黎明廻戦   作:鯖のごった煮

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どうも、前回から更新がとても遅れた作者です。個人的な用事が重なって、執筆が遅れてしまっていました。申し訳ないです。
それでは、第九話です


第九話 会敵する

「乙骨! 乙骨!!」

 

 耳元で響く大声に、乙骨は重い瞼をごしごしと擦った。

 

 どうやら自分はいつの間にか眠っていたらしい。誰かに激しく両手で揺らされているのが分かる。手の主は恐らく天内だろうか。乙骨は覚束ない意識のままに体を起こし、視界の左で手を添えている人物を認めた。

 

「んぅ…?」

「やっと起きたのじゃ!」

 

 乙骨を起こしたのは、やはりと言うべきか天内であった。

 

 いつも通りの三つ編みを垂らして、小さく口を開けた彼女がこちらを見ている。軽くベッドに添えられた手は、いつも通り瑞々しい肌に覆われていた。決して剥き出しの肉だったり、全身ふわふわの姿な訳ではなくて。

 

———ユウタ、君は特別なのですよ

 

「…うぷっ」

「乙骨、大丈夫か?」

 

 直後に、乙骨は全てを思い出した。昨日の出来事、見てしまったこと。ボンドルドが天内と『前線基地(イドフロント)』に来ていた子どもたちに行った所業。乙骨がボンドルドへと拳を振るって、殺して、生き返ったこと。

 

 込み上げてくる吐き気に、乙骨は思わず口を手にあてがっていた。脳裏にあのI字仮面が焼き付いている。ふわふわの天内を抱えた、ボンドルドが。

 

「ほんとに大丈夫?」

「大、丈夫…。うん、大丈、夫」

 

 眉毛をへの字にして、天内が乙骨の背をさする。柔らかくて、暖かい感触。だというのに、胃の中身がせり上がってくる感覚が止まらない。

 

 乙骨は一体、どうすれば良かったのだろうか。最適解など分からないし、あるとも思えない。そもそもあの時の乙骨はまともな判断力を失っていた。何もかもが訳が分からなかった、受け入れ難かった。その気持ちは今だって同じだ。

 

 冷や汗を垂らしながら口を抑え続ける乙骨に、天内は少しばかり目を細めた。

 

「……ごめん、少しいい?」

「な、に?」

 

 天内は数秒ほど俯いて、それから乙骨の方へと向き直った。

 

「あの時、乙骨がボンドルドを殺したの?」

 

 彼女の言葉に、乙骨は思わず目を見開いてしまった。そのあからさまな反応を見て、神妙な表情をした天内が口を開く。

 

「やっぱり、乙骨が殺したんだ」

「………うん」

 

 小さく告げて、乙骨は天内に顔を向けた。

 

 ボンドルドは天内のかけがえのない家族なのだ。例え乙骨にどんな事情があろうとも、それは確かな真実である。そしてその存在を、乙骨は殺害した。彼女の大切なものを踏み躙った。天内にとって乙骨は純然なる加害者。殺人鬼と言っても間違いではないのだ。

 

 だから、乙骨の頭は自然と下がっていた。

 

「ごめんなさい、天内さん。僕は、天内さんの家族に手を掛けて……あまつさえ、あんな姿に…。本当に、何て言ったら…!!」

「乙骨、いいの」

 

 ベッドの上で姿勢を正し、頭を出来る限り下げた乙骨。彼に天内がかけた声は、彼が思っていたものよりもずっと柔らかいものだった。

 

「アナタがやったことは、私は気にしてない。ボンドルドだって生き返った。だから、大丈夫よ」

「けど…だって……!」

 

 天内はあくまで穏やかだった。どういう訳か生き返ったとは言え、一度殺されてしまったというのに。むしろ加害者である乙骨の方が、少なくない涙を流してしまっている。彼女の声色には、幾らかの諦めが含まれているようにも感じられた。

 

「乙骨も、見たんでしょ?」

「…?」

「ボンドルドの実験」

 

 その言葉に、乙骨は自身の喉が詰まったような気がした。

 

「あ、まない、さん?」

「…二年前、『前線基地(ここ)』に来て数ヶ月ぐらい経った時にね、ボンドルドが下層を案内してくれたの」

「下層、に…」

「うん、その時に私も見た」

 

 天内の口調は、淡々としていた。感情がまるで読み取れない。いいや、彼女はきっと抑えているのだ。天内の視線は、遠いどこかに向けられていた。

 

「ボンドルドは呪詛師と…子どもたちを痛めつけてた。実験、研究のためって言って」

「……」

「皆泣いてた、助けを呼んでた。けど、ボンドルドはずっと止めなかった。私が言っても、聞いてくれなかった。私は、あの人たちを傍観することしか出来なかった」

 

 僅かに震えてしまった声で、彼女は更に話を続けた。さながら、自らの罪を告白するように。

 

「だから、私に乙骨のことを怒る資格はないの。私もアナタと同じ。むしろ、乙骨は怒って当然よ。あんなことをしてる人なんて、普通は許せる訳がない」

「そんなこと…!」

「私は人殺しなの。下層の人たちを、見殺しにしてしまった。それだけじゃない。今までもずっと、私は人の願いを裏切ってきた。一昨日、乙骨にも話したでしょう」

 

 乙骨は何も言えなかった、言える訳がなかった。

 

 他ならぬ彼が、彼女の悩み、祈りを肯定したのだ。今更それを否定することなど、乙骨には決して出来ない。

 

「もし乙骨がまたボンドルドを殺しに行っても、私は止めない。私はアナタの友達で、先生だから。乙骨が何を望んで、何を願っても、それが間違いとは思わない」

 

 喧嘩はして欲しくないけどね、と天内は笑った。穏やかで、安らかで、どこまでも寂しい表情を乙骨に見せていた。これが、天内の本心。

 

 しばらく黙りこくっていた乙骨は、天内に一つ、問いかけた。

 

「……天内さんは、ボンドルドさんのやってることが平気なの?」

 

 乙骨の問いに、天内は少し瞬きをした。それからまた、さっきまでと同じ表情を形作った。何かを諦めてしまったような、悲しみを受け入れてしまったような、そんな顔を。

 

「平気って言えば嘘になるけど、大丈夫よ。辛くたって、苦しくたって、私はきっと我慢できる」

 

 そう言って、天内は小さくはにかんだ。

 

「あの人は私にたった一人残った、誰よりも大切な家族なの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある県の廃墟で、ボンドルドは呪霊と相対していた。

 

『ぃえっ…ぅ゙ぅ゙ぅ゙』

「おっと、君は素早いですね」

 

 時刻は午後9時半。ボンドルドは呪霊の祓除任務に出向いていた。呪霊は必死に欠けた足を引き摺って、ボンドルドは優雅に手を広げながら、お互いに一定の距離を取っている。

 

 その様を、廃墟の壁に寄りかかって乙骨は見ていた。

 

「やっぱり強いですね、ボンドルドさん」

「とんでもない。サトル特級に比べればまだまだです。彼は本当に素晴らしい」

 

 乙骨がボンドルドと戦ってから、おおよそ半年が経過していた。

 

 結局乙骨は、ボンドルドに再び手をかけることをしなかった。あれから乙骨はボンドルドに謝って、ボンドルドも彼の行動を許した。その後からはまるで何事もなかったかのように、乙骨は今まで通りの生活を送り始めていた。学校では勉強、『前線基地(イドフロント)』では呪術の習得。代わり映えしない日常は、乙骨にあの日の感覚を忘れさせてくれた。

 

 唯一変わったことと言えば、今のこれだ。

 

「ユウタ。呪霊の手足に対する攻撃は、あまり効果的とは言えません。どうしてか分かりますか?」

「呪霊の体は呪力で出来ているから、傷をすぐに直せるんですよね」

「素晴らしい。その通りです、ユウタ。呪霊相手ならば、なるべく急所を狙った方がいい」

 

 丁度二ヶ月ほど前から、ボンドルドは乙骨が自身の任務に同行することを許可していた。週末に鍛錬をしていた乙骨に、ボンドルド側から提案した形。乙骨にも断る理由がなかったので、それを承諾した。ゆくゆくは一人でも任務に行ってみてはとは、ボンドルドの言だ。

 

 元々は、もう随分前から乙骨がボンドルドに求めていたことである。正確には、半年前まで。ボンドルドと戦ったあの日から、乙骨はそもそもボンドルドとあまり話さなくなっていた。

 

『いぃ゙…あっあっ…あそ、ぼ?』

「おやおや、お元気ですね」

 

 やがて。眼前の異形の口調が、狂気を帯びていく。

 

 動かないボンドルドに痺れを切らしたのだろうか。しばらくボンドルドから距離を取っていた呪霊は、勢いよく彼に飛びかかった。大口を開けて迫るそれの瞳には、悪意以外の感情が見受けられない。呪いらしい醜悪さに満ち満ちていた。

 

 対してボンドルドは、自らの右肘を呪霊に向けた。

 

「『枢機へ還す光(スパラグモス)』」

『ぎゃ』

 

 彼の肘から放たれたのは、乙骨がいつか見た煌めく光線。廃墟一帯を照らすそれが、呪霊の頭部(きゅうしょ)を抵抗なく消し飛ばした。呪霊の肢体が力なく倒れ伏し、即座に大気へと融けていく。

 

 『枢機へ還す光(スパラグモス)』。それの恐ろしさが、それの凄まじさが、今の乙骨には良く分かる。そもそもからしてあれは特級に分類されるレベルの呪具。呪術界でも斜めに外れた立ち位置に属する、文字通りの規格外なのだ。

 

「一撃で…」

「ええ、急所を狙いましたから。基本的に呪霊の弱点はヒトのそれと同じです。ユウタも是非、覚えておいて下さいね」

「…分かりました」

 

 『枢機へ還す光(スパラグモス)』は、あらゆるものを焼き切る光の刃だ。

 

 それはある種の法則の書き換え。人間も呪霊も呪力も空間も、そして魂すらも、『枢機へ還す光(スパラグモス)』の前では紙切れ同然なのだ。どこまでも進み続けるあの光線に、阻めるものなど何もない。

 

 故にこそ、『枢機へ還す光(スパラグモス)』の効果は対象を寸断するのみにとどまらない。

 

 『枢機へ還す光(スパラグモス)』は魂に干渉し、そしてそれを傷つける。まともに攻撃を受ければ、人間は勿論、呪霊でさえしばらく肉体を再生することが出来なくなるのだ。実際乙骨とボンドルドの戦闘の際に両腕を斬り落とされた祈本も、それから丸一日ずっと乙骨の影に縮こまっていた。魂を斬りつけられるということは、それほどのものなのだ。乙骨が受けていればどうなっていたかなど、言うまでもない。

 

「さて、これで任務は完了ですね。アカリに報告して『前線基地(イドフロント)』に帰りましょう」

「ですね。お疲れ様です」

 

 ともあれ、これで今日のボンドルドの任務は完了だ。こんな薄暗い廃墟に長居する必要もない。ボンドルドは既に廃墟の外、補助監督の新田明の方へと歩き始めていた。乙骨も彼の背に追従する。

 

「ボンドルドさん、今日もありがとうございます」

「いえいえ、私から君に提案したことですから。ユウタの力になれたのなら、私としても大変喜ばしい」

 

 乙骨にはそもそも、力がなかった。

 

 肉体的な意味でも、精神的な意味でも、乙骨はあまりにちっぽけだった。ボンドルドを許容する、或いは拒絶する。その選択をしたとして、今の乙骨では行動に結果が伴わない。いくら悩んで、答えを探しても、その果てに何も変えられない。

 

 だから乙骨は、まず学ぶことにした。あらゆることを学んで学んで身に付けて、着実に自身の力として身に付ける。呪術だって同じだ。何日、何年でも呪いを祓い続けて、術師としての実力を向上させる。意味も理由も全て後回しだ。ひたすらに学び続けることが、今の乙骨に必要な作業。それをやり遂げて、いつか乙骨も特級(おりもと)に相応しい術師となるのだ。

 

 未来のことを考えるのは、きっとその後でいい。

 

「そうそう。ユウタ、今日の晩ご飯に行動食4号はいかがでしょう? あれは栄養価が豊富なんですよ」

「自分で作りますから、大丈夫です」

「…おやおやおや」

 

 とりとめない会話をしながら、乙骨はボンドルドと共に廃墟を後にした。暗闇の中、彼らは砂利を踏みしめて『前線基地(イドフロント)』までの帰路を辿った。

 

 夜空に浮かんでいたはずの三日月は、灰色の雲に覆われて良く見えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「乙骨、卒業おめでとう!!」

 

 ぱん、というクラッカー音。同時に、乙骨の顔に色とりどりのテープがかかった。火薬特有の匂いが鼻腔をくすぐったい。

 

 2017年3月、乙骨は中学校を卒業した。今やっているのは卒業記念パーティである。参加者は乙骨と天内。学校の友達を誘うことも打診したのだが、非術師に『前線基地(イドフロント)』を見せるのは不味いということで却下されてしまった。

 

「…ありがとう、天内さん。凄い嬉しい」

「ふふ、どういたしましてなのじゃ!」

 

 頰を僅かに赤らませた天内が、無邪気に微笑む。釣られて乙骨も笑みを溢した。

 

「乙骨がここに来て、もう三年になるのじゃなー」

「確かに、そうだね」

「時間が経つのが早いのじゃあ…」

 

 言われてみればその通りである。特にここ二年は本当にあっという間だった。考えごとをしている間に、時間は流れるように過ぎていく。呪術の鍛錬をしていればもう深夜過ぎであったということも、『前線基地(イドフロント)』ではままあった。

 

 長いようで一瞬だった中学生活。乙骨にとってそれは、間違いなくかけがえのない思い出だ。

 

「高校は、確か東京の呪術高専に行くんじゃったっけ?」

「うん、そのつもりだよ」

 

 乙骨はこの二年で、呪術について様々な知識を学んだ。戦闘技術についても言わずもがなだ。つい最近にボンドルドからお墨付きすら貰ったのだから、乙骨もある程度の自信を持っても大丈夫だろうと思っている。

 

 故に乙骨は、天内に術師としての道を選択することを半年前から明言していた。祈本についても、高専に術式の解析などが得意な術師に視てもらえれば何か分かるかもしれない。乙骨としても出来るのならば、祈本をあの姿から解放したいのだ。高専に行くという選択肢は、きっと今の乙骨にとっての最適解だろう。

 

「乙骨、高専は良いところじゃぞ!」

「え、天内さんって高専で呪術習ってたの?」

「いや、ちょっと覗いただけじゃ」

「そうなんだ…」

 

 天内は和やかに笑いながら、更に乙骨へと言葉を続けた。

 

「数年前に昔の妾を守ってくれたのが、丁度高専の生徒じゃったのじゃ」

「え、あ…それって……」

「…むぅ、そんなに気を遣わなくても良いのじゃ」

「ごめん。天内さんに、つい辛いことを思い出させちゃったかと思って…」

 

 尚も天内に気を遣って、あたふたし続ける乙骨。彼の様子を思案げに見た天内は、ふと軽く手を叩いた。

 

「そうじゃ! 忘れていた。乙骨にケーキを作っていたのじゃ!!」

「え、ほんとに……?」

「うむ、ボンドルドにも手伝って貰ったのじゃ。傑作じゃぞー!」

「そうなんだ。天内さん、ありがとう!」

「どういたしまして。少し待っているのじゃ」

 

 そう豪快に笑いながら、天内は乙骨の部屋を出た。恐らく彼女の自室に作ってくれたケーキがあるのだろう。彼女の様子を見るに、相当凄いものを作ってくれたらしい。乙骨としても嬉しい限りである。大人のボンドルドも関わってくれたのだから、きっと味方面も完成度が高いはず。自然、乙骨のケーキに対する期待は高まっていた。

 

 そして、乙骨がルンルン気分で待つこと3分半。天内はステップを刻みながら戻ってきた。

 

「ほれ、卒業記念ケーキじゃ」

 

 乙骨の目の前には、言葉では形容できない何かがあった。

 

 白色の生クリーム、それに覆われた円柱形の生地。それは確かにケーキとしての条件は満たしている。きっと食べれないものでもないだろう。

 

 問題はケーキのトッピングだった。

 

「天内さん、これ…」

「ボンドルドのお勧めで、行動食4号を盛り付けてみたのじゃ!」

「…………そっか」

 

 ケーキの側面と表面、その全てにあのカロリーメ◯ト擬きが敷き詰められていた。見るからにとても硬そうなケーキである。下手に噛もうとすれば歯の方が砕けてしまうやもしれない。本当に、どうしてこうなった。

 

 乙骨の疑問は尽きないが、満面の笑みの天内の前では何も言えない。幸いケーキは既に切り分けられていたので、乙骨はその内の一つを手に取った。

 

「じゃあ、いただきます」

「うむ、妾も少し貰うのじゃ」

 

 ぱくりと一口。同時に、口内に生クリームの甘い風味が充満する。次いで生地の柔らかい食感、そして最後にカ◯リーメイトの壁の味が来た。

 

「むう、なんじゃぁこれ…」

 

 天内の漏らした苦悶の声。乙骨もそれに同意見だった。

 

 不味くはない。決して食べられないものでもない。ただ何というか、違和感のようなものが口の中に居座っているのだ。一言で言うならば、度し難い。作った張本人である天内も、顔をくしゃりと歪めていた。

 

「…ボンドルドさんは、何か言ってた?」

「これが、私の一押しですって…」

「……まあ、とりあえず食べよっか」

「そう、じゃな」

 

 全てを悟った表情で、乙骨はひたすらケーキを口の放り入れた。味は何とも言い難いものとは言え、天内と、そしてボンドルドにも何ら悪意はなかったに違いない。彼らが作ってくれた善意の結晶を、乙骨が天内に突き返すはずもなかった。適当な雑談を合間に挟みつつも、乙骨は天内と一緒にケーキを食べ続けた。

 

 やがて35分後。乙骨と天内は卒業記念ケーキを完食した。

 

「「…ごちそうさまでした」」

 

 彼らの草臥れた声が重なる。それに思わず乙骨はくすりと笑った。思えば、こんな長時間天内と食事を取ったのは久しぶりかもしれない。学校ならばまだしも、『前線基地(イドフロント)』での乙骨は呪術のことばかり優先していた。

 

 乙骨の忍び笑いに、天内はぷうと頰を膨らませた。

 

「何笑ってるのじゃー!」

「ごめん、天内さん。なんだか可笑しくって…」

「むぅ…変な乙骨なのじゃ」

 

 どこか不満そうな天内の目線、それを受けて乙骨は口を開いた。

 

「いや。記念パーティ、凄い楽しかったからさ」

 

 それは紛れもなく、乙骨の本心であった。

 

 乙骨は純粋に嬉しかった。ちょっとしたハプニングはあったが、それすらも愉快だった。放課後や休日は基本的に呪術の鍛錬に費やしていたこともあるだろう、パーティというものが乙骨にはこれ以上なく楽しく感じられていた。ここまで充実した体験は、後にも先にも中々味わうことは出来ないだろう。

 

「…そうか、それなら良かったのじゃ」

「うん。ありがとう、天内さん」

 

 心なしか頰を赤らませる天内に、無邪気な笑みを見せた乙骨。それから彼らはパーティの後片付けを開始した。部屋全体にかけられた旗、クラッカーのテープなどを協力して回収する。それらのゴミを全てゴミ袋に纏められれば、乙骨たちの後片付けは完了だ。

 

 結果として、彼らの後片付けが終わったのは午後10時過ぎのことであった。パーティを始めたのが午後9時であるので、丁度一時間が経過したことになる。

 

 もう夜も遅いということで、乙骨たちはパーティは完全にお開きにすることとした。

 

「今日は本当にありがとう、天内さん」

「こちらこそ、とっても楽しかったのじゃ」

 

 乙骨の自室の外の廊下で、天内はぱたぱた手を振った。

 

「それじゃ、お休みなさい」

 

 

 

 

 

 その翌日の午前3時。

 

 乙骨は一人、『前線基地(イドフロント)』の下層に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

「ユウタ、昨日のパーティはどうでしたか?」

 

 『前線基地(イドフロント)』下層の廊下を、乙骨はボンドルドと共に歩いていた。聞き慣れた機械の駆動音が辺り一帯に反響している。

 

「楽しかったですよ。ケーキも美味しかったですし」

「それは良かった。あの傑作を気に入っていただけたのですね」

 

 流れるように吐いた嘘を、ボンドルドは簡単に信じてくれた。ただただ嬉しそうな言葉。まるで、乙骨に全幅の信頼を置いているような声色。ちくりと乙骨の心が痛んだが、それでも彼は歩く足を止めなかった。

 

 二年前からだろう。乙骨はよく嘘を吐くようになった。

 

 自分を騙すための嘘、自分を隠すための嘘。或いは、現状から目を反らすための嘘。それらは乙骨を大いに助けてくれた。おかげで今では、夜に眠れなかったり、吐き気に苛まれることも、食が通らなくなることもほとんどない。罪悪感を引き換えに、普通の学生のそぶりをして二年間も学校に通い続けることだって出来た。きっと嘘がつけなければ、彼はとうの昔に耐えられなくなっていただろう。

 

「それで、話というのは何ですか、ユウタ?」

 

 歩きながら、ボンドルドは乙骨に問いを投げた。

 

 乙骨とボンドルドは、何も偶然にここで落ち合ったのではない。乙骨が時間を設けて欲しいと頼み込んで、ボンドルドが午前3時を指定した。ボンドルドとて特級呪術師、任務やら何やらで忙しいのだろう。乙骨もそれに承諾し、今に至るという訳である。

 

 ならば、どうして呼び出したのか。

 

「……ずっと、考えてたんです」

 

 漏れ出た言葉は、機械音に隠れそうなほど小さいもの。けれどボンドルドは乙骨の方を見遣って、真剣に耳を傾けていた。

 

「僕は何がしたいのか、何を望んでいるのか。あの日からずっと、考えていました。……いいや、迷っていたという方が正しいのかもしれません」

 

 乙骨は、ずっと自身の心の奥底を測りかねていた。分からなくなっていた、何が正しいのか、何がおかしいのか。嘘吐きになってしまったせいもあるだろう、乙骨には全てが有耶無耶に見えてしまっていた。

 

 けれど、今は。

 

「やっと分かったんです、僕の望み、抱いていた願いが」

 

 それは、乙骨にとって揺るぎないもの。自分自身を騙してすら、誤魔化すことが出来なかったもの。2年の歳月を経て、乙骨はようやくそれを自覚出来たのだ。

 

「僕は、生きてていいって自信が欲しかった」

 

 溢れた乙骨の本音。それをボンドルドは、あくまで静かに聞き入っていた。

 

「里香に呪われて、みんなを傷つけてしまって。だから、誰かの役に立って、必要とされたかった。誰も傷つけたくなかったけど、一人になるのは嫌だったんです」

 

 生きるという、人にとっては当たり前の行為。それすらも、かつての乙骨には危ういものだった。何せ、乙骨の側には祈本が憑いていたから。彼女が人を傷つける限り、安息の日々は訪れないものと思っていた。

 

「そういう意味では、ボンドルドさんには感謝しています。アナタが僕を助けてくれなかったら、きっと今の僕はいなかった。本当に、僕にとっての命の恩人です」

「とんでもない」

 

 ボンドルドがいてくれたから、乙骨は人を傷つけずに済むようになった。人の役に立つ方法も教えてくれた。呪術師という道を、示してくれたのだ。

 

 恩人であり師匠、それが乙骨にとってのボンドルドだった。

 

「だけど、アナタは僕の友達を傷つけている」

 

 乙骨の言葉に、ボンドルドはまた口を開いた。

 

「安心して下さい、ユウタ。あれらは——」

「分かっています。彼女たちに上層の天内さんの記憶はない。アナタの扱う降霊術は、生前の情報のみを降ろすものですもんね」

 

 小さく笑って、乙骨は続けた。

 

「その上で、関係ないんです。僕の友達は天内さんで、彼女たちも同じ魂を持って産まれ落ちた。だったら、僕は彼女たちの友達です」

 

 記憶が違っても、姿が違っても、彼女たちは天内なのだ。誰もかもがそれを否定したとしても、乙骨が、乙骨だけはそれを認める。彼女たちは、みんなみんな天内(ともだち)なのだと。

 

「ボンドルドさん、僕は別に怒ってる訳じゃないんです。むしろ、アナタのことは今でも尊敬してる。友達を傷つけていても、その気持ちは絶対に変わりません」

 

 乙骨が今、ボンドルドに抱いている気持ちは、ひどく独善的なものだ。

 

 断じて天内のためだとか、下層(ここ)の子どもたちのためだとか、そういうものではない。ひたすらに個人的で、義侠心からも程遠い感情。

 

「ただ、耐えられないんです。友達を傷つけられて、あまつさえあんな姿にされて、のうのうと生き続けることが、僕には出来ない」

 

 乙骨は他人と関わることに、自らが生きる価値を見出した。

 

 故に、友達が傷つけられることを異常なまでに忌避していた。また一人になって、誰からも必要とされなくなることを恐れていた。乙骨が乙骨であり続けるために、友達というものは必要不可欠な存在だった。誰かの役に立てなければ、乙骨は自分のことが許容出来ない。

 

 一方で自ら命を絶つことは、祈本が決して許してくれなかった。ナイフも刀も、全て意味がなかった。乙骨に与えれた選択肢は、生きることのみ。

 

「だから今日、アナタをここに呼んだんです」

 

 乙骨は真っ直ぐにボンドルドを見つめて、背中の刀に手をかけた。

 

 ボンドルドを睥睨する彼の瞳は、黒く渦巻いていた。そこには、傲慢で、暴慢で、身勝手で、独りよがりで、我儘な感情が満ち満ちていて。

 

 それでも。

 

「ごめんなさい、ボンドルドさん」

 

 ひたすらに透徹した殺意。それが、確かに彼の双眸には宿っている。

 

「僕は僕のために、これからアナタを殺します」

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