黎明廻戦   作:鯖のごった煮

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前回からの続きです。
話の後半部分にちょっと胸糞描写があります。苦手な方は注意です。


第四話 父であるということ

 薨星宮の一角は、小規模な粉塵を上げていた。

 

 『枢機へ還す光(スパラグモス)』を『天逆鉾(あまのさかほこ)』で受けて吹き飛ばされた甚爾。彼の姿は、ボンドルドからは土煙に隠れて良く見えない。建物数棟が崩落したのだから当然と言えば当然だ。彼の放った圧倒的な呪力の奔流は、眼前に瓦礫の山を作り出していた。

 

 ボンドルドは右手の装置に『月に触れる(ファーカレス)』を収めつつ、手を広げて粉塵へと歩み寄った。瓦礫の向こうにいるであろう甚爾へと彼は声を掛ける。

 

「トウジ、大丈夫ですか? どうか顔を見せて下さい」

 

 返答の代わりにやってきたのは、無数の小さな呪霊たちだった。

 

 手の平にも満たないサイズのそれらが、続々とボンドルドの元へと飛んで来ている。恐らくは甚爾が飼っている武器庫呪霊に住まわしていたのだろう。ボンドルドは感嘆の声を上げた。

 

「おお、これは蠅頭ですか。かわいいですね」

 

 4級にも満たない低級呪霊を、呪術界では総称して蠅頭と呼ぶ。一般人にも殆ど害はなく、呪いというよりかはマスコットといった方がしっくりくるような存在だ。ボンドルドのような特級相手ならば言わずもがなである。

 

 しかしながら、何分数が非常に多い。蠅頭はボンドルドの周囲を気ままに動き回り、その姿を完全に覆い隠してしまっていた。

 

「おやおや、これではトウジの姿が見えません。もう少しやんちゃを見ていたいのですが」

 

 いかに低級といっても、蠅頭は歴とした呪霊である。その体を構成しているのは全て呪い。それが視界全体で飛び回ってしまえば、術師にとって十分な目眩しとなる。甚爾自身には呪力がないのだから尚更厄介だ。これでは気配がまるで読めない。

 

 だからこそ、ボンドルドが選択したのは。

 

「『枢機へ還す光(スパラグモス)』」

 

 光の刃が大気を、空間を裂いて、ボンドルドの両肘から伸びていく。輝くそれを、ボンドルドは二、三度横に薙ぎ払った。射線上に飛ぶ蠅頭の全てが焼き切られ、絶命していく。彼らは悲鳴すら上げなかった。ただ無抵抗に、その肢体が跡形もなく呑み込まれていく。

 

 これでおおよそ6割の蠅頭が消失した。生き残りも怯えて散り散りに逃げている。ボンドルドは自身から漏れる蒸気を両手で払い、再びゆっくりと歩を進める。

 

「さあトウジ、どうぞ顔を見せて」

「ああ」

 

 ボンドルドの問いかけに、今度は返答があった。

 

「ほら、こっちだぜ」

 

 ただしそれは、目の前の粉塵からではなくボンドルドの後ろのどこかから。ボンドルドは即座に振り向いて、そして脇腹に裂傷を刻んだ甚爾を目撃した。

 

 太刀を右手に持つ彼は、高速で天内の元へと迫っている。

 

「危険です、リコ!」

 

 ボンドルドの行動は速かった。

 

 即座にその場から跳躍し、天内の元まで駆けつける。そのままボンドルドは太刀を振りかぶる甚爾を迎え撃った。ぎりぎりの攻防、攻撃手段に余裕はない。

 

 太刀の斬撃をボンドルドの右手が受ける。5億の刃が彼の手の平に食い込む、出血する。ボンドルドは『暁に至る天蓋』に呪力を上乗せして刃の勢いを何とか殺そうとした。不安定に揺れつつも、ボンドルドの左手と甚爾の太刀が鍔迫り合いを繰り広げる。

 

 ボンドルドの眼前、血の滴る太刀の向こう側で甚爾が嗤う。

 

「ブラフだよ、間抜け」

 

 甚爾の左手に収まる『天逆鉾(あまのさかほこ)』。歪な形状のそれを彼は迷いなく振りかぶった。振るう先は当然、ボンドルドの喉笛。

 

 愛娘の危機に際し、なりふり構わずこちらへと急行したボンドルドに余裕はない。そうなるようにわざわざ蠅頭までばら撒いたのだ。撹乱による意識の緩みは咄嗟の判断力を低下させる。判断力が下がれば、自然と隙は増えてくる。それはいかなる術師とて同じこと。

 

 『術師殺し』は自分も他人も尊ばない。故に、その選択に躊躇はなかった。

 

 娘の防備と敵の撃破、二つのことに意識を割いているボンドルドは元来の機動力を大幅に失っている。今ならば、ボンドルドに甚爾の刃は届き得る。

 

 そう確信して、彼は『天逆鉾(あまのさかほこ)』をボンドルドへと突き刺そうとして。

 

「素晴らしい」

 

 甚爾の左手。筋肉質なそこに、いつの間にやらボンドルドの尻尾が絡みついている。きりきりと、『天逆鉾(あまのさかほこ)』の動きを抑え込んでいる。甚爾に気取られぬよう気を使ったのだろう、尻尾はわざわざ彼の背中を迂回して左手まで来ていた。

 

 やがて、ボンドルドの左肘が悍ましい光を帯びていく。

 

「『枢機へ還す(スパラグ)——」

 

 ボンドルドの言葉は、最後まで続かなかった。

 

 彼の首筋。その装甲の隙間を貫いて、黒光りする凶器が突き刺さっている。ぼたぼたと血の雫が落ちていく。明確に、ボンドルドの動きが遅くなっていく。

 

 甚爾は自身の口に黒い針を咥え、それをボンドルドに差し込んでいた。

 

 それは『呪い針(シェイカー)』、かつてボンドルドが甚爾に打ち込んだもの。3級相当のその呪具を、甚爾はたった今まで自身の口内に隠し持っていた。呪力を失った彼の肉体は、それ故生半可な呪いを超克する。内臓がひっくり返った程度では、天与の暴君は止まらない。

 

 透明人間は臓物まで透明である。その真価を、その脅威を、ボンドルドは身をもって理解した。

 

「素晴…ら…ふす。ふ、ば…ば」

 

 ボンドルドの肉が抉れる、骨がひしゃげる。甚爾は口で咥えた『呪い針(シェイカー)』で、強引にボンドルドの首を掻っ切った。くるくると回転しながら落ちていくI字仮面。未だ紫に光るそれを、甚爾は軽やかに蹴り飛ばした。

 

 そこでようやく、呆けていた星漿体がこちらに走って来た。

 

「ボンドル——」

 

 銃を発砲。地に伏せる星漿体を視界の端に、甚爾は首なしの黒装束を更に斬り刻んだ。

 

 かつて甚爾が殺して、なぜか生き返ったボンドルド。それに関して彼は一つだけ対策を考えていた。対策といっても、本当にちょっとしたものだが。

 

 即ち、ボンドルドが復活するまでの時間を出来るだけ稼いでしまえばいい。ボンドルドの不死身の正体が分からない以上、甚爾に出来るのはその肉体を可能な限り損傷させておくのみだ。一応ここに来るまでに出会ったボンドルドの部下の仮面たちも殺しておいた。勿論その程度でこの男が止まるとは思っていないが、それでも確実に復活までの時間は遅れるはずだ。

 

 そもそも、甚爾はボンドルドを殺す必要はない。彼は星漿体を殺すにあたっての障害でしかないのだ。依頼が完了出来たのなら、さっさとボンドルドから隠遁してしまえばいいだけのこと。

 

 そういう訳で、甚爾はボンドルドの肉体をばらばらに解体した。

 

 四肢を捥いだとか、内臓を掻っ捌いたとか、そんなレベルではない。全部で大体十数分割、その肉片の全てを薨星宮の適当な場所に蹴り飛ばす。彼の装備している呪具は言わずもがなだ。

 

 時間にして1分足らずで、甚爾はボンドルドだったものの処理を完了した。

 

「ま、こんなもんかね。疲れた疲れた」

 

 甚爾は軽く息を吐いて、自らの武器庫呪霊に星漿体を格納。その呪霊も口に放り入れて、薨星宮本殿から速やかに立ち去った。

 

 もうそこには、まばらな血痕しか残っていない。

 

 

 

 

 

 盤星教本部、星の子の家。そこで五条と甚爾は再び邂逅した。

 

「2、3年もしたら俺の子供が禪院家に売られる。好きにしろ」

 

 死の淵に際し呪力の核心を掴み、覚醒した無下限呪術の使い手。五条悟の放った虚式『茈』を受けて、伏黒甚爾は息絶えた。

 

 

 

 

 

 星の子の家は拍手喝采に包まれていた。

 

 その中心にいるのは五条と、彼に抱えられ白布に覆われた天内だ。盤星教信者、五条らが守るべき非術師が、天内の死を祝福している。誰もが満面の笑みで、誰もが心底嬉しそうに。

 

 五条の瞳は、あくまで凪いでいた。空色の彼の双眸はふと上へと向けられる。

 

「ボンドルドさんか。無事だったんだな」

「ええ。お久しぶりですね、サトル」

 

 こつこつと足音を立てながら、ボンドルドがこちらへと歩み寄ってくる。両手を広げてどこか嬉しそうに、ゆったりと五条へと近づいてくる。

 

「ああ、なんと素晴らしい。おめでとうサトル、ついに成し遂げたんですね」

「…反転術式のこと、分かるんだな」

「今のあなたを見れば一目瞭然ですよ」

 

 ボンドルドの興味は、ひたすらに五条に向いているように思われた。

 

「君たちは本当に素晴らしい。私たちに足りない試練を齎し、リコを完成に導いてくれました」

「この状況で、良くそんなこと宣えるな」

「とんでもない。試練は愛をより深くします。そうでしょう、サトル?」

「…まあ、なんでもいいよ」

 

 あれだけ激愛していた娘の死を目の当たりにして、ボンドルドには微塵の悲哀も見受けられない。ただひたすらに歓喜。ついさっきまで父娘の仲睦まじい姿を見てきただけに、五条にはそれが不気味で仕方なかった。今の彼には、この男が何を考えているのか分からない。

 

 けれど五条には更にもう一つ、気になることがあった。

 

()()()()()()()()?」

 

 ボンドルドの呪力が、かつて五条が見たものと異なっている。

 

 最初は、何かの見間違えかと思った。仕草が同じ、口調も同じ、その声色すらも、かつてのボンドルドそのものだったから。しかしあれは確かに違う。いくら全身を呪具で固め誤魔化そうとしても、五条の六眼は決して見逃さない。

 

「これはこれは…」

「呪力でバレバレなんだよ。そんなもんで俺の六眼()騙せると思ったか? 答えろよ、偽物」

 

 五条の追求にボンドルドは狼狽なかった。彼はただ、こきりと不思議げに首を傾げた。

 

「偽物? 術師隊『祈手(アンブラハンズ)』は()()()ですよ」

「は?」

 

 ボンドルドの口調はあまりにもあっけからんとしていた。まるで何ともないように告げられた事実に、五条は思わず気の抜けた声を漏らしてしまう。ボンドルドは気にせず更に続けた。

 

「そういう術式です。それより、サトルに少々頼みがあるのですが」

「………色々と飲み込めてないけど、何だ?」

「リコの身体を、どうか譲っていただきたいのです」

 

 五条は一瞬、自身の眼下の天内を見やった。冷たくなってしまった彼女は、いつだってボンドルドのことを信頼していた。

 

「一応、理由を聞いてもいいか」

「ええ、構いませんとも」

 

 ボンドルドはそう言って、いつも通り手を広げた。

 

「リコの祈りと寄り添うことこそが今の私の願い。ですから、彼女の身体を私の拠点に持ち帰って然るべき処置をしたいのです」

「…そうか」

「リコは特別なのです。私は私の娘と、出来るならばいつまでも一緒にいたい」

 

 ことここに至って、五条は理解した。

 

 恐らくこのボンドルドは本物だ、呪力も肉体も違ったとしても、五条の魂がそうだと言っている。天内の愛を語るボンドルドの姿は、五条がかつて見た彼そのものだった。

 

 一方で、その言葉にやはり悲哀はない、後悔すらもない。

 

 ボンドルドに満ちているのは、ただひたすらに愛と、そして期待だけだ。つまりは、未来への期待。或いはまだ見ぬ黎明とやらを、ボンドルドはずっと待ち焦がれ続けているのやもしれない。前を向いて歩み続ける。そうしていたからこそ、ボンドルドはきっと特級にまで至ったのだろう。今の五条ならば、それがぼんやりとだが分かる、分かってしまう。

 

 それはどこまでも素晴らしく、そして残酷なことなのだろうと五条は思う。前を見続けるということは後ろを省みないということ。最後に夜明けを見れるのならば、ボンドルドはそれこそ何だっていいのだろう。あらゆる犠牲は、彼にとって過去のことでしかない。

 

 ボンドルドのそれは、常人には決して受け入れられない、受け入れられる訳がない。しかしながら、五条はその異常を指摘したり、ましてや責めることをしなかった。

 

 あの時、天内を殺した男と再び対峙したあの瞬間、五条も己のことしか見ていなかったから。

 

「分かったよ。天内はボンドルドさんに譲る」

「おお、それは大変喜ばしい。では、どうぞリコをこちらへ」

「ああ」

 

 五条は天内を両手で手渡しした。ボンドルドはそれを恭しく受け取り、そして背を向け歩き出した。どうやら彼は、天内の遺体を貰うためだけにここに来たらしい。

 

 ゆっくりと遠のいていく黒い背中に、五条は一つ忠告をした。

 

「アンタ、傑にも会っとけよ」

「ええ、勿論ですとも」

 

 きっと夏油も、すぐにここに辿り着くだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボンドルドは東京のとあるダムに自身の拠点を構えている。名を『前線基地(イドフロント)』。ダム湖にひっそりと建っているそれは、呪術の謎に挑む文字通りの前線基地だ。上層部では呪いにより親を失った孤児たちを匿っており、呪術に関する実験は主に下層部で行われている。

 

 今現在彼は下層部の更に底、薄汚れた失敗作の廃棄場に訪れていた。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■」

 

 『前線基地(イドフロント)』の底には、言葉ならぬ呪詛が響いている。おどろおどろしく重みのあるそれは、ボンドルドの連れてきた老婆の口から漏れているものだ。ボンドルドはここに、彼女とその連れの若い男を連れてきていた。

 

 老婆——オガミ婆は深く後悔していた。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■」

 

 オガミ婆は呪詛師である。孫と楽しく余生を暮らす、そのために人を殺している。

 

 呪詛師というのは実に楽な職業だった。呪霊の対応に手一杯な高専はこちらに手間を割けず、立ち回りにさえ気をつけていれば楽々に金が稼げる。楽して生きたい老婆にとって正に天職。

 

 しかし五条悟が生まれて、大きくその均衡が変わってしまった。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■」

 

 元々、五条悟が生まれてから呪殺は控えるようにしていたのだ。呪詛師が大手を振って生きられる時代は終わった。だからオガミ婆は、誘拐してきた孫たちと平穏に慎ましく暮らしていた。

 

 けれど、どうしたって生活には金が要る。オガミ婆は複数人の子どもを誘拐して自身の孫として育てているのだから尚更だ。あっという間に金が減っていく。勿論パートなどをすればやりようはあるが、どうしても金払いは人を殺すよりも少なくなってしまう。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■」

 

 仲介人から紹介されたその仕事は、妙に金払いが良かった。術師でもない子どもを殺して二千万など、高過ぎると気づくべきだった。

 

 オガミ婆が現場に来た時、そこにはI字仮面が待っていて、彼女は自身の運命を悟ったのだ。

 

「孫、もうええぞ」

「分かった、婆ちゃん」

「では、これを」

 

 ボンドルドから差し出されたピンク色の物体を、孫は躊躇なく飲み込んだ。

 

 オガミ婆の術式は、いわゆる降霊術と呼ばれるものである。死体の一部を取り込み、それを呼び水としてその肉体の情報、或いは魂の情報を取り込んだ対象に上書きする。

 

 事前に長時間呪詛を唱えなければいけないのが難点だが、使いようによっては戦闘にも応用できる中々に優れた術式だ。もっともオガミ婆は、主に殺す相手の親類に化ける際に使っているのだが。何にせよ、下手な変装よりよっぽど便利なのだからありがたいことこの上ない。

 

 因みに今回、彼女たちが呼び出そうとしているのは。

 

「『禪院甚爾』」

 

 直後に、孫の身体に変化が起きた。

 

 ざわざわと、その肌が、その瞳が、その血肉が、上書きされていく。オガミ婆が降ろしたのは禪院甚爾の肉体の情報だ。『術師殺し』として名を馳せたその男のことを、オガミ婆も良く知っている。一般人だけでなく術師を狩る、明確な強者であることも。

 

「おお、なんと素晴ら——」

 

 だから、オガミ婆は賭けをすることにした。

 

「孫! 殺せ!!」

 

 『術師殺し』の肉体ならば、『黎明卿』をも殺し得る。オガミ婆は今回肉体の情報しか降ろしていないのだから、反逆の可能性も有り得ない。最悪の最悪、孫がボンドルドに敗北してしまったとしても、その時は孫を切り捨て自分だけが逃げればいいだけのこと。自身の考えに、間違えは断じてないはずだ。

 

 だとすれば、この止まらない冷や汗はなんなのか。

 

「おやおや、随分とお元気ですね」

 

 ボンドルドは、胸に付けられた白笛を握っていた。手と手を合わせたような奇怪なデザインのそれを、ただ握り締めていた。

 

 ほお、という笛の音。ボンドルドへと肉迫する孫の動きが停止する。

 

「なんじゃ、ぁ? あ、ぇ?」

 

 いいや、それだけではない。

 

 頭が痛い。まるで内側からハンマーで叩かれているような不快感。何だこれは。生まれて初めて感覚にオガミ婆は大いに乱れ、頭をがくがくと揺らしていた。

 

 これは、この痛みは。自らに入り込んで来たものの正体は。

 

「か、ぁ、いぁ…」

 

 オガミ婆は崩れ落ちた。もうその嗄れた口は、まともな言葉を喋っていない。

 

 ボンドルドはその様を一瞥して、立ち止まってしまった孫の方を見やる。彼の外見は完全につい最近見た甚爾そのものだ。彼の口元には、本人にあった傷跡すら表出している。

 

 感慨深げにボンドルドは彼を観察して、気づいた。

 

「おい、クソ仮、面…一体、何しや、がった」

「おや、おやおやおやおや」

 

 孫がこちらを見ている。その視線は、その口調は、完全に甚爾本人と相違ない。振る舞いを含むあらゆる要素がかつての彼と酷似している。それは、つまり。

 

「トウジの肉体が、彼の魂に勝ったのですか。素晴らしい、素晴らしい…!」

「ハ、ハ……訳、分かん、ねぇ…」

 

 天与の肉体。生物としての一線を画した彼のそれは、魂すらも容易に打ち負かす。その姿は正に規格外。彼はぎこちない動作ながらも、確かに一歩を踏み出した。

 

 ボンドルドの術式に、対抗している。

 

「これはヒトであった頃の最初の私、その一部です」

 

 ボンドルドは軽く、両手で握っていた笛を揺らした。

 

「私は私の肉体の6割を呪物に、残りの4割をこれに作り変えています」

 

 人としての最初のボンドルド。彼の肉体にはとある生得術式が刻まれていた。その術式は、呪力を介して他者の精神を惑わすというもの。一見大層に聞こえるが、つまりは軽い幻覚を見せる程度のもの。人間はおろか、呪霊にすら碌に役立ちはしなかった。

 

 けれど、呪術界には『縛り』というものがある。

 

「呪物としての私を本体、白笛としての私を子機として、私は私の術式を扱うことが出来ます」

 

 ボンドルドが今やっていることなど、それの最たるものだ。術式の開示、自身の手の内を晒すという『縛り』によって術式効果を底上げする行為。自身に課す『縛り』とは、つまりは制約である。何かを失う、何かを被る、その引き換えとして術式を強化するということ。

 

 とどのつまり、何かを捧げれば捧げるほど、術式は際限なく強くなる。

 

「これ、が……テメェの、術式って、か?」

「ええ。白笛(わたし)の音色を介して、他者に精神(わたし)を植え付ける。それが私の術式です」

「ハッ…良い、趣味して、やがる」

 

 故に、ボンドルドはやれるだけのことをした。

 

 肉体の機能。その内で生きるという行為に必要のないものを全て削ぎ落とした。手足も両目も舌も声帯も内臓も、脳の一部すらも剥ぎ取った。それだけでは不十分であったから、精神に更なる負荷をかけ『縛り』として成立するよう調整した。

 

 その繰り返しの果てに完成したのが、呪物『精神隷属機(ゾアホリック)』だ。

 

「だが……どうやら、俺の肉体は、特別みたい、だな」

 

 一歩、また甚爾が進む。ボンドルドの呪物の効果を受けて尚、足が動く。甚爾の魂が、ボンドルドとの同化を拒否し続けているのだ。

 

 通常、『精神隷属機(ゾアホリック)』で他者に精神を植え付けた場合、その者の精神は即座に発狂し廃人同然となる。ボンドルドが何かしているのではない。一つの肉体に二つの精神が存在する。その事実に、人の精神は耐えることが出来ないのだ。結果的に生き残る形で、ボンドルドは対象の身体の使用が出来るようになる。

 

 しかし甚爾はそれに耐え、ボンドルドの精神を弾き出そうとすらしていた。

 

「この、クソな状況も、テメェをまた殺せば、ちったぁ、マシに、なる、だろ」

「なんと…なんと素晴らしい」

「コイツ…聞いて、ねぇな」

 

 一歩、一歩、甚爾はボンドルドに近づいていく。小刻みに震えるその腕は、今や握り拳を形作っていた。対するボンドルドは、未だ白笛を握り締めたまま。

 

 こうしている今もボンドルドと甚爾の精神は激しく争い合い続けている。互いが互いに絡み合いもんどり打って噛みつき拒絶し合う。文字通り次元の異なる、何もかもが尋常でない戦闘が繰り広げられ続けていた。

 

 そして、二人の精神は僅かに融け合って。

 

「おや、トウジには子どもがいるのですね」

 

———恵をお願いね。

 

 甚爾の足が止まった。その時甚爾の脳裏に過ぎったのは、愛していた人と、愛したかった命の姿。彼に残っていた、あまりに暖かい泡沫の想い出。

 

 刹那の空白、だがそれは両者にとってあまりに大きいもので。

 

「ああ。これが、トウジの見ていた世界ですか」

 

 沈黙した甚爾。虚ろな瞳で俯く彼の前で、ボンドルドは感慨深げな声を漏らした。彼はしばらく恍惚と彼を見つめ、仰ぎ見るように手を広げた。

 

「さあトウジ、共に夜明けを見ましょう」

 

 やがてそこには、仮面が三つ。




あとがきという名の補足と弁明

◯『精神隷属機』について
元々作者はどこかしらから拾ってきた設定にしようかと考えていたのですが
・あんなものがアビス以外にありそうに思えない。
・使用方法が明確に分からない。
・ボンドルドに白笛を吹かせたかった。
などの理由により本編のような設定になりました。どうかご容赦下さい。

◯伏黒甚爾とボンドルド
幼少期からボンドルドは禪院家に『祈手』を送り込み、観察をしています。甚爾が『術師殺し』となった後は依頼主の体で一度彼と接触。振られた上で殺害された後は、警戒されその足取りを掴めていませんでした。
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