど、天元様の元までアナタは行けませんよ?」
「分かっています。あそこは高専を囲う結界とは別の特別な結界の内側、招かれた者しか入ることは出来ない」
そう言って、ボンドルドはふと天内の方に顔を向けた。相も変わらず仮面で隠されたその顔からは、五条は表情を窺い知ることは出来ない。けれど彼は、この三日間の付き合いで何となく察することは出来た。
彼はきっと今、誰よりも優しい笑みをしている。
「少しだけ、リコに伝えたいことがあるのです」
ボンドルドの願い。それにまず応えたのは、夏油の方だった。
「……分かりました。私たちが付いていくのは参道までにして、そこからはアナタと理子ちゃんだけで行ってもらうことにしましょう。悟もそれでいいな?」
「ん、
「おお、それは大変よろこばしい。ありがとう、サトル、スグル。君たちには沢山のお礼が言いたい」
「礼なんて、全然大丈夫ですよ」
夏油は軽く笑って、それから真剣な顔をした。
「悟、もうここで言ってしまって大丈夫だな?」
「ああ、丁度いいだろ」
「二人とも、どうしたのですか?」
「…その。実は私達も、頼みというか、提案がありまして」
一拍置いて、彼は更に続けた。これから話すのは、今回の任務の根底を揺るがすようなこと。慎重に、落ち着いて話さなければ。
「理子ちゃんの同化、取り止めることは出来ませんか?」
夏油の言葉に顔を上げたのは、黒井と天内だ。不意を突かれたような呆けた顔。特に理子のそれは、年相応の少女のものでしかなくて。
「悟との話し合いはもう済ましています。私達は、理子ちゃんの選択を、未来を、どんなものでも尊重したい」
「……理子様を、星漿体を取り込まなければ、天元様はより高次の存在へと進化してしまう。もしかすれば、人類の敵になるかもしれません。それは———」
「大丈夫」
黒井の言葉を、五条は遮った。
「俺達は、最強なんだ」
その言葉は、単なる虚勢ではない。積み上げてきた実績、自分たちの実力、強い者としての誇りが、五条の言葉には確かにあった。
元来これは、任務を持ち掛けてきた担任である夜蛾が匂わせたものである。かつてあの次期学長は、今回の任務を星漿体の護衛と抹消と称した。あれはつまり、それだけ罪の意識を持てということに他ならない。
だから、五条と夏油は考えた。
「……」
「なんと…なんと素晴らしい…!」
一人、神妙な面持ちの天内をよそに、ボンドルドは感嘆の声を上げていた。その体は僅かだが震えていて、余程心を打たれたと思われる。
その姿を視界の端に収めながら、五条は天内に問いかける。
「天内、どうする?」
「……私は」
しばらくの沈黙の後に天内は口を開いた。彼女の口元は、ひどく震えている。
「私は、今が幸せなの。ボンドルドがいて、黒井がいて、皆がいて、一緒に笑い合えるこの日常が。勿論、これからもずっと続いて欲しかったって思ってる」
「だったら———」
「けど、もう充分なの。嬉しいも楽しいも、もう沢山皆から貰ってる」
顔を上げた彼女は笑っていた。涙を流しながらも、強く、強く、笑っていた。そこには、一人の少女としての強固な意志が存在していた。
「人間皆を敵にしてまで、私は生き永らえたいとは思わない」
そう告げて、天内は前を歩き続けた。ボンドルドも黒井も寂しげではあるが、彼女の言葉に一つの異論も挟まない。つまりはそれが、彼らとしての総意ということだ。
「…分かった。でも一応、薨星宮の参道に着いたらもう一度理子ちゃんの意志を聞くよ。道中でも、もし同化を拒みたいならいつでも言って欲しい。私達は、君の願いを優先する」
「……うん」
気づけば、五条たちは高専に続く最後の鳥居を越えようとしていた。眼前には幾つもの古びた建造物が林立している。
彼らは高専の敷地へと、遂に足を踏み入れた。
「皆、お疲れ様。高専の結界内だ」
直後に、高専内に『術師殺し』伏黒甚爾が侵入。五条悟、夏油傑の両名と戦闘を開始した。
「天内優先、アイツの相手は俺らがする」
天内理子、黒井美里、ボンドルドの三名は彼らに庇われる形で薨星宮に向かうこととなる。
「理子様、私はここまでです」
天元の待つ薨星宮、高専最下層へは直通のエレベータを使うことで辿り着くことができる。残穢——人が無意識に残す呪力の痕跡を抑えるよう細心の注意を払いながら、ボンドルドらはその参道まで到着した。
いざ本殿へ向かおうとした矢先、口を開いたのは黒井である。
「理子様…どうか…」
「黒井」
頭を下げ、体を震わせる黒井に天内は抱きついた。そっと優しく、心からの慈愛を込めて、彼女は自身を育ててくれた家族を抱擁する。
それはどこか、かつてボンドルドが天内にしたものと酷似していて。
「今までずっと、ありがとう」
「はい…! 私こそ、理子様といれて幸せでした…!!」
しばらくの間二人は抱き合い続けて、そして互いに体を話した。
「ボンドルドさん、後は頼みます」
黒井と別れた天内は涙を拭き、ボンドルドと共に薨星宮の最奥へと歩みを進める。同化の時は、もうすぐそこまで近づいている。
やがて天内が見たのは、雅な建物に囲まれた巨大な神木。
「ここが…」
「ええ、天元の膝元にして国内主要結界の基底。薨星宮本殿です」
いつも通り手を広げて、ボンドルドは天内を奥へと招く。ボンドルドの声色はなぜだかいつもより上機嫌だ。不死の術式を持ち、何百年も生きたとされる天元。その存在がすぐ目前にあるからだろうか。何事にも好奇心の強い彼ならば、有り得ない話ではないが。
「あの大樹の根元まで向かえば、天元はすぐそこです。さあリコ、一緒に行きましょう」
その言葉を受けて、天内はしばし俯いた。
「ねぇ、ボンドルド」
「どうしたのです?」
俯いた彼女の視線の先には、他ならぬ神木が立っている。その存在感、本殿から立ち込める異様な雰囲気を受けて、天内は表情を固くしている。
「私、これで良かったのかな?」
天内は、自身の選択に後悔はない。
自身の本心と、自身の良識。それらを天秤に掛けて、後者に傾いただけ。天内はもう、己の人生に満足していた。これ以上の幸せはないと、確信していた。だから、この決断が間違っているとは思わない。
けれど、それでも。
———俺達は、最強なんだ。
ふと過るのは、この三日間護衛してくれた彼らのこと。まだ子どもの天内に真剣に向き合い、その未来を案じてくれた二人の術師。
五条と夏油のことを考えると、天内の心はどうしてかちくりと痛むのだ。小魚の骨が喉に突っかかったような、奇妙で不快な感覚。女々しいことこの上ないが、きっと天内は彼らに罪悪感を抱いているのだ。二人の学生の決意を、裏切ってしまうような形になったこと。
それを割り切ってしまうには、彼女はあまりに幼かったから。
「リコ」
呼ばれて、天内はボンドルドを見た。
「闇すら及ばぬ深淵にその身を捧げ挑む者たちに、呪術は全てを与えるといいます。生きて死ぬ、呪いと祝福のその全てを」
ボンドルドは、天内の肩を持った。その言葉は彼女にとって良く分からないものも多くあった。けれど、彼が精一杯天内を励まそうとしているということはすぐに分かった。親子なのだから、当然だ。
「旅路の果てに、何を選び取り終わるのか。それを決められるのは、挑む者だけです」
ボンドルドと天内は、共に前を向いた。自身たちが向かうべき到達点を、今一度はっきりと確認した。挑むために、進むために。
「ありがとう、ボンドルド。すごい勇気付けられた」
「とんでもございません」
はにかむような声を出したボンドルドは、ふと自身の胸に手を当てがった。
「そうそう、忘れていました。リコ、あなたに贈り物を——」
その時、ずぶりと。
ボンドルドの胴体に、一本の太刀が沈み込んだ。
「え」
天内は見た。ボンドルドの脇腹に凶器を突き刺す、軽装を纏った一人の男を。その男は、五条と夏油が食い止めていてくれたはずの襲撃者。どうしてここに、なんでボンドルドを。
呆ける天内の前で、『黎明卿』と『術師殺し』の視線が交錯する。
「よぉ。久しぶり」
「おやおや、おやおやおやおやおやおやおやおやおや」
次回、ボンドルドVS伏黒甚爾が始まります