黎明廻戦   作:鯖のごった煮

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今回は乙骨メインのお話です。ボンドルドはちょこっとしか顔を出しません。ほのぼのパートになります。


第六話 祈りは永遠に

 顔を見るが否やいきなり自己紹介をして来た天内は、すぐさま乙骨へと擦り寄って来た。

 

「して、オマエの名前は何じゃ?」

「え、乙骨憂太、だよ?」

「ほうほう」

 

 天内の視線は鋭さを帯びていて、乙骨は詰問されているかのような錯覚を覚えた。多分乙骨は無実のはずである。そして口調が独特だ。のじゃ口調が呪術界の流行だったりするのだろうか。

 

「年齢は?」

「じ、12……」

「ほほう。ならば妾が年上じゃな!」

 

 乙骨は置いてけぼりにしたまま、天内は自慢げに胸を張った。ゆらゆらと三つ編みの黒髪がたなびく。彼女の満面の笑みを、乙骨はただ見つめることしか出来なかった。

 

「さて、いいか? 今日から妾はオマエの教育係をすることとなった。光栄に思うが良い!」

「教育係?」

「うむ。オマエ、呪術師になるのじゃろう?」

「え、まあ、うん」

 

 厳密には違う気がするが、とにかく乙骨は頷いた。

 

「妾はオマエの先輩じゃからな、呪いについて手取り足取り教えてやろうという訳じゃ」

「な、なるほど…」

「何か反応薄いのじゃ…」

 

 いきなり色々捲し立てられて、乙骨はもう何が何だかである。純粋に情報量が多過ぎる。そもそも彼女の訪問自体唐突だったのだ。乙骨は雰囲気で天内との会話を続けていた。

 

 とりあえず、乙骨は先ほどから気になっていたことを聞くこととした。

 

「えーと、天内さんってボンドルドさんの娘なの?」

「うむ。小さい頃からずっと一緒じゃ!」

「………ほんとに?」

「なぬ。妾の言葉を疑っているのか! 不敬ぞ!!」

「い、いや。そんな訳じゃないけど」

 

 ボンドルドの振る舞いから考えれば、確かに父親をやっていても違和感はない。ただ絵面がとんでもないだけだ。ベビーカーを押すI字仮面、キャッチボールをするI字仮面、赤ちゃん言葉を喋るI字仮面。そのどれもが、乙骨にとっては何とも想像し難い。

 

 ともかくだ。天内はボンドルドの娘で、どうやら呪術についての教師を担当してくれるらしい。

 

「それで、天内さんは何を教えてくれるの?」

「話を戻したな…。まあ良い、妾が教えるのは呪力の使い方じゃ」

 

 ぴんと、天内は乙骨を指差した。

 

「ボンドルドから聞いておるぞ。オマエの呪力の扱いはひよっこ以下じゃと!」

「…そうだね。僕は、呪いとかも全然知らなかったから」

「分かっておる分かっておる。妾はオマエの先輩じゃからな」

 

 現在の天内はひどく上機嫌に見えた。ふんすという鼻息が透けて見えそうなレベルだ。その姿に、乙骨は何故か少しだけ不安を感じていた。

 

「妾に任せておけ。何せ、最近の妾は絶好調じゃからな」

 

 自信満々でそう告げて、天内はおもむろに手を上げた。

 

 パーの形をした彼女の手の平は、何やら半透明の膜のようなものを纏っている。不定形かつ不安定に揺らめくオーラ的な何か。もしや、これの正体は。

 

「今、妾は右手に呪力を集中させている。分かるか?」

「…はい、見えてます」

「おお、筋が良いのじゃ!」

 

 ふらふらと左右に振られる天内の手のひら、それに合わせて半透明なオーラ——呪力が揺らめく。乙骨の目から見ても明らかにやばそうな代物だ。祟られるとか以前にただただ痛そうである。

 

「それ、腕力が強くなったりするんですか?」

「うむ。何なら試してみるか、乙骨?」

「え?」

 

 疑問の声を上げる乙骨。天内は既に、呪力を纏った右手を振り上げている。

 

「それ」

「わっ」

 

 こつん、と乙骨の額に天内のチョップが衝突する。ちょっとだけ痛い。言うなれば壁に頭をぶつけてしまったような感覚だろうか。確実に呪力によって攻撃の威力が増している。初めて生で受けた呪力の感覚に、乙骨は悲鳴を上げつつも同時に得も言われぬ感慨を覚えた。

 

 天内は痛がる乙骨を見て、何故か口をあんぐりと開けていた。

 

「な、なんじゃああ!?」

「ど、どうし——」

『ゆゔだをを、虐めるな!』

 

 乙骨の背後から現れた祈本。天内は慌てて逃げ出すがもう遅かった。怯える天内の頭に、祈本の特大拳骨が放たれる。ごつん、という重い音が部屋中に響き渡った。

 

「ぎゃああああ!」

『あか、あかぁ』

「り、里香ちゃん!?」

 

 痛がる天内、あたふたする乙骨、満足げな祈本。天内の呪術の講義が再開したのは、おおよそ30分後のことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『前線基地(イドフロント)』に乙骨がやって来てから、おおよそ半日が経過した。

 

「うむむ…」

 

 乙骨と天内は、大いに困りあぐねていた。

 

 祈本の登場によって多少ぐだったものの、その後は天内の講義は順調に進んでいた。そもそも『前線基地(イドフロント)』に来るまでにボンドルドから呪いについての大まかな説明を受けていたのだから当然と言えば当然だ。呪力のこと、術式のこと、呪霊のことなどについて、乙骨はより深い理解を得ることが出来た。

 

 そして実際に呪力を扱おうとして、乙骨は一つの壁にぶつかった。

 

「これ、呪力出てる…?」

「出てないのぉ…」

「だよね…」

 

 前に突き出した乙骨の左の手の平。なんの変哲もないそれに、天内は落胆の声を漏らした。がっくしと落とされた彼女の肩に、乙骨は気まずそうに苦笑いを浮かべた。

 

 呪力を捻り出そうとして失敗したのは、これで通算10回目のこととなる。

 

「天内さん、どうしよう?」

「むう…。困ったのじゃ。呪いが見えるのだから、呪力を扱うのもすぐだと思っていたのじゃが」

「うーん…」

 

 乙骨とて、ただぼんやりと手を伸ばしていた訳ではない。手を睨みつけたり、歯ぎしりを立てたり、気張ってみたり、とにかく彼が考えうる範囲で呪力を生み出そうとした。呪力は負の感情を呼び水として生成されるのだから、方法としては悪くないはずだ。結局全部失敗したが。

 

 そもそも今までごく普通の呪われた一般人であった乙骨にとって、呪力というものが現実としてどういうものなのかまるで見当がつかないのだ。もう乙骨は天内を頼るしかない。

 

「天内さんは、どうやって呪力を扱えるようになったの?」

「妾の話か?」

「うん、参考程度だけど聞いてみたくて」

 

 乙骨の問いを受けて、天内はどこか神妙な表情をした。

 

「実は、妾も呪力をうまく扱えるようになったのはつい最近なんじゃ。呪術のことは知っていたが、知っていただけだったのじゃ」

「そうなんだ…」

 

 乙骨は思わず目を丸くした。てっきり天内は小さい頃から呪術を学んでいたエリート呪術師とばかり思っていた。特級術師の娘であれば、英才教育の一つや二つ受けていそうなものだが。

 

 驚く乙骨をよそに、天内は更に話を続けた。

 

「妾は、一回死にかけたのじゃ」

「し、死にかけた!?」

「色々あって、少々命を狙われたのじゃ。多分、その時の体験がきっかけになったんじゃろう」

「は、はえぇ」

 

 もはや驚愕の感情すら通り越してしまった結果、乙骨は間抜けな声を口から垂れ流した。その様を見て、天内がくつくつと笑いを溢している。

 

「どうじゃ。参考になったか?」

「いや。参考というか、どうしようもないというか」

「じゃろうな。妾もそう思っておった」

「ですよね…」

「うむ」

 

 しみじみと頷いた天内は、それからまた困り顔をした。

 

「しかし、本当にどうしたものか」

「…うん」

 

 お互い顔を見合わせ、深く考え込む乙骨と天内。しかしながら、考えたところで解決策が浮かんで来ない。もうちょっと気張ったりするのを頑張ればいいのだろうか。

 

 と、その時。再び廊下に繋がる扉が開かれた。

 

「やあ皆さん、何か困りごとですか?」

 

 扉の奥から姿を見せたのは、やはりと言うべきかボンドルドだ。彼の姿を認めた天内は立ち上がり、すぐさまボンドルドの元へと駆け寄っていく。彼はそれを両手を広げて受け入れた。

 

「ボンドルド、困ったのじゃ! 乙骨に呪力の使い方がうまく教えられないのじゃ」

「おやおや。それは本当ですか、ユウタ?」

 

 ボンドルドの言葉に、乙骨はすぐに頷いた。

 

「はい。何度か試してみたんですけど、どうしてもうまくいかなくて…」

「うん、本当に色々試したのじゃ」

 

 ぐらぐらとボンドルドの右腕を天内が揺らす。彼は天内へと左手を伸ばし、その頭を軽く撫でた。正に父親そのものの優しい手つき。仮面と少女という不思議な組み合わせが、今の乙骨にはこれ以上なく自然に思われた。

 

 しばらくの間天内を撫でていたボンドルドは、ゆっくりと彼女から左手を離した。それから、穏やかな声で天内と乙骨へと語りかける。

 

「二人共、そんなに焦る必要はありませんよ。呪力を見出すということは、自らと向き合うということ。時間は掛かって当たり前なのです」

「ボンドルドさんも、そうなんですか?」

「ええ、君と一緒ですよ」

 

 その言葉に、乙骨は僅かながらだが安心を覚えた。特級に座するほど術師であっても、呪力の扱いに苦労していた時期があったのだ。乙骨は呪術のことを見知ってまだ一週間も経っていないことだし、むやみに逸ることもないだろう。

 

「そうそう。折角ですから、リコの術式を見てはいかがでしょう?」

「……確かに。実際に呪術を見れば、何かインスピレーション的なやつが得られるかもじゃな」

「え。天内さん、術式使えるんですか?」

「うむ。まだ乙骨には言いそびれていたのじゃ」

 

 そう笑って、天内は部屋の隅のクマのぬいぐるみを手に取った。

 

「ボンドルド、人形を一つ使うぞ」

「ええ、構いませんよ」

「ありがとうじゃ」

 

 手に持ったぬいぐるみを天内は、カロリーメ◯ト擬きの置いてあった机へと乗せた。彼女はぬいぐるみの目の前に立ちながら、懐からシャーペンサイズの小刀を取り出した。

 

「天内さん、一体何を…」

「まあ見ておるのじゃ」

 

 心配する乙骨。しかしながら天内は余裕げな表情を浮かべていた。彼女は右手の小刀を左手に近づけ、そのまま軽く親指を斬りつけた。

 

 ぽたぽたと天内の血が垂れる。ぬいぐるみを赤く汚すそれを見て、思わず乙骨は慌てた。

 

「わっ! これ——」

「蝕爛腐術『朽』」

 

 天内はいつの間にやら、左の小指を立てていた。

 

 したり顔の彼女の眼前で、ぬいぐるみに何やら薔薇めいた紋様が刻まれる。その異貌に乙骨が驚いた次の瞬間には、ぬいぐるみは天内の血を吸って大きく萎れていた。いいや、これは萎れているのではなく。

 

「腐ってる…?」

「うむ。これは分解じゃ。妾の術式により、妾の血は傷口などを通して術式対象を腐食させる性質を帯びる」

「天内さんの血が…」

「そうじゃ。乙骨もむやみに触れては駄目だぞ」

 

 ぬいぐるみは今や、ただの綿の塊のようなものに成れ果てていた。確かにこれは凄まじい。呪霊や、それこそ人体などを対象にしてしまえば、恐ろしいことになりそうである。

 

「妾は丁度1年前辺りにこの術式に目覚めたのじゃ」

「そうなんだ。割と最近なんだね」

「うむ。普通、術式を自覚するのは4〜6歳のはずなんじゃが…」

「リコは特別なのですよ。あなたの魂は、ずっと深いところから戻ってきたのです」 

 

 ボンドルドはそう言って再び天内の頭を撫でた。天内はそれ受け入れつつも、乙骨の方へと向き口を開いた。

 

「それでどうじゃ、乙骨?」

「うーん。一回試してみるね」

「うむ」

 

 今の乙骨の頭には天内の呪術への衝撃しかない。ぶっちゃけてしまえば呪力の輪郭などまるで掴めた気がしなかった。けれど、それでも何か自分でも自覚していない部分で変化があった可能性も考えられる。乙骨はボンドルドたちの目の前に手を出した。

 

「じゃあ、やるよ」

 

 呪力は負の感情から産まれる。故に乙骨は、まずひたすら中空を睨みつけた。次に歯を全力で噛み締め、腹筋にあらん限りの力を込める。更に手で握り拳を作り、出血しそうなレベルまで強く握りしめた。

 

 しばらく息を張り詰めた乙骨。彼は10秒ほど呪力の捻出に集中したが、やがて大口を開けて息を吐き出した。彼が浮かべている表情は喜びとは程遠い。

 

「…やっぱ無理」

「むぅ…」

「おやおや」

 

 通算11回目の失敗。乙骨はその後もボンドルドと天内にアドバイスを受けつつも呪力を扱おうと注力したが、結果としてその日は成功を収めることは出来なかった。

 

 『前線基地(イドフロント)』での呪術の習得は、どうやら長丁場となりそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「乙骨、調子はどうじゃ?」

 

 声を掛けられて、乙骨は木刀を振る手を止めた。

 

「いい感じだと思う。ちょっとずつだけど刀に呪力を込められるようになってきてるよ」

「おお、それは良かったのじゃ」

 

 乙骨が『前線基地(イドフロント)』に来てから、おおよそ1年の月日が経った。

 

 今現在、彼と天内は『前線基地(イドフロント)』の中央部のちょっとした広場で呪力の鍛錬をしていた。乙骨たちの居住区に比べれば汚れが目立つが、それでも呪術の練習場としては十分だ。ボンドルドに頼んで、乙骨は日頃からここを使わせて貰っている。

 

「この感じなら来年ぐらいには、一人前になれそうじゃな!」

「……うん!」

 

 乙骨が木刀を使っているのは、ボンドルドからの助言によるものだ。なんでも、呪いは物に憑いている時が一番安定するとのこと。接近戦の練習も兼ねて、乙骨はこの1年積極的に木刀での鍛錬を重ねた。

 

 そのお陰だろう。乙骨は木刀を介してではあるがそれなり以上の呪力を扱えるようになっていた。身のこなしに関しても時々ではあるがボンドルドに稽古をつけて貰い、段々と動けるようになって来ている。総じて乙骨の呪術の鍛錬は順調であった。初日のぐだぐだと比較するならば、絶好調とすら言えるかもしれない。

 

「学校の方はどうじゃ?」

「楽しいよ、天内さん。友達も出来たし、誰も傷つけずに済んでる」

 

 再び木刀で素振りをしつつ、乙骨は天内へと笑いかけた。心の底からの喜び、それを受けて天内も穏やかな微笑を浮かべる。

 

 学校に行くことを提案したのは乙骨の方からだった。ボンドルドはずっと『前線基地(イドフロント)』で呪術の勉強をしていても構わないと言ってくれたが、乙骨自身がそれを断った。別に大層な理由はない。ただなんとなく、少しだけきまりが悪かった。寂寥感ともいうべき情動が、乙骨の中にわだかまっていたのだ。

 

 これで学校のクラスメイトを祈本が傷つけでもすれば、乙骨は『前線基地(イドフロント)』にとんぼ返りしただろう。しかしながら幸い、今の所祈本が学校で顔を出したことはない。それどころか、数人だが友達も作ることが出来た。低学年の頃以来の快挙である。

 

 『前線基地(イドフロント)』に来てからの乙骨の生活は、本当に良い意味で一変した。

 

 困ったことと言えば、呪霊の祓除任務にボンドルドが行かせてくれないことぐらいのものだ。自身の身に着けた力が役に立つかどうか試したくて、乙骨は何度かボンドルドに頼み込んだのだが、その全てでやんわりと断れてしまった。曰く、ユウタにはまだ危険だとのこと。乙骨としても彼の意見は理解出来るが、そろそろ良いのではないかと思う気持ちがあるのも確かである。

 

「ふふ、乙骨が楽しそうで良かったのじゃ。妾も嬉しい」

「うん、ありがとう」

 

 乙骨の言葉に天内ははにかみ、それからふと遠くを見やった。

 

「乙骨を見ていると、妾も学校に通っていた頃を思い出すのじゃ」

 

 しみじみとした天内の呟き。それを聞いた乙骨は木刀を振る手を止めていた。彼は天内へと顔を向けて、そのままこくりと首を傾げた。

 

「ねえ。話が変わるけどさ、天内さんは僕がいない時何してるの?」

「む?」

「いや、天内さんっていつも『前線基地(イドフロント)』にいるでしょ? だからつい気になって……」

 

 天内は、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「そういえば、乙骨にはまだ言ってなかったのじゃった」

 

 そう言って、天内は近くにあった椅子へと座った。乙骨も木刀を置いて彼女の隣に腰掛ける。

 

「妾には、かつてやるべきことがあったのじゃ」

「やるべきこと?」

「うむ。大事な大事な…言うなれば使命のようなものがあった。そのためだけに、昔の妾は生きていたの」

 

 それは、乙骨の知らない世界の話だった。自らの人生を懸けた使命、それがどんなものなのかなど乙骨には想像もつかない。彼女の言葉が、果てしなく重い意味を持っていること位しか分からない。

 

「私のために、色々な人が頑張ってくれた。ボンドルドだけじゃないの。私の世話をしてくれた人、私を守ってくれた人。あの日のために、沢山の人が助けてくれた」

 

 天内は、少し俯いた。

 

「けど、私はしくじったの」

「し、しくじった?」

「呪詛師たちに襲われたのよ。皆が沢山傷つけられて、亡くなっちゃった人もいて、私とボンドルドも死にかけた。昔、言ったことなかった?」

「う、うん。死にかけったって話は聞いたけど」

「そう。公では私は死んでいる扱いなの。呪詛師たちの目から逃れるために、ボンドルドがそうしてくれた」

 

 乙骨はかつて、死にかけていたという話は聞いていた。聞いていたが、そんな流れでのことだとは思っていなかった。単純に呪霊に襲われたとか、そんな話だと思っていた。

 

 驚き慄く乙骨に気づいているのかいないのか、天内は下を向いたまま更に話を続けた。

 

「私は失敗した。みんなの頑張りに応えられなかった。だから、せめてボンドルドの役に立とうとしたの。ボンドルドは別に良いって言ってくれたけど、私は私が許せなかった。のうのうと生きるなんてこと、出来なかった」

「だから、今は…」

「私は今になって、齧ってしかなかった呪術を学んでる。乙骨の先生をしてるのもその一環なの。笑えるでしょ? こんなことしても黒井は…私の大切な人は、報われる訳ないのに」

 

 天内は顔を上げた。乙骨の見たことのない表情で、彼女は笑っていた。どうしてだろう? 彼女は笑っているはずなのに、乙骨の心はどうしようもなく冷え切っている。僅かに感じる瞳の潤みは、きっと気のせいではない。

 

 気づけば、乙骨の口は勝手に開いていた。

 

「そんなこと、ないよ」

 

 乙骨は、天内と目を合わせた。

 

「天内さんはすごい。自分で考えて、自分で頑張ろうとした、立ち向かおうとしたんだ。そんなこと、並大抵の人には出来ないよ」

「乙骨…」

「僕なんか、里香ちゃんがああなってから、本当に逃げてばっかだった。里香ちゃんだけじゃない。里香ちゃんが傷つけた人のことからも必死に目を逸らしてたんだ。だから、天内さんの方がずっと、ずっと…!」

 

 思うがままに喋り散らし、最終的にどもってしまった乙骨。けれど彼を見る天内の表情は、明らかに柔らかなものになっていた。

 

「ありがとう、乙骨」

「えっ。あ、そんなお礼を言われるようなこと」

「妾を励ますために、言葉を捻り出してくれたんじゃろ。愛い奴めー!」

「わ、ちょっ。待って待って!」

 

 天内はこちらに擦り寄り、乱暴に乙骨の頭を撫でまくった。もう髪の毛がぐしゃぐしゃだ。さっきまでのしんみりとした雰囲気もどこかに飛んで行ってしまった。無茶苦茶になった髪の毛を直す乙骨を見て、天内は豪快に笑い出した。そこに先ほどまでの物悲しさは感じられない。完全にいつもの天内に戻っていた。

 

 困り顔を浮かべつつも、乙骨はからかう天内を振り切って立ち上がった。乙骨はそのまま木刀を持って呪術の鍛錬を再開することとした。今日は日曜日、まだまだ時間は有り余っている。彼は天内に背を向けて木刀を虚空へと振りかぶり。

 

 その時乙骨は、確かに聞いた。

 

「本当に、ありがとう」

 

 

 

 

 

 きりきりと。

 

 乙骨の裡にて、歯軋りを立てる影が一つ。




前話で完全に言うのを忘れていたんですが、ボンドルドと夏油が星の子の家で会った話は後々に閑話として出す予定です。楽しみにしていた方がいれば申し訳ないです。
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