(旧)娘が悲劇の悪役令嬢だったので現代知識で斜め上に頑張るしかない 作:丹波の黒豆
水を司る青の領の、その公爵令嬢である私ウェンディは、不本意ながらも父の命令で紫の領へと来ていた。
正直女性の生理を快適に過ごせる道具だのには、まったく自分の魔力の根源たる探求心は動かなかったのだが。
青の領とは嫁取りやら宰相選別やらで何かと悪縁がある宿敵が、その行動の原動力たる妻の死後、どう動くかを見極めてこいというのが父上のお達しだ。
公爵令嬢と言ってもその魔力を十全に受け継げなかった、4番目に生まれた出がらしの悲しい性で、私はこんな所に来ているわけだが。
しかし会が始まり、件の公爵様が会の進行をし始めてから私の考えは一変した。いや、むしろ不満など。そんなモノを言っている余裕はどこにもなかった。
は、何だ。
何なんだ、この男の異常な“技術”の数々は。
事前に用意された紙に書かれた“ぐらふ”とかいう数値を視覚化した資料は、誰が見ても、例え数値に疎い者が見ても一目でわかる研究者にとってまさに世紀の大発明。
しかもそれが一種類ではなく折れ線、棒、円形と。…用途に合わせて使い分けられているとか。あ、ありえんぞ。
しかもその説明の巧みな事よ。
資料の切り替わりに合わせてわざと緩急をつける事で、本当に自分の伝えたい事を的確にわからせるそれは、…まさに見事の一言。
才能?
いいや。コレも技術だ。この男が持つ会議の技術。自分の意見を確実に通し、主張を勝ち取る発表者の魔法だ。
ああ、それからも。
全員でまず否定をすることなく議題に対して有効だと思える事を次々と発言していくことで、ほんの僅かな着想すら逃さない手法「ぶれいんすとーみんぐ」。
自分の本来の思想とは別に分けられた2グループに別れて、お互いの主張を通す為に発言しあう事で、多角的に問題点を洗い出す「でぃべーと」
どれもこれも。
知の探求者たる水の魔力に導かれた者が知を競い合う我が青の領の、その水準の遥か上を行く未知なる技術。
ただの一つでも、一度それが世界に流れるだけで研究の歴史を大きく一変させかねない劇物!
なぜだ。なぜこの男のこの高度な技術に、皆気付かない。研究者ならばコレほどの、これほどの気付きを与えるこの男の異常さを何故騒がない?
これはいずれも国や学派で秘匿すべき、真理の頂きに繋がる技術だぞ。
いや。そうだ。ここにいるのは普段私が青の領で相手取る研究バカ達ではないのだな。多くは普段、唯の淑女として暮らす女たち。
分析に長けた生粋の研究者など、水の領の私くらいなの、か?
は、は。なんて皮肉。
いや、これが狙いか。
淑女達相手なら技術漏洩する事はないと、そう踏んだか公爵。
ああ、ならば残念だったな。何故ならここに私がいるぞ。さぁ全て吸い尽くしてやるさ。知の探求こそ私の根源。
お前の底を見てやるぞ公爵。
・
あ、ありえんぞ。
ジルクリフ・
お前の頭はどうなっている?
喋れば喋るほど。話せば話すほどに世界の技術の枠を超える化け物め。
貴婦人達との会話に出た、何でもない世間話がみな劇物だ。意識が、いや水準が根本的に違う。違いすぎる。
女性の美しさを際立たせる水銀入りのおしろいが、有毒だと。多くの金属を多く取り込む事が人にとって有害である事を説明し、わからせてみせるとか。
美しさの秘訣は“びたみん”と“みねらる”。肉や野菜の中に含まれるそれらをバランスよくとることが重要だと、まったく聞いたことがない未知の要素を説明してみせる。
胸の大きな女性の肩こりの原因すら簡単に説明してみせ、それを解消する為の道具を軽く提案してみせると。あまつさえソレと女性の履く下着にもっと美術的な価値をつければ、より女性の美しさを際立たせると筆をとって書いてみせるなど。
あ、頭がおかしくなりそうだ。
こと知識という限られた分野において、その発言の真贋を見極める魔力を持つこの私が。……だからこそ今、狂いそうだ。
この男は、完全におかしい。
何も嘘をついていないなど。
その知識は正しいと、私の魔力が告げるのだ。
私が命を叡智に捧げる真の探求者であるから、確信して言えるが。
技術というモノは飛躍しない。
一歩一歩人が歩むように。先人達の教えを辿ってジリジリと前に進むものだ。時には戻り、時には迷いながら進むのだ。
では、この男はなんなのだ。
ならばこの知識は、綺羅星のようなそれらは。一体どこから得たというのか?
は、は。
知れば知るほどに、狂いそうになる。公爵の底がまるで見えて、……こない。
このゆるく縮れた長い青髪を、ここで散々に掻きむしりたくなってしまう。
私が公爵がしていた女性の下着についての、貴婦人達のと何気ないやりとりを聞いた後。彼女達が明らかに聞いた話を元に、その商品化を図ろうと企んでいる所を見かけ、思わず黙っていられずに公爵にそれを告げたことがある。
優れた技術の権利とはそれを生んだモノの為にある。私はソレを軽んじる彼女達の行いが許せなかった。
しかし公爵は。
「ああ。俺のあの与太話を実現してくれるのなら、これほど嬉しい事はない」
と答え、私が自分で事業化しないのかと問うと。
「これでも公爵は忙しい仕事でね。他にもいくらでもやらなければならない事があるんだ」
となんでもない事のように答えた。そこで至った。
ああ、そうか。この男にとってあの綺羅星のような技術の数々は。モノの根幹すら揺らがせかねない叡智の泉は。……本当に何でもない事なんだと、気付かされた瞬間だ。
私はそれだけ聞くと公爵から離れ、出口の見えない底なし沼へと堕ちていった。
しかしそれはまだ、ほんの入り口に過ぎなかったのだ。
底など当然、見えやしない。